2022/04/30

「うどん」カルボナーラを作りました







先日のランチ。好評なので、また、「うどん」カルボナーラを作りました。簡単でおいしいです♪♪ 元ネタは、去年12月ワイン教室の後の飲み会で食べた「ほうとう」カルボナーラです。実際、だいぶ違いますが(*'ω'*)




2022/04/29

ゲートキーパー養成研修回想

ゴールデンウイーク、溜まっていた資料やメモを整理整頓している。
これまで私が聞いた講演会や研修のまとめファイルが書斎にあるが、それをぱらぱら眺めると、私は以前、ゲートキーパー養成研修というのを受けていた。

ああ、思い出した。
これこれ、さわとん先生だ。

ゲートキーパーとは「命の門番」の意味である。
職場、学校、家庭内等で自殺の兆候が見られる人を見つけ、声をかけ、話を聞き、場合によっては専門家を紹介する等して自殺防止の役割を果たすボランティアのこと。
ただ、ゲートキーパーという国家資格や認定資格があるわけではない。
養成研修の趣旨を私なりに言うと、カウンセラーの研修である。
内閣府の自殺防止キャンペーンの一環として全国各地でこの研修が行われている。


柏神社


2021年3月アミュゼ柏でその研修があった。
柏神社のある大通りの交差点から歩いて5分ほどの公共施設である。

私はそのときのことを思い出した。
今回思い出したのは、周囲に自殺しそうな人がいて、その人を救いたいからではなく、さわとん先生が同じ講師業として非常に参考になる講師だったからである。
さわとん先生はカウンセラーで、NHKなどのテレビ番組にも出演したことがある。
市役所職員に聞くと、この養成研修は年1回の定番の人気講座、さわとん先生は全国を飛び回り、このような講義を年何十回とこなしているという。




講義内容は長くなるので省略するが、自殺を考えている人にどのように関わるか、というのが主な課題である。
そもそも自殺防止キャンペーンをしている公権力やカウンセラーといったプロは、事が起こってから関わるのが通常で、彼らだけでは未然に防ぐことができない。
しかし、実行まで周囲に黙っているとしてもたいていは予兆のようなものがある。
なので、周囲の者がそれを見逃さないことが大事だが、そのためには私人間で積極的に話を聞く必要があり、どういうふうにそれをするか??というのが非常に難しいのである。


(ゲートキーパー養成研修資料より)


ただ、この日の私はテキストを読み返さず、むしろ、さわとん先生の講義法のメモを読み返したのだった。
あんみつ先生にとって、さわとん先生の講義はまるで自分と正反対。
これが「逆もまた真なり」で、非常に参考になる。
結論から言うと、受験生向けではなく一般人向けで講師をするなら、とにかく、さわとん先生のように力を入れないことだ。
手抜きではなく、力を入れない、それはどういうことかというと、こういうことである。

第一に、さわとん先生の講義はざっくりなのである。
私なら受講生に細かな資料を渡し、すべてを完璧に理解できるような解説講義をし、完璧なのだから質問なんかあるわけがない、と思って講義を終えるのだが、、、
しかし、さわとん先生はそうではなかった。
細かい記述にこだわらないし、資料の記述を掘り下げない。
ようするに今日はみなさん、これとこれを覚えて帰ってほしいのです、というふうにするだけ。
こちらの方が正しいのだと思う。
私のような教え方は、難関大学受験生や難関国家資格受験生ならいいのだが、気軽に来られた一般人の講座ではだめなのだ。

第二に、さわとん先生の講義を聞き、長くても2時間までと思った(2時間限界説)。
講師は2時間喋っても別にどうってことないと思う。
そこで熱血講師なら2時間では生徒も物足りないだろう、と考えて延長したりすることもあるかもしれない。
しかし、受講生の立場だと、2時間以上の座学は集中力がもたない。
静かに座って聞き続けるのは息が詰まる、脳が疲弊する、腹が減って早く帰りたくなるのだ。
したがって、一般向けで講師をするなら60分~90分で終了、それくらいが受講生もイイ気分で帰れるだろう。

第三に、リフレッシュのため、受講生に喋らせる、発言の機会を積極的に与えることも重要である。
時折何か質問して答えてもらう、ちょっとした作業(メモ)をしてもらう。
また、グループワークなどの時間を設けたり、受講生どうしの会話の機会を作り出すのもよいと思う。

第四に、講義の最後の方で10分程度、全員から質問を受けること。
つまり、講義時間の中に質問時間を10分程度含めるということであるが、これだと講義終了後に受講生から同じ質問をされることがない。
みんなが疑問に思うことを誰かが代表質問すれば、自分があとで楽になれる。

第五に、身振り手振りの重要性、である。
アメリカのIT企業の社長のプレゼンテーションなどを見ていると、登壇者が壇上を自由に動き回り、派手なアクションをまじえて話したりする。
会社のプレゼンテーションだと、上司などが聞いているのでそんなことはできないが、講師たる者は「役者」「芸人」でもあるから、そういうのもアリかもしれない。
知識のほかに芸も披露すればウケるし、親近感を持たれやすい。

ただ、私は舞台役者のように暗唱しているわけではない。
パワポを見ながら話すため、ノートパソコンの前から離れたくないんだよなあ、、、いや、待てよ、さわとん先生は背後のプロジェクターをチラ見しながら身振り手振りで話していたぞ。
次はそうしてみようか。
いや、どうだろう。
講義の内容にもよるか。
まあ、そういう感じで、あんみつ先生の試行錯誤は今日も続くのであった。






それにしても、写真フォルダを整理していたら、最近はやけに、神社やお寺に立ち寄ることが多かったのだ。
まあ、人間誰でも心配事は尽きないということだが、心配だからといって神社に駆け込んでも、どうってことないのである。
そして最近三越前の福徳神社で引いたおみくじだが、境内におみくじの撮影台があり、そこで記念写真におさめた。

願望 おおかたかなう
対人 恨むな
仕事 今はあまり変わり映えしない
学問 努力あるのみ
金運 単調な時です
恋愛 妨げあり よく見極めよ
病気 医師にかかれ

長い目で見るとうまくいくが、いまは我慢の時である。
健康には要注意。
人を恨むより愛せよ。
まあ、いろいろなことがあっても、「ゆく春や 逡巡として 遅ざくら 蕪村」のようである。


2022/04/28

I'm sorry for worrying too much

最近、私は都内の病院で診察を受けた。
その帰り、付近の入院病棟を眺め、ふと思い出したことがある。
2019年夏、知り合いのMさんが御茶ノ水の日大病院に入院したときのことであるが、それは突然の出来事だったのでよく覚えている。

Mさんは20代のごく普通の女性、上京し、ハンドメイド雑貨のオンラインショップを立ち上げ、日中はアルバイトをしながらギリギリの生活を送っていた。
全ての商品は彼女のハンドメイドで、そこそこの売れ行きだったが、品物の補充のため、ほぼ毎晩、深夜まで雑貨を手作りしていた。
カフェで(書類作成の依頼の)打ち合わせをしたときは、体調が優れず通院中と言っていたが、こないだは睡眠導入剤で寝ぼけていて、うっかりパジャマのまま朝食に出てしまったという。
仕事用のノートパソコンを抱えカフェなどへ入り、ウトウトしながらメールチェックやデザインワークをしていることもある。
あなた、もっと余裕をもって生活した方がいいですよ、と注意しても、仕事のためだからそうも言ってられないのよと、どこ吹く風である。






このように、若い女性が東京に出てきて、1人で自由な仕事をして生きる、夢に向かってひた走る人生は、一見すると花やかで楽しそうだが、現実は違う。
彼女たちは独身男性のような飾り気のない都会生活を送り、単に苦労を買っている。
最初のうちはそれでもいいが、長く続くとそうもいかない。
これまで好きだから無限の努力も苦にならなかったことが、身体的精神的苦痛を伴う過酷な作業だと気付く。
あるいは無理な生活を送った代償を支払って本当に病んでしまう人もいて、私の過去の知り合いに実際そういう人がいた。

代償を支払ってから気付いたのでは遅いのだ。
しかし生真面目で努力家の彼女の場合、個人事業主が努力しすぎてはいけない職種だと分からなかった。
つまり、彼女は手抜きのできない性格なのである。
疲労がたまり日々体調が悪化し、真夏のある日意識朦朧となり、気付いたら病院のベッドに寝ていた、まさかの緊急入院をしていました、という顛末を聞いた。
まあ、そういうことなので、様子を見に行くほどの仲ではないが明治大学(御茶ノ水)で書類をもらう用事があり、そのついで、私は彼女を見舞ったのだった。




明大を出た私は、病院の裏手のケーキ屋で2人分のケーキを買い、入院棟の受付で面会手続を済ませ、エレベーターで高層階へ上がると、彼女の部屋はナースステーションのすぐそばだった。
着いたのは昼過ぎ、彼女のベッドは相部屋の窓際の空っぽのところで、向かいの中年女性に行方を尋ねると食後の散歩中と言われた。

私は病室の前でしばらく待った。
10分ほどたって彼女は、小柄な若い男性と一緒に戻ってきた。
彼がいてなぜこういうことが起こるのか、と私は腹立たしく思った。
そのような気配を察したわけではないだろうが、彼は挨拶の後、逃げるように席を外した。
優しいが頼りない、優しいが気付かない、何だか昔の私を見ているかのようだ、、、
2~3分彼女と真剣に話しあった。
過労が原因で、重大な病気ではない。
ご両親が保有するワンルームマンションに転居することが決まった、だから心配無用です、などと言ったので、まあ、安心はして帰ったのだが、正直、睡眠導入剤のことを知っている私には、彼女の笑顔がはかなく見えてしまった。

ただ、その後は以前のブログ記事にあるように、彼女は無事復活することができた。
後日、私は都内に期間限定で出店した彼女のショップを訪ね、元気であることを確認した。
その後、私たちはほとんど連絡を取らなくなった。
いま彼女はどこで何をしているのだろう、と思うこともある。
確かに、今後も彼女は同じことを繰り返したりして再入院をするかもしれない。
しかしここは平和で豊かな日本、憲法25条で生存権が保障されており、福祉制度も世界最高水準、たとえ元気でなくても病気でも、彼女は何とか無事生きていけるだろう。

2022/04/17

Cyprien Katsarisのラフマニノフピアノコンツェルト2番独奏



4月15日は葛飾アイリスホールで、シプリアンカツアリス(Cyprien Katsaris)のピアノコンサートを聞いた。
途中、アトレ上野のあんみつ屋で休んでから、京成線で上野駅から青砥駅へ。
駅から雨の中を10分ほど歩き、葛飾シンフォニーヒルズのモーツアルト像の前に到着。
正面玄関から入り、早速1階のチケット売場を訪ねると、ここではチケットは売っていない、アイリスホールは地下にあり、開場後、地下のチケット売場で買うように、と言われた。
しかし開場まで、まだ1時間以上ある。
私はシンフォニーヒルズを散歩することにした。


葛飾シンフォニーヒルズ


裏へ抜けると、狭い裏通りを挟んで左右に大きな建物がある。
その全体がシンフォニーヒルズと呼ばれる総合文化施設、いま出てきたばかりの建物が本館、本館地下の小ホールが独奏及び室内楽用の葛飾アイリスホールである。
平日昼間で人気がなく、外は雨で薄暗い。
向こう側の別館の建物に入ってみると音楽室や会議室などがある。
別館は区民のサークル活動用の施設のようだ。
3階にレストランがあるので行ってみると、ここもまた薄暗く、CLOSEDと書いてあった。
営業時間を見ると、コロナ禍で、ランチタイムの営業だけのようだ。
コンサートの前なので、おしゃれなレストランで食べたかったのだが。


葛飾シンフォニーヒルズ


仕方がないので私は、店の前の長椅子でペットボトルのお茶を飲んで休むことにした。
するとまもなく、店のドアがバタンと開き、白い服を着た料理人の男性がゴミ出しのため廊下を往復しはじめた。
その男性は通るたび、何度か私を変な目で見たような気がした。
しかし私は、コンサート前なのに店が閉まっているからここに座っているんであって、ここにいるのは私の本意ではないのでもうしばらく居座ってやった。

おや、雨があがったようだ。
私は本館の正面玄関に戻った。
外を歩いておしゃれな店を探してみよう。
しかし、確かにシンフォニーヒルズは立派な音楽施設なのだが、場所があまりよろしくない。
下町の入り組んだ住宅街の一角にあり、周囲におしゃれな飲食店のひとつもない。
近くに昭和風の古びた中華料理屋があるが、さすがにコンサート前にラーメンと餃子のセットはないだろう。
仕方がない、コンビニを見つけてサラダでも買って食べるか。
そんな感じで、私はしばらく外をぶらぶらした。


葛飾アイリスホール、シプリアンカツアリス、ピアノコンサート


いつのまに開場時間の18時が過ぎた。
18時以降は階段が開放されて地下の小ホールにおりられるようになっている。
私は1階のラウンジに行ったが、そこにはまだ、20人ほどしか来ていない。
客席は満席、チケットは売り切れ、それは本当なのだろうかと不思議に思った。
しかし階段で地下におりると、すでに開場前のホールには人だかりができていた。
ああ、早く着き過ぎて別の場所でのんきにしていたら、出遅れてしまうとは、マヌケすぎる。

とはいえ、チケットはプロモーターのAさん経由で良席を確保してあるのだ。
地下の窓口でチケットを受け取り、アイリスホール内へ。
トッパンホールをワンサイズほど小さくしたような感じで、定員298名と表記があった。
席に荷物を置き、ジュースを買いに出るとプロモーターのAさんを発見。
しかし、忙しそうにしており、ゆっくり話せる状況ではなかった。
私は通路側の席なので、開始5分前まで外で待った。
そして直前、ようやく席に着き、周囲を見回すとほぼ満席であった。
が、私の隣の席はまだ空いている。
たぶんこの列はAさん経由の客が座るはず。
ということは、お隣には芸能人が来るのか。
もちろん私は面識がないが、この席はKさんが座っているはずの席なのだそう。

「すみません、、、」
「どうぞ、お入りください。」(で、でかいな、この人、、、)

なにやら、ギリギリ滑り込みセーフで欧米人のおじさんが私の隣に駆け込んできた。
私はいったん席から立ちあがり、彼を通した。

なんか、ふつうの人みたいだな、、、
でも欧米人だし、まさか、カツアリスのお友達だったりして。

18時30分過ぎ、ステージにシプリアンカツアリスが登場。
2018年7月、横浜みなとみらいホールで聞いて以来、約4年ぶりに聞いた。


(2018年7月17日横浜みなとみらいホール)


横浜みなとみらいホール、シプリアンカツアリス、ピアノコンサート
(2018年7月17日横浜みなとみらいホール)

曲目は、ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ「春」「クロイツエル」、サンサーンスの「組曲・動物の謝肉祭」のピアノ編曲版など。
カツアリスは即興が得意で、難曲も簡単そうに弾いている。
Aさん経由の席なので、私はカツアリスの手と鍵盤がよく見えた。
彼はピアノ教師の手本のようなきれいな弾き方をする。
また、彼のピアノはスタンウェイではなくヤマハだ。
これは銀座ヤマハホールでも感じたことだが、ごちゃついたときにペダルを踏んでも、スタンウェイよりもヤマハの方が澄んで聞こえるように思う。
そのため、カツアリスのようなヴィルトオーゾにヤマハは合っているのではないか。

アンコールは全5曲。
そのうちの2曲は、戦争反対と、ロシア音楽の排斥運動への反対の意味も込められたもので、ウクライナの作曲家セルゲイボルトキエヴィチ、ロシアの作曲家セルゲイラフマニノフを交互に演奏するというユニークで感動的なものであった。
私は、ラフマニノフのピアノコンツェルト2番のピアノ独奏版をここで初めて聞いた。
聞きながらウクライナの悲劇を思い起こし、私はゼッタイに感動するところだ、と思った。

アンコールが終わった。
ご存知のように、いまは帰る時が整列退場になったので、すぐ出られない。
多くの人にとっても私にとっても、この待ち時間はじれったいものだが、待っているあいだに隣の欧米人と話すことができた。
コロナ禍でカツアリスの楽屋裏に入れなくて残念だ、という話から始まり、お互いある程度の自己紹介もできたし、有意義な時間となった。

つくづく、出会いとは不思議なものである。
「そのときの出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを みつを㊞」
出会いというと、私は相田みつを美術館で何度か見たことのある名言を思い出す。
出会いを大切にしない者に人生の発展は訪れない、と私は思う。
家にある相田みつを美術館のカレンダーを見ると、人生を変えていくのは難しい理論や理屈ではなく、出会いである、と書いてある。
コロナ禍のため、サイン会もなく、カツアリスとの再会はかなわず。
だが、まさか、カツアリスのお友達と知り合ってしまうとは、ラッキーですね!!


シプリアンカツアリスコンサート、アンコール


そして、ラッキーな出会いといえばもう1つ。
さらにその後、私はアンコール曲の掲示の前で、記念撮影を頼んだ20代の女性たちと意気投合してしまった。
そのうちの1人の女性はピアノ好きで、帰り道、コンサートとピアノの話題で大いに盛り上がった。

話題の中心はやはり、アンコール曲。
まず、最後の「桜の主題による即興曲」では、カツアリスのピアノのリズムに合わせるように、時折、床をホウキで掃くような音が聞こえていたが、あの音は一体何だったのだろう??
私は、譜めくりの女性か誰かが舞台袖で、何かの道具を使って鳴り物を入れた、あれはしゃれた演出だ、と言った。
すると、彼女はそうではない、と言うのだ。
今日は雨だからお客さんが傘を持ち込んでいる、傘で音をたてる迷惑行為だ、と彼女は言い切った。
クラシック音楽の客が、まさか!!
納得いかないが、初対面の女性に反論はできない。

次に、ラフマニノフの楽譜について。
ご存知のとおり、ラフマニノフは手が大きくないとなかなか弾けないのだ。
それでは、ピアノを弾くときに手がどれくらい届くかという、ピアノ好きがよくする話である。
彼女は小柄なのに10度まで届くというが、彼女に限って10度は断じてあり得ない、なぜなら私がせいぜい9度だからです。
今度は私が言い切った。
すると彼女からひと言、それは練習不足のたまものですね、と言われてしまった。
そ、そう言われると、悲しいかな、趣味でピアノを弾く程度の私には返す言葉もない。

その後、ラフマニノフ2番の話題となった。
そろそろ意見の一致が1つくらい、あってもよさそうなんだけどなあ、、、

「私は、2番のピアノ独奏を初めて聞きました。」
「あたしもです。」
「ウクライナの戦争のこともあるし、ここはゼッタイ感動しますよね!?」
「え~、そうなのかな~??」
「そうですよ、違いますか??」
「いや、あたしは別に、感動はしませんでした。」
「といいますと、、、どういう感じだったんでしょうか??」
「あそこはね、浅田真央ちゃんの演技をイメージして楽しく聞くところですよ♪♪」
(!!)「な、なるほど、楽しくですか。」

まあ、楽しく聞いたならそれはそれで大変に結構だが、、、女性というのは実によく分からない生き物である。

2022/04/07

東劇メットライブビューイングオペラ、ヴェルディー「リゴレット(Rigoletto)」

きのうは気晴らしに銀座へ行き、東劇でMETライブビューイングオペラを見てきた。
ヴェルディーの「リゴレット(Rigoletto)」である。
これはヴェルディーの傑作でどうしても見たかったのだが、リゴレットといえば第3幕の「女は気まぐれ(La donna è mobile)」、同じヴェルディーの「椿姫(La Traviata)」の「乾杯(Libiamo, ne’ lieti calici)」と並んで、楽しい3拍子の有名曲である。
これは女たらしの王様「マントヴァ公爵」がソロで歌う、愛の囁きの歌なのであるが、、、




(歌詞)
La donna è mobile Qual piuma al vento,Muta d'accento - e di pensiero.
Sempre un amabile,Leggiadro viso,In pianto o in riso, - è menzognero.
È sempre misero Chi a lei s'affida,Chi le confida - mal cauto il core!
Pur mai non sentesi Felice appieno Chi su quel seno - non liba amore!
(和訳)
女は気まぐれ まるで羽根 風の中の 声色が変わる そして心も
いつも愛らしい 可憐なお顔 泣いたり笑ったり 嘘で出来てる
いつも哀れだ 女を信じたり 打ち明けたり 不注意不用心!
なのに気づかずに 幸せでいっぱい あのお乳から 愛は飲めない!

(マントヴァ公爵の主張の要旨)
女は嘘でできている、女の「愛している」はまったく信用できない、それなのに男は女に「愛している」といってしまう、おれ以外の男って本当にバカだよなあ、男は女に愛を誓ってはならない、女とは一度遊んだらおしまいでいい。

一国の王にあるまじき歌だが、言わんとすることも何となく分かるような気がする。
もっとも、ピアノ好きなら恐らく、フランツリストのピアノ曲「リゴレット」の方をよく知っているだろう。
こちらも第3幕のクライマックスのパラフレーズである。




歌舞伎座の横のギャラリーMUMONなど銀座のギャラリーを何件か回り、2時過ぎに東劇に着いた。
チケットを購入し、スカスカの劇場内へ。
別に飲まないとやってられないわけではないが、売店でソフトドリンクを選ぼうとしたらミニボトルのワインが目に入り、思わずドイツワインを買った。
やや甘口のモーゼルなら飲みたい。
それに、ソフトドリンクが400円に値上がりしており、ペットボトルを持ち込めるのに買う気になれなかった。
座席の左側にワイン、右側にお茶を置き、オペラ鑑賞のスタート!!




主人公「リゴレット」は、女たらしのマントヴァ公爵に仕える醜い道化師である。
宮廷の連中を笑わせる仕事は、彼らから笑い者にされる仕事でもあるから、性格が鬱屈している。
しかし、リゴレットの家には、死んだ奥さんとの間のひとり娘ジルダがいる。
リゴレットにとってジルダは、唯一の肉親、人生の全てである。
だから用心して、教会の礼拝以外、ジルダの外出を許さない。
しかし、ジルダは自由に外出し、恋愛のひとつもしてみたいお年頃なのだ。
物語はその後、いろいろあって、リゴレットの仕えるマントヴァ公爵が、リゴレットの娘ジルダをもてあそんでしまうのだが、それを知ったリゴレットは激怒し、殺し屋スパラフチーレに公爵殺害を依頼する。
しかし、殺害現場に誘惑する役割を任されたスパラフチーレの妹マッダレーナもまた、公爵に寝取られてしまう。
公爵を本気で愛してしまい冷静な判断ができなくなっている2人は、リゴレットとスパラフチーレの殺害計画から公爵を守ろうとする。










結末は、ジルダが公爵の身代わりを望んで、スパラフチーレのもとに殺されに来る。
リゴレットは愛する娘が死に、しかも殺害の依頼者は自分という最悪の事態で絶望するが、その近くでは泥酔した公爵が「女は気まぐれ」を楽しそうに歌っている。
オペラで王様が殺されるという結末は、基本的には「ない」ので、これでいいのだが、このような皮肉な結末の意味するところはつまり、遊び人とは付き合うな、という教訓である。
遊び人の男(女)は何をやらかしても案外、上手な波乗りのように、マントヴァ公爵のように、破滅などせず生き延びるものなのだ。
むしろ彼(彼女)を真剣に愛してしまった真面目な女(男)は不器用で思い切れず、波にのまれて破滅してしまうことがある。
だから、お付き合いの相手が遊び人と判明したら、親の言う通り、直ちに別れた方がいいということ。
自らの悲劇や破滅を避けるためにも。

ジルダ役のローサフェオラ(Rosa Feola)は、若くてこれからのオペラ歌手である。
聞けばすぐ分かるが、その歌声はすでに世界屈指だと思う。
しかし、最も印象に残ったのは、リゴレット役のクインケルシー(Quinn Kelsey)の楽屋裏インタビューである。
彼は長い下積み時代を振り返り、インタビュアーのマイクに向かって、若い芸術家にとって最も重要なのは「忍耐」だ、と言った。

どのような職業の者でもそうだとは思う。
しかし、芸術家は特に、ということである。
芸術家はたとえ才能があっても忍耐の試される時代がある。
そのときの苦しみを経なければ一流にはなれない。

ああ、意外にも、気晴らしに見にいった「リゴレット」が、私に忍耐の重要性を教えてくれるとは。
そう、確かに忍耐は重要だ。
しかし、気晴らしをしないよりはした方がよく、気晴らしをしないで忍耐だけをするのは、閉塞するのでやめた方がよい。
ようするに、遊び人(マントヴァ公爵)もだめだが、遊ばない(ジルダ)のもだめということだ。
ただ、遊びはほどほどにしましょう。

2022/04/02

あなたって本当に有名人なのぉ~??

この日は夕方からヒルトン東京でパーティーがあり、用事を済ませてから少し遅めに出発した。
途中、京橋のギャラリー椿(門倉直子展)に寄り道をしてミッドタウン日比谷へ。
内幸町駅から都営三田線、都営大江戸線と乗り継ぎ、新宿駅に到着したのは午後3時頃だった。
ヒルトンは地下で大江戸線都庁前駅に直結しているが、その前に私はSOMPO美術館に寄りたかったので新宿西口駅でおりた。
新宿西口駅は損保ジャパン本社の目の前なのである。

シダネルとマルタン展。
リニューアルオープン後、2回目の訪問である。
入口の壁に女性の絵が大きく描かれており、通行人の目をひくが、これはアンリマルタンの「腰掛ける少女」という作品のようだ。
ええと、筒井康隆の「時をかける少女」なら知っているのだが、シダネルもマルタンもまったく知らない画家である。
チケットを買い、エレベーターで5階へ。


シダネルとマルタン展、SOMPO美術館


「19世紀末から20世紀初頭のフランスで活躍した画家、アンリ・ル・シダネル(1862-1939)とアンリ・マルタン(1860-1943)に焦点をあてた、国内初の展覧会です。印象派を継承しながら、新印象主義、象徴主義など同時代の表現技法を吸収して独自の画風を確立した二人は、幻想的な主題、牧歌的な風景、身近な人々やその生活の情景を、親密な情感を込めて描きました。「最後の印象派」と言われる世代の中心的存在であった二人は~」「~二人は深い友情で結ばれ同じ芸術観を共有しながらも、それぞれの活動拠点に由来して、異なる光の表現を追求します。シダネルは北フランスに特有の霞がかった柔らかな光を、マルタンは南仏の眩い光を描き出しました。本展では、世紀末からモダニスムへ至るベル・エポック期に、独自の絵画世界を展開した二人の道のりを、約70点の油彩・素描・版画を通して辿ります。」

フランスの印象派か、、、なるほど、その作風は確かに、以前ここで見たシャルルフランソワドビニーもそうだが、幻想的、牧歌的、感傷的である。
コレクションは海外美術館からの借物、記念撮影用の数点を除き、撮影禁止マークが付いていた。
5階、4階、3階~出口前の小部屋の最終展示は、もちろんゴッホの名作「ひまわり」。
こちらはSOMPOの所蔵品なので撮影OK。
ひまわりの黄色とバックの黒のコントラストが見事で、絵には強烈なインパクトがあり、隙のようなものもまったくない。
まあ、終わりよければ全てよし、ということで、トリがこれではSOMPOはいつも敵なしだ、というのが今回の感想である。


ゴッホ、ひまわり、SOMPO美術館


ラウンジを横切り、館を出て都庁方面へ。
ヒルトンの正面玄関の交差点には桜花が咲き乱れており、ちょうど今が満開だ。
コロナ禍になり花見の季節は3度目だが、酒宴のない花見ならその必要がなく、こうして外出先で、偶然の桜との出逢いを楽しめれば十分満足である。
会場にはギリギリに到着。
受付で手続を済ませたり荷物を預けたりしていると、見覚えのある男性が通りかかった。
あれ、あのお兄さん、今日は何かおしゃれだぞ。


ヒルトン東京


「Jさん、こんにちは。お久しぶりですね。」
「やあ、元気ですか!?」
「私は、まあまあ、元気です。Rさんはどこにいるの??」
「会場のステージにいますよ。」
「今日も何か演奏するのかしら??」
「ああ、それは後半ね。あなたも今日は大いに楽しんでください。」

とまあ、相変わらず気さくで親切なJさん、でもJさんとRさん以外の顔見知りがおらず、彼らはホスト役で大忙しなので、私は窓際のカウンター席の椅子に座り、外の桜を眺めしばらくぼんやりと過ごした。
ちなみに、Rさんと私はただの飲み友達である。

やがてパーティーが始まったので、会場内へ。
テーブル席で食事をしながらゲストスピーカーの話、続いてライブ演奏を聞き、歓談の時間となった。


ヒルトン東京


ヒルトン東京


スマホの電池が切れそうだ。
充電のため私は会場のラウンジに出た。
来る人も帰る人もなく、受付係の数人の女の子がお手すきの様子、私は彼女たちに話しかけた。
彼女たちと雑談をしたり記念写真を撮ったりしていると、私の背後で男性の声がした。
ああ、この声は確か、、、黒い帽子をかぶった黒ずくめの中年男性。
彼はパーティーの司会進行役で、英語と日本語を自在に使いまわし会場を盛り上げていたのだが、洗練されたトークは見事でプロの技と思った。
先ほどの受付の女の子に話を聞くと、彼の名前はスチュアートオー(StuartO)、テレビやラジオに出たり、イベントの司会者をしているタレントのようだ。
しかし、「あたしたちはテレビをほとんど見ないから、あの人って、本業コメディアンなのかしら、よく知らないわねえ、、、」などと言って首を傾げた。
社長は彼のことがお気に入りで、いつも彼にパーティーの司会者を頼むのだという。
私は早速、スチュアートオーに話しかけてみた。

「ねえ、スチュアート、今日のあなたの司会、実に素晴らしかったです。あなた、ただ者ではないですね。ソフィスティケートされているというやつです。」
「おお、ありがとうございます♪♪ あなたは??」
「私、あんみつ先生です。」
「なるほど、あんみつ先生、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。でも、あなたって本当に有名人なのぉ~??」
「えっ!? ぼ、ぼくは、、、まあまあ、有名かな。」(;´・ω・)
「そうなんですか。ねえ、スチュアートさん、私と一緒に記念写真を撮って、お互いもっと有名になりません??」
「おお、いいですね!!」

というかんじで記念写真を撮ったのだが、、、これまでは自分の写真を載せる場合は遠目のものだけにしていたが、先ほどのインスタショックで、もはやそのような自主規制をする意味もなくなった。
なので、スチュアートオーさんとの記念写真もここに載せておこう。


ヒルトン東京、スチュアートオーさんとあんみつ先生の記念写真


ヒルトン東京、スチュアートオーさんとあんみつ先生の記念写真