2019/12/26

湯島天神、恒例の終わり詣(2019年)

初詣の湯島天神は混んでいるが、年末は空いている。
初詣は自分勝手な願い事をするものだが、年末なら1年の無事を神様に感謝するだろう。
そんなお参りの仕方もあっていいと思う。
これを私は勝手に「終わり詣」などと名付け、手帳の12月の予定に書き込んでいる。
師走にホッとする時間が得られるので、わりとおすすめである。


湯島天神1


今日は散髪に行く前に、湯島天神に「終わり詣」に行った。
テレビ局が境内を取材していたが、ねじり鉢巻きをしたあの中年男性は誰だろう。
カメラマンと談笑しており、お笑い芸人のようだが、もうほとんどテレビを見なくなったので、さっぱり分からない。
御朱印をもらい、坂上の門から外に出た。




ここから歩いてすぐの旧岩崎邸庭園へ。
岩崎邸の見学が主目的ではなく、岩崎邸に隣接する国立近現代建築資料館の展示を見に行くためでもある。
年末は、日本のモダニズム建築の先駆者、吉田鉄郎の企画展をしているという。
ただ、湯島の合同庁舎の正門からだと無料で入れるのだが、岩崎邸経由だと裏門からの入場となり、こちらは岩崎邸の入場料400円を払う必要があるので要注意である。
というわけで、せっかく400円払ったので、岩崎邸も少し見学した。
おや、改装が終わり、すいぶんきれいになっている。


国立近現代建築資料館


国立近現代建築資料館「吉田鉄郎の近代」


吉田鉄郎といえば、丸の内の郵便局のデザインで有名だが、素人の私はそれくらいしか知らない。
時間がないので、30分ばかり見て資料館を出た。
散髪をした後は、銀座をぶらっと散歩した。
北千住で今年最後の料理教室があるので、それに間に合うよう日比谷線に乗らなくてはいけない。


銀座DNPギャラリー3


銀座グラフィックギャラリー、ソニーイメージングギャラリーを回った。
今回は、どちらもドイツにちなんだ展示であった。
ソニーギャラリーでは、ベートーヴェンの故郷などを回って撮り集めた写真展をしていた。
「ベートーヴェンの故郷の旅」、これはそこそこ売れそうなロングテールの写真集ができそうである。


銀座ソニーギャラリー「ベートーヴェンの旅」


おや、撮影禁止マークがある。
ソニーギャラリーの展示は撮影自由であることが多いのだが、、、

もしかすると写真集の出版が決まっているので、出版社との関係で撮影禁止になっているのかもしれない。
が、撮影禁止にすれば写真集が多く売れる、という考え方はたぶん当たっていないと思う。
撮影禁止にすれば単に忘れ去られるだけ。
この作品をばかにしているわけではなく、一部の例外を除いては、一般人にとってアートなんてその程度のもの、通りすがりの作品にすぎないのだ。
日本の美術館やギャラリーの撮影禁止の慣行は、本当にくだらないことだと思う。
写真家本人が待機していたので、私は少しだけ雑談をして記帳もして帰った。


ABCクッキングコロッケエビフライ


ABCクッキングの今日のメニューは、コロッケ&エビフライであった。
芸術とは違って、料理と食事は人間の基本的欲望に根差しており、生活上避けることができない。
むろん私にとっても、芸術より重要で価値がある。
ABCクッキングではふつうのお鍋で揚げ物をするのだが、これ自体はべつに問題ないが、入れる油の量が多すぎると思った。
油はもっと少なくてよく、少ない方がむしろ揚げやすい。
それに、油がもったいないではないか。

ああ、しまったな、、、
帰宅後、カサを忘れたことに気付いた。
ABCクッキングに忘れたのだが、明日電話で聞いてみよう。
1000円もしない安物のカサなのだが、やはりもったいない。
でも、カサだけを北千住まで取りに行くと交通費の方がもったいない、、、
というわけで、どうやらカサを取りに行くのは、年明けにABCクッキングに行く時になりそうである。

2019/12/24

ピアノの先生と絵の先生の思い出話

最近、取手の駅ビル(ボックスヒル取手)に新しいアートセンターができた。
駅ビルの4階は長期間の改装中で閉鎖されていたが、以前は「ハレメテラス」という寝転がって休める居心地の良いフリースペースだった。
そこがどういうふうになったのか気になり、私は駅前で買い物をした帰りに早速のぞいた。
成城石井の脇のエスカレーターから4階へ上がると、正面の壁に目立つロゴがある。
「たいけん美じゅつ場VIVA」と書いてある。


たいけん美術場VIVAのロゴマーク


VIVAってどういう意味だっけ??

4階は広々としたフリースペース、その一角にギャラリーがある。
フリースペースにはいくつものテーブル席があり、壁際にはカウンター席もあり、無駄なく座席が配置されていた。
「ハレメテラス」にはソファーがあり、寝転がって休めたのだが、そうは問屋がおろさない。
つまり、地元の学生は、ここで寝転がらずに自習をしなさい、ということだ。
私は、なんて、つまらないことをする連中だろう、と思った。
その後、私はトイレを探した。
するとトイレ近くの通路の壁に取手駅のモノクロ写真が何枚か展示されており、私は懐かしい感じがしてそこへ近づいてみた。


昔の取手駅1


いやいや、ずいぶん昔だな。
昔の取手駅はド田舎だねえ。

私は、改めて日本の高度経済成長の凄まじさを感じた。
が、ちょうど私が生まれた年の取手駅のモノクロ写真があって、それを見ていると自分がすっかり老人になったのだと思い、ショックを受けた。
その後はショックでトイレに行くのも忘れて、ギャラリーへ。
第1回の記念企画展をしており、私は荷物になるのでまったく欲しくないのだが、係員のおじいさんからチラシと展示目録をていねいに受け取った。
中へ入る前に記帳もすすめられたが、さすがにめんどうで受け流した。

しかし、ギャラリーを歩いているとき、ある展示作品の前を通りかかったときなのだが、私はふとキャプションに見覚えのある名前を見つけたのだ。
それは、私が小学生の頃に通っていた絵画教室のF先生の名前だった。
展示目録を見ると、経歴欄に美術関係の現在の役職が書いてあった。
そういえば、F先生は私が転居して絵画教室をやめた後、少しずつ絵が売れるようになったと、ママ殿から聞いたことがある。
当時の私はピアノも習っていたが、ピアノの先生はおしゃれな家に住む美人女子大生、なので私はピアノを習いに行くのが大好きだった。
しかし、絵の先生はというと、、、ええと、絵の先生のご自宅は、自宅兼アトリエと記憶するのだが、そこは汚らしい長屋(アパート)の一室だった。
F先生はすでに子持ちのおばさまで、私は絵を習いに行くのが好きになれなかった。
今思うと、F先生の住まいがあまりにも生活感のある場所だったから、F先生のことも好きになれなかったのだと思う。
台所の流しで顔を洗ったり、歯を磨いたりする人がいることを、私はF先生のアトリエで初めて知った。
その先生が今も元気で芸術家として活動しているとはうれしいかぎりである。
が、今はどんな家に住んでいるのだろう、とまず考えた。
そして私は何となく受付に戻り、筆ペンを借りて記帳した。
その後、私は駅前の坂を上がり、市民プラザ(ウェルネスプラザ取手)に向かった。


大島弓子「ダイエット」


実は最近、私は「ダイエット」を開始したのである!!
そういえば大島弓子の「ダイエット」、書棚にまだあった。

ここには市民向けのワンルームのスポーツジムがある。
入口脇の券売機に、たった400円入れるだけで何時間でも利用可能だ。
安価で空いており、私は最近よく利用している。
コナミのスポーツ関連部門が運営しているので、サービスも管理も行き届いている。
私は利用券を購入し、ロッカールームで着替えた。
ロッカールームの隣は貸会議室だが、、、おや、見慣れないホワイトボードが置いてある。


取手ウェルネスプラザの会議室の投資セミナー


ほほう、「中高年のための株トレードセミナー」と書いてある。
なかなか、おもしろそうじゃないか。
デイトレードの投資セミナーのようだが、、、ついに、この田舎町にも投資ブームが来たのか。
するとどうだろう、、、来年も引き続き、順調に株価が上昇するのだろうか??
ここまで投資ブームが過熱すると、次の買い手はなかなかいないと考えるのがいいようにも思えるのだが。

2019/12/17

虎ノ門の日本酒情報館

今日はワイン教室があり、表参道(青山)まで行ってきたのだが、いつものように途中で地下鉄を降りて、美術館巡りをした。

森鴎外記念館→三井記念美術館→日本の酒情報館→キャプランワインアカデミー


森鴎外記念館「永井荷風と森鴎外」展示会


森鴎外記念館は、千駄木駅前の交差点から団子坂を登ってすぐだが、今日は「永井荷風と森鴎外」という企画展をしていた。
私は、永井荷風と幸田露伴の違いをよく分かっておらず、永井荷風は三人冗語の写真の文士と思っていたが、そうではなかった。
当時、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨は、文学界の毒舌トリオ「三人冗語」と呼ばれていた。
私は昔、斎藤緑雨のエッセイ(?)を読んだことがあり、かなりの毒舌であることと、やはりというか何というか、本の装丁が見事な緑色だったことを覚えている。
では、永井荷風と森鴎外はどのような関係があったのか。

「1910年(明治43年)、慶應義塾大学の文学科顧問に就任(教授職に永井荷風を推薦)し、慶應義塾大学幹事の石田新太郎の主導により、上田敏を顧問に、永井荷風を主幹にして、「三田文學」を創刊した。またその年には、5月に大逆事件の検挙が始まり~」

Wikipediaには、永井荷風は慶應義塾大学文学部の教授のポストを、森鴎外から斡旋してもらったと書いてある。
荷風が死んだ時、その寝床には、読みかけの「渋江抽斎」が置いてあった。
荷風は鴎外を尊敬し、小説家の手本を鴎外の本としていた。
「渋江抽斎」は荷風の愛読書だったと思われるが、鴎外のなかでも特に難解な本であるから、寝床で読めばさぞや寝つきがよかっただろう。
これは荷風の眠り薬かしら、と私は思った。


三井記念美術館「国宝雪松図」展示会


その後、三越前の三井記念美術館に行き、国宝雪松図の見事な屏風を見て、三越前から銀座線に乗り、虎ノ門まで行った。
内幸町の大通り(外堀通り)沿いに、日本酒の試飲ができるという日本酒情報館がある。
私は今回初めて行くのだが、地図を見なくても真っ赤な看板があるので、すぐに見つかった。


日本の酒情報館


日本酒情報館は飲み屋ではないため、夕方までしか営業していない。
本棚には日本酒に関する資料や書籍が並んでおり、確かに日本酒情報館であったが、それよりもおもしろいのが日本酒のカウンターバーである。
今日はこれからワイン教室なのだが、その前に日本酒を試飲することに決めた。
3カップで300円の試飲セットと、5カップで500円の試飲セットがあり、私は500円の方を頼んだ。


日本酒情報館


日本酒バーテンダーの女性が、カウンターで小さなカップに1つずつ注いでくれた。
私はそれを持ってテーブル席へ。
周囲には外国人観光客と、商談中の会社員がいたが、日本酒とは無関係の商談のようだ。


日本酒情報館の日本酒バーの様子


日本酒情報館


私はカップの日本酒を飲み始め、まもなく日本酒の情報収集はどうでもよくなった。
お酒に弱い私は顔が真っ赤になってしまうのだ。
情報館を出てすぐに交差点のコンビニに入り、冷たいペットボトルのお茶を買って飲んだ。
涼しい外でしばらく時間をつぶしてから銀座線に乗り込んだが、赤い顔で平日昼間の銀座線に乗ることになり、少し肩身の狭い気分を味わった。
外苑前からワイン教室まで10分ほど歩き、ようやく酔いがさめたが、今日のテーマは王道のイタリアワイン「バローロ」と「バルバレスコ」である。
ご存知のとおり、どちらもフルボディーの強烈な赤ワインである。


キャプラン


この2つをテイスティングするうち、私はまた酔いが回ってきた。
この時点で飲みすぎだと思ったが、ワイン教室の後、近くのレストランでアフターの飲み会をすることになった。
そこでまたグラスワインを何杯か飲み、帰り道はかなり酔った状態で銀座線に乗り込んだ。
その後、何とか無事に帰宅することはできたのだが、ここまで飲んだのも久しぶり。
まあ、年末は忘年会や宴会が多いと思うが、みなさんもほどほどに!!

2019/12/16

元祖ビストロ?

今日は午後に、新御茶ノ水の井上眼科クリニックで定期健診と診察があった。
私は受付時間よりだいぶ早く到着し、手続を済ませた。
井上眼科の診察は半日がかりである。
複数の広いラウンジ(待合室)があり、どこも患者で満員になるほどの混雑である。
だが、職員の手際が良く、私たち患者は「らくちん」に過ごせるので、混雑はそれほど気にならない。
診察を終えて夕方5時近くになると、さっきまでラウンジを埋めていた患者たちはどこかへ消えている。
これはいつ見ても実に不思議な光景で、彼らは診察のプロであると同時に、患者を「さばく」プロだと私は感心するのである。

私の主治医は女医のO院長である。
そもそも井上眼科は女医の方が多いが、男性医師よりも話しやすく、物腰も柔らかいので、接遇戦略のひとつなのかもしれない。
しかし、最近の医学部の不正入試問題をめぐる調査では、女性の受験生の方が医学部の入学試験で優秀な成績であったというのだから、実力的にも正しい経営戦略であろう。
さて、O院長はごく普通の医師のように見える。
が、私の眼を簡単に診察するだけで私の最近の体調などが分かるのである。
目は口ほどにものを言う、迷信的な格言だと思っていたが、本当にそうなのだとここで知った。

今日は受付をしたのが早かったので、待ち時間に眼科内の眼科資料室を見た。
戦前の井上医院の分厚いカルテ、戦前の日本で最先端とされた眼科機器などが展示されているのだが、ラウンジの一角だけなので数分で見終わった。
その後、いったん眼科を出て、最上階の銀座アスターに行った。


銀座アスター、アスター麺


久しぶりに銀座アスターでアスター麺を食べた。
食後は眼科に戻るとすぐ定期健診で、その後それほど待たず診察となった。
診察では特に異常はなく、会計を済ませた私は、処方箋を持って新御茶ノ水ビルの地下の調剤薬局に行った。


新御茶ノ水駅地下のクリスマスのサンタクロースの願い事コーナー


薬の用意ができるまで、調剤薬局のそばのサンタクロースの願い事コーナーを眺めた。
自分も願い事を書いて張り付けた。
去年もこの時期にここで同じことをしたのだ。
その時の願い事は空振りとなったが、今年の願い事はどうだろう。

その後、夕食をとるため新御茶ノ水から銀座へ。
といっても、銀座の場末のリーズナブルな居酒屋である。


七賢元酒屋


銀座駅を出て並木通りを新橋方面に歩き、雑然とした8丁目の路地の居酒屋「七賢元酒屋」に入った。
実は、今晩ここで友人と2人で飲む予定だったが、急用で来られないので、私だけ食べるつもりだった。
店が開いたばかりで客はおらず、顔見知りの店主Kさんと世間話をしながら食べた。


七賢元酒屋


七賢元酒屋4


私が頼むものはだいたい決まってて、もろきゅう、タコのから揚げ、海鮮のごはんなどである。
しゃれた料理ではないのだが、どれもおいしい。
自宅で飲むため、七賢の日本酒を1本買って帰った。

取手駅に着いたのは8時頃。
私は何となく、駅前にある行きつけのフレンチレストラン「キュイジーヌアイ」に顔を出した。
実は、ここのオーナーシェフのIさんは、先ほどの居酒屋のKさんと旧知の仲なのである。
詳細は書かないが、2人はバブルの頃の銀座で「ビストロ」を共同経営していた間柄である。
今でこそ「ビストロ」という言葉を日本人は当たり前に使っているが、当時はそんな気の利いた言葉はなかったという。
2人とも、グルメ雑誌の取材やら何やらで忙しい日々を送っていたというが、しばらくしてIさんはKさんのビストロを離れた。
帝国ホテルの料理人となるためである。
その後、帝国ホテルを退職したIさんは取手駅の近くで自分の店を持ち、夫婦で営んでかれこれ20年近くになる。
私は、さっきKさんの店で食事を済ませてきたと伝え、いつものようにカウンターの席に座り、軽い食事とワインを注文した。


キュイジーヌアイ3


キュイジーヌアイ1


12月なのに、ボジョレーヌーボーを注文してしまった。
Kさんの話題をふると、Iさんは銀座の昔話を懐かしそうに語る。
しかし、いま初めて知ったが、IさんはKさんの新しい店には一度も行ったことがないというのだ。
移転前の店には行ったことがあるんだけど、と言っていたが、どういうことだろう。

「あのう、これ、七賢の酒なんだけど、、、」
「おっ、いま飲むの??」
「いや、実は、Kさんから預かってきて、、、Iさんに渡してくれと言われたんだけど。」
「えっ、本当におれに??」
「確かに渡しましたからね!!」
「いただきます。七賢なんて久しぶりだ。」

私はさっき自分のために買ったばかりの七賢の酒をIさんにあげてしまったのだった。
まもなく閉店時間になり、会計を済ませ店を出た。
恐らく、一緒に店をやっていた2人の間には、私には語られないトラブルや紆余曲折もあったのかもしれない。
どうもIさんはKさんに話したり会ったりしにくい理由があるのではないか。
私は話していて何となくそう思った。
どうしてかと言われると、まあ、別に根拠などないのだが、今日の眼科のO先生ではないが、目は口ほどにものを言うということである。

2019/12/12

紀尾井坂、紀尾井ホール、オーボエ奏者吉井瑞穂

今日は年末の締めくくりで、ママ殿と一緒に紀尾井ホールのコンサートに行ってきた。
オーボエの吉井瑞穂目当てにチケットを早めに確保しておいたが、ほぼ理想的なポジションが取れた。


インターコンチネンタル東京


お昼は、2人で六本木のインターコンチネンタルホテルに行き、ステーキを食べた。
この肉は、オーストラリア牛のサーロインである。
ママ殿は70才を超えたおばあちゃんであるが、これだけのボリュームの牛肉を食べてもけろっとしており、レストランを出ても元気に歩いていた。
コンサートは夜7時からなので、私たちは、出光美術館のやきもの展を見に行くことにした。

私たちは日比谷線に乗り、最寄りの日比谷駅で下車した。
日比谷駅のことはよく知っているはずだが、どういうわけか、今日は出口を間違えた。
反対側に出てしまったのだ。
都内の地下鉄の駅はどこもそうなのだが、うっかり反対側に出ると戻るのにもひと苦労なのである。
結局、私たちは出光美術館までぐるっと回り道をして行った。
途中、ママ殿は私に愚痴を言った。

「あなたと一緒に外出するといつも歩かされるのです。」
「へえ、そうなの??」
「そうですよ。だから、ママは今日、歩きやすいブーツをはいてきました。」
「なるほど。食後の良い運動になるのでは??」

私はそっけない返事をした。
出光美術館は、「やきもの入門」という企画展をしていた。
ママ殿はふだん美術館など行かないので、せっかちに歩き、ウィンドウの展示品を次々と眺めていった。
ママ殿は老眼だから、キャプションを読まないのだろう。
私は最初そう思っていたのだが、意外なことに、ママ殿は素人とは思えないほど、やきものに詳しかった。
親なので、私が知ったかぶりだとよく知っており、展示の途中で何度か立ち止まり、九谷焼とはどういうものなのかなど、私に教えてくれた。
そして、実家の床の間に飾ってあったやきもののことを思い出したり、旅行先で買ったやきもののことを思い出したりした。
昔の人にしてみれば、これくらいのことは常識なのだろう。

「やっぱり、美術館のやきものは、うちにあった適当なやきものとは違うわね。」
「まあね、、、」
「一見同じように見えるけど、美術館のやきものは実によくできているわ。」
「そりゃ、そうですよ、、、」

その後、ラウンジで皇居を眺めながらカップのお茶を飲み、ソファーで休憩した。
そのうち私たちは、2人並んでウトウトしてしまったようだ。
館員の男性がそばに来て、ブラインドをおろしたので、その音で私は目が覚めた。
窓から夕陽が差し込んでいたので、私たちのことを気遣ってくれたのかもしれない。

私たちは美術館を出ると、また地下鉄に乗り、赤坂見附駅に戻った。
そして散歩がてら、私たちは紀尾井ホールまで歩くことにした。
実は、紀尾井ホールは坂(紀尾井坂)の上にあるため、いつもはタクシーで行くところなのだが、今日はまだ2時間も前だし、せっかくなので歩いてみよう、ということになった。
まあ、お昼にサーロインステーキを食べたから、2人ともエネルギーがあり余っていたのである。


赤坂見附駅前


だが、それは大失敗だった。
もし私が紀尾井ホールまで歩いた経験があれば、70才過ぎのママ殿にそんな提案などしなかった。
まあ、ニューオータニと紀尾井プリンスのあいだの道を抜けるまではよかったが、そこから先は心臓破りの紀尾井坂があり、きつい登山道のような坂の途中でついにママ殿は私に文句を言った。

「向かい風が寒い。今日は、ハイキングに来たわけじゃないのよ。」
「分かっていますって。もう少しで着くから歩いてしまいましょう。ここまで来て、今さら戻るわけにもいかないでしょう。」
「パパと一緒にどこか旅行に行った時もそうだった。外出するといつも私は男に歩かされるのよ。」
「もう少し頑張って!!」

かなりご機嫌を損ねてしまったようだ。
その後、私たちは何とか紀尾井ホールに辿り着いたのだが、時間が早すぎて正面玄関がまだ開いていない。
はるばる登山道をのぼって山頂の山小屋が開いていないようなもので、これには本当にマイッた。
向かいのニューオータニに誘導するためなのだろうか、紀尾井ホールはカフェも何もなく、時間前まで本当に開けてくれないのだ。

私たちは仕方なく、ニューオータニで時間調整をした。
上のレストランは高いのでもったいない。
エスカレーターを下り、リーズナブルな「トムキャット」という洋食屋に入った。
ここは安くておいしいローストビーフ丼が売りなのだが、さすがにもう、お肉は食べたくない。


紀尾井町ニューオータニトムキャット


私たちはケーキセットで時間をつぶした。
隣の老夫婦がステーキセットを食べており、その様子をちらっと眺めたが、どうも、昼間に食べたインターコンチネンタルのステーキよりもおいしそうに見える。
まあ、他人が食べているものって、何でもおいしそうに見えるものなのだが。


紀尾井ホール「カルテットエクセルシオ+吉井瑞穂+影山梨乃」


その後、紀尾井ホールへ。
チケットには、「カルテットエクセルシオ+吉井瑞穂+影山梨乃」と書いてあるのだが、私はオーボエ奏者の吉井瑞穂しか知らない。
今夏、大手町のSMBCトワイライトコンサートで彼女の演奏を聞いたことがある。
その時はピアニストの近藤嘉宏さんが主役で目立っており、彼女の印象はやや薄かったのだが、控えめでセンスのいい演奏をしていて記憶に残っていた。
今回のコンサートは、カルテットエクセルシオが主役で、吉井瑞穂、影山梨乃はフォロー役という配置である。
演奏はベートーヴェン、モーツアルト、ドビュッシーと続き、最後に、グヴィエシュという現代音楽家の新作(初演)が披露された。
グヴィエシュの音楽はよく分からなかったが、吉井瑞穂のオーボエは非常にいい。


紀尾井ホール「カルテットエクセルシオ+吉井瑞穂+影山梨乃」


紀尾井ホール


さて、コンサートの帰り道はただの下り坂、タクシー代がもったいないとママ殿は言ったが、念のため駅までタクシーで戻った。
ママ殿が暗い夜道で転倒して、骨でも折ったら大変である。
ああ、タクシーならあっという間だね、運賃メーターもほとんど回らないではないか。
この運賃の節約のためにあんな苦労をしたのか、と私は思った。

その後、赤坂見附駅から千代田線の国会議事堂前駅へ。
東京の地下鉄の乗り換えは、思いのほか長い距離を歩かされるのだ。
地下通路を歩きながら、私たちは今日歩いた距離を話し合った。
10キロ歩いた、とママ殿は主張したが、10キロも歩いてるわけがない。
私は、まちがいなく10キロ以下です、と答え、結論が出ないまま家に着いたのだった。

2019/12/11

トランプ劇場の最もドラマチックな最後

今日は東京ステーションホテルで、ウォールストリートジャーナル(WSJ)の年末の懇親会がある。

出光美術館→国立近代美術館→東京ステーションホテル

出光美術館では、「やきもの入門」という企画展をやっており、縄文~弥生時代のハニワのところから説明されていた。
やきものの世界では、茶飲み用のすり鉢状のお茶碗を「天目」(てんもく)と言うが、天目のコーナーはかなりの粒ぞろいであった。
私は11月の静嘉堂文庫美術館で、曜変天目(ようへんてんもく)を見たばかりであるが、素人目線だとそれに匹敵するものもいくつかあった。
さすがは出光美術館である。

次に、竹橋の国立近代美術館に向かった。
珍しいことに、館外の入口のチケット売り場に長蛇の列ができており、着物姿の女性が何人もいる。

鏑木清方の特別展の客のようだ。
しかし、私は常設展を見たいだけである。
行列嫌いの私は近くの椅子に座り行列がさばけるのを待ったが、ちっとも短くならない。
仕方なく並んで、、、チケット売り場の窓口の係員にチケットをくださいと言うまで15分ほどかかったが、今日の私は「ぐるっとパス」を持っていたのだ。
係員から、ぐるっとパスの人はチケット不要で、いきなり館内に入ってよいのです、と言われてしまった。

なあんだ、そうだったっけかな。

そう、私はいつでも忘れっぽい人である。
でも、よかった。
私はエレベーター前の女性にパスをもぎってもらい、2階へ上がった。
ちなみに、鏑木清方展は常設展ではないため、ぐるっとパスだけで無料で見ることはできない。
しかし、常設展の最初の方に鏑木清方のコーナーがあり、屏風絵など数点が展示されていた。


東京国立近代美術館の鏑木清方


おお、わたしって、ラッキーですね。

そう、私はわりとラッキーな人である。
国立近代美術館は作品の質量ともに言うことなしなので、ゆっくり見ているとあっという間に暗くなった。
私は美術館を出てホテルに向かった。
が、竹橋から皇居沿いをぶらぶら歩き、自然な足取りでパレスホテルに入ってしまった。
いつものウォールストリートジャーナルの懇親会はパレスホテルで行われるため、私は勘違いをしたというか、単に何も考えていなかった。
20~30分ほどたってからそのことに気付き、私はあわてて東京ステーションホテルに向かった。


東京ステーションホテル1


WSJparty2


東京ステーションホテル


ウォールストリートジャーナルの懇親会。
何人かと雑談したが、新聞社の男性、IT会社の女性などと話をすることができた。
トークイベントでは、東洋大学の横江教授が来年のアメリカの大統領選の行方を分析した。
トランプ大統領は熱烈な支持者がいる反面、不人気でもあるが、これまで彼の支持率が37%を割ったことはない。
大統領選は人気投票ではなく、有権者の3割の確実な支持(投票行動)があれば当選可能である。
いかに不人気でも、3割の熱烈で確実な支持で彼はまた当選してしまうのである。

なるほど、不祥事が露見した国会議員が当選してしまうのも、これと同じような仕組みと理解した。
と同時に、自分は1票の有権者にすぎないから選挙に行っても意味がない、何も変えられない、そういうふうに諦めるのは間違っている、とも思った。


WSJparty3


横江教授の話で最も気になったのは、トランプ大統領のスキャンダルのリスクのことである。
横江教授の話をベースに、私なりの見方も加えるとこうだ。

トランプ大統領は常に自分のためにメディアを使う。
そもそも彼はテレビの娯楽番組で名を売ったわけで、メディア戦略などお手のものだ。
したがって、マスコミにさんざん叩かれている「強引で差別的でアタマのおかしなトランプ大統領」というのは、実は彼なりの計算ずくで成り立っている役者の演技であり、それはトランプ大統領の「仮の姿」である。
私たちは、トランプ大統領の「仮の姿」を見て喜怒哀楽したり、一喜一憂しているだけである。
私たちは、トランプ大統領が決して見せようとしない「真の姿」を想像する必要がある。

さて、この点(真の姿)について横江教授がおっしゃっていたのは、トランプ大統領は典型的なオーナー企業のワンマン社長である、ということだ。
当然ながら、トランプ大統領の周囲には不満分子も少なからず潜んでいるはずで、彼はそういう仲間の裏切り行為に遭って失脚するリスクがある。
もちろん、順調ならトランプ大統領は再選されるだろうとおっしゃっていたが、横江教授のこの但書のようなコメントが、案外、当たりそうな気もする。
というのも、かれこれ4年も続くトランプ劇場は、あまりにもドラマチックの連続であるから、ふつうの大統領と同じような、ありきたりの展開はふさわしくないからだ。

そういう意味では、トランプ劇場の最もドラマチックな出来事は、仲間の裏切り行為による失脚もさることながら、ハリウッドの名画のように主人公が突然死ぬことだって考えられる。
まあ、トランプ大統領には悪いのだけれども、その方が彼らしい花々しい最期のような気もする。
例えばオバマ大統領やクリントン大統領のように、任期満了後に笑顔でCNNのインタビューに答える、そんな光景をトランプ大統領で想像することは私にはできないのだ。
いずれにせよ、いまのテンションでは、トランプ大統領は4年間の任期満了で燃え尽きてしまうのではないだろうか。

2019/12/02

アンリシャルパンティエ銀座のクレープシュゼット

銀座松屋前


きのうは、銀座有楽町をぶらっと回って帰って来た。
ランチタイムと、3時のおやつの2回、銀座のカフェに立ち寄った。
ランチタイムは松屋のデパ地下の銀座キャピタル、おやつはアンリシャルパンティエに入った。
デパートでよく見かけるケーキ屋「アンリシャルパンティエ」は、兵庫(芦屋市)の有名洋菓子店で、銀座にも店舗がある。
店の建物の前を通りかかると分かるのだが、高級レストランのようで、見るからに敷居が高く、入店客を寄せ付けない雰囲気がある。
しかし、ここではクレープシュゼットが食べられるので、クレープシュゼットを食べたくなったら私はここしか思い当たらない。
ここで、クレープシュゼットとは何だろう、という人もいると思うが、食後は、アンリシャルパンティエとはクレープシュゼットの人、と覚えて店を出ることになるので、実際に食べてみればよいだろう(必ずその「解説」をされる)。
ただし、値段が高いので、カップルでいくとデートの予算がオーバーするので要注意。
私もそうなのだが、日中に1人で行き、静かに本を読んで過ごした。


アンリシャルパンティエ銀座


アンリシャルパンティエ銀座


アンリシャルパンティエ銀座




さて今日は、ワイン教室の知り合いで、会社経営者のJさんと会う約束があって、千葉県柏市にいってきた。
私は、柏高島屋はよく知っているのだが、それ以外の場所はよく知らない。
駅をおりてgoogleマップを確認すると、会社の場所はすぐに分かった。

ああ、ここか。

実は私は大学生のころ、法律の資格試験(司法書士試験)を受験するため、1年半ほど柏の法律受験予備校に通ったので、このあたりだけは見覚えがあるのだった。
ところで、受験生を刺激するためかどうか分からないが、どこの予備校にも必ずかわいい女性職員が配置されていると思う。

そうそう、当時の柏校にも、かわいい女性職員がいたのだ。
確かに、彼女はどこにでもいそうなただの女性だったが、予備校の受験生は試験に受かっていない、もっともっとただの人ということで、親しく話しかけるのは心理的に難しいのだった。
こうして私はずっと好きな女性職員に話しかけることすらできずにいたのだが、ラッキーなことに一発合格できたため、合格後すぐにアルバイトのお呼びがかかった。
営業戦略上、予備校は難関試験の一発合格者を欲しがるのである(当時の司法書士試験の合格率は約2.5%前後)。

電話で彼女からその話があったとき、私は喜んでいないふりをした。
そして、大学が忙しいので少しだけなら行ってもいい、などと冷淡な受け答えをしたような気がする。
しかし、単位はほぼ取り終えていたので、私はゼミ以外の講義に出る必要がなかった。
そういうわけで、私は大学卒業まで素敵な彼女のいるこの予備校で、しばらく楽しいアルバイト生活を送ることができた。
私にとって、柏とはそんな町である。

Jさんの会社は駅付近の雑居ビルのオフィスにあり、私をご夫婦で出迎えてくれた。
2人とも優しい人柄で、雑談から個人的な話まで、話が弾んだ。
帰りはママ殿から買い物を頼まれていたので柏高島屋に立ち寄った。
晩ごはんのお惣菜を買った後、ラウンジスペースで少し休んだ。
その時、私はふと、きのうのことを思い出した。
きのうは東京国際フォーラムの相田みつを美術館にも行ったのだが、「あたらしい門出」という企画展をしていたのだ。


相田みつを美術館2


あたらしい門出をする者には、新しい道がひらける。

私はこの言葉を眺め、来年のことを思った。
ワインの試験が無事終われば新しい道がひらけるのだろうか。
まあ、先のことは分からないが。
また、相田みつをはこんなことも言っていた。


相田みつを美術館


アナタの主人公はアナタなんだよなあ。

あなたの人生の主人公はあなた自身なのである。
確かに、主人公がじっとしていては、どんな人生のドラマも始まりようがない。
だいたい、主人公が舞台のすみにいてはドラマにもならない。
自分が主人公となるためには、舞台の中央に進む勇気が必要であり、そのためには何でもトライしてみなくてはなるまい。
私は心に決めた。
明日からといわず、今日から新しいことをしてみよう。

2019/11/26

CHANEL「マドモアゼルプリヴェ展」

2週間ほど前、CHANELからイベントの案内が来た。
「マドモアゼルプリヴェ展」という無料の展示会が天王洲アイルで開催されるという。
私は、ただでCHANELのコレクションを見られるのならと思い、スマホで簡単な申込みを済ませておいた。


天王洲アイル


今日がその日であるが、先週末から続くあいにくの雨である。
しかし、天王洲アイル駅を出た頃にはひとしきり雨もあがって、私は道に迷いつつも運河沿いの倉庫に到着した。
倉庫とはいえ、ここは天王洲アイルであり、CHANELのイベントであるから、しゃれた倉庫に改装されている。
私は、黒服の男性に、予約した時間帯ごとの来場者の列に並ぶよう促された。


シャネルの展示会「マドモアゼルプリヴェ展」


この展示会の参加者は、スマホで好きな時間帯を選んで申込みをし、チケットの代わりにQRコードをもらい、会場ではバーコード読み取りで入場する。
したがって、CHANELは事前に人数制限をすることが可能であり、そのため、来場者はコレクションをゆっくりと見ることができる。
CHANELのこのやり方はなかなか先進的で、いずれはこのようなやり方がミュージアムのスタンダードになるだろうと思った。


ココシャネルの本、カールラガーフェルドの本


私の書斎の本棚にはココシャネルの本が何冊かあるが、ココシャネルのファッションといえば、ブラック&ホワイトをイメージする。
だが、いまはモノクロの時代ではなく、カラーの時代であるから、CHANELのベースカラーは時代遅れだと思う。
ただ、カールラガーフェルドはドイツ人らしく保守的なデザイナーで、時代の変化に柔軟に対応しつつも、あくまで「古き良きココシャネル」を守ろうとしたのだ。
ただ、そのカールラガーフェルドが、今春、高齢で死んでしまった。
したがって、CHANELは今後、ブランドコンセプトを大胆に「変化」させることも考えているはずだし、それと同時に、これまでのCHANELの「総括」をする必要があるのかもしれない。


シャネルの展示会「マドモアゼルプリヴェ展」


シャネルの展示会「マドモアゼルプリヴェ展」


展示されているドレスのほとんどはブラック&ホワイトである。
しかし、後半の展示には、赤やピンクのドレス、そのほかの色のドレスもあった。
ただ、それらはどうしても、CHANELにしてはイマイチで、何か違うな、と私は感じた。
というのも、その後、新橋にある汐留パナソニック美術館へ行き、「ラウルドゥフィー展」を見たからである。


汐留パナソニック美術館のラウルドゥフィーの展示会


ラウルドゥフィーもまた、パリの高名なデザイナーであった。
ただ、ラウルドゥフィーの本業は画家であり、ファッションデザイナーとして「も」活躍したということである。
企画展の最後の方に、彼のデザインしたドレスが展示されていた。
当時のハリウッド映画の舞台衣装として作られたという説明書きがあったが、こちらの方がココシャネルのドレスよりもセンスがあると思った。


汐留パナソニック美術館のラウルドゥフィーの展示会


こちらのドレスの方は、シャネルのものよりも、自然で、シンプルで、いやみがなく、エレガントである。
そういえば思い出したが、真夏の丸の内の三菱一号美術館で、スペインのマリアーノフォルチュニの企画展があった。
彼もまた画家兼ファッションデザイナーだったのであるが、そこで彼のデザインしたドレスを見た。
彼のデザインしたブラックのドレスなども、シャネルのものよりも、自然で、シンプルで、いやみがなく、エレガントであった。

さて、「マドモアゼルプリヴェ展」の帰りに、来場者全員に記念のプレゼントを配っており、私はそれをもらったのだが、帰宅して早速使ってみた。

さすがCHANELは高品質。
タダなのに丈夫で長持ちしそうだな、、、(これはもちろん誉め言葉!!)

しかし他方で、ラガーフェルドの死後、CHANELの商品はだんだん売れなくなるのではないか。
何となく私はそんな気がしてしまうのであるが。