2022/03/26

Philippe Pacalet or Vina Cono Sur?

雨の中、ワイン教室にいってきたのだが、その途中、コレド日本橋のABCクッキングに立ち寄った。
最近は丸の内教室に行くことが多く、久しぶりだったが、コレド日本橋教室には最も多く通ってて、知らない先生に、お久しぶりですね、と声をかけられた。
U先生(私の担任)はいますかと聞くと、お昼休憩で離席中です、と言われた。
私はABCクッキングを出てしばらくフロアを散歩することにした。


コレド日本橋


コレド日本橋はトレンドの発信地である。
寄り道をすると様々な発見があり楽しい。
最近だとABCクッキングの隣に、マネードクター(通称マネドク)という高級感のある店舗が入居し、何やら景気がよさそうに見える。
ここは、FP(ファイナンシャルプランナー)のサービスをする急成長中の会社で、1月には支社長と名刺交換をした覚えがあるため知っていた。
おや、あちらの店舗は確か、MARKS&WEBのはずだけど。

「いらっしゃいませ、何かお探しですか??」
「すみません、あの~、ここってMARKS&WEBではなくって??」
「あっ、MARKS&WEBさんはすでにいなくなりましたよ。うちはパーフェクトポーションといって、コスメとアロマのお店です♪♪」
「そうなんですね、失礼しました。」

パーフェクトポーションねえ、、、ファイナルファンタジーのアイテムみたいな名前だな。
しかし、コスメキッチンはあるのに、MARKS&WEBがいなくなるなんて。
その後、すぐそばの日本橋高島屋へ。


黒澤文庫、レトロ喫茶店


新館に黒澤文庫というレトロ喫茶店ができた。
何度か行ったが、東北地方の店が東京に初めて進出してきた第一号店で、まだあまり知られていない。
茶褐色の看板には「本と珈琲とインクの匂い」と書かれていて、店員は印刷工のような灰色の制服を着ている。
古本が並ぶカウンター席。
コーヒーを飲みながら好きな本を読み、続きが読みたければ100円払って本のお持ち帰りができる。
ただ残念ながら、この日は座ったところに読みたい本がなかった。
もしよかったら、店内の壁に私のブログのQRコードでも貼り付けてほしいんだけど。


東京クリエイティブサロン2022


東京クリエイティブサロン2022


夕方になり、八重洲のシャングリラホテルの向かいのパソナのビルへ。
ビルのフロントヤードでは、「東京クリエイティブサロン2022」というブースがあり、何かのアートイベントをしていた。
この寒さとこの雨の中、外でよくやるなあ、と思ったが、入って出るだけのようなので、少しの間、のぞいてみた。
その後、ワイン教室に到着。
例のピュリニーモンラッシェのマダムから、遅刻かも、というLINEが入っていた。
教室にはBさんが座っている。
Bさんはクラシックコンサートのプロモーターで、シプリアンカツアリス(Cyprien Katsaris)のコンサートの案内をもらった。
カツアリスというと2018年夏、横浜のみなとみらいホールで一度聞いたことがある。
鍵盤の魔術師ともいわれる技巧派で、アンコールなどでは変幻自在の即興演奏を披露する変わり者のピアニストである。
今回のコンサートは、葛飾アイリスホール(かつしかシンフォニーヒルズアイリスホール)なので、かなりの近場である(リンク)。


シプリアンカツアリス、ピアノコンサート


T先生が入ってきた。
この日のテーマは、新しいスタイルのワインについて。
オーガニックワイン、ビオディナミワイン、ヴィーガンワイン、オレンジワイン、低アルコールワイン、ノンアルコールワインなどなど、最近ワインのスタイルは多様化している。
T先生の講座は少数精鋭、WSET3以上を想定した内容で、レベルも高いが、オーガニックワインとビオディナミワインはナチュラルワインの括りで、2020年3月に定められたINAOのルールによればその定義はどうのこうの。
う~ん、確かに、両者の違いはなかなか分かりにくい。

「ビオ・ワインとは出来る限り自然のままの製法で作られたワインであり、 自然派ワイン、ヴァン・ナチュール(仏:Vin Naturel、英:Natural Wine)とも呼ばれる。原料となるブドウは、農薬や化学肥料が使用されない有機農法で育成されることが前提となり、 醸造過程においても後述する様々な条件が求められる[1]。これらの条件を満たし、更にスピリチュアルな要素の強いバイオダイナミック農法が応用されたワインはビオディナミ(仏:Vin biodynamique)と呼ばれる。逆に、有機農法を採用していても醸造過程で何らかの添加が行われたり、調整が加えられるものはオーガニックワインとなる。」

「ビオディナミワインとは、ドイツの思想家ルドルフ・シュタイナーが提唱した、「土壌が本来持つエネルギーと自然界に存在する力で農作物の生命力を高める」という考え方に基づいた、「ビオディナミ農法」で造られたワインのことを指します。ビオディナミは「生体力学」という意味で、化学的な農薬と肥料を使わず、天体の動きとの調和、動物との共生、独自の調合剤の使用を特徴としています~(中略)~ビオディナミワインでは、ビオロジック(有機栽培)に加え、「自然由来の物質を使った特別な肥料を使う」「天体の運行に合わせた栽培を行う」という条件がさらに加わります~(中略)~ビオディナミ農法の認証を行っている推進団体「Demeter(デメテール)」が指導・認証したルールに基づいて栽培・醸造されます~中略~ビオディナミワインで使用される肥料は、たとえば牛の糞やタンポポなどです。牛の角や腸に詰め、一定期間を土の中で寝かせたものが良い肥料となります。」

ということなのである。


WSETワイン講座


さて、テイスティングの時間となった。
白3つ、赤2つ。
白3つはシャルドネで、赤はどちらもピノノワール、それはすぐ判別できたのだが、講座のテーマが新しいスタイルのワインということで、どのワインがどう新しいのかを見極めなければならないと、先生に課題を出された。
しかし、そこは非常に難しい判断だ。
なぜなら、製造過程の様々な違いにより、伝統的なスタイルとは異なった仕上がりとなるからである。
そのうち私は、左から2番目と3番目がシャルドネではなく甲州のようにも思えてきた。
すると誰かが、白は全て甲州ではないかと言うので、やっぱりそうかしら、と思ったら、先生いわく、全てシャルドネです。
亜硫酸塩無添加、サスティナブル農法などで、シャルドネが甲州っぽい仕上がりとなったようだ。


WSETワイン講座


続いては赤の方。
4番目は高価格帯のブルゴーニュと思った。
5番目は同じピノでもやけにクリアーで抜けるような感じのテイストで、こちらはオーガニックの中~高級品、とすればニューワールド、チリだと思った。
これは当たりだろう。
答え合わせの時間まで、どちらの赤もおいしいのでちびちび飲んでしまった。
先生が採決をとる。
すると、全員、私と同意見。
しかし、先生いわく、4番がチリのカサブランカヴァレー(Vina Cono Sur、ヴィーニャコノスル)、5番がブルゴーニュのニュイサンジョルジュ(Philippe Pacalet、フィリップパカレ)です。

(一同)ええっ、逆なの~??

これには驚いた。
が、配布された解説を読むと、なるほど、そういうことか、、、Vina Cono Surはフランスのオーク樽で長期熟成されており、Philippe Pacaletはオーガニックで作られたものだった。
講座が終了して片付けの後、帰ろうとする先生に私は声をかけた。
先生、これって、ひっかけ問題ですよね、と私が口をとがらせて言うと、先生は、とぼけた顔をして遠くを見つめた。
そして先生は、教科書を両手で抱えたまま、さっと事務室に消えてしまったのだった。

2022/03/21

ああ、そうか、大好きな彼女にも、自分の弱みや失敗談を話す方が、かえってうまくいきやすいのだ

先日、顔見知りの経営コンサルタントUさんに誘われて、パティシエのNさんと私と3人で飲んだ。
Nさんは最近退職して自分の洋菓子店をオープンするため、日々奮闘中の起業家である。
実は去年秋、地元商工会でUさんの起業家向けの勉強会があり、私は指導者側のひとりとして参加したのだった。
つまり、このゼミの先生がUさん、生徒がNさん、立ち位置が何だかよく分からないが「コーチングスタッフ(??)」とかいう肩書で参加したのが私である。






もともとUさんと私は、2020年3月のワインバー開業の件でたまたま知り合った。
華やかな肩書のわりに失敗談ばかり話すUさんはもうすぐ70歳。
この年齢だと、他人に成功談と説教(指導助言という名の説教)をして偉そうにふるまう人が多いが、Uさんはそういうタイプではなく聞き上手で、話もなかなかおもしろい。
この日の話題は主に、Nさんの洋菓子店の経営戦略のこと。
それぞれの近況についても話したが、Uさんの話はまた失敗談ばかりだった。
例えば、最近新しく開設したオフィスが、ふたを開けてみたら風俗店のすぐそばでマイった、という話。

う~ん、でもどうして、Uさんはこんなに失敗談ばかり話すのだろう。
成功談を話すと自慢話に聞こえるし、お酒の席には失敗談が似合うとは思うのだけど、この失敗談には何か意図があるに違いないのだ。

ああ、そうか、分かったぞ。
たぶん、こういうことなのだと思う。

私たちは相手のことを知りたいとき、相手と親しくなりたいとき、むずかしいコミュニケーションを試みたり、いろいろ想像をめぐらせたり悩んだりする。
しかし、実はそんなことは不要で、思い切って自分の弱みや失敗談を話してしまうのがいいのだ。
そうすれば相手も同じようなことを話しやすく、関係が一気に深まったり、親近感を持ってもらえたりする。
また、もしここで距離を置かれたり、軽蔑されたりしたら、その相手とはむしろ仲良くしない方が賢明だ。
つまり、弱みや失敗談を語ると相手と自分の関係を的確に見極めることができる、相手の人間性もかなり見通せるのである。

例えばUさんの顧問先の社長が、最近事業がうまくいっていないんだよね、と切り出しやすいわけだ。
ほかにも、上司と部下、親子、あるいは大好きな彼女(彼)とのことだって同じように考えられる。

ああ、そうか。
大好きな彼女にも、自分の弱みや失敗談を話す方が、かえってうまくいきやすいのだ。
そうに違いない。

いや、待てよ。
欠点のない人間のほうがいいに決まっているから、単に嫌われておしまい、というオチのほうが自然な気もする。
果たしてどうなんだろう。

おお、そうだ!!
分からないときは実験してみれば分かるのだ。
自分の大好きな彼女に、弱みや失敗談を話して、どういうリアクションか見てみればいいではないか。




さて、去年秋の起業家ゼミをふりかえろう。
これってなかなかの人気講座のようである。
コロナ禍にも関わらず、受講生は総勢30名近く集まった。
これだけの人数だとUさん1人では面倒を見切れないため、私を含め5名の有志(野次馬)がコーチとして参加した。
テーブルごとに分かれて私たちは、グループディスカッションを仕切ったり、事業アイディアに対する講評を述べたり、様々な質問に答えたりした。
その中でも、受講生との交流は最も楽しかった。
 
受講生は十人十色、あるいは老若男女という言葉が相応しく、ウェブデザイナー、リサイクルショップ、語学教室、リハビリ、ケーキ屋など(下記の写真はケーキ屋を開業予定のNさんからの差し入れ)、様々な事業を企画していた。
しかし、1人ずつ事業計画を発表していくと、最近の流行なのか、カフェを開業したい、という人が4人もいた。
いずれも飲食店や接客業の未経験者のようだった。
ところが、受講生の中に元スタバの店員の女性がいて、彼女もカフェを開業するのかと思ったら、彼女はスターバックスを辞めて士業事務所を開業したという。

ああ、なるほど、、、
スタバで長く働いていた彼女は、カフェを開業したくないのか。

と私は思った。
彼女の職業選択が、カフェビジネスの現実と未来を暗示しているようだ。


アーモンドケーキ


この講座、受講生の年代は老若男女で、下は20才そこそこの学生、上は年金暮らしの70代の高齢者もいた。
高齢の受講生は生涯学習が目的で、具体的にこの商売をしたいというわけではないようだった。
私の隣で、受講生のおじいさんが、この年で独り暮らしだから家でじっとしていると認知症や要介護者になってしまうから来ている、といっていた。
まあ、何というか、茨城の片田舎の起業家ゼミならではの、のどかなエピソードではある。
ただそれでも、公民館の教室を借り、「フレイル」をターゲットとして、フィットネスクラブを開業したいとか、もうほとんど起業家に近い積極的な発言をする受講生のおばあちゃんもいた。
このおばあちゃん、もしかして、自分も鍛えたいから開業するのかな、、、
だがそれより、フレイルって何だっけ??と私は思った。

「あのう、Wさん、フレイルって最近よく聞く言葉ですけど、何でしたっけねえ??」
「先生、フレイルとは要介護前の老人のことです。弱っているけど運動すればまた動けるようになる感じです。」
「ああ、そうでしたか。新しい言葉をよくご存知で。おばあちゃんの口から突然横文字が飛び出して、すごいと思いました。」
「まあ、あたしも他人事ではないのでね。」

とまあ、こんな感じで、私は、受講生のおばあちゃんから最近の流行語を教えられたのであるが、つくづく思うが、教えるとは教えられることでもある。


(最終日懇親会)


(最終日懇親会)

2022/03/18

私たちは家族

この日の予定は、松戸⇒飯田橋⇒護国寺⇒駒込。
去年夏BNAWALLで壁画を見たことのある倉敷安耶(くらしきあーや、Aya Kurashiki)さんの作品を見る予定を2つ入れた。
1つ目は松戸の宮ノ越地下道の壁画である。
松戸駅東口から徒歩5分ほど、松戸市民会館から線路方向に住宅街を歩くと、宮ノ越地下歩道の入口がある。
ここは壁画スポットとして知られており、地下道を歩けば複数のアーティストの描いたカラフルな壁画が楽しめる。
倉敷さんの壁画が最新作で、そのタイトルは「獅子と牡丹」。




昼過ぎに到着し、私は地下歩道で動画を撮影したり、20分ばかり過ごした。
主婦や学生の自転車が絶えず往来し、地下道は彼らの話し声が響いたりしてにぎやかであった。
彼らは私とは違い、壁画の前を、自転車を押してただ通り過ぎるだけであるが、街中に当たり前にアートがあり溶け込んでいるということが重要で、通り過ぎる=気にしていない、ということではない。
もう見ている、知っているから通り過ぎるのであって、まあ、何というか、テレビで流れるコカコーラのCMを聞き流すのと同じようなもの。
アーティストの利益になるかどうかは別として、恐らく、アートのあり方としては、これはひとつの理想形だと思った。

その後、所用があり、上野広小路経由で飯田橋へ出た。
ホテルのパティスリーで贈答品を買ったついでに、カフェオレとシュークリームのセットを食べて休んだ。
最近洋菓子店を開業する予定のパティシエのNさんに、LINEで話すと、ザクザクした食感のはクッキーシューというそうで、その作り方の一部を教えてくれた。


シュークリームとカフェオレセット


所用が済んだのは夕方。
護国寺駅から地下鉄を乗り継ぎ、駒込駅に着いたのは5時過ぎになってしまった。
駅改札を出て線路沿いの坂道を下ると、路地に駒込倉庫という小さなギャラリーがある。
6人の若手アーティストの共同展示会をしており、6人のうちの1人が倉敷安耶さん。
ただ、倉敷さんは転写作品ではなく、家具を展示しているという。
駒込倉庫の中へ。
展示案内を読みながら作品を見て歩くと、私なりに何となく展示会の趣旨が見えてきた。


駒込倉庫


駒込倉庫1階


倉庫の名にふさわしい急階段を上がり、2階の細長い部屋へ。
入口の受付で職員に記帳を促されたので、私はしぶしぶ名前を書いて部屋の中央へ。
大型テレビに東南アジアの繁華街の記録映像が流れていたが、これはちょっと、銀座の資生堂ギャラリーっぽい感じがした。
さらに進み、部屋の一番奥へ。
窓際の白いカーテン、そばに西洋家具がおいてあり、これがトリの作品のようだ。


駒込倉庫2階、倉敷安耶、わたしたちは家族


駒込倉庫2階、倉敷安耶、わたしたちは家族


鏡の前の椅子に、帽子とメガネとマスク姿の小柄な女の子が座っていた。
が、まもなく立ち上がり別の場所へ行き、私の番になった。
ただ、近付くとどうもこの家具は古くさくて、誰かの遺品のようにも思えた。
なので私は座る気にはなれず、あちこち観察した後、鏡に向かって何枚か記念写真を撮った。
ほかにも鏡が何点か展示されている。
何かが転写された鏡もある。
鏡を使った素敵な展示というと、菅実花さんを思い出すが(2021年資生堂ギャラリー「仮想の嘘か」)、どういう意図の作品なのかしら。
以下は私の独断と偏見によるものなのであしからず。

倉敷安耶さんのこの作品は「私たちは家族」というタイトルで、3人で座って食べながら話せるようになっている。
展示の最終地点にあるのは、私たちにとって対話が最重要かつ最後の手段という示唆だろう。
この場所に座ればプーチンとバイデンも家族のように仲良くなれる。
ただし、よく見ると左右に飲み物は2人分あっても、お皿は1つだけだから、お皿の中の肉は共有で、お肉の分け方をめぐり2人の大統領の喧嘩が始まる。
するとそこに、作者の倉敷さんが白いカーテンの陰から静かにあらわれ、無愛想な態度で鏡の前に着席する。
大統領たちは何事かと顔を見合わせ喧嘩を中断する。
彼女は落ち着いた声で、「まあまあ、じいさんたち落ち着いて、カルシウムが足りない(`・ω・´)」などといい、2人が仲良くできるよう、ナイフとフォークでお肉を半分ずつに切り分ける。
そして2人に対し順番に、「はい、アーンして(*'ω'*) 入れ歯じゃん、ステキ♪♪」などといって、優しく食べさせてくれる。
こうなるともはや感激で、2人の男たちは目前の相手と仲良く、かたく、握手せざるを得ない。
かくして第三次世界大戦前夜、その危機は彼女のおかげで間一髪去ることとなるが、彼女が登場するときのBGMは、私の大好きな竹内まりやの「けんかをやめて」がよさそうだ。


2022/03/15

モンテマーレの室龍之介オーナーに開業祝のプレゼントをお渡ししてきました




きのう、モンテマーレの室龍之介オーナーに開業祝のプレゼントをお渡ししてきました。

コロナ禍のオープン、広くておしゃれな店内、たくさんのお酒と美人の店員さん。

なかなかアグレッシブな生き方、良いと思います♪♪


以下、追記。

初めてランチタイムに手打ちパスタセット(ワイン飲み放題付き)を食べてきました。

うん、なかなか、おいしかった(*'ω'*)!!!




2022/03/14

護国寺の桜と山口藍「山あいの歌」

週末、ミヅマアートギャラリーで、山口藍さんの展示会(山あいの歌)を見てきた。
いつもは何かの用事のついでだが、この日は護国寺に行く以外、特に用事はなかった。
実は今回の山口藍さんも、アート友達Iさんのおすすめである。
いつもはクールな彼が、ぼくは山口藍さんが大好きなんです、などと熱っぽくいうので、それなら自分も見てやろうと思った。

飯田橋駅の神楽坂下の交差点から市ヶ谷方面へ歩いて10分ほど。
外濠の向こうに見える高層ビルは法政大学の校舎である。
東京理科大の前を通り過ぎる。
すると、以前食べたことのあるイタリアンレストランを見つけた。
おお、ここは確か3年前、アンスティチュフランセ(フランス語の教室)で知り合ったおばあちゃんと一緒に、気まぐれな食事会をしたところだ。

「ねえねえ、お兄さん、まだ講演が始まるまで30分以上あるじゃない。」
「そうですね。」
「これからお兄さんも隣のレストランに一緒に食べに行かない?」
「え~、いいんですかあ。私のような怪しい男をナンパするなんて勇気がありますね。」
「いいのよ、私たちはどうせ取られるものなんてありゃしないんだから。」
「なるほど、分かりました。ご一緒します。」
(2019/06/03「私のような怪しい男をナンパするなんて」)

とまあ、こんな感じで食べにいった店なのだ。
そこから歩いて数分、倉庫のような建物の2階がミヅマアートギャラリー、今年早くも3度目の訪問である。
この日は30分ほどかけ、ゆっくりと見ることができた。
いつもの女性職員Mさんは不在で、別の女性が対応したが、彼女の話だと山口さんが個展をするのは数年ぶりとのこと。
作品に描かれた女性はみな慎み深く上品で、心惹かれるものがあった。
杉戸の絵は彼女の新作で、黒猫のものと白猫のものがあり、女性職員の話だと、この杉戸は寺社のものではなく、松濤(渋谷bunnkamuraの向こうの高級住宅街)のお屋敷を取り壊した時に得たものだという。
松濤のお屋敷ねえ、、、


山口藍、ミヅマアートギャラリー


山口藍、ミヅマアートギャラリー


古い杉戸に描かれた新作《せつが恵とき》は、「雪(山口の愛猫)が絵解き」の意で、北斎の「姥がゑとき」から名付けられました。百人一首に詠まれた歌意を乳母がわかりやすく子供に説明するという趣旨で制作されましたが、北斎ならではの難解な絵図が版元の意向に沿わず途中で断念したとされる北斎晩年期の錦絵の連作です。杉戸の端には女の子が猫と共に横たわり、静かな余韻を感じさせる画面には百人一首に編まれた全首が描かれています。和歌の筆の運びが着物の襞や柄へと繋がり、女の子の髪の毛が文字へと流れていくように、耳で聞けば目には見えない和歌の一文字一文字が、空間の気の流れを変えているような緊張感を携えます。
(山口藍「山あいの歌」展示会資料より)

私は、横たわる少女よりも、色違いの2匹の猫に興味を持った。
猫って無愛想で、あんまりかわいくない、、、
ブログの読者はご存知かと思うが、私は犬好きなのである!!

それにしても、百人一首の歌人たちは、うらやましいところに座っている。
私は、むかし読んだドラえもんのマンガを思い出した。
スモールライトか何かで小さくなったのび太君が、散歩中のしずかちゃんのスカートのポケットに潜り込むのだが、しずかちゃんは帰宅してそのまま脱衣所へ、お風呂に入ろうとする、というようなくだりである。


護国寺


さて、ミヅマギャラリーを出た私は、飯田橋駅に戻り、有楽町線で護国寺へ。
護国寺の正門を潜ったのは4時過ぎ。
しかし参拝時間は4時までで、境内には着物姿の女性も歩いておらず、坂道の方ではお茶会もしておらず、実に静まり返っていた。
私は霊園へ向かったが、その途中、本堂の裏手を通りかかったときに、身なりのよい若い男性を見かけた。
へえ、スーツ姿なんて珍しい、仕事の合間に、お墓参りかな??
と思ったら、彼は本堂の横の薬師堂で神頼みを始めた。
ほかにも何人かの男女が、神頼みをして境内を歩いているようだ。


護国寺


護国寺


そろそろ桜の季節である。
戦争と桜、「散る」という言葉が思い浮かんだが、しばらく桜を探して境内を散歩してから霊園に入った。
桜は徐々に咲き始めておりきれいだが、、、あそこにいる2人組の女の子、今度こそ、お墓参りかな??
いや、彼女たちは墓石の前ではしゃいでいて、スマホをかざして墓石の向こうの桜を記念撮影しているだけだ。
な、なるほど、、、撮影してもいいのだな。
これまで墓地で写真を撮るのは気が引けていたが、彼女たちを見て気が変わり、私は試しに鹿鳴館の建築家ジョサイアコンドルの墓石を撮ってみた。
さらに歩くと木々の繁る荘厳な墓地があるのだが、、、

おや、木の上にある白黒の毛皮のようなもの、あれは何だろう??
パンダ模様の野良猫さん、、、ですよね。


護国寺、ジョサイアコンドル墓地


護国寺


木の上の野良猫は遠くの空を見ている。
敷地に足を踏み入れるとその猫がこちらを見た。
私は少しの間、猫を見上げたが、警戒している感じではない。
よく「犬は人に付き、猫は家に付く」と言われる。
飼主がいなくなっても猫は同じ場所にとどまるということだから、死んだ飼主を追いかけて墓地へ迷い込む猫などいるまい。
それにしても、墓地の木の上でぼんやり遠くを見るこの野良猫、空は薄暗くて何となく不吉な存在にも見える。
ただ、それは何かと心配性の私個人の問題で、夕暮れ時の墓地にいるとそのような暗示にかかりやすいということなのだ。
野良猫はただそこにいるだけ。
のんびりとくつろいでいるだけ。
猫はきっと、墓地の方が静かで心が落ち着くといいたいだろう。

霊園を出たのは6時近く。
帰り道は裏道から正門に向かったが、途中の身代わり地蔵、一言地蔵尊、六地蔵の前では、先ほど見かけた数人の男女がまだ神頼みをしていた。

今の世の中は大変な事態に陥っており、それはまさに立ちはだかる山と山の間にいるかのようだ。私もその一人ではあるが足掻きながらも有難いことにこうして日々制作できている。禍によりたくさんの人が夢や希望が断ち切られそうなこの世の中で今をどう過ごせばいいのか悩み、物理的に孤立したことによりそれぞれ募らせる思いが大きくなり、孤立させられたその居場所で叫んでいるように感じている。つまり、今居る場所がそれぞれの山間とするならば、私はここで山あいの歌を響かせようと思う。
(山口藍「山あいの歌」展示会資料より)

2022/03/13

また犬不足







ここ数ヶ月、オミクロン株の影響で姪っ子もワンコも来ず、犬不足です。

しかしもうすぐ春休みなので再会の見込みです(^^)♪♪

2022/03/11

本日のブレンド










久しぶりに水戸までいってきました。

サザコーヒーで休んで、本日のブレンドを飲みました。

しかし、どこのカフェでも当たり前に見かける本日のブレンド、おいしいのですが、よく考えるとミステリアスなコーヒーです。

2022/03/09

奥田雄太展示会(2)六本木ヒルズA/Dギャラリー

先週末、私はインタビュー取材を受けた。
しかし、このインタビュー取材というもの、受ければ分かるのだがなかなかのクセモノ。
講師なら2時間好き勝手に喋ればいいので私は気が楽である。
しかし、インタビューとなるとそうはいかない。
なぜなら、相手とのキャッチボール(会話)があるからである。
つまりインタビューでは相手の話を聞きながら自分の話を用意する必要もあるわけだが、この2つを同時並行でおこなうのは、慣れないと案外むずかしい。

さて、インタビューは夜なので、昼間は六本木ヒルズなどにもいってきた。
去年末、私は銀座の石川画廊で奥田雄太さんの個展を見た。
私は奥田さんの絵を直感的にイイと思っており、もう1回見たいと思っていたのだが、数日前ミヅマアートギャラリーからメールが届き、今度は六本木ヒルズで個展を開くことを知った。
森美術館の入口(3階)にミュージアムショップがある。
その右手奥に白い扉の小さな展示室があるのだが、そこが展示会場の「六本木ヒルズA/Dギャラリー」である。
この日は初日で、開館30分前なのに10~15人ほどが並んでおり、私はその列のうしろについた。


六本木ヒルズギャラリー、奥田雄太展示会


六本木ヒルズギャラリー、奥田雄太展示会


実は、奥田さんはかなりの売れっ子なのである。
ただ、少し待てば入れると思ったが残念、いまはコロナ禍で入場制限中、おまけに初日は買う気の客も何人かいて、前に進まない。
私はこの後の予定があったので、あきらめて帰ることにした。

しかし、待っているあいだにちょっとした発見もあった。
ショップの一角を間借りするような形で、佐藤明日香さんのドローイングの展示会も同時開催されていたのだが、こちらはまったく誰も興味を示さないので、私は少々気の毒に思った。
私はあえてじっくり佐藤明日香さんの作品を見てみた。
こういう偶然はおもしろいものだ。
この場合「判官びいき」のようなものだが、佐藤明日香さんのドローイングは奥田さんとは対照的な作風で、派手さや華麗さはないが、服や雑貨のデザイン(例えばネクタイなど)には合っていると思った。


六本木ヒルズギャラリー、佐藤明日香


六本木ヒルズギャラリー、佐藤明日香


六本木ヒルズギャラリー、佐藤明日香


先ほどの話に戻ろう。
撮影終了後、ごほうびに、人形町今半のお弁当をもらった。
私はふだん弁当を食べつけないのだが、今半の弁当はおいしかった。
私がおいしいと言うと、インタビュアーのHさん(証券会社のアナリスト)が、ぼそっと言った。

「それ、ぼくのランチ1週間分です。」
「え、本当に??」
「本当ですよ。」
「差し支えなければ、Hさんのランチ代、おいくらくらいなのですか??」
「ぼくのランチ代はね~、もうずいぶん長いけど、500円です。」
「な、なるほど、、、」(ということは今半の弁当は2500円くらいかな)


人形町今半弁当


人形町今半弁当


しかし、昔話を聞くと、1980年代の日本株バブルでは金融マンがランチタイムにお寿司やうな重を食べるのは当たり前だったそうである。
まあ、会社員が、今半の弁当どころか、そんな豪華なものを自腹で食べていたら、それは正真正銘バブルに違いない。
ただ、このランチの話題を聞いて思ったことがある。
それは、アベノミクスから始まった2010年代の日本株バブルが、主として日本経済のファンダメンタルズの成長よりも、日銀の金融緩和の影響によるものだった、ということである。
去年日経平均株価が3万円を突破して盛り上がったが、その後はどうも株価も景気も低迷期に入ってしまった。

現に相場の当事者たちも、当時お寿司やうな重だったのに今はこうして500円ランチの日々。
この相場の上昇の原因は、もしかすると日本人の節約による節約もあるのではないか??
だとすれば、株価が上昇しても街角景気がよくならないのを不思議がる論者もいるけれども、むしろその方が理屈に合っていることになる!!
そして最近は、コロナと戦争、原油高と円安である。
コストプッシュインフレが現実化しつつあり、街角景気がさらに悪化してきている。
そういうわけで、金融関係の人たちはいま、なじみのチェーン店の500円ランチが値上げされるリスクを恐れているのかもしれない。

2022/03/07

危機の時こそ良き出逢いがある




いい時に出逢った人とは案外進展しない場合が多いと思います。

いい時を共有しても絆のようなものが生まれないからでは。


相田みつをによると、危機の時こそ良き出逢いがあるそうです。

コロナ禍の出逢いの中にこそ運命の出逢いがあるのかもしれません♪♪

2022/03/01

文学座名越志保朗読会、森鴎外「安井夫人」「旅歸」

日曜日は湯島天神の梅見と、久しぶりに千駄木の森鴎外記念館に行ってきた。
地味なイベントではあるが、文学座の名越志保さんの朗読会に参加した。
1本目の朗読作品は森鴎外「安井夫人」、この作品、知らないので事前に調べると青空文庫に載っていた。
安井仲平という江戸時代のお役人とその奥さんお佐代さんの苦労話で、「渋江忠斎」と同じく実話に基づいている。
朗読のもう1本は、森鴎外の奥さんの森志げの書いた「旅歸」(たびがえり)、こちらは森家そっくりの家の出来事をユーモラスに描いたものである。


湯島天神


鴎外記念館朗読会


まず「安井夫人」。
安井仲平というブサイクでマジメなお役人が、村一番の美女でしかも14才年下のお佐代さんに好かれて結婚してしまうという意外??な話である。
ただ安井仲平さんの場合、「努力」と「忍耐」の人格者で、幼少時から外見を馬鹿にされて、笑われても腐らずに勉学に励み、役人となり、地道に働き、30才の時にこの縁談を得たというのだ。

「滄洲翁は江戸までも修業に出た苦労人である。倅せがれ仲平が学問修行も一通り出来て、来年は三十になろうという年になったので、ぜひよめを取ってやりたいとは思うが、その選択のむずかしいことには十分気がついている。背こそ仲平ほど低くないが、自分も痘痕があり、片目であった翁は、異性に対する苦い経験を嘗なめている。識らぬ少女と見合いをして縁談を取りきめようなどということは自分にも不可能であったから、自分と同じ欠陥があって、しかも背の低い仲平がために、それが不可能であることは知れている。仲平のよめは早くから気心を識り合った娘の中から選び出すほかない。」
「一番華はなやかで人の目につくのは、十九になる八重という娘で、これは父が定府じょうふを勤めていて、江戸の女を妻に持って生ませたのである。江戸風の化粧をして、江戸詞ことばをつかって、母に踊りをしこまれている。これはもらおうとしたところで来そうにもなく、また好ましくもない。」
「あちこち迷った末に、翁の選択はとうとう手近い川添かわぞえの娘に落ちた。川添家は同じ清武村の大字おおあざ今泉、小字こあざ岡にある翁の夫人の里方で、そこに仲平の従妹いとこが二人ある。妹娘の佐代さよは十六で、三十男の仲平がよめとしては若過ぎる。それに器量きりょうよしという評判の子で、若者どもの間では「岡の小町」と呼んでいるそうである。どうも仲平とは不吊合いなように思われる。姉娘の豊とよなら、もう二十はたちで、遅く取るよめとしては、年齢の懸隔もはなはだしいというほどではない。豊の器量は十人並みである。」
「お豊さんは手拭いを放して、両手をだらりと垂たれて、ご新造と向き合って立った。顔からは笑みが消え失せた。「わたし仲平さんはえらい方だと思っていますが、ご亭主にするのはいやでございます」冷然として言い放った。お豊さんの拒絶があまり簡明に発表せられたので、長倉のご新造は話のあとを継ぐ余地を見いだすことが出来なかった。」
「川添のご新造は仲平贔屓びいきだったので、ひどくこの縁談の不調を惜しんで、お豊にしっかり言って聞かせてみたいから、安井家へは当人の軽率な返事を打ち明けずにおいてくれと頼んだ。そこでお豊さんの返事をもって復命することだけは、一時見合わせようと、長倉のご新造が受け合ったが、どうもお豊さんが意を翻ひるがえそうとは信ぜられないので、「どうぞ無理にお勧めにならぬように」と言い残して起って出た。」
「長倉のご新造が川添の門を出て、道の二三丁も来たかと思うとき、あとから川添に使われている下男の音吉が駆けて来た。急に話したいことがあるから、ご苦労ながら引き返してもらいたいという口上を持って来たのである。」
「「お帰りがけをわざわざお呼び戻しいたして済みません。実は存じ寄らぬことが出来まして」待ち構えていた川添のご新造が、戻って来た客の座に着かぬうちに言った。「はい」長倉のご新造は女主人の顔をまもっている。「あの仲平さんのご縁談のことでございますね。わたくしは願うてもないよい先だと存じますので、お豊を呼んで話をいたしてみましたが、やはりまいられぬと申します。そういたすとお佐代が姉にその話を聞きまして、わたくしのところへまいって、何か申しそうにいたして申さずにおりますのでございます。なんだえと、わたくしが尋ねますと、安井さんへわたくしが参ることは出来ますまいかと申します。」
「長倉のご新造はいよいよ意外の思いをした。父はこの話をするとき、「お佐代は若過ぎる」と言った。また「あまり別品でなあ」とも言った。しかしお佐代さんを嫌きらっているのでないことは、平生からわかっている。多分父は吊合いを考えて、年がいっていて、器量の十人並みなお豊さんをと望んだのであろう。それに若くて美しいお佐代さんが来れば、不足はあるまい。それにしても控え目で無口なお佐代さんがよくそんなことを母親に言ったものだ。」
「長倉のご新造が意外だと思ったように、滄洲そうしゅう翁も意外だと思った。しかし一番意外だと思ったのは壻殿むこどのの仲平であった。それは皆怪訝かいがするとともに喜んだ人たちであるが、近所の若い男たちは怪訝するとともに嫉そねんだ。そして口々に「岡の小町が猿のところへ往く」と噂した。そのうち噂は清武一郷に伝播でんぱして、誰一人怪訝せぬものはなかった。これは喜びや嫉そねみの交じらぬただの怪訝であった。」

さて、この物語の私なりの着眼点は、外見上の短所のように直せない短所があるなら、その短所を無理に直そうとはせず、別の長所を作る方がいい、ということである。
短所を直してもフツーになるだけで突出するわけではないので、あんまり意味がないということ。
でも、別の長所を作れば突出するので、何らかの意味で非常に豊かで魅力的な人物になれるのである。
また、直せない短所というのは、自分は気にしていても、他人はそれほど気にしていないものだ。
もっとも外見上の全ての短所に該当するとはいえず、物事には限度があるとは思うのだが、たいていの短所はそれほど気にする必要はないのではないか。

次は「旅歸」という森志げの作品。
旅から帰った鴎外と思しき文学博士の吉井先生、その奥さんの藤子とのやりとりが物語の中心である。
最初、とりさんという幼い子供が喋っていて、これってたぶん森茉莉のことかと思ったが、一家には子供が全部で3人いる。
後半になると、子供たちが寝付き、夫婦ふたりで葡萄酒を静かに飲みながら話す場面となる。
藤子が、「あなたって、悪いことをするから憎たらしいのではなくて、悪いことをしないのが憎たらしいのよ」とか言うのだが、吉井先生の方も、「鏡の前の女の顔というのは違うのだよね、自分の顔を鏡で見ている時の顔と、見ていない時のふとした顔とでは」とか言って、お互いに色気がない色気がないと言いあうのだが、結局、電気をつけたままにしましょう、ということになって物語は終わる。

以前ブログに書いたようにそもそも森志げは鴎外40才のとき、22才で結婚した。
鴎外によると彼女は「美術品の如き妻」で、引き算をしてみると18才も年下。
この話を聞き、私はそのようなご利益にぜひ、あずかりたいものだなあ、とは思ったが、、、ただ、学芸員の女性の補足の解説を聞き、考えさせられた。
実は、志げさんは鴎外と再婚する前は、大銀行家の御曹司で美男子のわたなべ君と結婚していたのだ。
が、わたなべ君は浮気性で、芸者との関係がばれて離婚となった。
鴎外との再婚は、彼女にとってある種の妥協で、わたなべ君に対する復讐(リベンジ)の意味もあったと思う。
結婚後鴎外は彼女に尽くした。
これも納得できることだ。
ここで私は先ほどの「安井夫人」の一節を思い出してしまう。

「わたし仲平さんはえらい方だと思っていますが、ご亭主にするのはいやでございます」

まあ、こちらの方が現実ではないか。


鴎外記念館