2021/03/29

あんみつ先生、あんみつ屋へ行く

あんみつみはしの白玉あんみつ


あんみつみはしの白玉あんみつ


先月のブログ記事に、アトレ上野のあんみつ屋「あんみつみはし」が満席で入れなかったと書いた。
なに、あんみつ先生があんみつを食べる写真を撮りたかっただけなのだが、、、先週ついに、上野広小路の「あんみつみはし」であんみつを食べてきた。
ただ、新聞社のFさんと一緒だったので、男同士では記念写真のようなしゃれたものはなく、おいしい白玉あんみつの写真があるだけである。


県南生涯学習センター講座室




さて、あんみつ先生の「ちょっとためになる金融と経済のはなし」が3月28日に無事全て終了した。
受講生、関係者には心より感謝を申し上げたい。
まず、新型コロナウィルスの感染拡大で、1月の開始直前に多くのキャンセルが出た。
次に、1月~2月の茨城県独自の緊急事態宣言で、3回目以降が振替となり、欠席者が多く出た。
やや内容が難しかったというご指摘もあったが、それにしては、ほとんどの受講生が最後までよく聞きに来てくれたと思う。

実は、セミナーをした茨城県県南生涯学習センターは土浦市役所のビルの中にあり、公共施設なのである。
そのため、茨城県の緊急事態宣言が出たらセンターは休みになり、むろん私の講座も中止になる運命と覚悟していた。
第1回目の講義は1月10日、日曜日。
茨城県独自の緊急事態宣言が出たのは1月15日、金曜日であった。
センターのホームページを見ると、1月17日日曜日開始の他の講座は軒並み中止となっている。
もし開始が一週間ずれていたらと思うと、危機一髪とはまさにこのことだと思わずにはいられない。

講義終了後、何人かの受講生が私のところに来て、お礼を言われたのがうれしかった。
また、講師養成講座で知り合ったOさんから、ブランデーケーキの贈り物をいただいた。
彼女は現役のセミナー講師で、FP(ファイナンシャルプランナー)であるが、FPは資産設計の専門家で投資のことまで詳しく知らないので、大変勉強になったといわれた。
ブランデーケーキはつぶれやすいので、つぶれないように大事にかばんに入れて持ち帰った。
明日のおやつが楽しみである。


ブランデーケーキの贈り物


■講義概要
「なるほど!プロの株価分析法」

①テクニカル分析
・人にだまされないためには価格のみを分析するほうがいい=金融商品の価格分析の方法=テクニカル分析
・ファンダメンタルズ分析とテクニカル分析
・チャート(Chart)の見方
・超簡単なテクニカル分析
・株価分析はズバリ的中するのか、いや、株価を正確に予想することは不可能である
・リスクマネジメント=機械的に損切りをしましょう

②高度なテクニカル分析
・例えばこういうオリジナル手法がある
・テクニカル分析の仮説とその検証
・テクニカル分析の予測とその限界


「プロの株価分析法(ロウソク足)」


「プロの株価分析法(ボリンジャーバンド)(1)」


「プロの株価分析法(ボリンジャーバンド)(2)」

2021/03/27

光陰矢のごとし

なごやヘルスケアアートマネジメント推進事務局ホスピタルアート冊子


これまで私はホスピタルアートの講座をいくつか受講したのだが、「なごやヘルスケアアートマネジメント推進事務局」から、講座内容をまとめた本が送られてきた。
カラフルなポストカードも付いていた。
私はアトレ取手のギャラリーVIVAで、アートコミュニケーターをしており、主に対話型鑑賞に取り組んでいるのだが、ホスピタルアートの世界でも対話型鑑賞は人気があるようで、前述の講座の中でも話題になっていた。
欧米では認知症患者のアートセラピーのひとつとしても広まっており、日本でもまた、新しい鑑賞方式として最近大いに注目されている。

さて今日は、そのVIVAでフォーラムが開催される。
私はアートコミュニケーターの代表パネリストのひとりとして出席する予定である。
VIVAのことは、これまでも何度かブログに書いたとおり、ギャラリー、オープンアーカイヴ、フリースペース等を組み合わせたアトレ取手4階のアートスペースである。


アトレ取手の取手二高回顧展「取手のいちばん暑い夏」


アトレ取手の取手二高回顧展「取手のいちばん暑い夏」


アトレ取手の取手二高回顧展「取手のいちばん暑い夏」


アトレ取手の取手二高回顧展「取手のいちばん暑い夏」


最近ここのギャラリーで、PL学園を倒して優勝した取手二高の甲子園の回顧展をしており、フォーラムの打ち合わせの時にちょっとのぞいてみた。
それにしても、緊急事態宣言が明けたら、あっという間に4月ではないか!!
時間がたつのは本当に早いものだ。

光陰矢のごとし。
散歩道の満開の桜も、ほどなくして散るだろう。
取手二高が甲子園で活躍していた頃、私はまだ小学生だった。


花見

2021/03/25

茨城県牛久市中央生涯学習センターで、金融経済セミナーを開催します

茨城県牛久市中央生涯学習センターで、金融経済セミナーを開催します。
日程は、5月22日、29日(土)AM10時~12時の全2回、講座名は「ちょっとためになる経済のはなし どうなる? アフターコロナ経済」です。
牛久市中央生涯学習センターは牛久駅東口からバスで10分ほどです(牛久市中央生涯学習センター)。
詳しい案内と申込方法は4月1日より、牛久市の広報紙に掲載されます。

2021/03/22

勝利の女神とともに

先週末、私はアーティゾン美術館に行ってきた。
アーティゾン美術館とは、去年リニューアルされたばかりのブリヂストン美術館のことである。
素晴らしいコレクションを展示しており、原則としてカメラ撮影もできる。
私は、WSET3の試験の合格祝いで、Aさんと一緒に行ったのだが、展示室で作品を見ている間ほとんど別行動をしていた。
その方が、お互い見たい絵をじっくり見られるからだ。


アンリマティス


アンリマティス


アンリマティス


先に見終わったAさんから、私のスマホにラインが入った。
展示室出口のラウンジで待っているという。
私は最後の展示室のアンリマティスのコレクションを見て、彼女より10分ばかり遅れてラウンジに出た。
彼女は高級そうな石のベンチに座っていた。
帰ろうかと思ったが、私は窓際に最後の作品があることに気付いた。

「Aさん、あの彫刻はもう見た?」
「見たよ。」
「ちょっと自分も見てきます。」
「どうぞ。」


クリスチャンダニエルラウホの彫刻「勝利の女神」


最後の作品は、クリスチャンダニエルラウホ「勝利の女神」。
私は、ふと思い立ってAさんに声をかけた。

「ちょっとこっちに来て。」
「めんどくさい~。」
「勝利の女神なんて、合格記念にうってつけじゃないですか。記念写真を撮ってから帰りましょうよ。」
「まあ、いいけど、、、」

私たちは通りかかりの若い男性に頼んで、勝利の女神の前で記念写真をとってもらった。
その後、銀座に行き、ラーメン屋「篝(かがり)」のカウンター席でお昼を食べた。
こないだ食べたときは、さっぱりした醤油味であったが、今回はこってりした醤油味。
昼食後、彼女は別の予定があるといい、私は翌日講義が控えているので、私たちは銀座駅で別れたのだった。


銀座篝本店のラーメン


銀座篝本店のラーメン

2021/03/13

私の教え子なら合格できると思っていた

人生にはこういう瞬間が必要だ。
先日、ワイン教室のクラスメイトだったAさんから、WSET3の合格の知らせがあった。
試験は去年11月だったが、その直前の1ヶ月ほど、私が彼女をオンラインで特別教授したのである。
なので、連絡をもらった時は、私も自分のことのように嬉しくなった。
夜遅く、私のスマホに連絡が入り、「そのテンションはまさか!?」と思ったら、やっぱり当たっていた。

もちろん合格は彼女自身の努力の成果であり、私はたいしたことをしていない。
彼女が私と一緒にWSET3の講座を受けたのが2019年4月~10月、その後、彼女は仕事が忙しく、勉強などしていなかったようだ。
ワイン業界で仕事をする彼女は、ワインを飲むのは大好きで初心者ではない。
しかし、ワインの専門知識、体系的知識に自信があるわけではなく、それは何となく知っている、また、自分が取り扱うワインのことには詳しい、という程度だった。

去年11月が初受験。
10月に入り、「ほとんど勉強していない。今年はあきらめようと思う」と弱気なことを言うので、「私が1日2時間ばかりマンツーマンレッスンをするから、それだけでもしっかり覚えて、あきらめずに試験を受けてみてはどうか」と提案した。
彼女は年も若いし、努力家なので、直前に集中的に勉強して大逆転というのもありそうだと思った。
もっとも、マンツーマンレッスンとはいってもZOOMなどで顔を合わせて教えたわけではなく、メールのやりとりが中心である。
私が予め課題を送り、仕事を終えた彼女がそれを解き、その後、答え合わせをし、疑問点があれば私がその場でフォローする、というような感じである。
勉強できない日が何日かあったものの、彼女はひたすら私の課題を解き続けた。
ほかに、私が自分用に作った試験対策のノートも渡したが、それもなかなか使えたらしい。

試験後、自己採点したけどもしかして合格しているかも、と言っていた。
採点はロンドンのWSET本部で厳正に行われるのだが、イギリスは新型コロナウィルスの影響で社会経済が麻痺しており、採点には長い時間がかかった。
試験結果が判明するまで4ヶ月近くかかった。
2月末に、すっかり忘れていたけど試験結果はどうだった、と聞いたら、まだ分からないと言われた。
が、噂をすれば何とやらで、その日の夕方、早速合格の知らせがあったのだ。
まあ、私は大学時代、「名家庭教師」であったはずなので(恐らく)、私の教え子なら合格できると思っていた。
Aさん、おめでとう!!


上野駅構内のパンダのぬいぐるみの展示


上野駅構内のパンダのぬいぐるみの展示


上野駅構内のパンダのぬいぐるみの展示


上野駅構内のパンダのぬいぐるみの展示

2021/03/12

舞踏学芸員

コンテンポラリーダンスと言えば、2019年4月のことを思い出す。
このとき、私はCHANEL主催のコンテンポラリーダンスのオーディションに着物を着て参加したのだった(リンク)。
でも、まあ、なんですね、、、挑戦することは重要ですが、その惨憺たる結果についてここでは繰り返し書きません。

さて本題。
今回は2月に受けた全国公立文化施設協会のアートマネジメント研修の話である。
唐津絵里さんというコンテンポラリーダンスの専門家の講演が非常におもしろかったので、ここに書き残しておこうと思う。


(配布資料より)

唐津絵理(愛知県芸術劇場 シニアプロデューサー・Dance Base Yokohama アーティスティックディレクター)
お茶の水女子大学文教育学部舞踊教育学科卒業、同大学院人文科学研究科修了。舞台活動を経て、1993 年より日本初舞踊学芸員として愛知芸術文化センター勤務。2014 年より現職。2010 年~16 年あいちトリエンナーレのキュレーター。2020 年よりDance Base Yokohama のアーティスティックディレクターを兼務。文化庁文化審議会文化政策部会委員、全国公立文化施設協会コーディネーター、企業の芸術文化財団審査委員、理事等の各種委員等を務めるほか、山口大学、愛知県立芸術大学、熊本大学等の非常勤講師を歴任。第 65 回舞踊学会大会実行委員長を務める等、日本の舞台芸術や劇場の環境整備のための様々な活動を行っている。著書に『身体の知性』等

唐津さんのプロフィールは研修資料より引用したものだ。
ポイントは、お茶大の舞踏科と、日本初の舞踏学芸員。
コンテンポラリーダンスは日本ではマイナーで、1993年当時ダンサーの学芸員など日本に1人もいなかったそうだ。
それなら1人くらいはいてもよいだろうということで、唐津さんは愛知芸術文化センターにダンスの専門家として就職した。
その結果、「舞踏学芸員」という新しい肩書がこの世に誕生した。


(配布資料より)


舞踏学芸員は日本では唐津さんしかおらず、お茶大の舞踏科なら文句なしの経歴である。
この日も招かれて、全国公立文化施設協会のアートマネジメント研修の講師として登壇したのだ。
あ、これは、、、去年10月の取手商工会の「創業ゼミ」の講演会で、経営コンサルタントのUさんが話していたことに通じる話だ、と私は思った。
それは起業論の講演であった。
Uさんの話を要約すると、つまり、個人が起業するならニッチに尽きる!!
以上である。




ニッチでも、可能なら黎明期の新分野がいい。
新分野なら、競合が少なく見込み客が多いからだ。
また、1年程度でも専門家を名乗れるし、3年たてば権威として認められるかもしれない。
場合によっては、名刺に「カリスマ〇〇〇」と書いて偉そうにできるかもしれない。
まずは、小さく狭く、身の丈から始めよう。
あなたの住む町のオンリーワンでいい。
その場所で一定のポジションを獲得できれば、高収入かどうかは別として、食うには困らないだろう。

Uさんの話は起業論のニッチ。
唐津さんが活躍しているのも、Uさんの起業論からは必然といえよう。
つまり、彼女は「人材のニッチ」なのである。
ニッチは競争社会で圧倒的に有利だ。

自分が日本初なら言うことなしでしょう!!

しかも専門知識を必要とされる分野のニッチなら、ほとんど模倣されようがない。
独り勝ちである。
多くの人は、どの仕事が稼げるか、年収はどれくらいか、という視点で、なりたい仕事を評価する。
しかし、みんなと同じ船に乗ろうとすれば過当競争に巻き込まれて人生は疲弊するだろう。
それよりも、まあまあ稼げる仕事の中に、ニッチが隠れているのではないだろうか。
それを発見し、「狭く深く」仕事を追求するのが、長い目で見ると稼げるような気がするのだが。

2021/03/11

司法書士の歴史、100年分を3分で(2)

司法書士会館展示、司法書士の歴史


前回は戦前の話、今回は戦後の話である。
司法書士法は戦後も何度か改められている。
まず昭和26年改正で、司法書士の認可制の導入、司法書士報酬の改定があった。
まあ、戦後体制に合わせるため、改正されるのは当然である。
昭和31年からは、司法書士の認可試験が始まる。
この認可試験は昭和53年まで続き、昭和54年からは国家試験となった。
今とは違って、認可試験は10月下旬に実施されていたそうである(手元の資料には、昭和31年10月 27・28日第一回目実施とある)。

そして、この認可は法務局(の局長)がするものであった。
この認可には恐るべきルール、認可後2年のうちに自分の事務所を開業しなければその者は認可の効力を失う、という「2年縛り」があった。
何だか携帯電話の契約みたいだが、ぼやっとしていて2年が過ぎると司法書士の資格を失うというトンデモナイ話である。

そうすると難関試験をまた受けなくてはならなくなるので、認可試験時代の司法書士は合格後直ちに独立開業したと言われる。
これを俗に「即独(ソクドク)」という。
司法書士試験の合格者の累計に比べ、実際の登録人数が少ないのも、たぶんこの影響があるのでは、と思われる。
また、手元の資料にはこの頃の司法書士の人数のデータも載っているのだが、これがなかなかおもしろい(ただし、昭和31年改正前は司法書士会に入会することがまだ任意だった)。

<東京司法書士会の会員数>
 昭和 28 年 5 月末日 210 名
 昭和 32 年 6 月 18 日 935 名
 昭和 33 年 4 月 25 日 1,002 名
(昭和 33 年 4 月 1 日全国会員数 11,332 名)

ちなみに現在の司法書士は2万2000人程度、当時のおよそ2倍である。
とすると、どう考えても、当時の司法書士は荒稼ぎしていたと考えられるのだが。
認可試験に合格後、2年縛りがあるので無理にでも独立開業、登録人数も少ないのでまもなく不動産登記の依頼があちこちから来る、これにより揉まれて鍛えられるような感じで成長したのだろう。
勤務司法書士があふれている現在とは大違いである。
さて、昭和の高度経済成長期、司法書士は登記業務で大きな利益を得たと言われる。
その利益は主に不動産登記によるものだった。
当時の日本には土地神話があり、不動産取引が非常に活発に行われていたためである。

地価は必ず上昇する。
不動産は買えば儲かる投資商品。
とりあえず不動産を買っておこう。


不動産登記事件数推移


不動産登記事件数推移
(以上、2019年司法書士白書より)


このような、不動産転売が当たり前の時代は1990年頃まで続いたが、不動産バブル崩壊後は市況が低迷し、不動産登記の案件は年々減少している。
また、商業登記の事件数もほぼ同様の推移である(いずれも上記写真の「司法書士白書」による)。
かたや、司法書士の会員数が大幅に増えた。
ということは、先ほど述べたとおりの状況になって当然だろう。
したがって、もはや全ての司法書士が登記業務で大きな利益を得ることは難しくなったが、平成14年改正で簡裁代理権を獲得するなどして登記以外の業務(債務整理、財産管理等)にも進出している。
今後は超高齢化社会を迎え、相続、財産管理、成年後見、事業承継支援等の依頼が増えていくと思われる。
以上、簡単だが、司法書士の歴史の話はこれでおしまい。


司法書士会館展示、司法書士の歴史

2021/03/10

司法書士の歴史、100年分を3分で(1)

ビジネスの世界には、エレベータートーク(エレベーターピッチ)という言葉がある。
自分の考えや要点等を、エレベーターの昇降時間の30秒~1分程度で、上司やクライアントに全て説明できなくてはならない、ということだ。
何事もひと言で、文章も談話も短い方がいい、ということだが、それは非常に難しいことである。
今回は、私が司法書士の歴史を簡単に書いてみようと思う。


司法書士会館展示、司法書士の歴史


まず日本の歴史上、3つの法律職がある。
弁護士、司法書士、公証人である。
法曹三者という言葉もあるが、こちらは裁判官、検察官、弁護士のことを指す。
法律職と法曹三者は別の言葉である。

弁護士⇒代言人⇒訴訟代理人
司法書士⇒司法代書人⇒法律事務
公証人⇒証書人⇒公証役場

左から、今の呼称、昔の呼称、業務内容、である。
この3つの法律職は明治5年司法職務定制に由来するもので、当時は代言人、司法代書人、証書人と呼んだ。


司法書士会館展示、司法書士の歴史


司法書士の呼び名は最初「代書人」だった。
それが、大正8年に新しく法律ができて「司法代書人」と呼び名が変わった。
代書全般の中でも、司法(法律)に関することを代書する、ということである。
その後、昭和10年には「司法代書人」から「司法書士」にまたもや名称変更された。
司法書士は昔の名残で「代書人」「代書屋」と呼ばれることがあるが、「代書人」の部分を「書士」に改めた。
さて、「代書人」というと、行政書士も以前の呼称は「代書人」だった。
なので、ここは非常にまぎらわしいのだが、行政書士は司法省ではなく内務省の省令を根拠とする専門職である(現在は法律)。
つまり、司法書士と行政書士は監督官庁が違うのである。
例えば行政書士は警察署に提出する書類を作成し、申請を代理するが、司法書士は法務局に提出する書類を作成し、申請を代理する、といったように、監督官庁が違うと業務内容も違うのである。
また、司法書士と行政書士は、法律上「代書人」と呼ばれていた時期も違うのである。
例えば八百屋という同じ看板を、一時期はAが使っており、別の時期はBが使っていた、というような意味である。
それなら、もちろんAとBは別の人ということになる。
本当にもう、まぎらわしい歴史だねえ。


司法書士会館展示、司法書士の歴史


しかし、いずれにせよ、歴史を大きく遡ると、両者は「代書人」という肩書にルーツがある。
ここで言う「代書人」とは、明治5年の司法職務定制で定められる以前から日本にあった一般的職業のことである。
明治5年の司法職務定制で新しく生まれた資格制度の「代書人」ではなく。
実は、これが俗にいう時代劇などに出てくる「代書屋」なのである。

「おい、勝手に入るな、ここは奉行所だぞ、何の用だ??」
「すみません門番殿、今日はお奉行様にご相談がありまして。」
「どうかしたのか??」
「最近、妻と娘にいじめられております。夜も眠れないほど悩んでおります。」
「待て待て、お前の話はいつも感情的でややこしいから、簡単に話せよ。」
「そうでしょうか。」
「そうだなあ、書面にしてみてはどうか。」
「私は字が書けません。」
「いや、自分で書くのではない。そこの路地を入り、代書人山田太郎の事務所で事情を話し、詳しいいきさつを書面にしてもらってはどうか。まあ、少しはお金を取られるがな。」
「はあ、、、」
「その書面を持ってまた来なさい。そうすればお奉行様も事情が分かるから、いろいろと相談に乗ってくれるぞ。」
「そうですか、なるほど、そうします。」

いつの時代も金銭の貸し借りから男女の不貞行為まで、様々な契約(合意)や民事紛争があった。
その時に、文字を書けないと非常に困る。
証拠の借用書も、離婚届(三行半)も書けない、役所に出す上申書嘆願書の類も書けない。
昔は公立学校がなく、文字を書けない者も多かった。
なので、街角の代書屋は、難解な書類から何でもない書類まで、様々な書類の代筆を頼まれたのである。
そういえば、マルセルカルネのフランス映画「天井桟敷の人々」にも代書屋が登場していたので、代書屋は日本固有の職業ではなく、ヨーロッパなどにもあったようだ。
映画では、美男子が代書屋でラブレターを代筆してもらい、代書屋に金を払い、ラブレターを自分で書いたことにしていた。
細かいことは忘れたが、この美男子は結婚詐欺師か何かだったっけ。

しかし、明治以降は教育が行き届き、手紙くらい誰でも自分で書くようになった。
書面に使う日本語も文語体から口語体になった。
他方で、明治以降は近代化で複雑な社会となったので、それぞれの専門分野で、高度専門的な文書を作成する専門職がなくてはならないものとなった。
かくして司法書士、行政書士、弁理士、税理士、社会保険労務士~こういった士業が生まれ、発展したのであるが、司法書士は法律事務に関する専門職として今に至っているということ。
以上、簡単だが、おしまい。
次回は、戦後の司法書士について書こうと思う。

2021/03/09

司法書士の認知度調査の話

司法書士会館


司法書士会館


私は3月から司法書士の新人研修を受けている。
その講義のなかで司法書士認知度調査の話があり、これがなかなか興味深い話であった。
昭和56年長野県上田市で、司法書士のイメージについてアンケート調査を行ったのだが、その調査結果の話である。

<選択肢>
①法律家
②代書屋
③便利屋
④専門家
⑤商人
⑥登記所の付属機関(役人)
⑦知らない
⑧その他

結果は、①と④(の合計?)42.3%、②32.4%、⑥16.6%、⑦12%だった。
今から40年ほど前の調査で、約4割の人が法律家、法律の専門家と答えた。
きっと、司法書士と聞いてどういうイメージの職業だと思いますか、などと質問したのだろう。
当時の司法書士をよく知る人は、代書屋、登記所の付属機関と答えたはずだ。
当時、多くの司法書士事務所が法務局周辺にあり、登記申請書類の作成と申請の代理をしていたからだ。
したがって、法律家、法律の専門家と答えた人は、司法書士を知っている人ではなく、知らない人である、と私は思う。
知らなくても「司法」と聞けば法律家か何かだと思うからである。
それが2つ合わせて42.3%で、分からないも合わせると54.3%にもなるとは、、、

その後、平成20年27年にも類似の調査を行ったが、業務内容を知る人は約4割にとどまった。
昭和56年の調査は、当時、司法書士が国家資格となった(法務局の認可試験から国家試験に格上げされた)ばかりで、自分たちのイメージを気にする若手司法書士たちが自らの足で上田市内を回って調べたという。
これに対し、平成20年27年は調査会社に頼んだようだが、こちらは恐らく、全国調査だろう。
まあ、いつの時代も6割の人は司法書士が何者かご存知ないようである。