突然だが、あんみつ先生は今日からエッセイスト(essayist)になった。
エッセイスト(essayist)。
随筆家も渋くていいが、吉田兼好や松尾芭蕉のような名文は書けない。
でも、そもそもエッセイ(essay)とは何だろう。
私は素朴な疑問を持った。
ああ、ふだん当たり前に使っている言葉なのに、よく分かってないんだな。
エッセイと小説の違いをGoogleで検索すると、フィクション(虚構、作り話)かどうか、主人公が筆者自身かどうか、が区別の基準とされるようだが、定まったことは言えない、実際の区別はあいまい、と書いてあった。
つまり、エッセイを定義するのは、小説との関係では非常に難しいようである。
他方で、エッセイとは論文の意味である。
論文をくずして簡単に短くしたものをエッセイと呼ぶこともあるようだ。
さて、私の考えるエッセイとは次のようなものである。
・かしこまった文章をくずして、簡単に短く雑文に格落ちさせている
・一般向けの身近なこと(ほぼ実体験)を題材にしている
・読み物としての価値がある
かしこまった文章の典型例が小説と論文だが、エッセイで重要なのは文章の形式や内容以上に、①筆者の肩書及び専門性と、②文章をくずしておもしろくなっているかどうか、この2点だと私は考える。
例えば、「枕草子」は日本を代表する随筆だが、もし清少納言が田舎町の農家の嫁なら貴族の生活を知る由もないので、枕草子は小説に分類されるだろう。
また、長編SF小説で有名な筒井康隆氏が、ふだん発表する長編SF小説とは明らかに毛色の違う、自身の日常生活を週刊誌などに連載すると、それは通常、エッセイである。
有名作家が日常を書くとエッセイだが、どこにでもいる会社員が日常を書いても同様である。
結局のところ、身近なこと、つまり、ほぼ実体験ならエッセイである。
ただ、そうなるとエッセイと私小説の区別の基準が不明確となるみたいなので、エッセイと小説の違い、という最初に述べた論点が出てくるのだが、その論点は、あいまいなのである。
もっとも、今私が述べたように、実際には筆者の肩書及び専門性との関係を考察すると、それほどあいまいではないと思う。
私自身を例に解説。
仮に私が医師で、病院を経営している場合、私が医療制度の問題点をかしこまって論ずるなら、それはもちろん論文となる。
しかし、医療制度の問題点を、病院内の実話と関連付けて書いたらどうだろう。
論文の体裁はくずれ雑文に格落ち(?)し、それはエッセイのようなものとなるのである。
つまり、論文のルールをあえて破って雑文にすると、それがおもしろければ「読み物」としての独自の価値があり、エッセイとなるのである。
逆に言うと、エッセイは、小説や論文にもなり得る程度の内容でなくてはいけない、と私は思う。
それをあえて雑文まで格落ち(?)させるという筆者の行為が、枕草子的に言うと「いとをかし♪」(風流、洒落ている♪ということ)なのであるが、そうだとすればエッセイと日記は異なるものであり、エッセイは日記よりも格上、高尚な文章である。
おお、そうなると、このブログを再び、改名すべきだろう。
「あんみつ先生のエッセイ」、これだけだと何だかタイトルとしては物足りない気もする。
「エッセイブログ」のほうが、ごろがいい。
コロナ禍でワイン講座ができる見込みもないので、Let's Drink Wine Togetherの部分はしばらく封印。
新型コロナウィルスの一刻も早い終息と平穏な日々の回復を願いつつ、あんみつ先生のエッセイブログ、とします。
ということで、ブログタイトルは、あんみつ先生のブログLet's Drink Wine Together⇒あんみつ先生のエッセイブログ Mr.Anmitsu Lovely Essay、となりました^^