2021/07/30

恋愛、今はよろしくない

覚えているだろうか。
数ヶ月前、日本政府が手持ちのワクチン(アストラゼネカ)の一部を台湾に寄附した、というニュースを。

私はきのう、用事を済ませた後、ワイン友達のBさんからの頼まれ事で東京駅に向かった。
Bさんは昨年から、日本を離れて家族と台湾で暮らしている。
時折Lineでやりとりをし、かわいいお孫さんの写真を見せてもらったりしているが、最近ようやくワクチンを接種できたという。
実は、Bさんの接種したワクチンは、日本が寄附したアストラゼネカ。
最近の台湾は、コロナの感染が急拡大しており、ワクチンの接種が必須の状況であった。
しかし、諸事情(主に対中関係)によりワクチンが手に入らず、非常に困っていたのだ。
そこに日本政府がワクチンを寄附し、日本のおかげでワクチンを接種できた台湾の人たちが、感謝を込めてこの写真(動画)のようなメッセージボードを作った。

Bさんの説明だと、メッセージボードは東京駅構内のどこかに掲示されているはずなのだが、最初、私はどこにあるのか分からなかった。
私は台湾日報のウェブサイトで探したが分からず、インフォメーションセンターに行った。
案内の女性は、ちょっと分からないですね、と言い、本部に問い合わせてくれたが、5分ほどかかり、ようやく場所が分かった。
そこを左に行くと地下への階段があるので、おりてください、改札口を出たところに掲示されています。
なあんだ、丸の内地下中央口を出てすぐの地下道の柱に、でかでかとあるじゃないか。






台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」。
私はBさんに送るため、スマホで何枚か写真撮影をした。
せっかくなので動画も撮影した。
しかし、うまく撮影できているのかよく分からない。

実はきのう、スマホ画面の保護フィルムを新しいものに貼りかえたばかりなのだった。
透明ではなく、ブルーライトカットのような色みがかかっており、しかも自分で貼りかえたので気泡があり、画面全体が薄暗かった。
たぶんうまく撮影できていると思うのだが、どうだろう。

それにしても、あれだよなあ。
感謝のメッセージがこんなにでかでかと書かれており、数日前から日本の中心地に掲示されているのに、ニュースの話題にもならないし、通行人のほとんど誰もが目もくれず通り過ぎる。
いや、まあ、ここの通行人のほとんどは働き盛りの多忙な会社員ばかりなので、仕方がないか。
それにいまは東京オリンピック真っ最中だし、マスコミもそれどころではないのだろう。






その後、私は日本橋駅から三越前駅へ。
地下からエスカレーターで1階に上がると、エントランスホールにオリンピックのゴールドメダルの巨大なものが展示されており、多くの人が集まり記念写真を撮っていた。
その脇の階段を上がり、古めかしいエレベーターを上がると、7階の三井記念美術館に行くのだが、今日の私は地下から外に出て行くところがあるのだ。
さて、とりあえず三越前駅の外に出た。
すぐそばにコレド室町と福徳神社があり、私は神社でお参りをした後、何となく100円のおみくじを引いた。
あ~、末吉とはイマイチ!!
凶でなければ、まあ、いいか。

願望 思いがけぬことが起こるが騒ぐな
仕事 騒がぬことです
恋愛 今はよろしくない


福徳神社




福徳神社の周囲はオリンピックムード一色。
バトンタッチのモニュメントを見た後、私は歩いて首都高の高架線の向こうの小伝馬町方面へ。
スマホで確認したが、この建物に間違いない。
BNAWALLアートホテルイン東京。
ここが、今日の私の最終目的地である。

入口には「BNAWALL(BNAウォール)」という案内板があった。
1階ラウンジは、昼は喫茶店、夜はバー、そしてギャラリーにもなっており、大きな壁画が飾られているのが売りである。
私は中へ入った。
昼間なのに薄暗く、右手の受付に屈強な外国人の男が座っており、いらっしゃいませと言われた。
左手の棚を見ると、名刺と画集(展示品目録)が置いてある。
名刺には倉敷安耶(くらしきあーや、Aya Kurashiki)と書いてある。
私がそれを手に取って眺めると、黒服の女性(バーテンダー??)が来て、声をかけられた。

「いらっしゃいませ。」
「こんにちは。」
「倉敷さんのお知り合いの方ですよね?」
「そうですが、、、」
「今日は、倉敷さん、在廊してませんけど。」
「ええと、、、私は壁画を見に来たのですね。とりあえず、何か冷たいものでも飲みたいな。」
「奥へどうぞ。カウンター席があいてますよ。」

少し歩くと倉敷さんのミステリアスな絵がラウンジのあちこちに飾られている。
また、1階右手が地下に向かってガラス張りの吹き抜けになっているのだが、そこにも彼女の描いた大きな壁画があった。
壁画もまたミステリアス。
私は、客のいるテーブル席を避け、誰もいない奥のカウンター席へ。
先ほどの女性が向こう側へ戻り、私はアイスコーヒーを頼んだが、用意できるまで近くで壁画を眺めたくなった。
ガラスに近寄り下を覗き込むと壁画全体を見下ろせるが、地下1階の床に画材などが散らかっており、建設現場のようにも見える。




その後、私はカウンター席に戻り、アイスコーヒーを飲みながら、さっきの黒服の女性(Wさん)と1時間ほど話しこんだ。
ラーメンの話、お酒の話、音楽の話、くだらない話で盛り上がった。
彼女が塩ラーメンが好きだというので、この近くのおいしいラーメン屋(東京ラーメンストリートと人形町の「ひるがお」)を教えた。


ラーメンひるがお


その間、テーブル席の若い男性グループが退店し、いつのまにか店内は私たちの話し声だけになった。
彼女の話では、このホテルは1階がロビー兼ラウンジバー、2~5階がアーティストがデザインした客室だという。
正式名称は、BNAWALLアートホテルイン東京といい、売上の一部がアーティストに還元される仕組みの新しい形のホテルである。

「そういえばアートホテルなのに、アートの話をまだしていなかったですね。」と私。
「そうですね。私も一応アーティストなんですよ。」
「え~、本当に?? 素晴らしいですね。」
「ただ、私は平凡なイラストレーターなんです。技術もそんなにないですし、倉敷さんのような、大それたものは描けません。最近は外出自粛で、家に引きこもって雑貨作りをしています。」
「そうですか。」その後、私は彼女にこう言った。「そうだなあ、、、彼女のように大それたものを描く必要はないと思うけどなあ。」
「というと??」
「芸術は仕事にせず、趣味にとどめておく方が、人生幸せになれると思いますよ。」




そのうちカウンター右奥の裏口から、こんにちは、という声がして、酒屋の配達のお兄さんが入ってきた。
次々と商品を運び込むので、そのうちWさんはその対応に忙しくなった。
この2人、互いによそよそしくしているが、何となく、私がここに座っているからそうしているのでは、と感じた。
ようするに、Wさんは一応アーティストですと言っていたが、イラストと雑貨が好きな平凡な女性、なので私には酒屋のお兄さんとお似合いのカップルのように見えたのだ。
私はひとりで、残ったアイスコーヒーを飲みきった。
エアコンがよく効き、黙って座っていると少し寒い。
その後、Wさんが戻り、私たちはまた雑談を始めた。

「外が急に涼しくなってきましたね。」と彼女。
「これから夕立かな。」
「洗濯物があるから降ってほしくないわ。」
「確か天気予報は、午前中は雨、午後は晴れだったような気がしますけど。」
「だといいんですけど。」
「私も早いうち帰ろうかな。」
「その方がいいですよ。」
「さっきから話してて思うけど、あなたにはリアルな生活感があります。」
「あら、まだ独身なのであまり嬉しくないですね。」
「いや、リアルな生活感がある女性の方が、私はいいと思いますよ。」
「そうなんですか??」
「そうですよ。生活感がないと人柄がよく分からないし、美人だと特に、お高くとまっているようにも見えてしまうので、男性は近付きにくいというか何というか、、、」
「なるほど・。・」
「あ、お会計してください。あと、最後に壁画の前で記念写真を撮ってほしいのですが、お願いしてもいいですか。」
「もちろん。」

帰る時、壁画のそばへ移動し、彼女に何枚か記念写真を撮ってもらった。
彼女は最初失敗し、私のスマホのフラッシュをオンにした。
ああ、そうか。
ここは薄暗くて、フラッシュを使わないとうまく撮影できないのだ。

「暗いけど、うまく撮れてますか?」
「よく分からないな。実は保護フィルムを交換したばかりなのです。透明ではなく色付きのフィルムで、明暗が判別できないんですよ。でもとりあえず、OKです。」
「じゃあ、お返ししますね。」
「どうも、ありがとう。それにしても、ここは本当に静かです。薄暗くて涼しいし、別世界みたいだ。」
「ですよね!!」
「何とも言えない落ち着いた雰囲気が気に入りました。また来たいですね。」
「本当ですか、ぜひ、また来てください。お待ちしています。」

外に出たのは夕方の4時ごろ。
まだ蒸し暑く、サングラスをかけたいほどの日差しだった。
私はずっとサングラスをかけたまま店にいたが、最近のサングラスはかけていても普通に見えるし、店内が薄暗かったこともあり、写真の自分を見るまでそのことをすっかり忘れていた。
その後、電車内でスマホの保護フィルムを少しはがしてみた。
結局、写真はうまく撮れていなかった。
ああ、この保護フィルム、だめだな、、、うまく撮影できているのかその場で確認できないのは、さすがにまずい。
私は帰り道、上野広小路駅でおりた。
アメ横の家電量販店で、手帳型の革製スマホケースを購入し、きのう貼り付けたばかりの保護フィルムをはがした。
私はスマホを新しいケースに入れた後、財布を取り出しお釣りをしまった。
財布の中にはレシートと、末吉のおみくじがある。

願望 思いがけぬことが起こるが騒ぐな
仕事 騒がぬことです
恋愛 今はよろしくない


福徳神社

2021/07/25

諏訪部佐代子&君島英樹「Not For Sale」

最近の私は、東京オリンピックが始まり、明るく新鮮な気分である。
アトレ取手4階の「たいけん美じゅつ場VIVA」も、23日のオリンピックの開会式と合わせるように新しい展示会を開催し、明るく新鮮な雰囲気である。
1つは、ギャラリースペースで開催されている取手松陽高校美術部の展示会。
そういえば、4月上旬もここで同校の展示会(「8展」)があり、私は他のアートコミュニケーターと一緒に、対話型鑑賞会のファシリテーターを務めたのであった。
受付に座っている2人の女子高生に話を聞くと、2人とも4月の展示会にも絵を出品していたというので、話が盛り上がった。

もう1つの展示会は「Not For Sale」(VIVAウェブサイト)。
メインラウンジにインスタレーションが何点か展示されている。
こちらは、東京芸大大学院生の君島英樹さんと、諏訪部佐代子さんの「ヌルヌルスタジオ」によるもの(2人のプロフィール等は上記ウェブサイト参照)。


たいけん美じゅつ場VIVAの諏訪部佐代子


たいけん美じゅつ場VIVAの諏訪部佐代子


2人は同い年で油彩画専攻、一緒に作業をしているときはお似合いのカップル、あるいは仲良しの兄妹のようにも見えたが、たいていは別行動をしており、私は居合わせた諏訪部さんとよく話した。
2人とも2ヶ月近くここに出入りし、作品を作り上げてきたというが、君島さん本人とは話す機会がなく、実はほとんど私の興味ではなかった。
ところが、展示会初日、買い物ついでにアトレ取手のエスカレーターを4階まで上がると、ちょうど君島さんの魅力的な作品(「あなたのお値段」)が飾ってあり、私の目にとまった。
私は興味深々、君島さんの作品を眺め、スマホで撮影などしていたが、まもなく後方から声がかかり、振り向くと君島さんであった。
かたや、諏訪部さんは何かのインタビューを受けている最中で忙しく、私は君島さんと作品について話し、記念写真を撮って帰った。
そしてきのう、私はまた買い物ついでにVIVAに行った。
君島さん諏訪部さん2人ともちょうど休憩中で、今度は諏訪部さんの作品(「かつてこの地を毛のない猿が支配していたらしい」)の前で彼女の記念写真を撮った。


諏訪部佐代子「かつてこの地を毛のない猿が支配していたらしい」


たいけん美じゅつ場VIVAの諏訪部佐代子
(上記は公開の許可を得て撮影した記念写真です)


たいけん美じゅつ場VIVAの君島英樹
(上記は公開の許可を得て撮影した記念写真です)


たいけん美じゅつ場VIVAのあんみつ先生


ヌルヌルオフィス
(上記は公開の許可を得て撮影した記念写真です)


展示会のタイトル「Not For Sale」とは非売品のことである。
アーティストの作品は自己実現の産物で、必ずしも売るために作ったものではない。
しかし、アーティストは生活のため作品を換価する必要があり、結果として値段が付けられる。
このとき、どのようなメカニズムで美術品の価格が決まるのだろう。

この作品はいくらですか?という問いからこの企画は始まりました。アーティストにとって、「作品に値段をつけること」は非常にナイーブな問題です。現にファインアーティストである諏訪部は自作に価格をつけることにやや懐疑的な立場でこのプロジェクトをスタートしました。SNSやNFTが発達した今、他者の作品の値段を知る機会は多いですが、実際美術作品の価格とは曖昧なものです。同じくアーティストの君島は「お弁当ワークショップ」というワークショップを小学校を中心に行なっていますが、その際子どもたちが作った食べられない「お弁当作品」に毎回値段をつけてもらいます。価格のつけ方も含め子どもたちの感性は私たちの感覚とは全く異なり、その場は常に創作のエネルギーで満ち溢れています。さて、美術とその価値とは何でしょうか? 
(上記VIVAウェブサイトより)

諏訪部さんに聞いたら、アトレ1階の魚屋の魚と同じようにして決まっているんじゃないかしら、と言っていた。
なるほど、そうかもしれない。
でも、私たちは魚を食べるために買うが、美術品を消費するために買うわけではない。
例えば、株式などの上場有価証券の売買、外国為替証拠金取引を考えてみよう。
証券取引所に顧客注文が入り、BitとAskが出合ったところで値決めされるが、この時、いくらで約定しようとも約定価格が適正とみなされる。
他方で、ファンダメンタルズ(企業価値、貨幣価値)を算定し、そこから導き出される理論価格というものもあるが、理論価格は市場価格の割高、割安を論ずるための物差しであり、IPOのような特殊な局面を除いては結果論に終始する。
美術品は、展示のみならず転売を目的とすることもあり、原価と市場価格が無関係という点で有価証券と類似する。
そうだとすれば、サザビーズで落札される100億円の油彩画、銀座の画廊の1000万円の油彩画、フリーマーケットの1万円の油彩画、誰にも買われずアトリエに放置されている油彩画、これら全てが、美術品の市場価値を適正に反映しているというべきである。

まあ、美術品には真の価値と落札価格(売却価格)という2つの価値基準があり、それが一致しているか乖離しているかを知りたいというアーティストの気持ちもよく分かる。
しかし、客観的意味での美術品の真の価値を決めるのはほぼ不可能であり、以前のクレジットカードのCMではないが、プライスレスなのだ。
私が思うに、美術品の価値とは、とりあえず落札価格(売却価格)のことでよいと思う。
それは貨幣価値の裏返しでもあり、社会経済情勢、市場流動性等も加味して複雑なメカニズムで決定されている。
例えば外国為替証拠金取引の世界では、貨幣価値(為替レート)の決定について諸説あり、正直どれも通説とは言い難いが、為替ディーラーは真の価値などあまり考えずに取引をしている。
美術品の価値もきっと、まあ、そんな感じで何となく決まっているのではないだろうか。

2021/07/03

中村萌さんの彫刻(1)

お墓参り⇒中村萌展示会⇒日本橋高島屋⇒コレド日本橋ABCクッキング(Fさん&U先生)⇒梅園

きのうは雨がずっと降っていたが、久しぶりに都内まで行ってきた。
午前中の用事を済ませた後、お墓参りをして、その後、京橋の画廊で中村萌さんの展示会を見た。
その後、日本橋高島屋で買い物をしてから、1時半頃コレド日本橋のABCクッキングへ。
新聞社のFさんと久しぶりに会った。
私たちは、今では仲の良い料理友達である(もともとは料理友達ではなかったが)。
きのうは一緒にパン作りをしたのだが、Fさんは支局への異動が決まり、会うのはこれが最後であった。
まあ、本来なら仕事中の金曜午後である。
しかし、引継ぎが終わり、本社での仕事はもう「ない」ので、Fさんは自由の身なのである。
そういうわけで、男2人でせっせと2時間かけて、パン生地からこね、二度発酵させ、すりおろしたレモンの皮をトッピングしたりして、レモン風味の食パン(ハニーレモンブレッド)を焼き上げた。


ABCクッキング、ハニーレモンブレッド


ABCクッキング、ハニーレモンブレッド


2時間立ちっぱなしで、疲れた。
かなりのボリュームだな。こんなに重い食パンは初めてだ。
おいしそうにできた。
いやいや、上手にこねられなかった。パン職人の道は遠いねえ、あと10年はかかる。

すると、いつも私たちを気にかけてくれる担任のU先生が、パンのはじっこを指さし、ここに影のようなものができている、よくこねた証拠です、とほめてくれた。
パン作りには合計1時間ほど、二度の発酵過程がある。
そのため、料理コースよりも長時間なのだが、パンが焼き上がるまで2時間立ちっぱなし、また、パン生地をこねたりもするから、終わるとかなり疲れるのだった。
2人とも教室のテーブル席では食べず、レモンパンをABCの袋に入れて家に持ち帰ることにした。

それにしても、いつものテーブル席では、作った料理を食べて談笑する女性のグループが何組かいるのに、誰もいなかったなあ。
なるほど、そうか。
これはABCの感染対策なのである。
最近はブレッドコース、ケーキコースが主流で、料理コースは1日数コマしかない。
それは、料理を作るとみんなでテーブル席で食べてしまうからだ。
しかし、パンやケーキなら生徒たちは持ち帰るのである。

その後、私たちは焼きたてのパンを持って、日本橋高島屋へ。
甘い物を食べて休憩、というわけ。
本館7階の着物売場の奥にある梅園で白玉あんみつ(!!)を食べ、茶飲み話をした後、日本橋駅で素っ気なく別れた。
たぶん、Fさんとはもう会うことはないかも、と思ったが。
帰りの電車内は、サラリーマンの帰宅時間とぶつかり、非常に混雑していた。
私は焼き立てのパンの入ったABCクッキングの袋を大事に抱えたまま、座席でうたた寝してしまった。


梅園の白玉あんみつ


そうそう、彫刻家中村萌さんの展示会のことも書かなくては。
開催場所の画廊「ギャラリー椿」は京橋駅から歩いてすぐのところで、着いたのはお昼過ぎ、雨傘を畳んで急な階段を上がり、雑居ビルの1階右の部屋へ。
その中には若い男女の店員、身なりのよい老夫婦、私の5人であった。
老夫婦が男性の店員と話し込んでおり、私は女性の店員と話した。
銀座周辺の画廊の展示会は若手の個展も多いが、今回は若手の共同展示会で、何人かの作品が入り混じって置いてあった。
しかし、私の目当ては彫刻家中村萌さんである。
以前インスタで海外のアーティストの作品を見ていたら、偶然、彼女の作品を見かけ、おお、これはいい!!と思ったのだが、外国人にも人気のようである。
インスタでは英語や中国語でも盛り上がっていたので、一度実物を見ておかなくては、と思ったのだ。

あった、あった、これこれ、この特徴的な表情。
彼女の作品はどれもクールである!!


中村萌さんの展示会


中村萌さんの展示会


中村萌さんの展示会




私は、ギャラリーの女性に頼んで、何枚か記念写真を撮ってもらった。
彼女と少し話したが、中村萌さんご本人が来る予定は今のところないという。
個展なら週末などにアーティスト本人が待機していることも多いが、今回は共同展示会なので在廊はしません、とのこと。
その後、私は、他のアーティストの作品もひととおり見て回ったが、大手の美術館とは異なり、フロアに所狭しと作品が展示されており、うっかりすると貴重な作品にぶつかってしまいそうだった。

おや、もうこんな時間だ、これから料理教室があるから帰らなくては。

画廊を出た私は、雨の中を京橋駅へ。
それにしても、久しぶりに都内に来たなあ。
昼休憩のサラリーマンが行き交う路地、ラーメン屋の店先にできている行列、大通りの車の渋滞、工事現場の前で交通整理をする警備員。
マスクの着用を除き、街の様子は普段と何も変わらないように見える。
しかし、例えばFさんが今回支局に異動することになったのも、新型コロナウィルスと関係しているのだ。
それに、訪日外国人がシャットアウトされたいま、銀座周辺の画廊はどれくらい流行っているのだろうか。
静かに降りしきる雨。
街の様子は普段と変わらない。
が、日本経済の内部は少しずつ蝕まれているのではないか、私はそんな気がしてならなかった。

2021/07/01

エッセイストのあんみつ先生



突然だが、あんみつ先生は今日からエッセイスト(essayist)になった。

随筆家も渋くていいが、吉田兼好や松尾芭蕉のような名文を私は書けない。
エッセイスト(essayist)。
そもそもエッセイ(essay)とは何だろう??

私は素朴な疑問を持った。
ふだん当たり前に使っている言葉なのに、よく分かっていないんだな。

エッセイと小説の違いをGoogleで検索してみた。
すると、フィクション(虚構、作り話)かどうか、主人公が筆者自身かどうかが、一応の区別の基準とされるようだ。
ただ、定まったことは言えない、実際の区別はあいまい、とも書いてあった。
エッセイを定義するのは、小説との関係では非常に難しいようである。
他方で、エッセイとは英語だと論文の意味である。
論文をくずして簡単に短くしたものをエッセイと呼ぶこともあるようである。

私の考えるエッセイとは次のようなものである。
・かしこまった文章をくずして、簡単に短く雑文に、あえて格落ちさせる
・一般向けの身近なこと(ほぼ実体験)を題材にしている
・読み物としての価値というか、おもしろさがある

かしこまった文章の典型例が小説と論文であるとすると、エッセイはかしこまっておらず、ややテキトーなイメージか。
ここで重要なのは文章の形式や内容以上に、①筆者の肩書、専門性、環境と、②くずしておもしろくなったかどうか、この2点だと私は考える。
例えば、「枕草子」は日本を代表する随筆だが、もし清少納言が田舎町の農家の嫁なら貴族の生活を知る由もないので、枕草子は小説に分類されるのではないか。
また、長編SF小説で有名な筒井康隆氏が、ふだん発表する長編SF小説とは明らかに毛色の違う、自身の日常生活を週刊誌などに連載すると、それは通常、エッセイといわれるものである。
有名作家が日常を書くとエッセイだが、どこにでもいる会社員が日常を書いても同様だと思われる。

結局のところ、身近なこと、つまり、ほぼ実体験ならエッセイである。
ただ、そうなるとエッセイと私小説の区別の基準が不明確となる「みたい」なのである。
まあ、私は私小説ってよく分からないんだけど、、、エッセイと小説の違い、という最初に述べた論点が出てくることになるのだが、その論点は、あいまいということである。

もっとも、今私が述べたように、実際には、筆者の肩書、専門性、環境との関係を考察すると、それほどあいまいではないような気もする。
とある作家が医師で、病院を経営している場合、医療制度の問題点をかしこまって論ずるなら、それはもちろん論文となるわけだが、医療制度の問題点を、病院内の実話と関連付けて書いたら、、、論文の体裁はくずれ、雑文に格落ち(?)し、それはエッセイのようなものとなるのではないか。
つまり、論文のルールをあえて破って雑文にすると、それがおもしろければ「読み物」として独自の価値があり、エッセイとなる。
逆に言うと、エッセイは、小説や論文にもなり得る程度の内容が詰まってなくてはいけないともいえそうだ。
そうだとすればエッセイと日記は異なる、エッセイは単なる日記ではない、ということだと思う。

では、このブログを再び、改名するか。
コロナ禍でワイン講座ができる見込みもないので、Let's Drink Wine Togetherは封印してしまう。
新型コロナウィルスの一刻も早い終息と平穏な日々の回復を願いつつ、あんみつ先生のエッセイ、とします。


ということで、ブログタイトルは、あんみつ先生のブログLet's Drink Wine Together⇒あんみつ先生のエッセイ Anmitsu Sensei's Lovely Essay、となりました^^(のち、「ラブリーな」を付けました!)