これから書く話は2020年2月28日の寒い夜の出来事である。
この日、私は中国人芸術家LiuJin氏(禿鷹噴上先生)と会う約束があった。
彼とは2019年、アートのイベントで知り合い、1度会って食事をしたことがあるだけだったが、ふとメールが届き、何度かやりとりをするうちに、彼のアトリエを見に行くことになった。
私は彼のことも、彼の作品のことも、よく知らないのだが。
私たちは待ち合わせ場所から車で、とんかつ屋へ行った。
この店は国道沿いの人気のレストランである。
しかし、新型コロナウイルスの影響で数組の客しかおらず、週末の夜なのに店内は静かだった。
このような雰囲気だと、何となく、明るい会話もしにくい。
定食を食べた後、私たちは車で夜道を走って郊外へ。
夜8時を回り、街道はほぼ真っ暗。
路地に入り、闇に吸い込まれるような坂下の狭いカーブを曲がると、雑木林の手前に彼のアトリエの濃い影が見えた。
私たちは駐車場に車をとめて庭に入った。
「Liuさん、明かりがなくて何も見えないのですが。」
「庭石があるから足元に気を付けてください。」
「向こうの建物に行けばいい?」
「そうです。私は台所でお茶を入れてから行きますから。」
「カギは?」
「開いてます。寒いので中に入っていてください。」
「分かりました。」(恐いなあ、ひとりにしないでほしい、、、)
木造平屋の安普請の借家をアトリエにしているという。
私は先に中に入り、明かりをつけて彼を待った。
アトリエは家具がほとんどなくて広かった。
描きかけのキャンバス画が何点か置かれている。
それ以外は椅子とテーブル、ストーブ、画材等があるだけ。
私は彼の絵画作品を眺めて待った。
頭蓋骨があったり、人魂があったり、まるでホラー映画のワンシーンのような画風なので、私は不安な気持ちになってきた。
彼が鉄製のきゅうすと湯呑みを持って現れた。
お盆をテーブルに置き、彼は日本人のようなおもてなしの精神でお茶を入れてくれた。
「これは中国の生姜茶なんですよ。」
「へえ~、生姜茶とは珍しい。体が温まります。いただきます。」(ぬるい、、、)
「あれ~、ぬるいですね。確かに沸かしたのになあ。」
「いやいや、お気になさらず。」(やかんで沸かしても、きゅうすが冷えきっているから、、、)
去年、初めて会ったとき、彼から挨拶代わりのジャスミンティーのおみやげをもらったのを思い出した。
それは非常においしかったのだが、、、
まあ、お茶にもいろいろあるということで。
私たちはアトリエで30分ばかり話した。
彼は来日して名古屋の芸大を卒業し、その後、東京芸大の博士課程を卒業したという。
かなりのインテリだが、仏教徒であり、「禿鷹噴上」の僧名を持っている。
英語、中国語は流暢だが、日本語はやや苦手である。
中国、日本、欧米、どの文化もよく知っている。
私は、彼がこんな保守的な日本で芸術活動を続けるのはなぜだろうと思った。
彼は東京芸大の現代アートに対して、自分は一貫して批判的立場である、と言っていた。
また、ニューヨークに行けば仲間がいるようだ。
それなら東京芸大の近所などに住まず、欧米を活動の拠点とする方が賢明ではないか。
ただ、話を聞くと、彼は欧米人とも中国人とも気質が違い、相互扶助の精神で慎ましく生きる日本人と、うまが合うようだ。
この島国は、彼にとって居心地のいい場所なのかもしれない。
彼の芸術テーマは「愛と死」である。
そして、彼の話のなかに出てきた「メメントモリ(memento mori)」というのが興味深く、印象に残った。
メメントモリとは「死を忘れることなかれ」という意味で、芸術モチーフのひとつである。
いつ死んでも後悔のないよう今を大切に生きる。
常に死を意識していたいから死に関する作品を描き、そばに置いておくのです、と彼は私に言っていた。
しかし、「この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では「メメント・モリ」は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。」(
Wikipediaより )
メメントモリに関する芸術作品としては、①墓石(Grave)、②死の舞踏(英語Dance of death、独語Totentanz、仏語La Danse Macabre)、③静物画(Vanitas)、④写真、⑤時計、などがある。
典型例は「墓石(Grave)」と「死の舞踏」である。
クラシック音楽では、フランツリスト、サンサーンスの「死の舞踏」という曲がある。
「死の舞踏は、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという14世紀のフランス詩が(14世紀のスペイン系ユダヤ人の説もある)起源とされており、一連の絵画、壁画、版画の共通のテーマとして死の普遍性があげられる。生前は王族、貴族、などの異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差なく、無に統合されてしまう、という死生観である。死の舞踏の絵画では、主に擬人化された「死」が、様々な職業に属する踊る人影の行列を、墓場まで導く風景が描かれている。行列は、教皇、皇帝、君主、子供、作業員で構成され、すべて骸骨の姿で描かれるのが代表的な例である。生前の姿はかろうじて服装、杖等の持ち物、髪型などで判断できるが、これらの要素が含まれず、完全に個人性を取り払われた単なる骸骨の姿をとることもある。また、一部肉が残っている骸骨とともに、その腐敗を促すウジ虫が描かれることもある。一連の「死の舞踏」絵画の背景には、ペスト(黒死病)のもたらした衝撃をあげる説が多い。1347年から1350年にかけてミラノやポーランドといった少数の地域を除くヨーロッパ全土で流行し、当時の3割の人口(地域によっては5割とも言われる)が罹患して命を落とした。ワクチン等の有効な治療策もなく、高熱と下痢を発症し、最期には皮膚が黒く変色し多くの人が命を落としていく様は、いかに人の命がもろく、現世での身分、軍役での勲章などが死の前に無力なものであるかを、当時の人々にまざまざと見せつけることとなった。当時は百年戦争の最中でもあり、戦役・ペストによる死者が後を絶たないため、葬儀や埋葬も追いつかず、いかなる祈祷も人々の心を慰めることはできなかった。やり場のない悲しみや怒りはペスト=ユダヤ人陰謀説に転化され、ユダヤ人虐殺が行われた。教会では生き残って集まった人々に対して「メメント・モリ(死を想え)」の説教が行われ、早かれ遅かれいずれ訪れる死に備えるように説かれた。しかし、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈祷の最中、墓地での埋葬中、または広場などで自然発生的に半狂乱になって倒れるまで踊り続け、この集団ヒステリーの様相は「死の舞踏」と呼ばれるようになった。芸術家たちがこの「死の舞踏」を絵画にするまで、およそ一世紀の時が必要であったことは、当時がいかに混乱の只中にあったのかを示しているといえる。」(
Wikipediaより )
フランツリスト「死の舞踏」、マルタアルゲリッチ(Liszt. Totentanz - Martha Argerich (Live Paris 1986))
VIDEO
死の舞踏、、、新型コロナウィルスとウクライナ戦争、現在の日本や世界には、死の舞踏がふさわしいのではないか。
次に静物画だが、静物画には死を暗示するものが描かれていることが多い。
静物画をヴァニタス画と言うのはそのためで、「vanitas」とは空虚の意味である。
よくある表現手法としては頭蓋骨、骸骨、斧を持った死神、ロウソクが消される瞬間、白いナプキンに血がにじむさまなど。
また、日本人になじみ深いのは、桜の花びらが散る風景であるが、拳銃の発射音の後にバラの花びらが散るルパン三世のワンシーンも??
その他に、写真、時計なども。
この場合の写真とは死を彷彿させるもので、典型的かつ直接的なのは死骸そのものの写真である。
しかし死骸そのものの写真をギャラリーに出すのは難しいため、例えばコラージュするなどして作品化することが考えられる。
時計については、時計の針が止まればそれは死を意味するなど、単純で分かりやすいモチーフである。
「時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。」(
Wikipediaより )
時計か、、、そういえば、いま何時だろう。
夜も更けてきた。
ここは辺鄙な場所なので、私は、そろそろ帰ります、と切り出した。
すると彼は、生姜茶の残りをぐいっと飲み干し、私に、ある提案をしてきた。
「アトリエのとなりに茶室があるんですよ。」
「茶室??」
「はい。帰る前に、茶室を見ていきませんか。なかなかおもしろいですよ。」
私は気が進まなかったが、ひと目見ることにした。
アトリエを出るとその隣に、高床式の倉庫のような木造建物がある。
彼は建物の小階段を上がり、南京錠を外し、重々しい扉を開けた。
「さあ、どうぞ。茶室の中へ。」
私も彼のあとに続き、中に入った。
が、そこは確かに純和風の荘厳な茶室なのだが、何ともブキミな場所だった。
私は、か細い声で彼に言った。
「す、すみません。これ以上、中に入るのはやめておきます。」
「どうしてです??」
「どうしてって、、、」(恐いからですよ!!)
「瞑想のための茶室です。中に入っても大丈夫ですよ。」
「いやいや、気が進みません。」
「そうですか。この茶室は、アトリエの訪問者に大人気なんですけどね。」
「うそでしょぉ~??」
「本当です。雑誌の取材を受けたときは、みなさん喜んで中で瞑想していかれます。」
「まあ、そりゃ~ねえ、、、昼間ならおもしろいかもしれないけど、いまは夜だからやめておきます。」
「分かりました。残念です。」
彼はまた南京錠を締めた。
実は、茶室の真ん中に棺桶があったのだ。
壁に白装束が、かけてあった。
瞑想者は、白装束を着て棺桶の前で瞑想をするのだという。
これもまたメメントモリを意識した作品なのだと思うが、彼は日本映画のワンシーンをモチーフにしたと言っていた。
建物の外は真っ暗闇で静まり返っている。
彼がそんなことをするわけがない、、、とは思うのだが、私はドアにぶら下がっているあの南京錠が気になっていた。
つまり、カンキン!!
私は、うっかり1人で茶室に入ると彼に監禁されて今晩かぎりで人生が終わる予感がしたのだ。
まあ、そんなことあるわけがないとは思うのだが。
この話は2020年2月28日の寒い夜の出来事である。
ちょうど新型コロナウィルスの感染拡大の初期、あれからもうずいぶん時間がたった。
中国人芸術家LiuJin氏、彼はいまも元気にしているのだろうか。