2021/02/28

柏原由佳さんの「1:1」

湯島天神の梅花


湯島天神の梅花


2月下旬は梅花の見ごろである。
先週は散髪に行く途中、湯島でおりて湯島天神の梅を見てきた。
思いのほか参拝客が多く、境内は例年以上の人出だった。
天神下から広小路まで大通りを歩き、小池都知事の自粛の号令とは裏腹にかなり人が出歩いていると思った。
長期の自粛生活に耐えきれず、多くの人(私も含めて)が、大挙して出歩いているように見える。


ポーラミュージアムアネックス柏原由佳展示会


ポーラミュージアムアネックス柏原由佳展示会


ポーラミュージアムアネックス柏原由佳展示会


上野広小路から銀座線で銀座まで行き、入館を予約していたポーラミュージアムアネックスに行った。
柏原由佳さんの「1:1」という個展で、これはなかなかよかった。

資生堂美容室で散髪した後は、資生堂ギャラリー、篝(かがり)、銀座グラフィックギャラリーなどを回った。
篝は、担当美容師のDさんのおすすめで、かねてより立ち寄りたかったラーメン屋である。
場所が分かりにくく、これまで2度ほど探したのだが見つけられなかった。
今回はDさんにも確認してついに辿り着くことができたが、電通銀座ビルの大通りの1本向こうの路地ではなく、電通銀座ビルの大通りとその次の路地の間に、車止めのある非常に狭い通路がある。
それはちょうど大通りに面するビルの裏側のすき間のような通り道なのであるが、そこを入っていくと篝の店構えがある。
ラーメンではなく、SOBAと書いてあり、日本料理屋のような外観であった。
新型コロナウィルスの影響で客が少なく、食べている最中に私以外の客が誰もいなくなるという有り様だったが、おいしいラーメン屋だった。


銀座篝本店のラーメン


銀座篝本店のラーメン


その後は、ミッドタウン日比谷から日比谷線で上野駅まで行った。
アトレ上野のあんみつ屋「あんみつみはし」に入ろうと思った。
なに、あんみつ先生があんみつを食べる写真を撮りたかっただけ。
だが、店内はほぼ満席だった。
あんみつではなく、「密」なので、私は入店をあきらめた。
そこから上野恩賜公園に行き、おもしろそうな展示の美術館を探したが、上野の森美術館は展示替えで休み、国立西洋美術館は来春まで改装で長期の休みと書いてあった。
東京都美術館の方まで歩くのはさすがにめんどうで、戻って再びあんみつみはしをのぞいてみた。
が、まだ満席のまま。
まあ、仕方がない。
あんみつ先生があんみつを食べる写真は、またの機会に撮ることにしよう。

2021/02/24

野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ

学生時代の私は、大のヤクルトファンであった。
巨人に勝てない冬の時代から応援していたが、関根監督から野村監督になり、「ID野球」で巨人にも勝てるようになり、まさか西武に勝てるとは思っていなかった。
巨人に負けるたび巨人ファンの友達にばかにされる肩身の狭い日々も、野村監督のおかげで終わりを告げ、それ以降、友達との立場は逆転したのであった。


野村克也メソッド


野村克也「弱者の流儀」


書斎には野村監督の書いた本が何冊かある。
そういえば去年死んでしまったなあ、と思いつつ、調べてみると野村監督の命日は2月11日である。
ただ、選手としてあれだけ偉大な成績を残したのに、野村克也が死んだら「名監督野村」が死んだ、と一律に報道されるのは、何ともビミョウな気がしていた。
まあ、私も確かに野村監督の選手時代を知らないので、野村監督の方がしっくり来るのだが、天国に行く本人はどう思っただろう。
そのうち長嶋茂雄が死んだら「選手」としての長嶋が死んだ、と報道されるのだろうが、どういうわけか野村克也=野村監督、なのである。
それなら野村監督は歴史に残る名監督なのかというと、名監督というには何かが足りなかったと思う。

何だろう??
確かに、野村監督のおかげでヤクルトは大変身したように見えるのだが、、、直前の数年間、選手育成をして土台を作ったのは前任の監督関根潤三氏であった(ヤクルト退団後はフジテレビの野球解説者)。
もし関根監督がそのまま在任して指揮を執っていても、ヤクルトはふつうに優勝した可能性もある。
関根さんが名監督であった、ということは当時のヤクルトファンならば説明の必要もなくご存知のはず。

野村黄金時代の試合を数多く見たファンの1人として思う。
野村監督は名選手を数多く育てたが、勝負師のタイプではなかった。
名監督なら勝負師でなくてはなるまい。
しかし、野村監督は勝負事の「賭け」をするのがあまり上手ではなく、肝心なところでは裏目に出ることも多かった。
まあ、当時の私はそれくらい熱心にヤクルトの試合を見ていたということではあるのだが、その理由を私なりに分析するとこうである。

・野球の知識と理論を知りすぎているため、ここぞという時に考えすぎる、迷ってしまう
・こうあるべきという理想があり、理想の野球を追い求めて間違ってしまう
・(本人的には)理論的に正しいことをしているので、采配の誤りを直すまで時間がかかる

過ぎたれば及ばざるがごとしではないが、頭が良すぎる、理想が高すぎるのが野村監督の欠点だったと思う。
野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ。

そういえば、野村監督は退任後、長い間、テレビで野球評論家(解説者)をしていた。
その解説はおもしろいようにズバズバ当たり、野球の神様かと思うほど。
しかし、野球を知り尽くしている野村監督は、解説がズバズバ当たっても、ひとたびグラウンドに降り立ち、ベンチで指示をするとまったく思うようにはいかなくなる。
何やらこれが勝負事の複雑さであり、実社会や現場の難しさなのだと私は思うのである。


ヤクルトスワローズ神宮球場


ヤクルトスワローズチアガール


ヤクルトスワローズ選手


ヤクルトスワローズ神宮球場


神宮球場の東京音頭

2021/02/12

司法書士の歴史、100年分を3分で(2)

司法書士会館展示、司法書士の歴史


前回は戦前の話、今回は戦後の話である。
司法書士法は戦後も何度か改められている。
まず昭和26年改正で、司法書士の認可制の導入、司法書士報酬の改定があった。
まあ、戦後体制に合わせるため、改正されるのは当然である。
昭和31年からは、司法書士の認可試験が始まる。
この認可試験は昭和53年まで続き、昭和54年からは国家試験となった。
今とは違って、認可試験は10月下旬に実施されていたそうである(手元の資料には、昭和31年10月 27・28日第一回目実施とある)。

そして、この認可は法務局(の局長)がするものであった。
この認可には恐るべきルール、認可後2年のうちに自分の事務所を開業しなければその者は認可の効力を失う、という「2年縛り」があった。
何だか携帯電話の契約みたいだが、ぼやっとしていて2年が過ぎると司法書士の資格を失うというトンデモナイ話である。

そうすると難関試験をまた受けなくてはならなくなるので、認可試験時代の司法書士は合格後直ちに独立開業したと言われる。
これを俗に「即独(ソクドク)」という。
司法書士試験の合格者の累計に比べ、実際の登録人数が少ないのも、たぶんこの影響があるのでは、と思われる。
また、手元の資料にはこの頃の司法書士の人数のデータも載っているのだが、これがなかなかおもしろい(ただし、昭和31年改正前は司法書士会に入会することがまだ任意だった)。

<東京司法書士会の会員数>
 昭和 28 年 5 月末日 210 名
 昭和 32 年 6 月 18 日 935 名
 昭和 33 年 4 月 25 日 1,002 名
(昭和 33 年 4 月 1 日全国会員数 11,332 名)

ちなみに現在の司法書士は2万2000人程度、当時のおよそ2倍である。
とすると、どう考えても、当時の司法書士は荒稼ぎしていたと考えられるのだが。
認可試験に合格後、2年縛りがあるので無理にでも独立開業、登録人数も少ないのでまもなく不動産登記の依頼があちこちから来る、これにより揉まれて鍛えられるような感じで成長したのだろう。
勤務司法書士があふれている現在とは大違いである。
さて、昭和の高度経済成長期、司法書士は登記業務で大きな利益を得たと言われる。
その利益は主に不動産登記によるものだった。
当時の日本には土地神話があり、不動産取引が非常に活発に行われていたためである。

地価は必ず上昇する。
不動産は買えば儲かる投資商品。
とりあえず不動産を買っておこう。


不動産登記事件数推移


不動産登記事件数推移
(以上、2019年司法書士白書より)


このような、不動産転売が当たり前の時代は1990年頃まで続いたが、不動産バブル崩壊後は市況が低迷し、不動産登記の案件は年々減少している。
また、商業登記の事件数もほぼ同様の推移である(いずれも上記写真の「司法書士白書」による)。
かたや、司法書士の会員数が大幅に増えた。
ということは、先ほど述べたとおりの状況になって当然だろう。
したがって、もはや全ての司法書士が登記業務だけで大きな利益を得ることは難しくなったが、平成14年改正で簡裁代理権を獲得するなどして登記以外の業務(債務整理、財産管理等)にも進出している。
今後は超高齢化社会を迎え、相続、財産管理、成年後見、事業承継支援等の依頼が増えていくと思われる。
以上、簡単だが、司法書士の歴史の話はこれでおしまい。


司法書士会館展示、司法書士の歴史

2021/02/10

司法書士の歴史、100年分を3分で(1)

ビジネスの世界には、エレベータートーク(エレベーターピッチ)という言葉がある。
自分の考えや要点等を、エレベーターの昇降時間の30秒~1分程度で、上司やクライアントに全て説明できなくてはならない、ということだ。
何事もひと言で、文章も談話も短い方がいい、ということだが、それは非常に難しいことである。
今回は、私が司法書士の歴史を簡単に書いてみようと思う。


司法書士会館展示、司法書士の歴史


まず日本の歴史上、3つの法律職がある。
弁護士、司法書士、公証人である。
法曹三者という言葉もあるが、こちらは裁判官、検察官、弁護士のことを指す。
法律職と法曹三者は別の言葉である。

弁護士⇒代言人⇒訴訟代理人
司法書士⇒司法代書人⇒法律事務
公証人⇒証書人⇒公証役場

左から、今の呼称、昔の呼称、業務内容、である。
この3つの法律職は明治5年司法職務定制に由来するもので、当時は代言人、司法代書人、証書人と呼んだ。


司法書士会館展示、司法書士の歴史


司法書士の呼び名は最初「代書人」だった。
それが、大正8年に新しく法律ができて「司法代書人」と呼び名が変わった。
代書全般の中でも、司法(法律)に関することを代書する、ということである。
その後、昭和10年には「司法代書人」から「司法書士」にまたもや名称変更された。
司法書士は昔の名残で「代書人」「代書屋」と呼ばれることがあるが、「代書人」の部分を「書士」に改めた。
さて、「代書人」というと、行政書士も以前の呼称は「代書人」だった。
なので、ここは非常にまぎらわしいのだが、行政書士は司法省ではなく内務省の省令を根拠とする専門職である(現在は法律)。
つまり、司法書士と行政書士は監督官庁が違うのである。
例えば行政書士は警察署に提出する書類を作成し、申請を代理するが、司法書士は法務局に提出する書類を作成し、申請を代理する、といったように、監督官庁が違うと業務内容も違うのである。
また、司法書士と行政書士は、法律上「代書人」と呼ばれていた時期も違うのである。
例えば八百屋という同じ看板を、一時期はAが使っており、別の時期はBが使っていた、というような意味である。
それなら、もちろんAとBは別の人ということになる。
本当にもう、まぎらわしい歴史だねえ。


司法書士会館展示、司法書士の歴史


しかし、いずれにせよ、歴史を大きく遡ると、両者は「代書人」という肩書にルーツがある。
ここで言う「代書人」とは、明治5年の司法職務定制で定められる以前から日本にあった一般的職業のことである。
明治5年の司法職務定制で新しく生まれた資格制度の「代書人」ではなく。
実は、これが俗にいう時代劇などに出てくる「代書屋」なのである。

「おい、勝手に入るな、ここは奉行所だぞ、何の用だ??」
「すみません門番殿、今日はお奉行様にご相談がありまして。」
「どうかしたのか??」
「最近、妻と娘にいじめられております。夜も眠れないほど悩んでおります。」
「待て待て、お前の話はいつも感情的でややこしいから、簡単に話せよ。」
「そうでしょうか。」
「そうだなあ、書面にしてみてはどうか。」
「私は字が書けません。」
「いや、自分で書くのではない。そこの路地を入り、代書人山田太郎の事務所で事情を話し、詳しいいきさつを書面にしてもらってはどうか。まあ、少しはお金を取られるがな。」
「はあ、、、」
「その書面を持ってまた来なさい。そうすればお奉行様も事情が分かるから、いろいろと相談に乗ってくれるぞ。」
「そうですか、なるほど、そうします。」

いつの時代も金銭の貸し借りから男女の不貞行為まで、様々な契約(合意)や民事紛争があった。
その時に、文字を書けないと非常に困る。
証拠の借用書も、離婚届(三行半)も書けない、役所に出す上申書嘆願書の類も書けない。
昔は公立学校がなく、文字を書けない者も多かった。
なので、街角の代書屋は、難解な書類から何でもない書類まで、様々な書類の代筆を頼まれたのである。
そういえば、マルセルカルネのフランス映画「天井桟敷の人々」にも代書屋が登場していたので、代書屋は日本固有の職業ではなく、ヨーロッパなどにもあったようだ。
映画では、美男子が代書屋でラブレターを代筆してもらい、代書屋に金を払い、ラブレターを自分で書いたことにしていた。
細かいことは忘れたが、この美男子は結婚詐欺師か何かだったっけ。

しかし、明治以降は教育が行き届き、手紙くらい誰でも自分で書くようになった。
書面に使う日本語も文語体から口語体になった。
他方で、明治以降は近代化で複雑な社会となったので、それぞれの専門分野で、高度専門的な文書を作成する専門職がなくてはならないものとなった。
かくして司法書士、行政書士、弁理士、税理士、社会保険労務士~こういった士業が生まれ、発展したのであるが、司法書士は法律事務に関する専門職として今に至っているということ。
以上、簡単だが、おしまい。
次回は、戦後の司法書士について書こうと思う。

2021/02/02

司法書士新人研修

緊急事態宣言、外出自粛といった年初からの流れもあり、私は3月から、オンラインで司法書士の新人研修を受ける予定である。
例年だと地方の研修センターで泊まりこみの研修をするが、今年はコロナ禍なので受講はオンライン。
司法書士会職員の話では、試験の日程も合格発表もコロナの影響で遅れており、そのため、例年より少し遅いスタートとなる。
研修は日本司法書士連合会(日司連)の主催で、3~5月の間、グループごとに分かれて受講する。

さて、司法書士とは何なのか。
金融マンと不動産屋なら司法書士をよく知っていると思うが、多くの人は馴染みがないと思うので、ここで簡単に説明しておこう。
Wikipediaにはこう書いてある。

「司法書士(しほうしょし)とは、専門的な法律の知識に基づき、登記、供託、訴訟その他の法律事務の専門家として、国民の権利を擁護し、自由かつ公正な社会の形成に寄与することを使命とする国家資格である。また、法務大臣から認定を受けた認定司法書士は、簡易裁判所における民事訴訟、民事執行、民事保全、和解、調停などにおいて当事者を代理することができる。弁護士・弁理士・税理士・行政書士・社会保険労務士・土地家屋調査士・海事代理士と共に職務上請求権が認められている8士業の一つである。」

司法書士は名前の似た行政書士と間違えられることがよくあるが、行政書士とは仕事の内容が大きく異なる。
まず、司法書士のメインの仕事は法務局の登記申請(の代理)である。
不動産登記、商業登記はいずれも司法書士の独占業務である(なお、司法書士の独占業務は司法書士法第3条に規定されている)。
また、法務大臣に認定された司法書士には、簡易裁判所の訴訟代理権もあり、簡易裁判所で弁護士とほぼ同様の仕事ができる(もっとも、訴額の制約140万円を超えない等の制限がある)。
その他にも、裁判事務、供託手続(の代理)、債務整理、成年後見、財産管理、企業支援など、業務は広範囲にわたっている。
こう見ると司法書士はおおむね法律事務の専門家という感じだが、必ずしもそれにはとどまらない。


アガサクリスティーの検察側の証人


ところで、アガサクリスティーの「検察側の証人(The Witness for the Prosecution)」という有名な法廷小説がある。
法廷小説なので弁護士が登場するのだが、弁護士のウィルフレッドとともに、事務弁護士(Solicitor)のメイヒューが登場するのだ。
司法書士はたぶん、事務弁護士に近いイメージだと思う。

司法書士試験は最難関国家試験のひとつである。
長年、合格率はほぼ2~3%で推移しており、私の合格年度は2.6%と記憶するが、最近は4~5%まで上昇傾向にある。
受験準備期間は約1年半と言われているが、独学はほぼ不可能で、どのような形でも受験予備校には通う必要がある。
また、私の場合は単なるラッキーで、一発合格もほぼ不可能であると思った方がよい。
私の周囲では、3~4回目で受かった先生が多い。
平均的な合格の道のりでも、最初の受験からさらに2~3年頑張らなくてはいけないのだが、その間は仕事をしないで浪人生活をする場合も多い。
かつて司法試験は司法書士試験と同様の制度で、受験生も同様の状況であった。
その頃、弁護士の数は非常に少なかった。
しかし、ロースクール(法科大学院)制度になってからはかなり受かりやすくなり、ここ20年で弁護士はずいぶん増えた。
試験の話など志望者以外にはどうでもよい話だが、他士業と比べると司法書士の姿も見えてくるだろう。
これも多くの人になじみがない理由だと思うが、実は、司法書士の人数は格段に少ない。

司法書士23000人程度
弁護士41000人程度
行政書士47000人程度
社会保険労務士42000人程度
税理士82000人程度
公認会計士31000人程度

まさか司法書士が弁護士の半分とは思わなかった。
いや、そうではなく、弁護士がここ20年で増え過ぎたのではないかしら??
ちなみに土地家屋調査士、不動産鑑定士、弁理士なども司法書士同様、かなり少ない。

土地家屋調査士17000人程度
不動産鑑定士5000人程度
弁理士11000人程度

さて、少ないならそれだけ希少価値が高い、えらい人、すごい人なのだろうか??
いや、必ずしも、そういうことではなく、独占業務のマーケットが小さいことを意味しているのだ。
高度経済成長期が終わり、成熟と衰退の時代を迎え、今後、登記のマーケットが拡大する見込みはあまりない。
登記申請件数は年々縮小傾向である。
平成のピーク時の半数くらいまで落ち込んでいる。
人口減少と不動産市況の低迷、弁護士の方が花形職業、ということもあり、司法書士は不人気の資格である。
受験者数は年々減少し、ピーク時の半分くらいだが、、、なりたい人が減るのは順当なこととはいえ、さすがにこのデータには驚いた。

司法書士の高齢化はかなり進んでいる。
今後20~30年のうちに世代交代が急速に進むと思われるが、そうすれば大きく変化する職業とも思える。
司法書士法により、登記をはじめとした独占業務が与えられており、士業の中では比較的独立開業しやすい安定資格といわれる。
登記事件数も、受験者数もピーク時の半分程度に落ち込んだが、「過ぎたれば及ばざるがごとし」である。
今後どうなるかは分からないものの、また日本経済の成長力次第ともいえるのだが、新人研修を受けながらいろいろと考えてしまった。

(司法書士の使命)
第一条 司法書士は、この法律の定めるところによりその業務とする登記、供託、訴訟その他の法律事務の専門家として、国民の権利を擁護し、もつて自由かつ公正な社会の形成に寄与することを使命とする。
(職責)
第二条 司法書士は、常に品位を保持し、業務に関する法令及び実務に精通して、公正かつ誠実にその業務を行わなければならない。
(業務)
第三条 司法書士は、この法律の定めるところにより、他人の依頼を受けて、次に掲げる事務を行うことを業とする。
一 登記又は供託に関する手続について代理すること。
二 法務局又は地方法務局に提出し、又は提供する書類又は電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られる記録であつて、電子計算機による情報処理の用に供されるものをいう。第四号において同じ。)を作成すること。ただし、同号に掲げる事務を除く。
三 法務局又は地方法務局の長に対する登記又は供託に関する審査請求の手続について代理すること。
四 裁判所若しくは検察庁に提出する書類又は筆界特定の手続(不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)第六章第二節の規定による筆界特定の手続又は筆界特定の申請の却下に関する審査請求の手続をいう。第八号において同じ。)において法務局若しくは地方法務局に提出し若しくは提供する書類若しくは電磁的記録を作成すること。
五 前各号の事務について相談に応ずること。
六 簡易裁判所における次に掲げる手続について代理すること。ただし、上訴の提起(自ら代理人として手続に関与している事件の判決、決定又は命令に係るものを除く。)、再審及び強制執行に関する事項(ホに掲げる手続を除く。)については、代理することができない。
イ 民事訴訟法(平成八年法律第百九号)の規定による手続(ロに規定する手続及び訴えの提起前における証拠保全手続を除く。)であつて、訴訟の目的の価額が裁判所法(昭和二十二年法律第五十九号)第三十三条第一項第一号に定める額を超えないもの
ロ 民事訴訟法第二百七十五条の規定による和解の手続又は同法第七編の規定による支払督促の手続であつて、請求の目的の価額が裁判所法第三十三条第一項第一号に定める額を超えないもの
ハ 民事訴訟法第二編第四章第七節の規定による訴えの提起前における証拠保全手続又は民事保全法(平成元年法律第九十一号)の規定による手続であつて、本案の訴訟の目的の価額が裁判所法第三十三条第一項第一号に定める額を超えないもの
ニ 民事調停法(昭和二十六年法律第二百二十二号)の規定による手続であつて、調停を求める事項の価額が裁判所法第三十三条第一項第一号に定める額を超えないもの
ホ 民事執行法(昭和五十四年法律第四号)第二章第二節第四款第二目の規定による少額訴訟債権執行の手続であつて、請求の価額が裁判所法第三十三条第一項第一号に定める額を超えないもの
七 民事に関する紛争(簡易裁判所における民事訴訟法の規定による訴訟手続の対象となるものに限る。)であつて紛争の目的の価額が裁判所法第三十三条第一項第一号に定める額を超えないものについて、相談に応じ、又は仲裁事件の手続若しくは裁判外の和解について代理すること。
八 筆界特定の手続であつて対象土地(不動産登記法第百二十三条第三号に規定する対象土地をいう。)の価額として法務省令で定める方法により算定される額の合計額の二分の一に相当する額に筆界特定によつて通常得られることとなる利益の割合として法務省令で定める割合を乗じて得た額が裁判所法第三十三条第一項第一号に定める額を超えないものについて、相談に応じ、又は代理すること。
2 前項第六号から第八号までに規定する業務(以下「簡裁訴訟代理等関係業務」という。)は、次のいずれにも該当する司法書士に限り、行うことができる。
一 簡裁訴訟代理等関係業務について法務省令で定める法人が実施する研修であつて法務大臣が指定するものの課程を修了した者であること。
二 前号に規定する者の申請に基づき法務大臣が簡裁訴訟代理等関係業務を行うのに必要な能力を有すると認定した者であること。
三 司法書士会の会員であること。
3 法務大臣は、次のいずれにも該当するものと認められる研修についてのみ前項第一号の指定をするものとする。
一 研修の内容が、簡裁訴訟代理等関係業務を行うのに必要な能力の習得に十分なものとして法務省令で定める基準を満たすものであること。
二 研修の実施に関する計画が、その適正かつ確実な実施のために適切なものであること。
三 研修を実施する法人が、前号の計画を適正かつ確実に遂行するに足りる専門的能力及び経理的基礎を有するものであること。