2021/07/31

Taiwanese to Japanese, "arigatou"







Hello,I'm Mr. Anmitsu♪ Taiwanese to Japanese, "arigatou". At the request of my friend living in Taiwan, I took a picture of this exhibition in Tokyo Station. We are wine friends. I look forward to the day drinking wine with him again.




2021/07/30

倉敷安耶さんの壁画との出会い

覚えているだろうか。
数ヶ月前、日本政府が手持ちのワクチン(アストラゼネカ)の一部を台湾に寄附した、というニュースを。

私はきのう、用事を済ませた後、ワイン友達のBさんからの頼まれ事で東京駅に向かった。
Bさんは昨年から、日本を離れて家族と台湾で暮らしている。
時折Lineでやりとりをし、かわいいお孫さんの写真を見せてもらったりしているが、最近ようやくワクチンを接種できたという。
実は、Bさんの接種したワクチンは、日本が寄附したアストラゼネカ。
最近の台湾は、コロナの感染が急拡大しており、ワクチンの接種が必須の状況であった。
しかし、諸事情(主に対中関係)によりワクチンが手に入らず、非常に困っていたのだ。
そこに日本政府がワクチンを寄附し、日本のおかげでワクチンを接種できた台湾の人たちが、感謝を込めてこの写真(動画)のようなメッセージボードを作った。

Bさんの説明だと、メッセージボードは東京駅構内のどこかに掲示されているはずなのだが、最初、私はどこにあるのか分からなかった。
私は台湾日報のウェブサイトで探したが分からず、インフォメーションセンターに行った。
案内の女性は、ちょっと分からないですね、と言い、本部に問い合わせてくれたが、5分ほどかかり、ようやく場所が分かった。
そこを左に行くと地下への階段があるので、おりてください、改札口を出たところに掲示されています。
なあんだ、丸の内地下中央口を出てすぐの地下道の柱に、でかでかとあるじゃないか。






台湾から日本へ伝えたい「ありがとう」。
私はBさんに送るため、スマホで何枚か写真撮影をした。
せっかくなので動画も撮影した。
しかし、うまく撮影できているのかよく分からない。

実はきのう、スマホ画面の保護フィルムを新しいものに貼りかえたばかりなのだった。
透明ではなく、ブルーライトカットのような色みがかかっており、しかも自分で貼りかえたので気泡があり、画面全体が薄暗かった。
たぶんうまく撮影できていると思うのだが、どうだろう。

それにしても、あれだよなあ。
感謝のメッセージがこんなにでかでかと書かれており、数日前から日本の中心地に掲示されているのに、ニュースの話題にもならないし、通行人のほとんど誰もが目もくれず通り過ぎる。
いや、まあ、ここの通行人のほとんどは働き盛りの多忙な会社員ばかりなので、仕方がないか。
それにいまは東京オリンピック真っ最中だし、マスコミもそれどころではないのだろう。






その後、私は日本橋駅から三越前駅へ。
地下からエスカレーターで1階に上がると、エントランスホールにオリンピックのゴールドメダルの巨大なものが展示されており、多くの人が集まり記念写真を撮っていた。
その脇の階段を上がり、古めかしいエレベーターを上がると、7階の三井記念美術館に行くのだが、今日の私は地下から外に出て行くところがあるのだ。
さて、とりあえず三越前駅の外に出た。
すぐそばにコレド室町と福徳神社があり、私は神社でお参りをした後、何となく100円のおみくじを引いた。
あ~、末吉とはイマイチ!!
凶でなければ、まあ、いいか。

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福徳神社




福徳神社の周囲はオリンピックムード一色。
バトンタッチのモニュメントを見た後、私は歩いて首都高の高架線の向こうの小伝馬町方面へ。
スマホで確認したが、この建物に間違いない。
BNAWALLアートホテルイン東京。
ここが、今日の私の最終目的地である。

入口には「BNAWALL(BNAウォール)」という案内板があった。
1階ラウンジは、昼は喫茶店、夜はバー、そしてギャラリーにもなっており、大きな壁画が飾られているのが売りである。
私は中へ入った。
昼間なのに薄暗く、右手の受付に屈強な外国人の男性が座っており、いらっしゃいませと言われた。
私は、こんにちは、と答えた。
左手の棚を見ると、名刺と画集(展示品目録)が置いてある。
名刺には倉敷安耶(くらしきあーや、Aya Kurashiki)と書いてある。
私がそれを手に取って眺めていると、奥から黒服の女性(バーテンダー??)がこちらへ来て、声をかけられた、

「いらっしゃいませ。倉敷さんのお知り合いの方ですか?」
「ええ、まあ、、、」
「今日は、倉敷さん、いらしてませんよ。何か召し上がりますか?」
「暑くて何か飲みたいのですが、どこに座れば、、、」
「お好きな席へどうぞ。」

少し歩くと倉敷さんのミステリアスな絵がラウンジのあちこちに飾られている。
また、1階右手が地下に向かってガラス張りの吹き抜けになっているのだが、そこに大きな壁画があった。
幻想的で、引き込まれるような魅力のあるシックな壁画である。
私は、客のいるテーブル席を避け、誰もいない奥のカウンター席へ。
さっきの女性が向こう側に戻り、私はアイスコーヒーを頼んだが、用意できるまで近くで壁画を眺めたくなった。
ガラスに近寄り下を覗き込むと壁画全体を見下ろせるが、地下1階の床に画材などが散らかっており、建設現場のようにも見える。




その後、私はカウンター席に戻り、アイスコーヒーを飲みながら、さっきの黒服の女性(Wさん)と1時間ほど話しこんだ。
ラーメンの話、お酒の話、くだらない話題で盛り上がった。
塩ラーメンが好きだというので、この近くのおいしいラーメン屋(東京ラーメンストリートの「ひるがお」)を教えた。


ラーメンひるがお


その間、テーブル席の若い男性グループが退店し、いつのまにか店内は私たちの話し声だけになった。
彼女の話では、1階はロビー兼ラウンジバー、2~5階はアーティストがデザインした客室だという。
正式名称は、BNAWALLアートホテルイン東京といい、売上の一部がアーティストに還元される仕組みの新しい形のホテルである。
なるほど、これはリノベーションとしてはおもしろい、と思った。

そういえばアートホテルなのに、アートの話をまだしていなかったですね、と話題をふると、Wさんも一応アーティストだという。
でも私は平凡なイラストレーターです、壁画なんて大それたものは描けません、最近は自粛なので家に引きこもって雑貨類を作っています、などと言った。
私は、壁画なんて大それたものを描く必要はありません、芸術は仕事にせず、趣味にとどめておく方が人生幸せになれますよ、と言った。




そのうちカウンター右奥の裏口から、こんにちは、という声がして、酒屋の配達のお兄さんが入ってきた。
次々と商品を運び込むので、そのうちWさんはその対応に忙しくなった。
この2人、互いによそよそしくしているが、何となく、私がここに座っているからそうしているのでは、と感じた。
ようするに、Wさんは一応アーティストですと言っていたが、イラストと雑貨が好きな平凡な女性、なので私には酒屋のお兄さんとお似合いのカップルのように見えたのだ。
私はひとりで、残ったアイスコーヒーを飲みきった。
エアコンがよく効き、黙って座っていると少し寒い。
その後、Wさんが戻り、私たちはまた雑談を始めた。

「外が急に涼しくなってきましたね。」
「これから夕立かな。」
「洗濯物があるから降ってほしくないわ。」
「さっきから話してて思うけど、あなたにはリアルな生活感があります」(笑)
「まだ独身なのであまり嬉しくないですね。」
「いや、リアルな生活感がある方がいいと思いますよ。」
「そうですか??」
「そうですよ。生活感がないと人柄がよく分からないし、お高くとまっているようにも見えてしまうので、男性は近付きにくいというか。」
「なるほど~、、、」
「確か天気予報は、午前中は雨、午後は晴れだったような気がします。」
「だといいんですけどね。」
「早いうち帰ろうかな。」
「その方がいいですよ。」
「お会計してください。あと、倉敷さんの壁画の前で記念写真を撮ってほしいのですが、お願いしてもいいですか。」
「もちろん、いいですよ。」

帰る時、壁画のそばへ移動し、彼女に何枚か記念写真を撮ってもらった。
彼女は最初失敗し、私のスマホのフラッシュをオンにした。
ああ、そうか、ここは薄暗くて、フラッシュを使わないとうまく撮影できないのだ。

「うまく撮れてるか、確認してください。」
「はあ、、、でも新しい保護フィルムのせいで、うまく撮れてるか分からないんですよ。不慣れなもんでね。とりあえず、まあ、OKだと思います。」
「じゃあ、お返しします。」
「どうも、ありがとう。それにしても、ここは本当に静かですね。薄暗くて涼しいし、別世界のようです。」
「ですよね!!」
「何とも言えない雰囲気が気に入りました。また来たいですね。」
「本当ですか、ぜひ、また来てください。お待ちしています。」

外に出たのは夕方の4時ごろ。
まだ蒸し暑く、サングラスをかけたいほどの日差しだった。
私はずっとサングラスをかけたまま店にいたが、最近のサングラスはかけていても普通に見えるし、店内が薄暗かったこともあり、写真の自分を見るまでそのことをすっかり忘れていた。
その後、電車内でスマホの保護フィルムを少しはがしてみると、結局、写真はうまく撮れていなかった。
ああ、この保護フィルム、だめだな、、、うまく撮影できているのかその場で確認できないのは、さすがにまずい。
私は帰り道、上野広小路駅でおりた。
アメ横の家電量販店で、手帳型の革製スマホケースを購入し、きのう貼り付けたばかりの保護フィルムをはがした。
私はスマホを新しいケースに入れた後、財布を取り出しお釣りをしまった。
財布の中にはレシートと、末吉のおみくじがある。

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福徳神社

2021/07/26

諏訪部佐代子&君島英樹「Not For Sale」

最近の私は、東京オリンピックが始まり、明るく新鮮な気分である。
アトレ取手4階の「たいけん美じゅつ場VIVA」も、23日のオリンピックの開会式と合わせるように新しい展示会を開催し、明るく新鮮な雰囲気である。
1つは、ギャラリースペースで開催されている取手松陽高校美術部の展示会。
そういえば、4月上旬もここで同校の展示会(「8展」)があり、私は他のアートコミュニケーターと一緒に、対話型鑑賞会のファシリテーターを務めたのであった。
受付に座っている2人の女子高生に話を聞くと、2人とも4月の展示会にも絵を出品していたというので、話が盛り上がった。

もう1つの展示会は「Not For Sale」(VIVAウェブサイト)。
メインラウンジにインスタレーションが何点か展示されている。
こちらは、東京芸大大学院生の君島英樹さんと、諏訪部佐代子さんの「ヌルヌルスタジオ」によるもの(2人のプロフィール等は上記ウェブサイト参照)。


たいけん美じゅつ場VIVAの諏訪部佐代子


たいけん美じゅつ場VIVAの諏訪部佐代子


2人は同い年で油彩画専攻、一緒に作業をしているときはお似合いのカップル、あるいは仲良しの兄妹のようにも見えたが、たいていは別行動をしており、私は居合わせた諏訪部さんとよく話した。
2人とも2ヶ月近くここに出入りし、作品を作り上げてきたというが、君島さん本人とは話す機会がなく、実はほとんど私の興味ではなかった。
ところが、展示会初日、買い物ついでにアトレ取手のエスカレーターを4階まで上がると、ちょうど君島さんの魅力的な作品(「あなたのお値段」)が飾ってあり、私の目にとまった。
私は興味深々、君島さんの作品を眺め、スマホで撮影などしていたが、まもなく後方から声がかかり、振り向くと君島さんであった。
かたや、諏訪部さんは何かのインタビューを受けている最中で忙しく、私は君島さんと作品について話し、記念写真を撮って帰った。
そしてきのう、私はまた買い物ついでにVIVAに行った。
君島さん諏訪部さん2人ともちょうど休憩中で、今度は諏訪部さんの作品(「かつてこの地を毛のない猿が支配していたらしい」)の前で彼女の記念写真を撮った。

「2人とも私のインスタグラムに上げてもいいですか??」
「はい、もちろん。」
「どっちがたくさん「イイネ」が付くかな~。」
「どうでしょう。」


諏訪部佐代子「かつてこの地を毛のない猿が支配していたらしい」


たいけん美じゅつ場VIVAの諏訪部佐代子
(上記は公開の許可を得て撮影した記念写真です)


たいけん美じゅつ場VIVAの君島英樹
(上記は公開の許可を得て撮影した記念写真です)


たいけん美じゅつ場VIVAのあんみつ先生


ヌルヌルオフィス
(上記は公開の許可を得て撮影した記念写真です)


展示会のタイトル「Not For Sale」とは非売品のことである。
アーティストの作品は自己実現の産物で、必ずしも売るために作ったものではない。
しかし、アーティストは生活のため作品を換価する必要があり、結果として値段が付けられる。
このとき、どのようなメカニズムで美術品の価格が決まるのだろう。

この作品はいくらですか?という問いからこの企画は始まりました。アーティストにとって、「作品に値段をつけること」は非常にナイーブな問題です。現にファインアーティストである諏訪部は自作に価格をつけることにやや懐疑的な立場でこのプロジェクトをスタートしました。SNSやNFTが発達した今、他者の作品の値段を知る機会は多いですが、実際美術作品の価格とは曖昧なものです。同じくアーティストの君島は「お弁当ワークショップ」というワークショップを小学校を中心に行なっていますが、その際子どもたちが作った食べられない「お弁当作品」に毎回値段をつけてもらいます。価格のつけ方も含め子どもたちの感性は私たちの感覚とは全く異なり、その場は常に創作のエネルギーで満ち溢れています。さて、美術とその価値とは何でしょうか? 
(上記VIVAウェブサイトより)

諏訪部さんに聞いたら、アトレ1階の魚屋の魚と同じようにして決まっているんじゃないかしら、と言っていた。
なるほど、そうかもしれない。
でも、私たちは魚を食べるために買うが、美術品を消費するために買うわけではない。
例えば、株式などの上場有価証券の売買、外国為替証拠金取引を考えてみよう。
証券取引所に顧客注文が入り、BitとAskが出合ったところで値決めされるが、この時、いくらで約定しようとも約定価格が適正とみなされる。
他方で、ファンダメンタルズ(企業価値、貨幣価値)を算定し、そこから導き出される理論価格というものもあるが、理論価格は市場価格の割高、割安を論ずるための物差しであり、IPOのような特殊な局面を除いては結果論に終始する。
美術品は、展示のみならず転売を目的とすることもあり、原価と市場価格が無関係という点で有価証券と類似する。
そうだとすれば、サザビーズで落札される100億円の油彩画、銀座の画廊の1000万円の油彩画、フリーマーケットの1万円の油彩画、誰にも買われずアトリエに放置されている油彩画、これら全てが、美術品の市場価値を適正に反映しているというべきである。

まあ、美術品には真の価値と落札価格(売却価格)という2つの価値基準があり、それが一致しているか乖離しているかを知りたいというアーティストの気持ちもよく分かる。
しかし、客観的意味での美術品の真の価値を決めるのはほぼ不可能であり、以前のクレジットカードのCMではないが、プライスレスなのだ。
私が思うに、美術品の価値とは、とりあえず落札価格(売却価格)のことでよいと思う。
それは貨幣価値の裏返しでもあり、社会経済情勢、市場流動性等も加味して複雑なメカニズムで決定されている。
例えば外国為替証拠金取引の世界では、貨幣価値(為替レート)の決定について諸説あり、正直どれも通説とは言い難いが、為替ディーラーは真の価値などあまり考えずに取引をしている。
美術品の価値もきっと、まあ、そんな感じで何となく決まっているのではないだろうか。

2021/07/23

今日からアトレ取手4階のエスカレーター前に、魅力的な作品が展示されています





Hello,あんみつ先生です♪ 今日からアトレ取手4階のエスカレーター前に、魅力的な作品が展示されています。作者の君島さんと話して、記念写真もGETしました(`・ω・´)b




2021/07/16

新型コロナのため、1年ほど近所のなじみの店に食べに行けてませんが








Hello,あんみつ先生です♪ 新型コロナのため、1年ほど近所のなじみの店に食べに行けてませんが、ママ殿がワクチン接種したので、近々、久しぶりに食べに行こうと思います(#^^#)




2021/07/15

エッセイストのあんみつ先生



突然だが、あんみつ先生は今日からエッセイスト(essayist)になった。

エッセイスト(essayist)。
随筆家も渋くていいが、吉田兼好や松尾芭蕉のような名文は書けない。
でも、そもそもエッセイ(essay)とは何だろう。
私は素朴な疑問を持った。
ああ、ふだん当たり前に使っている言葉なのに、よく分かってないんだな。

エッセイと小説の違いをGoogleで検索すると、フィクション(虚構、作り話)かどうか、主人公が筆者自身かどうか、が区別の基準とされるようだが、定まったことは言えない、実際の区別はあいまい、と書いてあった。
つまり、エッセイを定義するのは、小説との関係では非常に難しいようである。
他方で、エッセイとは論文の意味である。
論文をくずして簡単に短くしたものをエッセイと呼ぶこともあるようだ。
さて、私の考えるエッセイとは次のようなものである。

・かしこまった文章をくずして、簡単に短く雑文に格落ちさせている
・一般向けの身近なこと(ほぼ実体験)を題材にしている
・読み物としての価値がある

かしこまった文章の典型例が小説と論文だが、エッセイで重要なのは文章の形式や内容以上に、①筆者の肩書及び専門性と、②文章をくずしておもしろくなっているかどうか、この2点だと私は考える。

例えば、「枕草子」は日本を代表する随筆だが、もし清少納言が田舎町の農家の嫁なら貴族の生活を知る由もないので、枕草子は小説に分類されるだろう。
また、長編SF小説で有名な筒井康隆氏が、ふだん発表する長編SF小説とは明らかに毛色の違う、自身の日常生活を週刊誌などに連載すると、それは通常、エッセイである。
有名作家が日常を書くとエッセイだが、どこにでもいる会社員が日常を書いても同様である。
結局のところ、身近なこと、つまり、ほぼ実体験ならエッセイである。
ただ、そうなるとエッセイと私小説の区別の基準が不明確となるみたいなので、エッセイと小説の違い、という最初に述べた論点が出てくるのだが、その論点は、あいまいなのである。
もっとも、今私が述べたように、実際には筆者の肩書及び専門性との関係を考察すると、それほどあいまいではないと思う。

私自身を例に解説。
仮に私が医師で、病院を経営している場合、私が医療制度の問題点をかしこまって論ずるなら、それはもちろん論文となる。
しかし、医療制度の問題点を、病院内の実話と関連付けて書いたらどうだろう。
論文の体裁はくずれ雑文に格落ち(?)し、それはエッセイのようなものとなるのである。
つまり、論文のルールをあえて破って雑文にすると、それがおもしろければ「読み物」としての独自の価値があり、エッセイとなるのである。
逆に言うと、エッセイは、小説や論文にもなり得る程度の内容でなくてはいけない、と私は思う。
それをあえて雑文まで格落ち(?)させるという筆者の行為が、枕草子的に言うと「いとをかし♪」(風流、洒落ている♪ということ)なのであるが、そうだとすればエッセイと日記は異なるものであり、エッセイは日記よりも格上、高尚な文章である。

おお、そうなると、このブログを再び、改名すべきだろう。
「あんみつ先生のエッセイブログ」、これだけだと何だかタイトルとしては物足りない気もする。
「あんみつ先生の「いとをかし♪」なエッセイブログ」とでもしてみようかな。
しかし、ちっともいとをかしくない、と読者からいやみを言われそうなのでやめた。
コロナ禍でワイン講座ができる見込みもないので、Let's Drink Wine Togetherの部分はしばらく封印。
新型コロナウィルスの一刻も早い終息と平穏な日々の回復を願いつつ、あんみつ先生のエッセイブログと致します!!


ということで、ブログタイトルは、あんみつ先生のブログLet's Drink Wine Together⇒あんみつ先生のエッセイブログ Mr.Anmitsu Lovely Essay Blog、となりました^^

2021/07/05

2021年7月4日(日)、ウェルネスプラザ取手にて、金融経済の勉強会「どうなる? アフターコロナ経済」を開催しました

2021年7月4日(日)、ウェルネスプラザ取手にて、金融経済の勉強会「どうなる? アフターコロナ経済」を開催しました。
ただし、講義内容は新しいものではなく、5月下旬の牛久市中央生涯学習センターと同じものです。
こちらが定員に達したため(といってもコロナ禍で定員は少なめですが)、受講したいんだけど~というお話を聞き、別の場所で企画しました。






講義レジュメ

2021/07/03

中村萌さんの彫刻との出会い(1)

お墓参り⇒中村萌展示会⇒日本橋高島屋⇒コレド日本橋ABCクッキング(Fさん&U先生)⇒梅園

きのうは雨がずっと降っていたが、久しぶりに都内まで行ってきた。
午前中の用事を済ませた後、お墓参りをして、その後、京橋の画廊で中村萌さんの展示会を見た。
その後、日本橋高島屋で買い物をしてから、1時半頃コレド日本橋のABCクッキングへ。
新聞社のFさんと久しぶりに会った。
私たちは、今では仲の良い料理友達である(もともとは料理友達ではなかったが)。
きのうは一緒にパン作りをしたのだが、Fさんは支局への異動が決まり、会うのはこれが最後であった。
まあ、本来なら仕事中の金曜午後である。
しかし、引継ぎが終わり、本社での仕事はもう「ない」ので、Fさんは自由の身なのである。
そういうわけで、男2人でせっせと2時間かけて、パン生地からこね、二度発酵させ、すりおろしたレモンの皮をトッピングしたりして、レモン風味の食パン(ハニーレモンブレッド)を焼き上げた。


ABCクッキング、ハニーレモンブレッド


ABCクッキング、ハニーレモンブレッド


ABCクッキングコレド日本橋


2時間立ちっぱなしで、疲れた。
かなりのボリュームだな。こんなに重い食パンは初めてだ。
おいしそうにできた。
いやいや、上手にこねられなかった。パン職人の道は遠いねえ、あと10年はかかる。

すると、いつも私たちを気にかけてくれる担任のU先生が、パンのはじっこを指さし、ここに影のようなものができている、よくこねた証拠です、とほめてくれた。
パン作りには合計1時間ほど、二度の発酵過程がある。
そのため、料理コースよりも長時間なのだが、パンが焼き上がるまで2時間立ちっぱなし、また、パン生地をこねたりもするから、終わるとかなり疲れるのだった。
2人とも教室のテーブル席では食べず、レモンパンをABCの袋に入れて家に持ち帰ることにした。

それにしても、いつものテーブル席では、作った料理を食べて談笑する女性のグループが何組かいるのに、誰もいなかったなあ。
なるほど、そうか。
これはABCの感染対策なのである。
最近はブレッドコース、ケーキコースが主流で、料理コースは1日数コマしかない。
それは、料理を作るとみんなでテーブル席で食べてしまうからだ。
しかし、パンやケーキなら生徒たちは持ち帰るのである。

その後、私たちは焼きたてのパンを持って、日本橋高島屋へ。
甘い物を食べて休憩、というわけ。
本館7階の着物売場の奥にある梅園で白玉あんみつ(!!)を食べ、茶飲み話をした後、日本橋駅で素っ気なく別れた。
たぶん、Fさんとはもう会うことはないかも、と思ったが。
帰りの電車内は、サラリーマンの帰宅時間とぶつかり、非常に混雑していた。
私は焼き立てのパンの入ったABCクッキングの袋を大事に抱えたまま、座席でうたた寝してしまった。


梅園の白玉あんみつ


そうそう、彫刻家中村萌さんの展示会のことも書かなくては。
開催場所の画廊「ギャラリー椿」は京橋駅から歩いてすぐのところで、着いたのはお昼過ぎ、雨傘を畳んで急な階段を上がり、雑居ビルの1階右の部屋へ。
その中には若い男女の店員、身なりのよい老夫婦、私の5人であった。
老夫婦が男性の店員と話し込んでおり、私は女性の店員と話した。
銀座周辺の画廊の展示会は若手の個展も多いが、今回は若手の共同展示会で、何人かの作品が入り混じって置いてあった。
しかし、私の目当ては彫刻家中村萌さんである。
以前インスタで海外のアーティストの作品を見ていたら、偶然、彼女の作品を見かけ、おお、これはいい!!と思ったのだが、外国人にも人気のようである。
インスタでは英語や中国語でも盛り上がっていたので、一度実物を見ておかなくては、と思ったのだ。

あった、あった、これこれ、この特徴的な表情。
彼女の作品はどれもクールである!!


中村萌さんの展示会


中村萌さんの展示会


中村萌さんの展示会


中村萌さんの展示会


私は、ギャラリーの女性に頼んで、何枚か記念写真を撮ってもらった。
彼女と少し話したが、中村萌さんご本人が来る予定は今のところないという。
個展なら週末などにアーティスト本人が待機していることも多いが、今回は共同展示会なので在廊はしません、とのこと。
その後、私は、他のアーティストの作品もひととおり見て回ったが、大手の美術館とは異なり、フロアに所狭しと作品が展示されており、うっかりすると貴重な作品にぶつかってしまいそうだった。

おや、もうこんな時間だ、これから料理教室があるから帰らなくては。

画廊を出た私は、雨の中を京橋駅へ。
それにしても、久しぶりに都内に来たなあ。
昼休憩のサラリーマンが行き交う路地、ラーメン屋の店先にできている行列、大通りの車の渋滞、工事現場の前で交通整理をする警備員。
マスクの着用を除き、街の様子は普段と何も変わらないように見える。
しかし、例えばFさんが今回支局に異動することになったのも、新型コロナウィルスと関係しているのだ。
それに、訪日外国人がシャットアウトされたいま、銀座周辺の画廊はどれくらい流行っているのだろうか。
静かに降りしきる雨。
街の様子は普段と変わらない。
が、日本経済の内部は少しずつ蝕まれているのではないか、私はそんな気がしてならなかった。

2021/07/02

オンライン講座は主流となるか

今回は、昨夏の講師養成講座で知り合ったセミナー講師、Yさんの話である。
Yさんと知り合ってから1年たつのに、私はまだYさんの講義を生で聞いたことがなかった。
しかし先月、初めてその機会があり、私は彼女の講義をオンライン(ZOOM)で視聴した。
どういう講義をするのか期待していたが、彼女は終始カメラの前でボソボソと話をした。

きっと、FP協会の大きなイベントなので、緊張したのかもしれない。
でも、Yさんって、いつもこんな感じで喋るのかなあ、、、
Yさんには申し訳ないが、私は途中で寝てしまった。
さっさと資料をダウンロードして途中退室をした。
なに、オンライン講義はパワポ資料が充実しているから聞かなくたって大丈夫だよね。
あとで資料を読めばいい。
でも、Yさんの資料、1ヶ月たってもファイル倉庫に放置したままである。

多くの人は、何かの講座を受ける場合、資料が充実している方がいいと思うだろう。
しかし、勉強の資料は必要最低限かつ簡明の方がいい、と私は思う。
ほとんどの人は、あとで資料を読まない、覚えない、忘れる。
だから資料の充実度より講義の充実度の方が重要で、喋るのが苦手では講師としては、やはり、まずいと思うのだが、、、
例えば、受験予備校などで講師の質が重視されるのもそういうことである。

後日、私はYさんに素直な感想をメールで伝えた。
親しき中にも礼儀ありとはいえ、イマイチ!!とハッキリと書いた。
また、こうした方がいいのでは、という改善点もいくつか書いた。
すると、オンライン講義が初めてで失敗しました、という返事があった。

彼女はなぜ失敗したのだろう。
彼女はいつもの対面講座なら立って話すという。
立っていれば声が出やすい、身体表現(身振り手振り)も使うし、板書もする。
しかし、この日は定点カメラの前で、じっと座って話した。
椅子に座って固まった態勢だから声が出にくく、身振り手振りも、板書もできなかった。
これではいつもと勝手が違い、冴えない感じにもなるだろう。
Yさんは、オンラインはもうやりたくない、早く新型コロナウィルスが終息し、対面講座が復活してほしい、と言っていた。
私はYさんに、もう少しの我慢です、ワクチン接種後は徐々に復活するでしょう、次の講演会はリベンジしてください!!と言った。

やがてはネットに疎い高齢者を中心に対面講座が復活するだろうし、大学のキャンパスの日常にも対面講座が戻るだろう。
そうなってくれるといいのだが、本当のところ、どうなるか分からない。
確かに、オンライン講義にも様々なメリットがあり、これからはオンラインが主流になる、と言う人もいるようだ。
しかし、私はそう簡単にはいかないと思っている。

ここで音楽の話を少し。
私たちは家のスピーカーやイヤホンなどで、音楽を当然のように聴いているが、昔はコンサートホールに出向かなくては聴けなかった。
当時はまだレコードがなかったからだが、1900年代に入ると録音技術が進歩し、音楽は記録されるようになった。
つまり、ここ100年の間に、一発勝負の時代からアーカイヴの時代に変わった。
演奏家は納得できるまで録音を繰り返せるし、聴衆は飽きるまで好きな曲だけを聴けるようになった。
実は、それは演奏家も聴衆も望んでいたことであり、また、アーカイヴの方が音楽業界は儲かる、という点も転換を後押しした。
しかしいま、これと同じような変化が、「講座」にも起きようとしているのかが問題である。

私は、一部では起きているが、全体ではまだ起きていない、と思う。
私たちはふつう、通学で勉強できるなら通信講座を選択しない。
講座は勉強であり、エンタメではないという点を考えると、繰り返し視聴したり、アーカイヴ化したりするような要請も魅力もほとんどないだろう。
これからもそれは同じなのだ。
学校側だって、キャンパスと先生を持て余すから、通信が主流になると困るのではないか。
いや、実際、オンライン講座の方が学校側は儲かるかもしれないが、スキルの劣る教師は失業する恐れがあるから、授業の合理化には消極的とならざるを得ない。
しかし他方で、子供の学習塾や受験予備校など、結果が求められる講座については、オンラインが主流となるだろう。
難関国家試験の講座は20年以上前からそうだったが、非常に有能な講師が本校で講義をし、その様子は録画され、録画テープが全国各地の教室に送付される。
教室では、受講生がビデオを視聴して授業を受けるのだが、それほど有能ではない講師や合格者のアルバイトがチューターとして配置されており、個別指導、質疑応答などのフォローアップを行う。
この方式は、学校側の利益も増えるし、受講生側の合格者も増えるという点で、学校も受講生もWIN-WINなのである。


エルギンピノノワール


最後に。
どう考えても通信講座になじまないものもある。
例えば、「あんみつ先生のワイン講座Let's Drink Wine Together」である。
ワイン講座の魅力はワインのテイスティングであり、座学だけではつまらない。
また、「実技指導」を含む講座も。
学校側が通信講座を提供しても生徒が申し込んでくれないだろう。
例えば、料理教室、音楽教室などである。


ABCクッキングのライ麦パン


ABCクッキングのライ麦パン


ABCクッキングのライ麦パン


そうそう、私はABCクッキングにもずいぶん長い間、行っていないのだよね。
こないだ3ヶ月ぶりにライ麦パンを作ってきたが、やはり、感染リスクを考えると教室には行きにくい。
感染対策としてABCにはオンラインの料理教室も新しくできたのだが、私はまだ利用したことがない。
料理教室は、やはり通学でないとつまらない。
なぜ通学でないとだめなのかって??
そりゃ、実技指導があるからだが、ABCクッキングは実際に教室へ行き、美人の先生とマンツーマンレッスンをするのもまた楽しいからである。