2021/07/01

エッセイストのあんみつ先生



突然だが、あんみつ先生は今日からエッセイスト(essayist)になった。

随筆家も渋くていいが、吉田兼好や松尾芭蕉のような名文を私は書けない。
エッセイスト(essayist)。
そもそもエッセイ(essay)とは何だろう??

私は素朴な疑問を持った。
ふだん当たり前に使っている言葉なのに、よく分かっていないんだな。

エッセイと小説の違いをGoogleで検索してみた。
すると、フィクション(虚構、作り話)かどうか、主人公が筆者自身かどうかが、一応の区別の基準とされるようだ。
ただ、定まったことは言えない、実際の区別はあいまい、とも書いてあった。
エッセイを定義するのは、小説との関係では非常に難しいようである。
他方で、エッセイとは英語だと論文の意味である。
論文をくずして簡単に短くしたものをエッセイと呼ぶこともあるようである。

私の考えるエッセイとは次のようなものである。
・かしこまった文章をくずして、簡単に短く雑文に、あえて格落ちさせる
・一般向けの身近なこと(ほぼ実体験)を題材にしている
・読み物としての価値というか、おもしろさがある

かしこまった文章の典型例が小説と論文であるとすると、エッセイはかしこまっておらず、ややテキトーなイメージか。
ここで重要なのは文章の形式や内容以上に、①筆者の肩書、専門性、環境と、②くずしておもしろくなったかどうか、この2点だと私は考える。
例えば、「枕草子」は日本を代表する随筆だが、もし清少納言が田舎町の農家の嫁なら貴族の生活を知る由もないので、枕草子は小説に分類されるのではないか。
また、長編SF小説で有名な筒井康隆氏が、ふだん発表する長編SF小説とは明らかに毛色の違う、自身の日常生活を週刊誌などに連載すると、それは通常、エッセイといわれるものである。
有名作家が日常を書くとエッセイだが、どこにでもいる会社員が日常を書いても同様だと思われる。

結局のところ、身近なこと、つまり、ほぼ実体験ならエッセイである。
ただ、そうなるとエッセイと私小説の区別の基準が不明確となる「みたい」なのである。
まあ、私は私小説ってよく分からないんだけど、、、エッセイと小説の違い、という最初に述べた論点が出てくることになるのだが、その論点は、あいまいということである。

もっとも、今私が述べたように、実際には、筆者の肩書、専門性、環境との関係を考察すると、それほどあいまいではないような気もする。
とある作家が医師で、病院を経営している場合、医療制度の問題点をかしこまって論ずるなら、それはもちろん論文となるわけだが、医療制度の問題点を、病院内の実話と関連付けて書いたら、、、論文の体裁はくずれ、雑文に格落ち(?)し、それはエッセイのようなものとなるのではないか。
つまり、論文のルールをあえて破って雑文にすると、それがおもしろければ「読み物」として独自の価値があり、エッセイとなる。
逆に言うと、エッセイは、小説や論文にもなり得る程度の内容が詰まってなくてはいけないともいえそうだ。
そうだとすればエッセイと日記は異なる、エッセイは単なる日記ではない、ということだと思う。

では、このブログを再び、改名するか。
コロナ禍でワイン講座ができる見込みもないので、Let's Drink Wine Togetherは封印してしまう。
新型コロナウィルスの一刻も早い終息と平穏な日々の回復を願いつつ、あんみつ先生のエッセイ、とします。


ということで、ブログタイトルは、あんみつ先生のブログLet's Drink Wine Together⇒あんみつ先生のエッセイ Anmitsu Sensei's Lovely Essay、となりました^^(のち、「ラブリーな」を付けました!)