2020/09/13

群読音楽劇、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

きのうは、日本芸術文化振興会のPD(プログラムディレクター)のN先生のアートマネジメント研修の関係で、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を富士見市民文化会館まで見に行った。
富士見市は地図で調べるとかなり遠いが、夜の公演であったため、早めに出て途中に美術館の予定を3つ入れた。

樋口一葉記念館⇒書道博物館(中村不折記念館)⇒東洋文庫ミュージアム⇒銀河鉄道の夜

どこも初めて行くわけではないのだが、5000円札の樋口一葉の記念館は三ノ輪駅から徒歩10分ほどの竜泉の路地にある。
竜泉は吉原の近所で、この界隈は浅草の裏手である。
古い建物が建ち並んだ下町で、路地が多く、不慣れだとすぐ迷ってしまう。
案の定、私は路地を1本間違えた。
その道沿いに記念館はなく、突き当りまで行くとピンクの建物(ラブホテル?)があった。
他にも、出会い喫茶や、風俗店などが並んでいるが、私は樋口一葉の記念館に行きたいのである。




路地を戻ってウロウロ、おお、目印の煎餅屋(一葉煎餅)があった。
一葉記念館の目印は、この煎餅屋と、お唄と三味線の教室、小さな公園(樋口一葉記念公園)である。
私はようやく、一葉記念館に辿り着いた。


樋口一葉記念館


次に、私は鶯谷の書道博物館(中村不折記念館)に行った。
ここは鶯谷の駅から徒歩5~6分の根岸地区の路地にあるのだが、根岸はラブホテル街なのである。
書道博物館に行くためには、ラブホテル街を通らないといけないので(あるいはそれが近道なので)、私はピンクやパープルの建物の並ぶカラフルな感じのところを足早に歩いた。


書道博物館、中村不折記念館


常設展は以前見たことがあるので、今日は中村不折の展示室の方をゆっくりと見た。
それにしても、中村不折の展示室なんてここにあったっけ、と思った。
ラブホテル街の印象が強すぎるため、そういう細かいことはよく思い出せなかった。

その後、山手線で鶯谷駅から駒込駅へ。
駒込駅から大通りを歩き、10分ほどで東洋文庫ミュージアムに着いた。
今日の展示は「大宇宙展」であった。


東洋文庫ミュージアムの大宇宙展


六義園


続いて、東洋文庫ミュージアムから歩いて数分の六義園へ。
小雨の中、庭園を少し散歩したが、雨が強くなってきたので早々に切り上げた。
予定よりだいぶ早めであったが、駒込駅に戻り、地下鉄に乗った。
目的地は富士見市である。
南北線~有楽町線~東武東上線と乗り継ぎ、かれこれ1時間以上かかったが、予定よりだいぶ早く鶴瀬駅に着いた。

駅を降りた私は、ほんとうに何にもないところだなあ、と思った。
つまり、埼玉県は一部を除いては、まだまだ都会とはいえないのである。
駅前は再開発中で、バス停で市役所行きのバスを待っていると、若い女の子のグループがどんどん集まってきた。
あんなおしゃれな身なりをして、何をしに来ているのだろう??
彼女たちも「銀河鉄道」を見るために来たのかと思ったが、そうではなかった。

富士見市民文化会館(キラリふじみ)は富士見市役所に隣接しており、国道を挟んでその向かいに、ららぽーと富士見がある。
彼女たちは友達どうしでららぽーとに遊びに行くのだ。
キラリふじみにはカフェもレストランもなく、新型コロナウィルスの影響でラウンジが閉鎖されており、私も公演の時間までららぽーとで時間をつぶすことにした。
が、このららぽーとはたぶん、同じ埼玉県の越谷レイクタウンよりも混んでいる。
どこも満席で、ゆっくり休める店が見つからなかった。
なので、かなり早めだが、国道を渡りキラリふじみへ行き、会議室のこじんまりとした陶芸展を見たりして時間をつぶした。




キラリふじみ群読音楽劇銀河鉄道の夜チラシ


群読音楽劇「銀河鉄道の夜」。
群読とは舞台の上でみんなでセリフをハモったりかけあったりするようなイメージである。
群読音楽劇とは、俳優がセリフをハモったりかけあったりするのと、そこに音楽(BGM)が付いた演劇ということである。
群読はそれほどしゃれた感じのものではなく、音楽の授業の合唱のようにも聞こえた。
ただ、BGMが良かった。
マリンバとドラムを怒涛のごとく演奏していた浜まゆみさんの音楽の才能が際立っていたと思う。
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、ジョバンニとカンパネルラのミステリアスな物語として有名である。
「人間にとって本当のさいわいとは何か」が物語の最重要テーマであるが、何とも考えようのない問いかけである。
公演は9時ごろに終わり、私はららぽーとからバスで鶴瀬駅に戻った。
電車の時間が長いので、途中、友達とラインをした。
「銀河鉄道の夜」は宮沢賢治の名作で、誰でも知っていると思っていたが、女友達に今日は銀河鉄道の夜を見たとラインをしたら、「銀河鉄道999」の話題が返ってきた。
まあ、「銀河鉄道の夜」にも車掌は一応出て来るが、メーテルは出て来ない。

2020/09/12

人間は考えるアホである

以前、報道番組の街頭インタビューを受けたことがある。
私はただのそこらの一般人なのに、カメラマン、インタビュアー、記録係、アシスタントなど総勢4人に囲まれた。
このように、テレビ番組はプロフェッショナルがそれなりのコストをかけて作り上げているものだ。
だから、テレビ局が気合を入れると、ネットの動画配信よりも数段面白いものができるはずなのだ。

これに対し、ネットの動画配信は、にわかのシロウトが、コストを惜しんで作るものが多いので、作り込みが甘いというか、まあ、ホームビデオの一種だと思う。
しかし、テレビは成熟産業となり、昔のような冒険心あふれる作り手も少なくなったし、優等生の集団となってしまった。
テレビの広告市場は衰退の一途、ついに、ネットのそれよりも市場規模が小さくなったというし、かくしてテレビはマンネリ化し、停滞期、衰退期にある。

もっとも、たまには面白いテレビ番組もある。
たまたま深夜に見たが、「月曜から夜ふかし」という深夜番組は、恐らく、名物番組になるのではないか。

マツコデラックスが面白い。
ゴールデンタイムよりも深夜番組に向いている芸能人だと思う。
ポストタモリということではないのだが、タモリもゴールデンには向いていない。
まあ、そうはいっても最近は、深夜の芸能人はギャラが安くてやってられないのかもしれない。
ただ、何だかマツコはこの番組を好きでやっているように見えたので、ギャラは関係ないのかも。

女装した中年男性が、射撃を披露する動画がおもしろかった。
そんな「月曜から夜ふかし」は、かつてのテレビ黄金期にどこかで見たノリである。
目新しい点はYouTube動画を絡めていることだが、この番組で紹介するとそのマイナーなYouTuberのチャンネル登録者が5倍10倍にもなるという。
テレビの影響力はまだまだ強いということだ。

さて、この番組に登場した沖縄の飲食店経営者は、30代の男性で、どこにでもいそうなお気楽社長である。
新型コロナウィルスの影響で居酒屋は経営危機、現在1億円の借金があると言って能天気に笑っている(正確には1億1600万円!!)。
まあ、笑うしかないだろう。

番組内で、彼は終始明るく行動的だが、1億円を返済できる事業計画があるわけではなく、日々悪戦苦闘している。
賃料の高い表通りの店舗を閉鎖し、別の場所に新しい店舗をオープンする準備をしている。
店の名前は「ニューオキナワ」。
新しい沖縄を作りたい、ということのようだが、何ともビミョウなネーミングセンスだ。
店舗の出入口は彼が設計したものだが、誰が見てもこの出入口は不便すぎる。
メニューの数々も彼が提案したものだが、しゃれたものではなく、私はあまりおいしそうに見えなかった。
ほかにも適当な採用面接の様子、子供の落書き帳のようなアイディアノートも公開される。
しかし他方で、彼はコロナ禍でもオンラインショップを立ち上げ、月商300万円を売上げ、地元の食品メーカーとタイアップして新商品を考案したりもしている。

ああ、そうか、彼はダサい社長のふりをしているんだ。
どうせ、全て演技なんでしょ??
だってこれは、テレビの娯楽番組なのだから。

そうだろうか。
いや、たぶん本当にそういう人なのだと私は思う。
この番組は世間の飲食店経営者を勇気づけることがコンセプトだと思われるが、それなら、彼が本当にそういう社長であることが重要なのだ。

それにしても、今の日本に足りない人材は、こういうお方たちではないだろうか。
偏差値の高い知的なエリート、AIを熟知する理系のエンジニアなどではなく。
日本は慢性的な不景気で、こういう能天気な成功者や、失敗から立ち直った成功者を、ほとんど見かけなくなった。
不必要に高い水準の教育を受け、ムダに都会的で礼儀正しく、無意味に物静かで知的な話をする、そんな人間が大量生産された。
そういう人間が増えるとかえって社会の活力がなくなり、閉塞感が生まれることになる。
官僚、博士、パソコンと1日中にらめっこする技術者や研究員、そんな人ばかりの世の中は息が詰まるのではないだろうか。
技術ばかりが進歩し、かえって日本の景気は衰退の一途となってしまいそうだ。
日本の社会はもう少し、おおらかで、テキトーで、無計画な状況となるべきで、日本人のマインドも、今後その方向へ、大胆に変化した方がいいと思うのだが。

というわけで、月曜から夜ふかし~を見ながら、私も少し、この沖縄社長を見習って能天気に生きようと思った!!

「アホは良識ある人たちの反面教師、などという以前に、アホは社会の潤滑油ではないのか、時にはアホが世界を進歩させることだってあるのではないかと思え始めたからだ。良識ある人ばかりがそつなく時代を押し進めていく綺麗事の世界を考えると、なんとなく寒々しい気分になる」
(筒井康隆「アホの壁」)。


筒井康隆「アホの壁」


アキバカルチャーシアター新人公演


アキバカルチャーシアター新人公演


2020/09/03

日本遺産「牛久シャトー」探訪

今日は、最近日本遺産に選ばれた茨城県の観光名所「牛久シャトー」を見てきた。
私はそもそも牛久ワインとはどういうものなのかも知らないのだが、牛久シャトーというのはあるのだという。
駅のエスカレーターをあがり、改札を出ると、牛久大仏のボードがあった。
牛久大仏の方が有名ということだろう。
しかし駅構内では、祝・日本遺産と書かれたポスターや、牛久シャトーで街おこしと書かれた貼り紙も見かけた。


牛久駅改札前牛久大仏案内板


駅から歩いて15分ほど、牛久シャトーは市役所の裏手にある。
牛久市役所の駐車場を横切り、裏の公園を抜けるとその先に新興住宅地がある。
その路地を少し歩くと、古びた洋館が木々の向こうに紛れて見えるのだが、それが牛久シャトーである。
ただ、これが日本遺産だと言われても、新興住宅地の目と鼻の先にある洋館なのでピンと来ないだろう。


牛久シャトー正門前神谷記念館入口


私は敷地内に入り、手入れの不十分な洋風の庭園を歩いた。
庭園には数人しか歩いていなかった。
噴水の向こうの色褪せた赤レンガの醸造所内へ。
中は少しほこりっぽく、倉庫の匂いがするのだが、1階は巨大な木樽が並んでおり、角まで歩くと古びた階段があった。


牛久シャトー正門前神谷記念館1階




階段を下りて地下に入ると、暗くて不気味な空間が地下全体に広がっていた。
私はわずかな明かりをたよりに1人で、小さな木樽が並ぶ狭い通路を奥の方へと進んだ。
奥は行き止まりで目ぼしいものはなく、来た道を戻ることにしたが、戻る途中でゴーゴーと機械音がする方向へ歩いた。
ガラスの向こうに大きなステンレスタンクが何個か見え、それが地下に鳴り響く音の原因だと分かった。
そこはビール工場の一室のような感じもしたが、まるでバイオハザードのワンシーンのような無機質無人の特殊な部屋のような感じもした。
これまで歩いてきた暗い場所よりもさらに不気味な場所だった。
私は、地下空間の不気味さに耐えかね、階段を上がることにした。
階段をそのまま2階まで上がると、そこは牛久シャトーの創業者神谷伝兵衛の資料室であった。
大きな窓がいくつもあり、そこからさわやかな陽光が差し込んだ。


牛久シャトー正門前神谷記念館2階ハチブドウ酒


資料室の壁かけの案内板を見ると、ここの一部の建物(貯蔵庫などの3棟)がすでに2008年には重要文化財に指定されていると書いてあった。
また、2011年3月11日の東日本大震災でこの建物が被害を受けたと書いてあった。
すぐレンガを交換するなどして修繕したようだが、なるほど、建物の見栄えが悪いのもそういう事情だったのかと納得した。
が、全ての空き家の宿命がそうであるように、全ての建物は単に人の出入りがなくなったらさびれてしまう。
私は、その方が切実で重要な理由だと思えた。


牛久シャトー正門前神谷記念館2階昔の記念写真


資料館の片隅にシャトーカミヤ(牛久シャトー)の全盛期のモノクロ写真が飾ってあった。
時代は流れてシャトーカミヤはすっかり輝きを失ったようだ。
街おこしの効果を、古びた牛久シャトーに期待するのは難しいのかもしれない。

と思ったが、、、おお、集合写真の隣に全盛期の岩下志麻の写真がある!!
これは、お偉いさんたちの集合写真なんかよりも、圧倒的にイイではないか!!
日本遺産牛久シャトーの見所は、神谷伝兵衛資料館のこの岩下志麻の1枚の写真、これで決まり。
ああ、岩下志麻、見れば見るほど、美人だなあ(*'ω'*),,,


岩下志麻