2019/08/29

Not so Romantic affairs of Intercontinental Yokohama(2)千住真理子の「ソナタ・クロイツエル」

今日はうちのママ殿と一緒に、横浜のみなとみらいホールで千住真理子さんのヴァイオリンコンサートを聞いた。
クラシックに疎いママ殿も、千住真理子さんならテレビの音楽番組で見て知っているので、楽しみにしていた。
コンサートの前は、横浜インターコンチネンタルホテルでランチをした。
みなとみらい駅をおりて、早速ホテルに入ると、ロビーにはスーツ姿の黒人男性たちが集まっていた。




今日は隣のパシフィコ横浜で「アフリカ会議」をしているという。
エレベーターホールに行くと、ここにも黒人の団体さんがいて、そのなかには政治家らしき黒人男性とそのボディーガード(?)の日本人がいた。
エレベーターに乗り、私とママ殿は黒人たちに囲まれて押しつぶされそうになった。

で、でかい・・・(*'ω'*)

最上階に到着。
エレベーターをおりるとママ殿が小さな声で言った。

「黒人は不思議な匂いがするわ。」
「ス、スパイシーでしたかね??」
「いえ、これはお香の匂いですよ。」

なるほど、そうか、寺院などで使われるお香の匂い。
アフリカの偉い人はそういうところの出身なのかな、と私は思った。
最上階の中国料理店は、海を見渡す絶景のロケーションのレストランである。
2名で予約したからか、窓際の一番良いカップル席が用意されており、ママ殿は喜んで海を眺めていた。








(酢豚をほおばるママ殿)


インターコンチネンタル横浜




私たちは夏向けのメニューのなかで、一番豪華なランチセットを2人分頼んだ。
一番豪華なので量が多く、私はやっと食べ終えたが、ママ殿も食べたらもう動けないという。
もうすぐ、千住真理子さんのコンサートが始まってしまう。
私はママ殿を促し、みなとみらいホールに向かった。

今日の千住真理子さんのコンサートは、ピアニスト横山幸雄さんとのデュオコンサートである。
横山幸雄さんはショパンコンクールの入賞者で、日本を代表するショパン弾きだが、プログラムの途中で、ショパンの定番「Ballade No1(バラード1番)」を演奏した。
おお、この演奏は彼の手の内だ、さすがにうまい!!と思った。

その後、休憩を挟んで後半は、千住真理子さんが、ベートーヴェンのソナタ「クロイツェル」を演奏した。
これは言わずと知れた難曲である。
私は事前にIさん(私のクラシック音楽の師匠)にこの日のことを話していたが、クロイツェルを聞く上での注意点をいくつか教わっていた。
また、Iさんはこんなことを言って、千住真理子さんの演奏をよく聞いてくるように、と私に言った。

クロイツエルは難曲で、欧米の一流のソリストは用心深くて生演奏をしたがらない。なので欧米では、クロイツエルを聞く機会はあまりないと思う。

そして、そのようなクロイツェルを演奏するのであれば相当の覚悟が必要だが、千住真理子にはそこまでの自信と技術があるのか~と前置きをし、演奏に関するいくつかの厳しい注文をつけた。
な、なるほど、さすがIさんである、、、
ただ、今回私の最大の関心事は、千住真理子さんのストラディバリウスの音色だ。
6月、私はIさんと一緒に東京芸術劇場でコリヤブラッハーを聞いたばかりだが、ブラッハーのヴァイオリンもストラディバリウス、そして来月東京文化会館で聞く予定のヴェロニカエーヴェルレもまた、ストラディバリウスである。
つまり、ここ数ヶ月で、3人の著名なソリストがストラディバリウスを奏でるので、その聞き比べを楽しもう、ということなのである。
しかし演奏を聞きながら、私は小さな声で、ママ殿にこう話しかけた。

「あのヴァイオリンはストラディバリウスという伝説の名器なんですよ。」
「へえ、やっぱり音色がいいわね。」
「ねえ、本当にそう思う??」
「どういうこと??」
「いや、いい音色だと思うんだけど、、、正直な話、素人にはそこまで分かりませんよね。」
「まあ、ふつうそうよね~、、、」


横浜みなとみらいホールの千住真理子のヴァイオリンコンサート

2019/08/24

湯島天神の恋みくじ

今夜は上野広小路で、例の岩下志麻似の劇団員Rさんと会う約束をしている。
最近、台湾旅行に行ってきたというので、そのおみやげをもらうためである。
昼間の予定はいつものように美術館であるが、今日は丸の内の三菱一号美術館で、「マリアノフォルチュニ展」を見た。


三菱一号美術館「マリアノフォルチューニ」展示会


マリアノフォルチュニ??
聞いたことのない名前だな、誰だろう、、、

マリアノフォルチュニ(Mariano Fortuny y Madrazo)はスペインの画家兼デザイナーである。
母は裕福な貴族、父は有名な画家であった。
父も同じ名前、つまり、マリアノフォルチュニ(Mariano Fortuny y Marsal)である。
息子は父と同じ画家を目指したが、むしろ「デルフォス」のデザイナーとして一世を風靡したことで知られる。
デルフォスとは、まあ簡単に言うと、ゆるめのサテンのドレスである。
父はパリで活躍したオリエント画の大画家で、当時のパリのモードにアジアのトレンドを持ち込んだ最初の人物とも言われる。
これに対して息子は、フランスではなく「イタリア」に、絵画ではなく「ファッション」に、父と同様アジアのトレンドを持ち込んだ最初の人物、というふうに理解するのが妥当かな、と思う。
彼は日本の染付をイタリアに輸入した。
中東の文化芸術にも造詣が深く、彼のデザインした服にその影響がある。
また、ワーグナーの熱烈なファンでもあり、ワーグナーのオペラの舞台演出を手がけている。
いくつもの特許を保有する発明家でもあったし、女性のヌード写真などを撮る写真家でもあった。

なるほど、マリアノフォルチュニはそれほど有名ではないと思うが、私にはその理由が何となく分かった。
どうも彼は母の財産と父の才能を存分に生かし、テキトーにマルチに、やりたい放題やっていたようなのである。
これだと常に偉大な父と比較されてしまうし、芸術的価値に関わらず損な立場である。

私は三菱一号美術館を出た。
まだ待ち合わせまで時間があるので、丸の内から日比谷公園まで散歩した。
そもそも丸の内は、以前から三菱財閥のお庭(領地)なのであった。
三菱一号美術館は旧三菱財閥本社であるし、その向かいには三菱重工の本社がある。
丸の内から日比谷公園まで皇居沿いを歩けば分かるのだが、三菱財閥が最も格上(上等)の領地を持っている。
日比谷公園まで行くと、日比谷ミッドタウンと帝国ホテルがある。
この辺りは三井財閥の領地。
そして、そのあいだが渋沢財閥の領地、東京會舘と帝劇、ここには私がよく行くお気に入りの出光美術館などもある。
こういうふうに見ると、どの会社がどの財閥と関係が近いのか、イメージもできるだろう。
例えば帝国ホテルは、会社四季報によれば三井不動産が大株主で、三井系の大株主がほぼ過半数を占めている。
もっとも、帝国ホテルの設立発起人には渋沢栄一もいたのであるが。


湯島天神


湯島天神


待ち合わせの時間が近づき、日比谷駅から千代田線で湯島駅に行き、時間まで湯島天神を参拝した。
お詣りをした後は、いつものように湯島天神の恋みくじを引いた。


湯島天神の恋みくじ


湯島天神の恋みくじ


私はお詣りのとき、お賽銭を5円か10円しか入れないので、何となく100円か200円でおみくじも引く習慣がある。
時間になったので、上野松坂屋の隣のビルの「あんみつみはし」に行った。
私の方が先着で、白玉ぜんざいを食べながら彼女を待った。


あんみつみはしの白玉ぜんざい


私の予想通り、彼女はラフな身なりで遅刻をした。
劇団員の彼女は、いつもこんな感じである。
彼女は去年、都内の小劇場で準主役として舞台に出ていた。
私はその舞台を見ていて彼女の才能に注目したのだが、小劇場なので話す機会があり、仲良くなれた。
劇団員はお給料なんてないも同然、なので彼女はバイトをしながら親友と一緒に暮らしている。
とはいえ、彼女は明治大学文学部出身の本格派なのである。
歌舞伎のセリフ回しを理解し、歌舞伎を「堪能できる」というのもすごいが、実家に帰れば地元でも有名なお嬢様である。
お嬢様育ちだから、彼女は身なりをあまり気にすることもなく、いつも女王様気取りの態度なのである。
私は彼女に貢ぎ物としてガルガンチュアのチョコレートを1つ差し出した。
すると、彼女は私に台湾旅行のおみやげをくれた。


台湾茶


「こ、これは、、、台湾のかまぼこですかね??」
「違うわよッ!! これは台湾茶。これ、すごいの。1パックで何度も飲めるのよ。」
「出がらしですよね、何度も飲むということは。」
「違うわよ。日本茶と違って2度目もすごくおいしいの。」
「ふ~ん、、、」

まあ、しかし、彼女は「だめな娘」で、私は「だめな息子」、2人仲良くおいしい出がらしを飲むのもよいかもしれないなあ、と思った。
彼女はにこにこ笑っている。
湯島天神の恋みくじは、家に帰ってから開けることにしよう。

2019/08/22

ことわざとは尾崎豊の歌詞のようなもの?

WSJの景品のスマートウォッチ


私はウォールストリートジャーナル(WSJ)の読者であるが、読者プレゼントに応募したら抽選でスマートウォッチが当たった。
しかし、ただでもらってこういうことを言うのも図々しいが、紫色だとカジュアルな服装でないとコーディネイトがしにくい。

さて今日は、渋谷で用事が2つある。
午前中は助成金補助金の勉強会があり、その後は渋谷モディーのカフェで友人のM先生と会って話す予定である。


渋谷モディ


カフェモイラ


さて、助成金補助金について。
一般に、助成金補助金というのは借入金とは違い、返済する必要のないお金である。
だから、「もらえるものなら夏でも小袖」と思うだろうが、「ただより高いものはない」ということわざもある。
ことわざとはおもしろいもので、探してみるとたいてい反対のことわざも見つかるため、ことわざを真に受けて行動したらあとになって同じ本のなかに矛盾することわざを見つけてどうしよう、となる場合もある。
しかし、ことわざ事典の著者は個別のことわざの原作者ではなく、矛盾することわざを同じ人が言っているわけではないので文句を言うところがない。


「日本の名言格言事典」


では、助成金補助金の場合、ただより高いものはないのか、もらえるものなら夏でも小袖なのか。
それは、まあ、結論を言うと、、、どちらのことわざがその時の自分に都合がよいかということだと思う。
つまり、ことわざとは自分が従うためのものではなく、自分の都合で使い回すものだと思うのだ。
自己正当化、あるいは自分または他人を納得させるために、である。

例えば、「楽あれば苦あり」と言うけれども、それは苦労ばかりして人生やってられない人が噛みしめる言葉である。
いま人生がうまくいっている人が、このことわざを真に受け、そろそろ苦がありそうだと用心するのはばかげている。
ところで、「楽あれば苦あり」、この格言は「山高ければ谷深し」という相場格言にも似ていると思う。
ああ、なるほど、その相場格言を噛みしめるのは、相場が下がって含み損を抱えてやってられないときの自分である。
相場が上がって儲かっているなら、このような言葉は誰もがスルーする。


渋谷クロスタワー


お昼過ぎに勉強会が終わった。
エレベータをおり、クロスタワーの正面玄関を出ると生暖かいビル風にあおられ、私はよろけてしまった。
どうしてこんなにビル風がひどいのか。
私はデッキ周辺を歩いてみた。


尾崎豊記念碑


手すりの方へ寄ると、尾崎豊の記念碑があった。
そうそう、思い出した、ここは尾崎豊ビルなのである。
今日は時間があるのでじっくりそれを眺めた。

尾崎豊といえば、2枚組のCDが家にあったような気もするが、学生時代以来聞いていないので、今はどこにしまってあるのだろう。
私は自伝も評伝も読んだことはないが、直感的に言うと、尾崎豊とは日本版ジェームズディーンである。
つまり、音楽的価値はともかく、「理由なき反抗」のようなものを遺して、若くして死んだ、これが尾崎豊のほぼ全てだと思う。
ディーンも同様だが、若くして死んだため、減点材料となるべき中後期の作品がこの世に存在しないということが非常に重要である。
もちろん、年老いた顔のビデオクリップもなく、いつまでたっても彼らは若いままでいられる。
ディーンも尾崎豊も、若くして死んだことにより永遠の若さを手に入れた、その点ではナルシストである。
まあ、尾崎豊のことはこれくらいにしておこう。
そういえば、尾崎豊は「卒業」で、こう歌っている。

夜の校舎、窓ガラス、壊して回った。

私は思うのだが、ことわざとは尾崎豊の歌詞と同じようなものではないか。
いかに尾崎豊を愛し、神と崇拝していても、「卒業」の歌詞を真に受けて実行したら卒業証書をもらう前に退学処分になってしまう。
ことわざも尾崎豊も、読んで聞いて楽しむものであり、真に受けるほどのものではない。
私は尾崎の記念碑を眺めながら、そう思ったのだった。

2019/08/10

The Chronicle of Noble Lady(6)東京芸術劇場の冒険

外出支援ボランティアの輪を広げよう


きのうは銀座の資生堂パーラーでクッキーを予約したが、今日の午前中そのクッキーを受け取り、私は銀座から新宿御苑へ向かった。
もちろん、このクッキーは私の3時のおやつではない。
午後から東京芸術劇場でジュニアフィルハーモニックオーケストラのコンサートがあるのだが、指揮者と学生楽団員たちへの差し入れ(おみやげ)である。
私は新宿御苑で、クラシック音楽の師匠Iさんと待ち合わせ、車に乗り込んだ。
Iさんの車は住宅街の狭い道を疾走し、鬼子母神の参道に入ったが、そこでIさんは運転手に、池袋警察署の方から芸劇の裏手に回るように言った。
私はいつもメトロポリタンの方からスタスタ歩いて行くので、車だとこういう行き方があるのか、と思った。
裏から入る展開に何だかドキドキしてしまったが、私たちの車は警備員のいる楽屋口の駐車場に滑り込み、私たちは楽屋口から芸劇に入った。
受付には女性職員が2人いて、2人とも私たちを知っているかのような態度であった。
どうもIさんの顔パスのようだ。

「どうもすみません、指揮者のキンボーイシイさんの知り合いです。中に入っていいですか。」
「こんにちは、奥のエレベーターで〇階へどうぞ。」

楽屋口は舞台装置を搬入するため、通用口などとは違って広い作りなのだが、エレベーターもまた倉庫や工場にあるような大きなハコなのである。
ハコに乗って〇階に上がり、少し歩くと重々しい扉がある。
その扉を押し開けると突然、視界が広くなって楽屋フロアの中に立っているのである。
私がキョロキョロしていると、早速、楽団員の男性が近づいてきて、私たちを案内してくれた。
指揮者のキンボーイシイさんのいる控室へ。

キンボーイシイさんは、ジュリアード音楽院のドロシーディレイ教授の教え子という音楽界のエリートのひとりである。
手のケガなどもあり、バイオリニストではなく指揮者となった。
いまは伝統的なドイツのオペラハウスの総監督として活躍しているが、たまに来日してコンサートの指揮をすることがある。
また、ジュニアフィルハーモニックオーケストラの指導者(先生)でもあり、音楽家のたまごの学生たちを熱心に教えている。
今日はその練習の成果を見せる重要な機会である。

イシイさんはIさんと親しく、私はIさんの紹介で知り合った。
イシイさんも私も、ともに、Iさんから「息子」と呼ばれることがある。
そういうわけで、Iさんの息子なら私の名前でチケットを用意しましょう、ということで、実は7月にも1度、私はすみだトリフォニーホールで彼のコンサート(ザ・シンフォニカ)を聞いた。




このときは、ロリンマゼール編曲のリヒャルトワーグナーの「ニーベルングの指環」。
今回は、リヒャルトシュトラウスの「ドンファン」「ドンキホーテ」。
ええと、私は「リヒャルト」ワーグナーと、ヨハン「シュトラウス」は知っているのだが、リヒャルトシュトラウス(の組み合わせ)はよく知らないのだよね。

さて私は資生堂パーラーのクッキーを楽屋裏で彼に手渡した。
すると彼は喜んで、みんなに配ってきます、と言ってどこかに行った。
私は足りるかどうか心配だったが、差し入れというのはとりあえず、女性陣の口に入ればOKだと思っている。


東京芸術劇場ラウンジ


その後、開場時間になったので、私たちは楽屋を出て、芸術劇場の入口へ向かった。
しかし、楽屋から入口へ向かう場合、楽屋⇒舞台袖⇒ホール脇の通路⇒ラウンジ(ホワイエ)~と歩くことになるため、入口の係員から見ると、開場前に帰りの客が現れた、一体どういうことか、という事態になるのである。
私たちは無断入場者ではないことをアピールし、いったん外に出させてもらい、他の音楽友達と待ち合わせた。
やがてIさんの音楽仲間も集まり、私たちはグループとなって改めて入場し、後部座席に並んで座った。


キンボーイシイとジュニアフィルハーモニックオーケストラのコンサート東京芸術劇場


コンサートが終わった。
私たちは再び楽屋にイシイさんを訪ねた。
笑顔で私たちを出迎えてくれた彼は、Tシャツと短パン姿、汗びっしょりで、ステージとは別人のようだ。

おいおい、さっきまでスーツを着用し、難しい顔で指揮をしていたのに、いまは真夏の屋台のラーメン屋のガンコおやじみたいじゃないか(*'ω'*)

テンションがコンサートの時のままで下がらず、まだ興奮状態のようだ。
そのため、会話をすると彼の声が上ずって、こちらもテンションを上げて話さなくてはならなかった。

こりゃ、疲れるな、、、

ラーメン屋のガンコおやじといえば、そうそう以前、Iさんと3人で話したとき、イシイさんは日本のラーメンが大好きだと言っていたなあ。
でも、太るので麺は一切食べません、とか、よく分からないことも言っていたような気がする。
麺を食べないラーメン好きとはどういうことかと思ったが、この人は実に変わっている。
まあ、私も人のことは言えないのだが、、、

最後に、みんなで記念写真を何枚か撮った。
私は用事があり、1人で先に帰ることにした。

先ほどのように楽屋を出て、1人で芸術劇場の入口へ向かった。
楽屋⇒舞台袖⇒ホール脇の通路⇒ラウンジ(ホワイエ)~と歩いているつもりが、あれ、おかしいな、迷ったかな。
さっきと同じだと思い、鼻歌を歌いながら適当に歩いていたから、どこかで道を間違えたらしい。

その後、10分くらい中をうろうろしてしまい、やがて誰もいない薄暗いラウンジ(ホワイエ)に行き着いた。
良かった、さっきのところだ。
でも、さっきあったはずの出口がない。
すでに明かりが落とされており、ラウンジは薄暗く、私は不安な気持ちになった。
さっきの出口が消えている、ど、どうしよう。
帰りのタイムマシンの穴が見つからず、青ざめているのび太君の気持ちがよく分かる。
しかし、大丈夫、ものすごく遠くの方に出入口の大きなドアを見つけた。
別方向からラウンジに出たので、単に見落としていただけのようだ。

あっ、ちょっと、待って。

そのドアを、いままさに係員の女性が閉め切ろうとしているではないか。
しかし、小声では届かない。
私は、あわてて走った。

「すみませーーーーーん、まだここに1人いまーーーーーす。」

大声で係員にアピールし、何とか無事に外に出ることができたのだが、まさに間一髪。
こうして私は、間一髪ドアに鍵をかけられて東京芸術劇場から出られなくなった男性、として夕方のニュースに報道されることを免れることができたのであった。


東京芸術劇場

2019/08/06

吉祥寺散歩(1)ヴィクターグールドジャズピアノトリオコンサート

今日は吉祥寺まで行き、ヴィクターグールドのジャズコンサートを聞く予定だ。
が、その前に、山本有三記念館に立ち寄り、そこから禅林寺にあるという鴎外の墓を見にいく予定も入れた。

山本有三記念館→森鴎外の墓(禅林寺)→武蔵野スイングホール


山本有三記念館


山本有三記念館は、ジブリミュージアムへ向かう道の途中にある小さな木造の洋館で、まるで喫茶店のような小さな木のドアをあけると狭い受付がある。
学校では山本有三=路傍の石と暗記させられたが、私はそれしか知らない。
今日は「女人哀歌の時代」という企画展。


山本有三記念館


山本有三記念館


入場料を払い、2階の展示室までひととおり見て回り、その後、私は受付に戻った。
待合スペースで手荷物の整理をしながら、受付のおばさん、掃除のおばさん、学芸員のおじさんの雑談を聞きながら休んだ。
窓の外からは真夏の蝉の声が聞こえる。
そうだ、受付のおばさんに鴎外の墓のことを聞いてみよう。

「すみません、鴎外のお墓のこと、知ってます??」
「知ってるけど、これから行くのね。」
「ええ。ここからだと、どうやって行くんですかね。」
「本名の墓だから、森鴎外ではなく森林太郎の墓なのよね。法専寺の少し先にあるんだけど、あなた分かるかしら。」
「歩いて行けるかな。」
「暑いから、駅に戻ってバスで行く方がいいわよ。」
「鴎外のお墓のほかに、観光名所は何かありますかね??」
「そうね、鴎外の墓のお向かいは、太宰治の墓なのよね。」
「あ~、思い出した、そのハナシ!!」
「太宰さんは死んだら鴎外さんの墓のそばがいいと言ってみたい。」
「ふ~ん、、、そうなんだ。なんでだろう。」
「さあね。この近くに太宰治の文学サロンがあるのよ。そこの人に聞いてみたら?? 確か午後からイベントがあるそうよ。」
「どうも、ありがとうございます。」

山本有三記念館を出たのは午後3時近く。
太宰治文学サロンには寄らず、途中、コンビニで遅いお昼ご飯を買った。
暑すぎるので、冷たいとろろそば。
そして散歩がてら歩いて禅林寺を目指すことにした。
30分ばかり歩き、バス停、法専寺~受付のおばさんの話だと、このへんに禅林寺があるはずだが、、、


禅林寺


ん~、あそこかな??
公園の奥に寺の門が見える。
脇道を歩いて門前まで行くと、荒々しい筆遣いで「飲食厳禁」と注意書きがある。
私は公園のベンチで、とろろそばを食べることにした。

生暖かくて、おいしくない(*'ω'*)

禅林寺の門をくぐると広場があり、そこに森林太郎の文章が刻まれた石碑がある。
奥へ進むと墓地があり、ここは狭いので10分ほど探せば2人のお墓が見つかるだろう。
まあ、ただのお墓なので、どうということはなかった。

5時30分頃、武蔵野スイグホールに到着。
さすがにこの暑さでバテたので、階下のファミレスで冷たいものを頼んだ。
私はアイスを食べた後、案内のチラシとチケットをテーブルに置いて眺めた。






まず、私は友の会会員ではない、ということを、いま知った。
差額400円。
でも、まあ、吉祥寺なんてめったに来ないから。

次に、ヴィクターグールド、、、
そもそも私はジャズに詳しくないので、よく知らない。
センセーショナルな売り文句を聞いても分からない。

しかし、実際コンサートを聞いたら期待以上の演奏で、私は非常に満足した。
比較対象は、つい2週間前に丸の内のコットンクラブで聞いた高額チケットのジャズコンサートである。
これと比べると一枚格下ではあるが、彼らとはタイプが違う、流れるような演奏が心地よく、こういうジャズも楽しいな、と思った。
また、ホールが狭いので迫力もあった。




コンサート終了後。
ロビーの片隅でサイン会があるというので待機し、私は上品で賢そうなジュリアード出身の男性(写真一番左)からサインをもらった。
別に彼を狙ったわけではない。
サイン会なのに右の2人があまりにもリラックスしててサインを頼みにくく、彼だけが生真面目にペンを走らせていたので頼みやすかったのだ。
帰りがけ、私はこの3人組を眺めて思った。
人種が違っても、音楽が好きな者どうしなら、誰とでも仲良くなれるということを。

2019/08/05

出光美術館「唐三彩展」

東京駅にはお昼頃に着いた。
今日は午後から出光美術館で特別講座があるのだが、午前中に東京駅近くで用事があり、用事を済ませてそのまま歩いて日比谷方面へ行った。
ロレックスのある郵船ビルなどもそうだが、この辺りは三菱グループのおひざ元。
いまはラグビーのワールドカップで盛り上がっているようだ。


丸の内


おや、あれは社会人ラグビー部の男性たちが、外国人プレイヤーを押し倒して決起集会をやっているのだろうか。
まあ、スポーツにこういうノリは必要だが、お気楽者の私には無理である。


ロレックス丸の内


さて、夏場にロレックスに入ると思うことがある。
ここは絶品の涼しさである。
受付の女性から時計を受け取り、会計をしたが、女性はたいてい冷え性なので、ここまで涼しいとさぞかし冷えるだろうと思った。

その後ロレックスを出て、真夏日のなかを日比谷方面へ歩いた。
この並木通りは、大きな街路樹が絶妙の位置に植えられており、スプリンクラーも設置されている。
そのため、真夏でもわりと涼しく歩けるところである。
出光美術館のある帝劇ビル、その隣の国際ビルまでは、徒歩で約10分かかる。
歩いていつも思うのだが、途中に「コムデギャルソン」という不思議な服屋がある。
コムデギャルソンは日本のブランドだが、服屋の店内が喫茶店にもなっており、客たちが茶飲み話をしている。
ガラス張りで通るたび見てしまうが、服が売れなくてカフェでも始めたわけではないだろう。
この場所ならカフェの副業は儲かるだろうし、服屋の店員が話し相手をして服が売れたりすることもあるのだろう。
これはなかなかおもしろい、と思った。
まあ、私はセブンプレミアムのペットボトルのお茶で十分なのだが。


出光美術館「唐三彩」


帝劇ビルの出光美術館へ。
今日の特別講座は唐三彩についてである。
私は出光美術館会員で、毎度企画展の案内と画集をもらっているが、唐三彩の画集は2冊もらっており、事前に自宅でざっと目を通していた。
しかし、講師Yさんの話は、展示会や画集の解説とは別の角度からのアプローチで、非常におもしろかった。
ラウンジで食べた中村屋の月餅も、久しぶりに食べたが、おいしかった(特別講座では休憩時間に、お茶菓子が出る)。
ちなみに、月餅は中国の菓子である。


出光美術館


ところで、出光はやきものの美術館であるが、私がここで学んだのは中国の偉大さである。
日本は歴史的に中国とアメリカの影響をもろに受けており、明治以前は中国、明治以降はアメリカである。
それなのに、日本人が中国を成金などとばかにして、アメリカをありがたがるのはおかしな話である。
例えば日本人はふだん、アルファベットではなく、漢字を使っているわけだが。
このように、日本人、日本文化のルーツをたどっていくと日本人が中国人に劣っている、負けているといった民族的なプライドに関わる問題にもなる。
そのため、中国の偉大さはないことにされているのだろう。
だが困ったことに、日本の現状は巨大な中国経済に事実上依存しており、資本的支配下になりつつある。
このような現実は、もはや無視できないものとなっている。


ジムロジャーズ「中国の時代」


米中貿易戦争。
トランプ大統領があの手この手で「中国潰し」を試みている。
しかし、中国はしたたかであり、米中貿易戦争はアメリカの思うようにはいかないだろう。
一説によると、トランプ大統領は最後の白人政権と言われる。
それなら、安倍総理は最後の日本人政権ではないだろうか。
安倍総理のこれまでのスキャンダルの数々を見ると、そんな感じが漂っている。
この2つの政権が倒れ、自民党政権の時代が終わった時、日本は重大な政治的転換期を迎えるだろう。
どのような転機なのか、中国との関係がどう転ぶのかはともかく、私たちはその時になって慌てないように準備をしておきたいものだ。


中国古典名言事典

2019/08/04

ヒグチユウコのボリス雑貨店訪問

以前、芦花公園の世田谷文学館まで「CIRCUS」というヒグチユウコの企画展を見に行ったことがある。
その時、職員から、渋谷の神宮前のボリス雑貨店のことを聞いた。
ヒグチさんが経営されている妖怪のアートショップだというが、神宮前なら私が通っているワイン教室(キャプランワインアカデミー)のそばなので、寄り道をして一度見に行こうと思っていた。


ボリス雑貨店


ヒグチさんの店は神宮前の入り組んだ住宅街の一角にあった。
これはGoogleMapを見ながらでないと、見つけるのが難しいかも。
1階がボリス雑貨店、2階がギャラリー。
しかし、残念だがこの日ギャラリーは休みで、私は1階のショップの引き戸を開けた。

ガラッと開けるとめちゃくちゃ涼しかった。
店内は空いており、私はひととおり商品(作品)を見て回ったが、ギュスターヴ君のグッズ、その他の妖怪キャラのグッズはどれもなかなかのお値段である。
私は何を買おうか迷ったが、ここは素直に、ヒグチユウコのサイン入りの画集を2冊購入することにした。


ヒグチユウコの画集「サーカス」「バベル」


おや、向こうの方には、ヒグチさん以外の画家が描いた妖怪の絵が展示されている。
なるほど、いろいろな妖怪が棲みついているのだな。
あるいは、コラボ企画かな?
それにしても店内は陽当たりが悪い。
昼間なのにやや薄暗く、マンガのスクリーントーンのようなものが全体に効いており、エアコンが効きすぎており、うすら寒い。

ああ、これって演出なのではないか?
私は、さながら明治神宮前の妖怪センターを演出している、と思った。


三井記念美術館「日本の素朴絵」


ところで、妖怪の作品は、最近の三井記念美術館の企画展「日本の素朴絵」で見かけたばかりである。
この展示会は、日本のキャラクター絵画を取り上げたものだが、いまはキャラクターというとマンガとアニメを思い浮かべる人が多いだろう。
しかし昔は、キャラクターというと神様と妖怪のことだったという。
つまり、日本の素朴絵とは、日本の神様と妖怪の「キャラクター性」に着目したもので、それがデフォルメされて「素朴」だ、ということだと思うが、例えばお地蔵さん、エンマ大王、七福神などが思い浮かぶ。


三井記念美術館「かわいい琳派」


まあ、昨日の話はこれくらいにして。
今日は久しぶりに家で過ごし、夕方、駅ビルまで買い物に出かけた。
駅ビルの書店で妖怪の絵本を買った。
これは今夜、姪っ子たちが一泊するため、寝室で読み聞かせ、寝かしつけるための本なのである。


ぬいぐるみ


そしてその帰り道、私は駅ビルのスターバックスでチョコレートフラペチーノを飲んだ。
ふと思ったが、このスタバの緑のロゴマーク、これはアメリカの妖怪の素朴絵のようにも見える。
まあ、いろいろな妖怪を見れば、真夏の夜も少しは涼しくなるのではないだろうか。


スタバ

2019/08/03

いまはバブルだったかしら??

8月1日、2日、3日と、3日連続で南青山のワイン教室「キャプラン」に行ってきた。
8月1日が懇親会で、2日と3日がT先生の講座。
2日はWSET3の受験対策講座だったが、ワインのペアリングでクッキーのおやつが出た。
これは、赤坂の有名店「ツッカベッカライカヤヌマ」のクッキーである。
さすが、センス抜群の先生!!


「ツッカベッカライカヤヌマ」のクッキー


キャプランのワインパーティー




では本題。
8月1日の懇親会の後のアフターの飲み会の話である。
私は、とある企業の会長の御一行と意気投合し、エイベックスの裏手のレストランに行ったのだが、ワイングラスを傾けながら、会長たちのバブル時代の景気のいい話を聞いた。

バブル時代って、本当に、そういうことをしていたのか!!

まあ、詳しい話はさておき、つまりそれは、会社の経費を湯水のように使う過剰な接待の話である。
現在の日本人の価値観では非常識であるが当時の価値観では常識だった。






それにしても、バブルのころ人生を謳歌していた老人たちは、30年以上前のバブリーな出来事を実に鮮やかに語るものである。
楽しい思い出なら、バブル崩壊後に懐かしんで何十回も話しただろう。
だからこれはいつもの思い出話なのかもしれない。
しかし考えてみると、彼らよりひと回り上の人たちは、太平洋戦争、空襲や原爆、戦後の焼け野原を体験して、ひどい目にあった世代である。
時代はあっという間に移り変わるということだ。
それでは、私たちの世代は老人になったとき、酒を飲みながら何を語るのか。
まあ、それはあとのお楽しみで、、、

さて、今日はT先生のワイン教室が夕方からのスケジュールで、6時過ぎに終わったので、その後、別の会社の会長(Eさん)に会ってきた。
こちらの会長さんは70才前半で、両国の下町の印刷会社の人である。
そもそも私たちは、今年2月の葛飾北斎ミュージアムの「浮世絵ワークショップ」で知り合った。






この企画は浮世絵作りを実体験するもので、E会長と奥さんが講師役、私は受講者のひとりだった。
ここで私は、富嶽三十六景の名作「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」を実際に刷った。
その後、Eさんとは何度かメールのやりとりなどがあって、8月の両国盆踊り大会のことを教えてもらった。
大会運営委員でもあるEさんは、盆踊りの日にあわせ、外国人観光客のホストをボランティアでしているというのだが、、、私は、外国人の盆踊りはどういうものなのか気になって、時間があれば見に行きます、と伝えていた。

両国に着いたのは6時過ぎ。
駅前からホテルの前の大通りの方へ歩くと、交通規制で歩行者天国となっており、盆踊り大会はそこですでに始まっていた。
私は屋台のやきそばを2人前買い、路上に座ってEさんと外国人観光客の到着を待った。
空腹だったので2つ買ってしまった。


両国盆踊り大会


路上に座りこみ、やきそばを食べながら、盆踊りの様子を眺める。
Eさんと外国人観光客の姿はまだない。
彼らは日中、レンタルのゆかたを着付け、隅田川の屋形船に乗るそうだ。
船内で夕食をとり、埠頭から両国まで夜の下町界隈を散歩して、盆踊り大会に飛び入り参加する、Eさんの話だとそういうスケジュールなので、だらだら歩いて遅刻するだろう、と言っていた。
そのうち、盆踊り定番の「ドラえもん音頭」が流れ始めた。

へえ、いまだにこの曲がお約束とは困ったものだ。
日本は、昭和の時代からまるで進歩がないのだよね。
いやいや、「サザエさん」だって日曜日の夜、いまだに見ている人が大勢いるから、それでもいいのか。




その後、「東京音頭」「花笠音頭」と続いた。
こちらも定番中の定番。
しかし、その次はまったく聞いたことのない「東京音頭バージョン2」なるものが流れた。
バージョン2とは、アプリケーションのアップデートのようだが、そこだけ時代を先取りしているのも変である。

その次もまた、聞いたことのない「スカイツリー音頭」。
東京タワー音頭はないのに、スカイツリー音頭があるのはおかしいと思った。
いや、東京タワー音頭もあるのかもしれないが。

だんだん、ノリの悪い音楽、踊りにくい音楽になってきた。
しかし、そこから雰囲気が一変、ポップス、アニメソングなどが流れるようになり、またノリがよくなった。
流行歌は無難でいいと思う。

おや、ようやく着いたようだ。
かなり待ったが、Eさんと外国人観光客のグループが大通りの向こうから現れた。
どの外国人も、ゆかたがサマになっていない。
その理由は恐らく、彼らは日本人とは違い、スタイルがよいからでしょう。
司会者の歓迎の挨拶、大きな拍手がわき起こり、日本人女性の輪に外国人観光客がまぎれると、再び盆踊りが始まった。




ええと、確か、このノリノリの曲は、荻野目洋子の「ダンシングヒーロー」!?
いまはバブルだったかしら??と思ったが、そういえば友達から最近ダンシングヒーローが流行していると聞いたことがある。
外国人たちの盆踊りの様子がサマになったので、この曲は彼らにとって非常に踊りやすいのだと思った。
しかし、先ほどまでサマになっていた日本人たちはというと、この曲だとかえって上手に踊れないのである。
私は笑ってしまった。

日本人が欧米人に比べて音楽のセンスが劣る場合、それは例えばクラシック音楽のコンサートなどを聞くとそう思わざるを得ない場面が多いのだが、私にはその理由が分かったような気がした。
日ごろからこうして、いかにも日本的な祭りの音頭を聞いているからだ。
また、こぶしのきいた演歌などもそういうかんじである。

Eさんは盆踊りの行列から少し離れ、彼らの記念写真を撮りはじめた。
その後、商工会のテントの下で休憩するEさんに挨拶をした。

「盆踊り、見に来ましたよ。」
「やあ、よく来たね~。」
「南米の女性は上手に踊りますね。」
「彼女たちは日本人より上手なんですよ。」
「まあ、踊りの本場の国民ですから、やはり、センスがあります。」
「そうそう。」

Eさんは商工会の若い男性を呼び、私にビールの入ったカップを回してくれた。
もう70才を超えるEさん、外国人観光客を相手に不慣れなおもてなしを終日していたので、疲れているようだ。
しかし、まだ運営委員の仕事があり、話の最中にお呼びがかかった。
私と話す時間はないようだ。

「もう帰ります、また来年も見に行きますね、と言うと、Eさんは笑った。」
「残念だけど、来年はオリンピックがあるから盆踊りはないんだよ。」
「ああ、そうでしたね。」
「次は2021年。でも、おれももう年だから、その時まで元気でいられるかだね。」