2019/06/13

The Chronicle of Noble Lady(2)クラシック音楽好きのおばあちゃん

2月下旬。
私は用事のついでの旅行で、群馬県桐生市にいた。
このとき、宿泊先のホテルから名物のひもかわを何人かの友達に郵送したのだが、私はIさんにラインでひもかわの話題をふった。
すると、ぜひ食べたいと言うので、私はIさんにもひもかわをいくつか送った。

10年ほど前、旦那さんと死別したIさんは、都内の自宅でひとり暮らしをしている。
病気がちで足が不自由、外出もままならない、話す相手もほとんどいないという。
3~4月は、ひもかわの件以外とくにやりとりはなかったが、5月になり、Iさんの家の近所に用事があり、私はその帰り道、初めてIさんのご自宅を訪問した。

以来、私はIさんの家に月2~3回のペースでお邪魔するようになった。
というのは、Iさん愛用の旧式のノートパソコンが壊れかけており、新型のパソコンと交換する作業を私が引き受けることになったからである。
Iさんは国内メーカーのノートパソコンを10年以上大事に使い続けてきたが、これまでハードディスクの交換を1度もしたことがないという強運の持ち主だった。
しかし最近は、パソコンを立ち上げると部屋中にひどい異音が響くというのである。
私はパソコンの素人だが、何度も買い替えてきた経験からすると、壊れる寸前と判断せざるを得なかった。

このパソコンのOSはいまだにWindows7、電源を入れて「ようこそ」画面になるまで30分ほど待たされる。
画面を見ながら、30分もの間、一体何を読み込んでいるのだろう。
一応は動くので、Iさんは買い替えを怠っていたのである。
しかし、頻繁にフリーズはするし、常時ハードディスクがミシミシ悲鳴をあげており、いつ壊れてもおかしくなかった。

私は、データが飛んでしまう前に対処した方がいいのではないか、と言った。
すると、パソコンが壊れると大事な記念写真や音楽ファイルが消えてしまうので、何とかならないかなあ、と言われたので、私がパソコンの交換を引き受けることになった。
こうして私は5~8月にかけ、新しいパソコンの代理購入、古いパソコンのリサイクル処分、新しいパソコンの取り付け作業、初期設定、周辺機器の調達と交換、データの移行作業、バックアップ作業、Windows10とバージョンアップしたマイクロソフトオフィスの使用方法のレクチャー、おばあちゃんでも分かりやすい説明書の作成、最終メンテナンスを行った。
Iさんは慢性的に体調が悪いので、私が長時間お邪魔して作業するのは悪いと思った。
だから作業は細かく分けて少しずつ進める必要があった。

ところで、お代はどうしたかというと、きちんといただきました。
しかし、Iさんはふだんパソコンのメンテナンスを知り合いの元エンジニアのおじいさんに頼んでいるようなのだ。
そのおじいさん、ちょっとメンテナンス代がお高いのよね、などとぼやいていた。
だからIさんは私に頼みたいのかなと思い、私はお引き受けしたのだが、新しいパソコンと周辺機器の代金、私の往復の交通費(2000円程度)及び、時給ベース数百円の報酬をいただいた。
無料でいいかげんなことはしたくないし、有料なら仕事であるから、私も最後まで責任を持ってきちんとやらなくてはいけなくなる。
また、事後のトラブルにも対応する必要がある。
つまり、これは私の考えだが、たとえお友達どうしでも、お互いのために少しのお金を払っておく、もらっておく、というのがいいと思う。
とはいうものの、準備や作業にはかなりの時間がかかる。
事実上これはボランティアだった。
でも、私はそれでよかったと思っている。
つまり、私が訪問すると、Iさんからおやつや食事のもてなしを受け、Iさんの昔話やクラシック音楽に関するエピソードを聞き、私はお金には代えられないプライスレスな経験を享受することができたからである。

6月のある日。Iさんの家に着いたのは午後2時過ぎだった。
2~3時間パソコンの作業をしていたら、Iさんが夕食の支度をしてくれた。
Iさんはひとり暮らしなので、ダイニングテーブルでこうして私と向き合い、おしゃべりをしながら食べるのが楽しみなのだ。
他方、食事の支度がIさんの身体の負担になっていることを考慮すると、私としてはありがたい反面、申し訳ない気もするのだった。






しかし、愛情のこもったこの手料理を食べずに帰るのはほぼ不可能である。
断りにくいというのもあるが、とてもおいしいので食べてから帰りたいという単純な理由である。
そして、食べて帰ると次もまた、Iさんは気をきかせて食事の用意をする。
そういうわけで、私の訪問時は、リビングでパソコンの作業→ダイニングで手料理の2人きりのお食事会、という流れが自然にできあがった。
私はIさんに、何も用意しなくていいですよ、とは言わなかった。
まあ、考えようによっては、Iさんにとって、これは重要なリハビリの機会にもなると思ったが、とてもおいしいから単に食べたかったのだ。

それにしても、Iさんの用意する食事はいつも、私のことをまるで育ち盛りの孫や子供と勘違いしているようなボリュームなんだなあ。
食べるのが遅い私は、Iさんとおしゃべりをしながら食べると、かれこれ2時間近くかかってしまう。
ただ、どうしてこんなにボリュームがあるのか、私は知っている。

理由は簡単。
Iさんは年齢のわりに、かなりよく食べる女性なのである。
それが、小さなころから病気がちだったIさんの元気の秘訣なのだろう。
あるいは長生きの秘訣なのかもしれない。
しかし、今日もこれだけたくさん食べられるなら、Iさんはいかに体調が悪いと私にぼやいていても、そう簡単にあの世には行かない、安心、安心、ということである。


日比谷公会堂


さて、最後におまけの話をしておこう。
6月のある日、Iさんの家に行く途中、私は日比谷で用事があって日比谷公園に寄り道をしたのだが、その時、私は初めて日比谷公会堂の建物をじっくり眺めた。

Iさんからもらった貴重な本に、Iさんの子供のころの白黒の記念写真があって、その撮影場所が日比谷公会堂の楽屋裏なので私は気になって眺めたのである。
それは戦後の復興期1950年ごろと思われるが、ドイツの伝説のピアニスト、ヴィルヘルムバックハウスのコンサートの楽屋裏の記念写真である。
バックハウスが中央に立って微笑んでおり、3人の若い女の子が一緒に写っている。
左にいるのがIさんである。
Iさんの話だと、この日比谷公会堂のバックハウスの演奏会は語り継がれているらしい。
当時、指揮者の小澤征爾氏も聞きにきており、小澤氏はこれを聞いて指揮者になろうと決意した、ということを私はIさんから聞いた。

2019/06/11

損保ジャパン美術館、シャルルフランソワドビニー展の対話型鑑賞会

きのうは、損保ジャパン美術館で「シャルルフランソワドビニー展」の対話型鑑賞会があった。
私は抽選に当たり、午後の部に参加した。
対話型鑑賞とは、グループで自由な会話をしながら鑑賞するもので、絵のキャプションなどを読みながら黙って静かに見るのとは対照的である。
職員の話だと、これは最近のトレンドのようである。


損保ミュージアム、ドビニー展


集まった100人ほどのお客さんは、まずグループごとに分けられる。
1グループに1人のガイドが付き、その案内でドビニーの絵を見ていく。
このガイドをファシリテーターということもあるようだが、まあ、パック旅行のツアーコンダクターのような人と思えばよい。
私のグループのガイドは中年の女性で、メンバーは上品な老夫婦、新国立劇場の研修生などがいた。
ガイドはお客さんの会話を誘導するだけで、直接絵を解説することはないし、お客さんの会話を否定することもない。
お客さんたちが絵の感想を好き勝手に言い合うような感じである。
その感想には、正解不正解のジャッジもない。
ようするに、ドビニーの絵は私たちの会話の「きっかけ」「ネタ」のようなもので、どちらかというと絵は手段で、会話の方が目的である。
また、会話は必ずしもドビニーの絵に限定されない。
そのため、私たちはドビニーの絵を眺めて、全然関係ない自分の思い出話などを話したりしてもよく、参加者のそういう話がかなりおもしろかった。


えいたろうアメ


鑑賞会が終わり、夜遅くに帰宅すると、玄関にオンラインで購入した榮太郎飴が届いていた。
榮太郎飴は昔ながらの素朴な飴玉で、以前、デパートの景品でもらったことがあるが、何となく食べたくなり、榮太郎のオンラインショップで買ったのだ。
知り合いにあげる分、お中元として送る分などを袋詰めし、残った飴は暑さで溶けないよう冷蔵庫にしまった。
そして今日の予定だが、午後に皮膚科と歯医者の診察がある。
歯医者の時間まで駅ビルのスターバックスで時間をつぶし、少し早めに駅ビルを出た。
私は、駅の地下を横切るギャラリーロードへ。
ショーウィンドウを見ると、おお、ビートルズの写真展。


ビートルズ






ビートルズ


市民の誰かが実際に、ビートルズの生まれ故郷を旅行した時の記念写真を展示しており、そこに詳しい解説文が付されていた。
これは非常に素晴らしい展示で、そのため私は時間ギリギリまでじっくり眺めてしまった。
中でも、ストロベリーフィールドのジョンレノンの入っていた孤児院の写真が、最も印象的であった。
家族とは必ずしも平等に与えられるものではないのだ。
ジョンレノンにとっては、ビートルズは家族のようなものだったのかもしれない。

家族のようなもの。
それは大事な仲間とも言うべきものだろう。
単身世帯(独居老人など)が増え続けるこれからの日本社会では、家族のようなものは家族と同じくらい重要となる。
しかし、もう子供ではないので、ジョンレノンみたいに孤児院には入れない。
では、独居老人の面倒を誰がどうやって見るのか。
こういうことは必ず直面するのに、本人も真剣に考えていなかったりするものだが、確実に到来する未来の問題よりも、現在をどのようにしのぐかの方が深刻な問題の日本社会になりつつあると思う。
したがって、ここで簡単に言えるような話ではないのだが、日本の将来を考える時には今日のこの展示が何かの参考になるのではないか。

2019/06/06

The Chronicle of Noble Lady(1)東劇メットライブビューイングオペラ、ヴェルディー「椿姫(La Traviata)」

2019年2月8日。
私は東銀座の東劇のスクリーンで、ヴェルディーの名作オペラ「椿姫(La Traviata)」を見た。
これは、ニューヨークメトロポリタン歌劇場の生公演を録画編集した、オペラ映画の上映会である。
生公演より格安で超一流の海外オペラを堪能できてしまうのがセールスポイント、メットライブビューイングオペラと呼ばれ、世界的に人気がある。
今回の椿姫はディアナダムラウ(Diana Damrau)であった。
彼女は世界で最も人気と実力を兼ね備えたオペラ歌手のひとり。

さて、この日私が、東劇で出会ったおばあちゃんをIさん(仮名)としよう。
「椿姫」が終わり東劇のラウンジに出た私は、スロープの壁に張られた舞台写真をスマホで撮影していた。
するとそこにIさんが近づいてきて私に声をかけてきたのだ。


ディアナダムラウ

 


「あ、いたいた。ねえねえ、ちょっといいかしら。」
「な、何でしょう?」
「あなた、私の記念写真も撮ってほしいんだけど。」

いきなり、ねえねえと言われても困るなあ。
私、おばあちゃんからナンパされてるわけじゃないよね。
見知らぬ白髪の女性、近くの席にいた人かな。
いや、記憶にない。

まあ、とりあえず、ディアナダムラウの舞台写真をバックに、Iさんの記念写真を撮ったのだが、今度は東劇の職員が私たちのところに来て、せっかくなので、お二人の記念写真も1枚どうでしょうか、と言われた。
私たちはツーショット写真を1枚撮ってもらった。
職員はすぐに立ち去り、私のスマホで撮った写真をIさんにどうやってあげようか、という話になった。
私はIさんに連絡先を聞いた。
するとIさんは、手っ取り早くラインで送ってちょうだいと言い、私たちは出会っていきなりライン友達になってしまった。

その後はまさかの展開に。
Iさんが突然、私はダイアナと親しいのよ、などと言い出した。
そしてなんと、高級ホテルの部屋で撮ったダイアナ(ダムラウ)との記念写真を私に自慢げに見せてくれたのだ。

私は驚くと同時に、ダイアナのことを聞きたくなった。
私には、目と鼻の先のエレベーターホールまで行くのもひと苦労に見える。
一体どうやって家まで帰るつもりだろう。
が、それよりも、杖をついて歩くIさん、無事1人で帰れるのだろうか。
私には、目と鼻の先のエレベーターホールまで行くのもひと苦労に見える。
でも、ここまで1人で来たなら、帰りも1 人で大丈夫だとは思うけど。

おや、おばあちゃんのかばんに付いているのは、最近よく見かける赤十字のヘルプマークではないか。 




「あのう、おばあちゃん、まさかその足で東銀座の駅まで歩いて行くの?」
「うーん、駅はちょっと、遠いわね。」
「交差点でタクシーを拾うんですか?」
「そうね、タクシー。でも夜の大通りは混んでるから、うまく拾えるかしら。」
「では、ご一緒しますから、私が拾いましょうか?」
「あら、親切ね。あなた、手伝ってくれるの?」
「別にいいですよ。」
「ありがとう。お願いするわ。」
「ところで私はこの後、文明堂カフェに行くつもりなんです。お急ぎでなければ、お茶でもご一緒しませんか?」
「あらまあ~、もちろん、いいわよ!!」

Iさんと一緒にゆっくり歩き、歌舞伎座のそばの文明堂カフェへ。
ラストオーダーのまぎわで数組の客しかおらず、私たちは静かな席で30分ほど話すことができた。


文明堂カフェ

2019/06/03

私のような怪しい男をナンパするなんて!?



きのうは、岩下志麻似の劇団員Rさんと一緒に神宮球場まで慶早戦(早慶戦)を見に行った。
ものすごく久しぶりに、外野席で肩を組んで若き血を歌った。
この前、外野席で見たのは20年以上前のことだと思う。
それ以来の若き血である。
試合後は日比谷公園には行かず、大手町のアマン東京のレストランで食事をした。




アマン東京のレストラン


アマン東京のレストラン




彼女は明治大学の文学部出身だが、伝統の早明戦の後は新宿界隈で、早稲田の学生と小競り合いをすると言っていた。
それに比べると、慶應と早稲田は別の場所なので、まだマシである。
恐らく、慶應の学生はモメる相手がいないので、日比谷公園の噴水に飛び込むのだろう。
確か、私が大学1年生だったときの春の早慶戦である。
試合後、サークルの仲間たちと日比谷公園に出向き、みんなで何をするのかと思ったら、先輩が噴水にダイブしたのだ。
私はそういうノリの人間ではないので、ダイブするのは断ったが、噴水で泳いでいる人たちを眺めるのは、金魚が泳いでいるのを眺めるのとは違い、結構楽しいものだった。
まあ、自分が噴水で泳ぐより、眺める方がよい身分ということか。

さて、ここからは今日の話である。
今日の午前中は、実家のお墓詣りに行った。
まだお盆ではないが、涼しい今のうちに済ませてしまおう、ということ。
その後、デパートで買い物をしてから、清澄白河の深川江戸資料館に行った。




深川江戸資料館




深川江戸資料館には初めて行くのだが、今回は「深川人物往来」という企画展をしていた。
ここには江戸の街並みの再現模型がある。
これが見ものなのだが、まるで鬼平犯科帳の世界に来たような感じがするのだ。
ただし、こわもての長谷川平蔵は出てこない。
20~30分くらいかけて、時代劇のセットのような楽しい空間を散歩した。
水の入った隅田川のセットがあり、そこに小舟が浮かんでいた。
江戸時代の人々は、このような小舟で隅田川を往来していた。
江戸の町はまるでヴェネツィアの都のようだったのだ。
鬼平犯科帳のワンシーンにも侍が小舟で川下りをするシーンがあったような気がする。
私は江戸の町をひとしきり見たら出るつもりであったが、館内のすみで杉浦日向子の企画展をしており、少し見てから帰ることにした。


深川江戸資料館「杉浦日向子の視点」


杉浦日向子は「江戸風俗研究家」あるいは「エッセイスト」として知られている。
2005年に若くして死んだので、すっかり忘れていたが、実は彼女の本業は「ガロ」のマンガ家なのであった。
もともと彼女は呉服屋の娘で、日大芸術学部を中退してしばらく適当に遊んでいたのだが、そういう適当なキャリアを存分に生かして「ガロ」からデビューした。
もっとも、中退後は稲垣史生という時代考証家(時代劇などに助言をする仕事)のもとで時代考証の勉強をしており、彼女はどうもそちらの仕事を希望していたようなのだ。
しかし、時代考証などというレアな仕事ではすぐには食えないので、彼女は仕方なくマンガで日銭を稼ぐことにした。

ここで初めて知ったのだが、どうも彼女はマンガをろくに読んだこともないのに、見よう見まねでマンガを描いてデビューしたようなのである。
彼女は育ちが良いので人並みはずれたセンスがあったのだろう。
芸術学部なので絵はうまいはず。
だから、そういうことがあっても何ら不思議ではないものの、マンガ家を志す人にとっては穏やかな話ではないだろう。
ここから分かることは、マンガ家になりたい人がマンガを読んでもあまり意味がないということなのである。
ましてや、マンガ家の専門学校などに高い授業料を支払って通学しても、それもあまり意味がないのでは。
結局、マンガ家になるためには単に彼女のようにセンス(才能)があれば足りる。
その有無だけが問題なのだ。
では、自分に才能がなければどうすればよいかというと、マンガの愛読者になればいいのである。
自分が噴水で泳ぐより、眺める方がよい身分、それと同じことだ。
べつに人生はそれで何の問題もなく楽しいし、むしろセンスがあまりないのにマンガ家を目指し続けたり、うっかりマンガ家になったりする方が、あとになって何倍も苦労することになると思う。

その後、私は夕方には資料館を出た。
清澄白河駅から地下鉄を乗り継ぎ、飯田橋へ向かった。
夜から飯田橋のアンスティチュフランセ(フランス語の教室)で、フランソワーズモレシャンの講演があり、私はそれを聞きに行くのだが、かなり早く到着してしまった。


アンスティチュフランセ東京


フランソワーズモレシャンとは、イヴサンローランの取り巻き(支援者)の1人、当時のイヴサンローランとパリのファッションの話が聞けるので、私のほかにも多くの年配女性が来ていた。
私は彼女たちに混じって受付の列の最後尾に並んだが、間もなく目の前の知らないおばあちゃんがいきなり私に声をかけてきた。

「ねえ、お兄さん、ちょっとい~い??」
「はい、何でしょう??」
「これ、壊れちゃったのよ~。悪いんだけど、お兄さん直して。」
「はあ、ガラケーですね。私でよければ、お調べしましょう。」
「すみませんねえ、、、」

突然、私は、小柄で粋なおばあちゃんから携帯電話の応急修理を頼まれてしまった。
私は文系で、機械いじりがあまり得意ではないので、直せるかどうかは分からなかったが、たいていのお年寄りの「壊れた」はどこも壊れておらず、単に何かのボタンを押し間違えたりして慌てている場合が多い。
やはり、今回もそうだった。

「はい、元に戻りましたよ。」
「あら、ありがとう。助かったわ。」

私はおばあちゃんに何度もお礼を言われたが、そこまで感謝されるほどのことではない。
ただ、これが思わぬきっかけとなり、そのおばあちゃんと連れのおばあちゃんの2人組とすっかり意気投合してしまった。

「ねえねえ、お兄さん、まだ講演が始まるまで30分以上あるじゃない。」
「そうですね。」
「これからお兄さんも隣のレストランに一緒に食べに行かない?」
「え~、いいんですかあ。私のような怪しい男をナンパするなんて勇気がありますね。」
「いいのよ、私たちはどうせ取られるものなんてありゃしないんだから。」
「なるほど、分かりました。ご一緒します。」

とまあ、こんな感じで、私たちは近くのレストランでイタリアンを食べながら、モレシャンの講演までの少しの間、楽しいおしゃべりをして過ごしたのだった。


PIZZERIA TRATTORIA NITTANA