2026/09/27

日本酒のテイスティング体験イベント




8月末のまだ暑い日曜日の午後。
私は、表参道駅で下車し、南青山のパソナビルを訪問した。
キャプランワインアカデミーで、WSETの日本酒イベント(WSET SAKE Experience)に参加するためだ。

このイベントは、日本酒のテイスティングを気軽に体験できる企画で、WSETの日本酒資格のPR活動の一環でもある。
WSETとは、ロンドンに本拠のある国際的なワイン教育機関だが、最近は、日本ブームに乗って、日本酒の資格ビジネスも始めたようである。

今回の酒イベント、最近忙しい私にとって、超久しぶりとなった。
ブログ記事を遡ると、2025/08/18「わたしの「テイスティングコメントの作り方」」の記事があるが、参加はそれ以来だ。




以前のように、ビルの上階の広い部屋に通され、窓際の明るい席に座った。
私の目の前に、テイスティング用のグラスが複数置かれているが、まだ空っぽだ。
その横には、テイスティングシートがあり、注がれる予定の日本酒の銘柄名が記入されていた。

①月桂冠上撰
②而今純米大吟醸白鶴錦
③七本槍純米80%

月桂冠とか、白鶴とか、テレビCMで聞いたことがあるが、私は、よく分かっていなかった。

では、そろそろ時間が来たので、日本酒のテイスティング体験のスタート!




まず、真ん中の日本酒だが、銘柄は「而今純米大吟醸白鶴錦」だった。
透明な液体をよく見ると、若干の色みがある。
ひと口飲むと、味も香りもフルーティーだった。

お、これは、高い酒だな、、、
得した気分(*'ω'*)」

私は、何度かグラスを回し、日本酒の透明な液体をじっと眺めた。
しかし、私はなぜか、気持ちがそれほど盛り上がらなかった。

もしかして、私は疲れているのか?(*'ω'*)ム~

もうひと口、飲んでみたが、やはり、気持ちは、それほど盛り上がらなかった。




その後、最上階のラウンジで、ネットワーキングの時間となった。
日本酒の中でも古酒というのがあり、古酒専門の酒屋がブースを出していたので、グラスを差し出して、注いでもらった。

古酒か、、、熟成により琥珀色をしていて、樽の匂いと味がする。
いや待て、そもそも日本酒は樽に入れるのかしら?(汗)

ああ、思い出した。
2年前、同じ場所で古酒のイベントがあって、レクチャーを受けたじゃないか(リンク)。
しかし、あのときのことを思い出そうとしたが、思い出せなかった。
そこで、私は、GoogleのGeminiを使って調べた。

「ワインやウイスキーは、オークなどの木樽に入れることで「樽の成分(香りや色)」を液体に移し、微細な空気の出入りによって酸化熟成を促します。一方、日本酒の場合は少し事情が異なります。」「日本酒は非常に繊細なお酒であるため、長期間木樽に入れてしまうと木の香りが強くなりすぎ、お酒本来の風味が完全に負けてしまうため、あえて木材には触れさせないのが伝統的な熟成方法です。」(Geminiより)

なるほど、、、それでは、日本酒の古酒の独特の匂いと味は何だったのだろう?

「長期間(3年〜10年以上)寝かせることで、日本酒の中では主に以下のような変化が起こります。
1.色が「琥珀色」に変わる
お酒に含まれるアミノ酸と糖分が時間をかけて結びつく「メイラード反応」(玉ねぎを炒めると茶色くなるのと同じ原理)が起こり、無色透明だった液体が美しい黄金色や琥珀色、さらにはルビー色へと変化します。
2.味わいが「丸く、深くなる」
アルコールのツンとした刺激(角)が取れ、とろりとした滑らかな口当たりになります。フレッシュな状態では感じられなかった、重厚な旨味や甘味が引き出されます。」
3.香りが「複雑」になる
フルーティーな香りから、ナッツ、カラメル、ドライフルーツ、あるいは醤油やスパイスを思わせるような、深く香ばしい「熟成香(じゅくせいか)」と呼ばれる独特の香りへと進化します。」(Geminiより)

なるほど、そういうことか。
まあ、勉強にはなったが・・・ひとつ分かったことがある。

どうやら、私は、お酒やテイスティングに対する興味や関心が薄れてしまったようだ。




数日後のスターバックス。
私は、ダークモカチップフラペチーノを飲みながら、自身のこのような状況を分析した。

マイブームという言葉がある。
それは、あるときやって来て、あるとき確実に去る波にすぎない。
例えばそれは、夢中になった過去の恋愛などと一緒だ。
その後、長く離れていると、自然と興味が薄れ、気持ちが冷めるが、再び巡り遭っても、たいして思い入れがなかったことを自覚する。
そのような場合は、変化を求めるタイミングが来ており、興味の対象を切り替えるべきだ。

は~、いつ飲んでも、ダークモカチップフラペチーノは、美味しいなあ、、、(*'ω'*)

今回のテイスティング体験は、私にとって、意外なものだった。
自分の大好きなものや、拘ってきたものを、思いきって切ることへの重要な示唆とも思える。
確かに、現在の私は、テイスティングにも、お酒にも、あまり興味が持てない。
そもそも、めちゃくちゃ酒好きでもない。
1杯600円足らずの濃厚なチョコレート味のフラペチーノを飲んで、十分満足できる。

さて、今年も、あっという間に9月の終わりだ。
私は、溜め息を吐き、以前と同じことを考えた。
3月の終わりにも考えたことだが、やはり、選択と集中が重要だ。

2026/09/25

那珂湊再訪












先日、仕事で、那珂湊に行った。
ランチは、3月のときと同じく、那珂湊の市場近くのホテルのレストランで食べた。

そのレストランは「浜辺」というのだが、メニューを見ると、あんこう鍋が名物と書いてあった。
あんこうといえば、先月、勝田駅で、あんこう弁当を買って食べたばかりだが、あんこう鍋は、10月からサービス開始~と書いてあった。

ウーム、残念、、、ちょっとだけ、早かったか(*'ω'*)

ということで、私は、3月と同じく、生しらす丼を注文。
食べる前に、ママ殿に、生しらす丼の写真を送った。
すると、すぐに返事があり、前回よりも、生しらすが大きいのでは?という鋭い指摘が。

エッ、そうだっけ?(*'ω'*)

写真を比べてみると、確かに、今回の方が大きかった!(リンク)

この生しらす、生臭くなく、味はしっかりしており、非常に美味しかった。

2026/09/13

久井唯花さんの写真展「QUALIA」

最初、私の眼鏡が曇っているのかと思ったが、そうではなかった。

9月のある日、銀座のソニーギャラリーの写真展を見たときのこと。
ギャラリーの入口の案内板をスマホで撮影すると、光の具合(?)で、こうなった。

私は、不思議な感覚に陥りつつ、展示室の中へ足を踏み入れた。




今回の写真展は、久井唯花さんの「QUALIA」。
まずは、久井唯花さんのアーティストステイトメントを読んでみた。

「色感覚を伴う共感覚の経験を背景に、視覚と非視覚的な感覚が結びつく記憶を記録している。写真を主な表現媒体とし、人それぞれに固有の知覚のあり方を主題に制作を行う。2025年に10年分の記録をまとめた写真集「QUALIA」を刊行」

ボードには、自己紹介のほか、彼女の詩が載っていた。

「わたしの祈りは叶わないまま輝いている
もう二度と、過ぎた日を振り返ることがなくても
もう二度と、ひとと同じものを見ることがなくても
そしてそれらが紙の上でどんなかたちをしていても
その輝きは、失われることはない」











そんなに長居はしなかったのだが、彼女の写真作品は、10年分の記録だけあって、選りすぐりのものだった。
どれもシンプルで、直感的で、印象深く、私はとても満足した。

ソニーギャラリーの次は、雨のぱらつく並木通りを歩き、ノエビア銀座ギャラリーへ。
写真家の林忠彦と齋藤康一撮影の「文士の時代 三島由紀夫と川端康成」である。

お盆休みに、下の写真のような案内ハガキが我が家に届き、ちょっと面白そうなので見に来たのだ。





前提として、ふたりは師弟関係にあり、深い親交があったことが、よく知られている。
順番に写真を見ていくと、昭和45年のある日、パーティーの席で、歓談するふたりの様子を撮った写真がある。
解説文には、宴会の1週間後、三島由紀夫が自決したと書いてあった。

自決なんて、深刻でイヤな話だな、、、(*'ω'*)コワー

三島由紀夫は、昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をした。
ということは、写真のパーティーは、11月なかばということになる。
三島由紀夫の葬儀は、築地本願寺で行われたが、葬儀委員長は川端康成が務めた。
そして、三島由紀夫の死から約1年半後の昭和47年4月16日、川端康成は、逗子の仕事場でガス自殺をした。

なるほど、川端康成は、そんな死に方をしたのか(*'ω'*)コワー

ノーベル文学賞受賞者の川端康成が、ガス自殺をしたことは、学校の国語の授業で習ってない気がする。
このあたりのことは、Wikipediaの「川端康成の解説(エピローグ突然の死)」に、詳しく書いてある。





ノエビアの写真展を見た後は、銀座シックスの方へ。
大通りを新橋方面に歩き、ヤマハのビルに立ち寄った。

入口の脇で、傘をたたむと、私のすぐそばの壇上にある、珍しいピアノが目に留まった。
展示されているのは、ヤマハピアノ100周年記念の特注ピアノである。
大正時代のレトロ感があり、装飾的な脚が特徴的だ。
グランドピアノとしてはミニサイズだが、私は、その小さくて美しい顔と身体に強く惹かれた。

音楽は、直感的な芸術である。
余計なこと、難しいこと、深刻なことを考えなくていい。
なので、私は、文学やアートより、音楽が好きだ。

いま、手元に手帳がないのだが、次のコンサートの予定は、11月24日の東京オペラシティーだったか?




ここで、QUALIAとは何なのか説明しておこう。

Wikipediaには、こう書かれている。

「クオリア(英語: qualia〈複数形〉、quale〈単数形〉)または感覚質とは、『脳科学辞典』によれば、感覚的な意識や経験のこと[1]、意識的・主観的に感じたり経験したりする質のこと[1][注 2]。一例として、訓練されたサルの脳に電極を埋め込んで「眼球運動や脳活動からクオリアを読み取る」研究が進められていると同辞典にはある[1]。『広辞苑』によるとクオリアは「感覚的体験に伴う独特で鮮明な質感」であり、「脳科学で注目される」概念である[2]。」

ただ最近はWikipediaより、生成AIの解説の方が分かりやすかったりするので、Geminiでも調べてみた。

「クオリア(Qualia)を一言でいうと、「私たちがある体験をしたときに感じる、主観的で生々しい『質感』や『感じ』」のことです。科学やデータでは絶対に説明できない、あなたの中にだけ生じる「あの感じ」を指す哲学用語です。言葉だけだと少し難しく聞こえるかもしれませんが、具体例と比べるとすぐに理解できます。「Quality」が物事の客観的な「性質」や「品質」を指す言葉として定着したのに対し、「Qualia」は「人間の意識や経験における主観的な性質(Quality)」を指す言葉として使われています。私たちが何かを体験したときに「それはどのような(qualis)感じがするのか?」と問うときの、その「感じ」そのものがクオリアです。」

久井唯花さんの言葉を借りると、「色感覚を伴う共感覚の経験を背景に、視覚と非視覚的な感覚が結びつく記憶」であり、「人それぞれに固有の知覚のあり方」があるものである。
彼女の作品には、光が差し込んでいるが、私たちの脳裏には、何かを想い起こしたとき、一瞬で、そのときの主観的経験や体験に基づく個人的感覚がよみがえるだろう。
それが、クオリアである。

例えば、男どうし居酒屋で酒を飲みながら話しているとして、美人とは~であると客観的学術的に定義してもよく分からないわけである。
感覚的に腑に落ちないからであるが、そこで美人とはクラスメイトの〇〇さんとか、アーティストの〇〇さんというと、彼女を知る男たちは途端によく分かる。
クオリアとは、あるときは、そんな美しい思い出の共有だと思う。
もっとも、思い出は美しいものばかりではない。
主観的で生々しい『質感』や『感じ』が、ゴキブリを触ってしまったときの触感であったり、海外で口に合わない料理を食べたときの「まずい!」という味覚だったりすることもある。

よく例えに出てくるのが、「赤い」という色彩感覚である。
リンゴ(APPLE)の赤というと、リンゴの皮の匂いや、昔食べたおいしいリンゴの甘酸っぱい味を思い出し、良い感じがする。
しかし、赤を血の色として記憶している者にとっては、ぜんぜん良い感じはしないだろう。

ということで、私たちは、なるべく良い思い出を作ることが大事のようである。

最後に、私は、今一度、彼女の詩を読んでみた。

「わたしの祈りは叶わないまま輝いている
もう二度と、過ぎた日を振り返ることがなくても
もう二度と、ひとと同じものを見ることがなくても
そしてそれらが紙の上でどんなかたちをしていても
その輝きは、失われることはない」

2026/09/10

画家は信念と自由が大事?

先月のこと。
水戸に用事があり、午前11時に水戸駅に到着した。

午後から、三菱UFJ銀行水戸支店で用事があり、バスで泉町方面へ。
京成百貨店をぶらぶらした後、大通りを大工町方面に歩いた。

筑波銀行水戸支店の少し先に、「テツ・アートプラザ」という新しい建物がある。
カフェ、ラウンジのある、この建物の隣に、美術館が併設されている。
私は、4月に一度入ったことがあるのだが、約束の時間まで30分以上あるので、館内で過ごすことにした。








広いラウンジのすみに、裸の女性の彫刻が展示されていた。
小森邦夫の「あすなろ」という作品である。
解説を読むと、「本作はこの建物が旧三菱UFJ銀行水戸支店として使われていた時代から店内に設置されていたものをもとに鋳造した作品で~」とあった。

要するに、いま私のいるこの建物は、かつて、三菱UFJ銀行水戸支店だったのだ。
右下に、昔の店内のにぎわう様子が写っており、昭和の風景に懐かしさを覚える。

ちなみに、現在の水戸支店は、大通り向かいの古いビルの中にあり、1階がATMコーナー、3階が窓口のある店舗となっている。
もはや銀行は、立派な建物を必要としなくなったのだ。

私は用事があるので、この後、横断歩道を渡り、支店へと向かった。

それにしても焼けるように熱い、、、
日傘を差さなければ、どうかしてしまう...(;´Д`)ハアハア







銀行で用事を済ませ、私は、また横断歩道を渡り、クヴェレ美術館へ向かった。

美術館のフロントヤードに、謎めいた真っ赤な置き物があり、ひときわ目をひいた。
が、あまりに暑いので、私は、サッサと館内へ逃げ込んだ。
館内に入ると今度は冷房がききすぎていて、私は寒くなってしまった。

少し休んでから見ることにしよう。

私はトイレを済ませた後、椅子に座り、今回の展示案内のチラシを眺めた。
前回4月に来たときは、日本画がメインの展示会だった。
今回は、7月に展示替えをしたばかりであるが、「日本近代洋画とシルクロードの精華」という展示会だった。














解説によれば、日本の近代洋画家は、①海外で売れた人、②海外留学して日本に戻って売れた人、③様々な事情で海外に行けなかったが日本で売れた人に分かれるのだという。
①といえば、フランスで活躍した藤田嗣治だが、③のような不遇な洋画家もたくさんいた。
彼らは海外の文献を見て、研究をして、自身の洋画スタイルを確立したという。

茨城県水戸市出身の著名な洋画家の中村彜(なかむらつね)は③である。
昔は1ヶ月以上かけて船旅をする必要があり、公衆衛生も悪かった。
彼は病弱で海外に行けなかったという。

そんな中村彜の「ダリヤ」という作品が85年ぶりに公開されたとある。
今から85年前というと、ちょうど太平洋戦争が始まった1941年であり、戦後初公開ということになる。





「中村彝 (なかむらつね・1887-1924年)
茨城県生まれ。1904年名古屋陸軍地方幼年学校卒業。翌年千葉県で療養し水彩画開始。1907年太平洋画会研究所入所。1909年第3回文展入選、褒状。1911年新宿中村屋裏へ移る。1914年伊豆大島に滞在。1915年ルノワールの作品を実見し感銘を受ける。1916年下落合にアトリエ新築。1920年≪エロシェンコ氏の像》(重文)制作。1923年関東大震災被災。以後宗教的画題を描く。37歳で死去。」(クヴェレ美術館解説より)

そういえば、数年前、目白台の中村彜アトリエ記念館を訪れたことがある。
私は、そのときのことを思い出した。

以下、2020/11/03「目白アトリエ散歩」より。

目白駅の改札を出て右へ行くと目白台、左へ行くと目白、下落合である。
目白台の方には、講談社の創業家野間家の日本画の美術館(野間記念館)、細川家の永青文庫があり、主に和物の美術館である。
これに対して、目白、下落合の方には、中村彜アトリエ記念館(なかむらつねと読む)、佐伯祐三アトリエ記念館があり、こちらは洋画の美術館であるが非常に小さい。
住宅地の中に小さなアトリエの建築物があり、保存目的で無料公開されているのである。
空き家にしてしまうと不動産はすぐ傷むので、職員が常駐したり、来館者が出入りしたりする方が保存には良いのだろう。

中村彜、佐伯祐三はともに明治大正期の洋画家である。
中村も佐伯も病気がちで早死した。
なので、それほど目立たない洋画家ではある。
しかし、国立近代美術館の常設展に何点か代表作が展示されており、それが非常に印象的な絵なので、知る人も多いかもしれない。
こないだ、私は都内で用事を済ませた帰りに目白に行った。
駅をおりると3時近くで、駅から近い方の中村彜アトリエ記念館から先に見たのだが、後から行った佐伯祐三アトリエ記念館は残念ながら閉館時間を過ぎていた。

目白駅の改札を出て左へ歩く。
目白通りの商店街を通り、目白病院の少し手前で左折する。
路地を歩いて5分ほどで、住宅地の中に中村彜アトリエ記念館の正門が見える。

なので、それほど目立たない洋画家ではある。
しかし、国立近代美術館の常設展に何点か代表作が展示されており、それが非常に印象的な絵なので、知る人も多いかもしれない。
こないだ、私は都内で用事を済ませた帰りに目白に行った。
駅をおりると3時近くで、駅から近い方の中村彜アトリエ記念館から先に見たのだが、後から行った佐伯祐三アトリエ記念館は残念ながら閉館時間を過ぎていた。






まだ時間があるので、もう少し、クヴェレ美術館の展示作品を見ていよう。
私は、いま歩いてきた展示スペースを戻り、気に入った作品を眺めた。

見上げると、大きな垂れ幕に、このような言葉が書かれている。

「たびたび展覧会をしても、それ自体は満足のいく収入にはならなかった。生活していくために、より実のある何かを始めなければならなかった」(「東洋から西洋へ」兵庫県立美術館2025年より)

なるほど、、、(*'ω'*)ウ~ム

画家は、効率の悪い手仕事である。
売れないものは在庫となる。
相当高い値段でないと、「満足のいく収入」にならないだろう。

私は立ち止まり、考え込んだ。

より実のある何か、、、それは彼女にとって何だ?(*'ω'*)

続いて、もう少し歩くと、別の画家の言葉として、「画家は信念と自由が大事」というのが書いてあった。
確かにそうだが、信念と自由では生活ができないから、より実のある何かを始めなければならないのでは?

さらにもう少し歩くと、佐伯祐三の作品があり、私は立ち止まった。
私は「目白台アトリエ散歩」の記事で書いたように、佐伯祐三記念館に行きそびれたのだが、今回もうっかり見逃すところだった。





佐伯の絵は、見るからに病んでおり、陰鬱なオーラが漂ってくるものだった。

タイトルは「壁」、油彩画の作品だ。
佐伯は、大正13年、フランスに渡ったが、ヴラマンクから酷評されてしまう。
この作品は、酷評の直後に描かれたものだという。

そういわれると、確かに、恨めしいかんじがする。

続いて解説文には、「正面に据えた古びた建物の壁が強い存在感を放ち、壁面に控えめに刻まれた引っ掻き傷には、後年の看板やポスターの文字表現への萌芽がうかがえる。やがてポスターは、佐伯の激しく複雑な自己の内面を映し出す重要なモチーフとなっていった」とある。

壁に、恨みを込めて何かを描く・・・私は、このようなテイストの壁画作品を、以前どこかで見た記憶がある。

「佐伯祐三(さえきゆうぞう・1898-1928年)
大阪府生まれ。1917年川端画学校洋画部で藤島武二に学ぶ。1918年東京美術学校西洋画科予備科入学,在学中池田米子と結婚。1923年同校西洋画科卒業。1924年渡仏し、里見勝蔵とヴラマンク訪問。酷評を受ける。1925年サロン・ドートンヌ初入選。1926年帰国、一九三年協会結成。二科展に滞欧作出品、二科賞受賞。1927年再渡仏、サロン・ドートンヌ入選。パリ郊外の精神病院で30歳で死去」(クヴェレ美術館解説より)

こういう死に方は、画家には、よくある話である。
美術館やギャラリーを回っていて、昔の画家のプロフィールを見ると、正直、画家というのは、健全に見えても実は精神を病んでいたりして、ロクな死に方をしないものだと、つくづく思う。

その理由は、やはり、「たびたび展覧会をしても、それ自体は満足のいく収入にはならなかった」からだろう。
また、「生活していくために、より実のある何かを始めなければならなかった」が、画家自身には、たいていの場合、その手段がないからだと思う。

もっとも、美人女性画家の場合は、意外と逃げ道があるように思えるのだが。