2022/12/24

The story of Tokyo Tarot Museum(メリークリスマス編)The Empress Again

12月22日。
年末恒例のサントリーホールのコンサートの日である。
しかし、窓の外はこの冬一番の寒風と降りしきる雨。
足元は滑りやすく、高齢者は危険、と朝のニュースが注意を促していた。
本当はママ殿と一緒に行く予定だったが、ママ殿は留守番で、私1人で行くことになった。

う~む、ジャズ好きのママ殿には惜しいな。
今日はピアソラが聴けるのだが、、、
まあ、帰りに何かおいしいものを買って帰ろう。

私はひとりで9時過ぎに家を出た。
10時30分頃にはアークヒルズに到着。
カラヤン広場に出ると雨は止みつつあったが、風があまりにも冷たかった。
まだ開場時間まで1時間以上ある。

さて、どうしようか。
私ひとりなら今日のランチはコンサート後に簡単なものを食べればいい。
コンサート前はアークヒルズのスターバックスで、コーヒーをハンドドリップでいれてもらい、カウンター席でのんびり過ごすことにした。


アークヒルズ、スターバックス


アークヒルズ、スターバックス


この日はスマトラをいれてもらった。
飲みながらしばらく、カウンター越しのバリスタの若い女性と話したが、アークヒルズの店員にしては素朴な感じで、垢抜けていなかった。
田舎から出てきたばかりなのかな、、、

女子大生かと聞くとそうではなく、自分は田舎から上京したフリーターだという。
ええと、フリーターという言葉、久しぶりに聞いた気がする。
私は、彼女はツンとして、社会人です、と答えればいいのに、と思った。
ニコニコして、フリーターです、と答えてしまう、彼女のこの「ゆるさ」は赤坂周辺の人種っぽくないのだ。
しかし、そこが彼女の魅力なので、私は、そのままでいいと思いますよ、と彼女に言った。


サントリーホール


サントリーホール


サントリーホール


コンサート終了後はお昼を簡単に済ませ、地下鉄を乗り継ぎ、浅草橋の東京タロット美術館に向かった。
電車内ではワインのT先生とSさんに、ピアソラのコンサートは非常に素晴らしかった!!と送った。
ちなみにSさんとは、例のピュリニーモンラッシェなどをズバリ言い当てるワイン通の女性である。

もうおなじみの東京タロット美術館。
この美術館は他人様のマンションの一室のようなところである。
クロネコヤマトの集荷場のある雑居ビルに入り、小さなエレベーターで6階に上がる。
玄関のドアをあける。
するとこの日はグループ客が来ており、タロットの展示品を見て回って盛り上がっていた。
おお、今日は私も、読書はせず、タロットの展示品をじっくり見てみようかな。


東京タロット美術館


私はカウンターでいつもの女性に入館料を支払った。
その後、隣のもうひとりの女性から、この中から1枚引いてください、と言われた。
私はカゴのなかに並べられたタロットの中から、最も取りやすいカードを1枚選んだ。
これもまた、おなじみの儀式だが、今日は何のカードだ!?

おお、これは!!
またか(*'ω'*)??


女帝のタロット


また、女帝The Empressのカード。
正位置の女帝。
こないだも女帝だったが、またもや、、、

ちなみに、年末なので今年出たものを順にまとめておくと、、、

①節制
②節制
(②法王)
③愚者
④女帝
⑤女帝

となる。

なお、法王については、8月当時、「節制」を引いた後に引き直したものである。
私はタロットの専門家ではないので最近知ったのだが、引き直しは「ずる」である(*'ω'*)ズル!!!
なので、当時の解釈が過去の記事に書かれてはいるものの、今となってはこの法王のカードは意味がないと考えている。


東京タロット美術館


女帝のタロット、東京タロット美術館


さて、この女帝というのは、大アルカナ3番目のカードである。
「豊饒」「物質的幸福」「優雅な生活」「繁栄」などの意味があるという。

うん!!
まさに、クリスマスにピッタリの素敵なカードである。
しかも女帝が連続で出て、なんだか、バブリー(??)な気分でもあるが、「節制⇒節制⇒愚者⇒女帝⇒女帝」というのは、何とも分かりやすい話ではないか。

おっと、ワインのT先生とSさんから返事が来ている(*'ω'*)///

私は、クリスマスのアレンジメントが飾られている中央のテーブル席に座った。
まもなく館員の女性が八ヶ岳の野草茶を運んできて、私はそれを飲みながらスマホを見た。


東京タロット美術館、八ヶ岳野草茶


T先生
「アクティブな日々をお過ごしのご様子で何よりです。」
「今年は良くも悪くも…女性に振り回されたのかしら?」
「でも、色々あるって、退屈でなくて素敵な事‼︎だと思います。」

Sさん
「サントリーホール、いいですね。」
「いつ、何が起こるか分からないのが人生なのでは。」
「あら、お弁当、おいしそう。」

な、なるほどね~、、、
でもマイッタなあ。。。
私のブログにたびたび登場するT先生とSさん。
この2人は私の相談役(お姉さま)でもあるのだが、私のことは良いことも悪いことも何でもご存知なのである。
というわけで、T先生、Sさん、来年もがんばります!!


エキュート上野のパンダの今川焼


「タロットカードの78枚のうち、22枚で構成されたカードを大アルカナといいます。アルカナとは、ラテン語で「神秘」「秘密」という意味で、大アルカナは番号と表題が書かれた寓意画となっています~中略~タロットを読む時は、直観が大切です。直観は考えるよりも早く、遥か遠くからやって来る「報せ」です。あなた自身に宛てられた、あなたが読めるように託されたメッセージです。見た夢と同じように、そのカードがどのように見えたのかが鍵となります。まずは、あなたが感じたことにフォーカスしてみてください。」(東京タロット美術館資料より)

私たちは何かがあると、あれこれ理屈っぽく考えるが、それよりも直観を素直に信じるほうがいい。
目に映る景色は、自分のみに与えられた、自分のみにしか解けないアレゴリー(allegory)である。
内なる自分と対話をして「隠された意味」にフォーカス(focus)してみよう。
そうすれば私たちは素敵な発見をすることがあるし、思いがけないフォーチュン(fortune)とめぐり逢えることもあるだろう。

2022/12/21

オードリーの行方??

東京都美術館「美をつむぐ源氏物語」~神田明神(終わり詣)~智明葵個展(ギャラリーフロレゾン)~日本橋高島屋~KITTE~エキュート東京

数日前、受験シーズンで混雑する湯島天神に行き、毎年恒例の終わり詣を済ませた。
しかし今年は学問の神様だけでなく、商売繁盛の神田明神にも行ってみようと思った。

私はこの日、上記の予定を組み、お昼過ぎの上野駅でおりた。
上野恩賜公園を上野動物園方面に歩き、東京都美術館に到着。
注目の岡本太郎の展示会ではなく、「美をつむぐ源氏物語」という書道と日本画の地味な展示会のほうを見るためである。
源氏物語の展示会は久しぶりで、楽しみである♪♪


東京都美術館「美をつむぐ源氏物語」


う~む、いきなり、最初の作品から、シロウトには読めない、、、
キャプションに、原文と現代語訳が書いてあるが、いったい何と書いてあるのだろう(*'ω'*)???

(大意)
「袖の濡れる泥 (恋路)であるとはわかっていながらも、その泥の中に踏み込む田子のように恋路に踏み込んでしまう私は、そうしたわが身のつたなさが思われてなりません。」

クリスマス前に、ドキッ!!とするようなことが書いてある。
しかし、私は、「好き」という感情に関しては、わが身は子供のように拙くあってもいいのではないかと思う。
昔のドラゴンボールのエンディングテーマを思い出してみよう。

「おとなのフリして、諦めちゃぁ~♪♪ 奇跡のなぞなぞ、解けないよぉ~♪♪」
「もっとワイルドに、もっとたくましく、生きてごらん♪♪」

と、ブルマねえさんが歌っていた。
恋愛というのはロマンティックな冒険なのである。
冒険は別にしなくたっていいのだし、しない方が安心安全だから、愚かな行動といえるのだが、人はそもそも冒険をしたがる愚かな動物である。
私たちがロマンティックな冒険をすることは、生きている以上、避けられない。


東京都美術館「美をつむぐ源氏物語」


さて、30分ほど美術館で過ごし、その後、私は上野公園を広小路方面に歩いた。
神田明神は何度か行ったことはあるものの、いまだに場所がよく分からない。
私はGoogleマップを頼りに大通りの坂を上がった。
途中、「アキバ絶対領域」というメイドカフェを見かけた。

そうそう、思い出した。
神田明神は「アキバ絶対領域」の近くなのである!!
まもなく、坂の途中でスマホが鳴り、神田明神に到着。


神田明神


神田明神では御朱印をもらった。
ただ、巫女にきくと、(私がいつも行く湯島天神のような)その場での手書きはしていないとのこと。
私はプリント(??)の300円の御朱印を手に入れ、参拝を済ませた。

その後、私は神田明神の表側から出て秋葉原の繁華街へ。
日比谷線で銀座駅に到着したのは3時過ぎだったが、まず、松屋に寄った。
それから徒歩で京橋(宝町)に向かった。

国立映画アーカイブの斜向かいにギャラリーフロレゾンという小さな画廊がある。
ここでレジンアーティストの智明葵(Chiaki)さんの個展が開催されており、私は彼女の作品を約半年ぶりに見に来た。
中に入るとギャラリーの奥に、着物をモダンに着こなした智明葵さんが座っている。
彼女はすぐ立ち上がり、私が、6月の東京都美術館のZEN展以来ですね、と言うと、彼女も覚えていた。
そして今回は、彼女の個展であったため、私たちはゆっくりと話ができた。


智明葵個展(ギャラリーフロレゾン)


智明葵個展(ギャラリーフロレゾン)


私たちは作品の話もさることながら詳しい自己紹介もした。
ホームページに書いていない非公開エピソードも聞いた。
彼女がレジンアーティストになるまでの道のりは随分とユニークなものであった。

ギャラリーフロレゾンを出たのは5時近く。
外はすっかり暗くなっていた。
これからKITTE(東京駅前郵便局)で郵便物を出したいのだが、とりあえず、日本橋方面にまっすぐ歩き、日本橋高島屋へ。

ここのデパ地下に、「オードリー(Audrey)」というストロベリー洋菓子のお店があり、かなりの人気である。
私は今回、イチゴ型をしたクッキーとホワイトチョコレートのかわいい洋菓子を、1箱(10個入り)買った。


オードリー(Audrey)


オードリー(Audrey)


その後は高島屋館内のスターバックスへ。
ミルフィーユの甘いキャラメルのラテを注文し、しばらく飲みながら休憩した後、東京駅まで歩いた。
丸の内はクリスマスムード、一色であった。
私は郵便物を出した後、エキュート東京にも寄り道をして帰宅の途へ。

来年は良い年になるといいのだが(*'ω'*)...


スターバックス、ミルフィーユ


KITTE丸の内


最後に。
この「オードリー(Audrey)」というおしゃれなストロベリー洋菓子について。
自分で食べるのか、それとも、誰かのためのクリスマスプレゼントなのか。

ズバリ!!
オードリーヘップバーン(Audrey Hepburn)のような素敵な女性「だけ」に、プレゼントされるものなのであります(*'ω'*)///

みなさん、素敵なクリスマスをお過ごしください。

2022/12/16

湯島天神、恒例の終わり詣(2022年)

鴎外記念館


鴎外記念館クリスマスコンサート


今年もあと数週間となった。
1年なんて、あっという間に過ぎる。

12月11日、日曜日。
私は午前中に家を出て、千駄木駅でおりて、団子坂を上がって鴎外記念館に行った。
土日は鴎外にちなんだドイツのクリスマスイベントで、エントランスホールではミニコンサートをしていた。
バッハ、モーツァルトなど、おなじみの曲を聴いた。

コンサートを聞いてから地下の展示室へ。
鴎外哲学を紐解く「鴎外遺産」という企画展だが、ここはいつも撮影禁止なので、拙い記憶に基づく私なりの要約をいくつか書いておこう。

まず、感情に支配されてはいけない、常にクールで理論的に判断するべし、という。
感情に基づく主観的判断はよろしくない、怒りで冷静さを失うなど、感情は判断を誤らせるからだ。

次に、上手に泳ぐ者は溺れ死ぬ、議論好きで百戦百勝の鴎外にこう諭したのは幸田露伴である。
天下無敵の鴎外先生も、いつか戦いに負けるぞ、失敗するぞ、ということだ。

また、権威というのは役に立たない、そういう時代になった、とも書いてあった。
当時すでにそう言われていたのなら、いまはもっと、権威は役に立たないと思うのだが。


湯島天神、ご朱印帳


お昼過ぎには湯島天神へ。
もう読者もおなじみかと思うが、恒例の終わり詣である。
2019年から御朱印を書いてもらい今年で4ページ目になる。
ただ、以前も書いたが、私は来年のご利益を求めて来ているのではない。
それは12月の「幸先詣」と呼ばれるものであるが、私はそうではなく、12月に今年の無事を感謝するためにここへ来ている。


湯島天神


私は本堂の前の参拝者の列に並ぼうとした。
すると本堂から宮司の男性が出てきて私たちにこう言った。

「みなさん、並ばなくていいんですよ。空いているところへどんどん入って、お参りをしていってください。」

ううむ、、、ちゃんと並んでください!!ではなく、並ばなくていいんですよ!!と注意されるなんて。
私たち日本人って、行儀がよすぎます。
もう少し、自己主張をしたり、ずうずうしくならないと、お隣の中国との競争に負けてしまうぞ。
それに、このようなテンションでは、日本の景気は今後悪くなることはあっても、良くなることはないと、私は確信を持ってお詣りを終えた。
結局コロナ禍に、政府とマスメディアが国民を過剰に統制したため、こういうふうになってしまったのではないだろうか。


あんみつみはし、クリスマスあんみつ


その後は上野広小路まで歩き、松坂屋~パルコ屋~あんみつみはしに入った。
やはりというか何というか、あんみつ先生は12月限定のクリスマスあんみつを食べた。
それにしても、以前はあちこちから主婦の雑談が聞こえたのに、いまは誰もがもくもくと、あんみつを食べている。
会社や学校で「黙食」が身に着いたので、これが私たちの日常になってしまったようだ。

上野広小路駅から銀座線で銀座駅へ。
ビックカメラで年末の買い物をしてから、その隣の東京国際フォーラム~相田みつを美術館に入った。


相田みつを美術館


相田みつを美術館


相田みつを美術館


相田みつを美術館


この日は、相田みつをの日めくりカレンダーに関する作品を展示していた。
展示を見た後はミュージアムショップへ。
年賀状に用いる相田みつをハガキを何枚か買った。
郵便局で年賀切手を買って、貼り付けると、相田みつをのメッセージ入り年賀状のできあがり!!


相田みつをのメッセージ入りの年賀状の作り方


相田みつをのメッセージ入りの年賀状の作り方


相田みつをのメッセージ入りの年賀状の作り方
 
 
実はこれ、私にとっては毎年恒例だが、なかなか評判がいいのである。
ただし、相手を選んで送る必要がある。
事前に連絡帳を眺め、送る相手を選んで、今年は3枚ということになった。

さて、お次は有楽町駅の反対側の出光美術館へ。
こちらも久しぶりの訪問である。
以前の私はここの常連だったが、コロナ禍で長期閉館に入ってしまったため会員だった私もさすがに足が遠のき、恐らく約2年ぶりの訪問なのだが、今回は焼き物の展示会であった。
以前、白金台の松岡美術館で見たことのあるような作品がいくつも展示されていて、2018年当時のことを思い出したが、5年なんてあっという間だなあ、、、


出光美術館


展示室を見て回った後は、皇居を見下ろせるラウンジに行った。
お茶でも飲んで休もうと思ったが、ソファーは撤去され、お茶のサービスも中止で閑散としていた。
外は小雨で、見晴らしも悪い。
コロナ前は優雅なラウンジだったのになあ、、、
あ~あ、つまらない、という言葉しか出てこない。
奥の椅子で足を組んで座っている黒服の上品そうなおばあちゃんも、皇居を眺めながら、ただ、ため息をついていた。

つまり、これは「大いなる喪失(感)」なのである!!

思い返せば今から30年前、日本は空前の空騒ぎ(バブル)を楽しみ、それが崩壊し、失われた30年といわれる不況の時代に突入した。
しかし今回のコロナ前とアフターコロナも、あの時とほとんど同じと思える。
東京オリンピックまでの空騒ぎがコロナで崩壊したことは間違いない。
これから、また、失われた何十年かの低迷の時代が始まるような気もするのだが、、、

2022/11/13

ショコラエブリデイ(Chocolat Every Day)

10月から茨城県取手市主催の起業家スクール(創業スクール)があり、私は去年に続き、コーチとして参加した。

~気になった女性起業家を3人紹介しておこう。
(中略)
2人目は、起業とは「愛」であると言った増田佳愛(かなる)さん。
すでに起業してビーントゥバー事業を手がけているという。
ビーントゥーバー(Bean to Bar)とは、ガーナなどの現地でカカオ豆を直接買い付ける、そのカカオ豆からチョコレートを自分で作る~というチョコレート製造の新しいムーヴメントである。
かなるさんは無印良品の無地のワンピースがトレードマークの20代のかわいらしい女の子であるが、行動力があり、聡明で、何やらタダモノではない気配もする。
(2022/10/16「女性起業家の時代??」より)

10月末のスクール終了後、私は受講者の増田佳愛(かなる)さん、Wさんと一緒に、近くのファミレスでお昼ご飯を食べた。
実は、かなるさんは若くしてチョコレート業界の有名人である。
しかも、単にチョコレートの専門家というだけではなく、カカオ豆からチョコレートを自分で作ることの専門家、つまり、カカオの専門家でもある。
彼女の話によると、チョコレートの専門家はたくさんいるが、カカオの専門家は少ないという。



かなるさんは、カカオとチョコレートを心から愛している。
カカオのことを語り出すと、彼女はここファミレスでも、食べることを忘れてずっと1人で話し続ける。
しかし、私はハンバーグセットを、Wさんはパスタを食べながら、彼女の話を黙って聞くのだが、彼女の事業の核となる「ビーントゥバー」の意味がよく分からない。
私たちはこの言葉がピンと来ないのだ。
だから彼女も一生懸命になって、ビーントゥバーの説明を詳しくしてくれるのだが伝わらない。

さて、どうしたものかいな、、、

パスタを食べ終えたWさん、理解が及ばずもどかしいご様子である。
しかしあるところで、私が先に、ピーンと来た。
私は、かなるさんの話を遮って質問を始めた。

「ええと、つまり、かなる先生、、、カカオ豆、カカオ、カカオマスというのは違うのですね。」
「はい、もちろん。」
「実は、高級チョコといわれるものも、カカオマスから作られる。その際、乳化剤など、様々な添加物を混ぜる。」
「そうです。」
「あなたのやりたいビーントゥバー事業は、基本的にはそういうものを混ぜない、カカオマスではなく、純粋なカカオそのものからチョコを作るということですか??」
「だいたい、合ってます^^」

Wさんもこれで理解したようだ。
2人で、な~んだ、そういうことか、早く言ってよ~、となった。

下の写真はカカオ豆 (cacao beans) である。
以前のワイン教室で、「ワインとチョコレートのマリアージュ講座」で出されたものなのだが、カカオ豆というのは、落花生のようになっている。


ビーントゥバー、bean to bar


「ビーントゥーバー(Bean to Bar)は、カカオ豆からチョコレートバーになるまで一貫して製造を行うことを指す。一般的なチョコレート生地からの二次加工とは異なり、カカオ豆(Bean)の仕入れから板チョコ(Bar)までの全工程の製造を 一次事業者が手がけるチョコレート製造のスタイル。」
「カカオマス(cocoa mass、まれにcacaomas)とは、カカオ豆の胚乳を発酵、乾燥、焙煎、磨砕したもの。外皮と胚芽は工程中で除去される。液体のものをカカオリカー、冷却・固化したものをカカオマスと呼ぶ。主にココアパウダー、チョコレートの原料として利用される。」
「到着したカカオ豆は選別機(クリーナー)を通され、篩(ふるい)や送風機の風、磁石などによって異物を除かれ、人の目視によって最終選別される。 ビーンズロースト法(豆ロースト法)ではこの後、焙煎機(ロースター)で熱風を当て、コーヒー豆と同じように焙煎される(但しコーヒー豆の焙煎温度は230-250℃、アーモンドやピーナッツでは170-180℃、カカオ豆の場合は110-150℃である[要出典])。 焙煎の済んだカカオ豆は粗く粉砕され、風選機(ふうせんき)(セパレーター/ハスカー/ウィノワー)によってハスク(外皮)と胚芽を取り除かれる。 ハスクを取り除き、粗く粉砕されたカカオ豆は、カカオニブ (cacao nibs)と呼ばれる。」
「カカオマスはそれぞれのメーカーの嗜好に合わせて数種類がブレンドされ、チョコレートに加工される。ブレンドはカカオニブやカカオリカーの段階で行われる場合もある。カカオマスに砂糖、粉乳、ココアバター、植物油などを加えて均一に混合したものは、チョコレートの元でありチョコレートドゥと呼ばれる。チョコレートドゥはその後、レファイナーによる最終磨砕、コンチェ(コンチングマシン)による精錬、テンパリング(温調)による脂肪結晶の生成、成型、包装、エージング(結晶安定化)など多くの工程を経て、製品としてのチョコレートになる。」




これは私がおいしいと思う日本橋高島屋のパスカルカフェのチョコレートである。
かなりお高いが、スーパーマーケットの安いチョコレートと何が違うのだろう??

ワインでいうとブドウ品種が違うのである。
安いカカオ豆をブレンドしてカカオマスを作る。
すると、安いチョコレートができる、というのはワインと同じような話だ。
その安いカカオマスは本来低品質である。
だから、低品質のチョコレートになるのが理屈だが、様々な添加物を入れることで味わいを調整し、おいしいチョコレートに仕上がるのだ。
これを人類の知恵、科学技術の偉大さと捉えるか、ゴマカシ、正統派ではないと捉えるか。

かなるさんの考え方はどうも後者のようである。
だから、彼女のチョコレート作りは、安いカカオ豆のカカオマスを使わないってことだと思う。
すると、余計なものを混ぜなくてもよくなる、カカオだけでも十分においしいチョコレートができあがるのだろう。
それは添加物を含まない素晴らしいピュアチョコレート。
ただ、彼女の考えにあまり共感しない人もいるだろう。

ここでワイン好きのWさんがおもしろいことを言った。

「かなるさんのチョコレートは、赤ワインでいうとバローロなんですよ。」
「なるほど・。・ Wさん、分かりやすい。」

Wさんはさらにこう続けた。
なんだか、眉間にしわを寄せて、やりきれないご様子である(*'ω'*)??

「そりゃ、ぼくだって毎晩バローロを飲みたい。」
「ワイン好きなら、そうですよね、、、」
「でも、ぼくは普通の会社員ですから、そうはいきません。安いブレンドでも、おいしい、と思って飲むんです。」
「Wさん、とっても、分かりやすいたとえです( ノД`)ウルウル」
「かなるさんのビーントゥバーの話も、結局はそういうことなんですよ( 一一///)」

彼の理解では、ビーントゥバーチョコレートとは、庶民には手の届かない高級チョコレートのことなのである。
彼のたとえは、やや皮肉めいているが、この論点のポイントを見事に突いた。
つまり、ビーントゥバーとは、こだわりのある作り手には重要な概念でも、消費者にとっては、重要でないのだ。
消費者にとって重要なのは、価格とブランド(ゴディバなど)のほうである。
後日、ワイン友達で高級スイーツにも詳しいSさんにこの話をしたら、Sさんも同意した。

「ビーントゥバーといえば、中目黒のお店の高級チョコレートです。とてもおいしいわ。でも、高いからめったに食べられない。」(私のビーントゥバーの説明を聞き)「悪いけど、私はチョコレートの作り方には興味がないのよね、、、」

しかし、カカオとチョコレートを心から愛するかなるさんは、そのようなざっくりした理解をされるのがご不満のようである。
彼女は、ビーントゥバーチョコレートとはこういうもの!!と私たちにぜひ知ってほしいという。
そこで創業スクールの最終日(11月12日)の懇親会に、チョコレート工房で自作したビーントゥバーチョコレートを持参して、みんなに配ってくれた。


創業スクール懇親会
(創業スクール懇親会)


創業スクール懇親会


創業スクール懇親会


増田かなるのビーントゥバーのチョコレート


以下、追記。
クリスマスの直前、私は彼女と北千住のルミネで会い、一緒に食事をした。
スタートアップしたばかりの彼女の新規事業(チョコレート事業)について意見交換をするためだ。
まあ、創業スクールの補講のようなものである。

そのとき私は、彼女の生まれた年が私の大学卒業の年であることを知り、とても驚いた。
また、クリスマスプレゼント(愛のかなるチョコ)をもらったが、ここで誤解のないように言っておくと、彼女の作る「全てのチョコ」には彼女の「愛」が込められているということである。
このチョコは、冬休みに我が家に遊びに来る甥っ子と姪っ子のためのプレゼントである。




増田かなるのビーントゥバーのチョコレート




岡崎京子の「Chocolat Every Day(ショコラエブリデイ)」


増田かなると、岡崎京子の「Chocolat Every Day(ショコラエブリデイ)」


そのお返しにといっては何だが、私は書斎の本棚で見つけた岡崎京子のマンガ「ショコラエブリデイ(Chocolat Every Day)」を持参し、彼女にプレゼントした。
幼少期のほとんどをフランスで過ごした彼女にとって、日本のマンガはなじみがないようで、初めて読むといっていた。
しかし、カカオとチョコレートを心から愛するかなるさんには、ピッタリの本だ。
今日もきっと、かなるさんはチョコレート工房で「ショコラエブリデイ」のはずである。

2022/11/11

The story of Tokyo Tarot Museum(4)The Empress

こないだ、飲み友達の外国人社長(Rさん)からメールがあった。
日本橋で外資の社長の集まるパーティーがある、もし興味があれば、あなたもどうですか??というようなことが英語で書いてあった。
それなら私も急遽、参加を決めた。
というのも、飲み友達のRさんとはしばらく会っても話してもいないからであった。

用事が済んだのは午後3時過ぎ。
開始時間まで、まだだいぶあるので、私は時間調整の場所を探した。
そうだなあ、、、
こないだ行ったばかりだが、とりあえず、浅草橋の東京タロット美術館で時間を潰すことにしよう。
私は、浅草橋駅前のセブンイレブンでほうじ茶を買い、東京タロット美術館のあるビルへ。




もうおなじみ、他人様のマンションの一室のような東京タロット美術館は、小さなエレベーターをおりた6階にある。
中に入ると客は誰もいなかった。
私は受付で入館料800円を支払い、館員の女性と少し話した。
カゴのなかに並べられたタロット、そこからカードを1枚引く、これもまた、おなじみの儀式である。

「タロットカードの78枚のうち、22枚で構成されたカードを大アルカナといいます。アルカナとは、ラテン語で「神秘」「秘密」という意味で、大アルカナは番号と表題が書かれた寓意画となっています~中略~タロットを読む時は、直観が大切です。直観は考えるよりも早く、遥か遠くからやって来る「報せ」です。あなた自身に宛てられた、あなたが読めるように託されたメッセージです。見た夢と同じように、そのカードがどのように見えたのかが鍵となります。まずは、あなたが感じたことにフォーカスしてみてください。」(東京タロット美術館資料より)

私たちは何かあった時、あれこれ理屈っぽく考えるより、直観を素直に信じるべきだ。
目に映る景色は、自分のみに与えられた、自分のみにしか解けないアレゴリー(allegory)である。
内なる自分と対話をして、「隠された意味」にフォーカス(focus)してみよう。
そうすれば私たちは素敵な発見をしたり、思いがけないフォーチュン(fortune)とめぐり逢えたりするかもしれない。

まず、前回(2021/11/01「The story of Tokyo Tarot Museum(3)愚者のタロット)の復習である。

前回は正位置の愚者を引いた。
そのとき書いたように、愚者は大アルカナの0番目のカードで、一般に特別なカードとみなされる。
正位置の愚者は、「自由で楽観的」「無邪気で純粋」「思うままにポジティヴに行動する」などの意味があるが、愚者ならば、あれこれ考えず前向きに、崖から飛び降りる勇気を持ちなさい、思い切って何かをしても大丈夫ですよ、ということだと私は思う。
そして私なりのタロットの解釈では、愚者は0番目のカードであり、他のカードの主人公が静止状態であるのに対して愚者のカードの主人公だけが移動中である、という点に着目すると、愚者は「スタートアップ」なのである!!




愚者⇒崖から飛び降りる(スタートアップ)⇒他の大アルカナのタロットに変化する(結果)

私は大アルカナについて、こういうイメージ(流れ)を持っている。
私は節制、節制、法王と引き、その後に愚者を引き当てた。
ということは、決断すべき時、行動すべき時が到来している、機は熟したということを示唆していると思うが、その結果、私は大アルカナの他のカードに導かれることとなるのだ。
恐らく、次にタロット美術館に来たときにそれが分かる!!

さあ、引くぞ!!
今回は何が出る!?




おお、正位置の女帝The Empressだ(*'ω'*)
女帝とは大アルカナ3番目のカードである。
女帝には「豊饒」「物質的幸福」「優雅な生活」「繁栄」などの意味がある。
私は覚悟を決めて引いたのだが、そのカードが女帝とは、何とも景気のいい話である!!

私が広いテーブル席に座ると間もなく、館員の女性が、お茶を運んできた。
館内の書棚のタロット本を物色して選んだのは、「悪魔の美術と物語 Devils in Art and Legend」、今回は時間の余裕があり、じっくり読めそうだ。
美術の世界には悪魔がしばしば登場するが、それは日本人の私にはどういうことなのか、よく分からないので、、、




悪魔の物語といえば、やはり「ファウスト」ではないか。
あるとき、誘惑の悪魔メフィストフェレスが、神(主)と賭けをする。
メフィストフェレスは、人間どもは堕落しているというが、神(主)は、ファウスト博士という男は勤勉な努力家であり、堕落していない、という。
それでは、神(主)がファウスト博士を正しい道に導く前に、メフィストフェレスが悪の道に引きずり込もうじゃないか。
神(主)は、それはできないだろうといった。

この本に、メフィストフェレスについての記述がある。
冷酷、狡猾、皮肉だが、どこか憎みきれない、つまり人間的なのだ、と書いてある。
どういうことだろう??
ファウスト博士の要求に応じ、振り回されるメフィストフェレスは、まるでファウスト博士を愛するパートナーのようである。
へえ、なるほど、、、そういうことなのか。

その後、私はさらに読み進めた。
ようやく最後まで読み切ったが、最後の方の記述が非常に印象に残った。

「悪魔と契約を交わした男というテーマをフロイトが分析している。「17世紀のある悪魔神経症」と題する。17世紀のバイエルンの画家クリストフハイツマンの症例である。画家の手稿とそれに付された絵が残っている(ただし忠実な写し)。自分の才能に絶望した画家は悪魔の誘惑に屈して魂も肉体も9年後には悪魔に譲り渡す契約書をしたためたが、最後に修道院で聖母マリアに祈ってその証文を取り戻すのである。奇妙なことには画家が9年間悪魔に隷属し、その後は魂も肉体も譲ることを契約しながら、ファウストの場合と違って悪魔は何の奉仕も義務も負っていないことである。これは一方的な契約なのである(現代でこれに匹敵するものは版元と著者が交わす出版契約ぐらいのものだろう)。事情が少しずつ見えてくる。当時画家は父親を失ったばかりで滅入っており、仕事の将来にも悲観していた。鬱状態の画家には快楽も富も権勢も必要ではなかったのだ。フロイトは悪魔に父親の代理を求めたと見る。父親は幼児期に画家が見た神の原像で、それは相反する二面性(愛情と憎悪、服従と敵意の対象)を持つ。そしてそのことは神と悪魔とは本来同一の存在で、それが相反する2つのイメージに分かれていったという諸宗教の初期の段階の神話とまさしく通ずるところがあるようだ」(出典・悪魔の美術と物語Devils in Art and Legend(美術出版社、利倉隆)P120)

う~ん、難しくてよく分からないなあ、、、
ところで、いまは男女平等の時代である。
そこで私は、今度は男女をひっくり返して読んでみた。

「悪魔と契約を交わした「女」というテーマをフロイトが分析している。「17世紀のある悪魔神経症」と題する。17世紀のバイエルンの「女性画家」の症例である。「女性画家」の手稿とそれに付された絵が残っている(ただし忠実な写し)。自分の才能に絶望した「女性画家」は悪魔の誘惑に屈して魂も肉体も9年後には悪魔に譲り渡す契約書をしたためたが、最後に修道院で聖母マリアに祈ってその証文を取り戻すのである。奇妙なことには「女性画家」が9年間悪魔に隷属し、その後は魂も肉体も譲ることを契約しながら、ファウストの場合と違って悪魔は何の奉仕も義務も負っていないことである。これは一方的な契約なのである(現代でこれに匹敵するものは版元と著者が交わす出版契約ぐらいのものだろう)。事情が少しずつ見えてくる。当時「女性画家」は父親を失ったばかりで滅入っており、仕事の将来にも悲観していた。鬱状態の「女性画家」には快楽も富も権勢も必要ではなかったのだ。フロイトは悪魔に父親の代理を求めたと見る。父親は幼児期に「女性画家」が見た神の原像で、それは相反する二面性(愛情と憎悪、服従と敵意の対象)を持つ。そしてそのことは神と悪魔とは本来同一の存在で、それが相反する2つのイメージに分かれていったという諸宗教の初期の段階の神話とまさしく通ずるところがあるようだ」

私は、何やらこちらのほうが、分かるような気がした。
おや、もうすぐ退出の時間だ。
読書をしていると、あっという間だ。
私は「悪魔の美術と物語」を書棚に戻し、コートを着ると、帰りがけに大アルカナの展示の前に立ち、改めて、女帝のタロットを眺めた。






待てよ、私は女ではない。
だから、私自身が女帝という解釈は間違っているのではないか。
もしかすると私の未来は、、、(何かが)スタートアップすると女帝と出会える、ということなのではないか!?(*'ω'*)ハッ!!

①「節制」⇒②「節制」と「法王」⇒③「愚者」⇒④「女帝」

う~む、女帝ねえ、、、(*'ω'*)???

おっと、そろそろパーティーの時間だ。
おいしい食事とワインをいただきに、会場へ参りましょう。
果たしてパーティーで女帝と出会えるのだろうか。