2019/06/03

私のような怪しい男をナンパするなんて



きのうは、岩下志麻似の劇団員Rさんと一緒に神宮球場まで慶早戦(早慶戦)を見に行った。
ものすごく久しぶりに、外野席で肩を組んで若き血を歌った。
この前、外野席で見たのは20年以上前のことだと思う。
それ以来の若き血である。
試合後は日比谷公園には行かず、大手町のアマン東京のレストランで食事をした。




アマン東京のレストラン


アマン東京のレストラン




彼女は明治大学の文学部出身だが、伝統の早明戦の後は新宿界隈で、早稲田の学生と小競り合いをすると言っていた。
それに比べると、慶應と早稲田は別の場所なので、まだマシである。
恐らく、慶應の学生はモメる相手がいないので、日比谷公園の噴水に飛び込むのだろう。
確か、私が大学1年生だったときの春の早慶戦である。
試合後、サークルの仲間たちと日比谷公園に出向き、みんなで何をするのかと思ったら、先輩が噴水にダイブしたのだ。
私はそういうノリの人間ではないので、ダイブするのは断ったが、噴水で泳いでいる人たちを眺めるのは、金魚が泳いでいるのを眺めるのとは違い、結構楽しいものだった。
まあ、自分が噴水で泳ぐより、眺める方がよい身分ということか。

さて、ここからは今日の話。
今日はママ殿と一緒に実家のお墓詣りに行った。
お盆はまだ先だが、お盆に行くと真夏日で、お墓の周辺は一段と暑くなる。
私たちが墓地の中で熱射病になって死んだら先祖に申し訳がないので、我が家では早めに行くようにしている。
おばあちゃんもおじいちゃんも東京下町の出身で、向島の寺に墓があるのだが、すぐそばには東京スカイツリーが建っている。
ただ、この周辺は昔ながらの下町であり、再開発される気配は今のところない。
せいぜい駅周辺がきれいになったくらいで、駅を出て通りを歩くと以前のままの街並みである。
非常に狭い路地を進んでいくと立派な寺の門があり、ママ殿と私は管理人に挨拶をした後、水などを準備して墓地の敷地へ入った。
先祖の墓石を水で洗ったり、花や線香を供えたりしたが、作業はものの10分で終了し、私たちは寺をあとにした。

その後、私はママ殿と別れることになった。
これからママ殿はデパートで買い物をするというのだが、私は付き合っていられないので、清澄白河の深川江戸資料館に向かった。




深川江戸資料館




深川江戸資料館には初めて行くのだが、今回は「深川人物往来」という企画展をしていた。
ここには江戸の街並みの再現模型がある。
これが見ものなのだが、まるで鬼平犯科帳の世界に来たような感じがするのだ。
ただし、こわもての長谷川平蔵は出てこない。
20~30分くらいかけて、時代劇のセットのような楽しい空間を散歩した。
水の入った隅田川のセットがあり、そこに小舟が浮かんでいた。
江戸時代の人々は、このような小舟で隅田川を往来していた。
江戸の町はまるでヴェネツィアの都のようだったのだ。
鬼平犯科帳のワンシーンにも侍が小舟で川下りをするシーンがあったような気がする。
私は江戸の町をひとしきり見たら出るつもりであったが、館内のすみで杉浦日向子の企画展をしており、少し見てから帰ることにした。


深川江戸資料館「杉浦日向子の視点」


杉浦日向子は「江戸風俗研究家」あるいは「エッセイスト」として知られている。
2005年に若くして死んだので、すっかり忘れていたが、実は彼女の本業は「ガロ」のマンガ家なのであった。
もともと彼女は呉服屋の娘で、日大芸術学部を中退してしばらく適当に遊んでいたのだが、そういう適当なキャリアを存分に生かして「ガロ」からデビューした。
もっとも、中退後は稲垣史生という時代考証家(時代劇などに助言をする仕事)のもとで時代考証の勉強をしており、彼女はどうもそちらの仕事を希望していたようなのだ。
しかし、時代考証などというレアな仕事ではすぐには食えないので、彼女は仕方なくマンガで日銭を稼ぐことにした。

ここで初めて知ったのだが、どうも彼女はマンガをろくに読んだこともないのに、見よう見まねでマンガを描いてデビューしたようなのである。
彼女は育ちが良いので人並みはずれたセンスがあったのだろう。
芸術学部なので絵はうまいはず。
だから、そういうことがあっても何ら不思議ではないものの、マンガ家を志す人にとっては穏やかな話ではないだろう。
ここから分かることは、マンガ家になりたい人がマンガを読んでもあまり意味がないということなのである。
ましてや、マンガ家の専門学校などに高い授業料を支払って通学しても、それもあまり意味がないのでは。
結局、マンガ家になるためには単に彼女のようにセンス(才能)があれば足りる。
その有無だけが問題なのだ。
では、自分に才能がなければどうすればよいかというと、マンガの愛読者になればいいのである。
自分が噴水で泳ぐより、眺める方がよい身分、それと同じことだ。
べつに人生はそれで何の問題もなく楽しいし、むしろセンスがあまりないのにマンガ家を目指し続けたり、うっかりマンガ家になったりする方が、あとになって何倍も苦労することになると思う。

その後、私は夕方には資料館を出た。
清澄白河駅から地下鉄を乗り継ぎ、飯田橋へ向かった。
夜から飯田橋のアンスティチュフランセ(フランス語の教室)で、フランソワーズモレシャンの講演があり、私はそれを聞きに行くのだが、かなり早く到着してしまった。


アンスティチュフランセ東京


フランソワーズモレシャンとは、イヴサンローランの取り巻き(支援者)の1人、当時のイヴサンローランとパリのファッションの話が聞けるので、私のほかにも多くの年配女性が来ていた。
私は彼女たちに混じって受付の列の最後尾に並んだが、間もなく目の前の知らないおばあちゃんがいきなり私に声をかけてきた。

「ねえ、お兄さん、ちょっとい~い??」
「はい、何でしょう??」
「これ、壊れちゃったのよ~。悪いんだけど、お兄さん直して。」
「はあ、ガラケーですね。私でよければ、お調べしましょう。」
「すみませんねえ、、、」

突然、私は、小柄で粋なおばあちゃんから携帯電話の応急修理を頼まれてしまった。
私は文系で、機械いじりがあまり得意ではないので、直せるかどうかは分からなかったが、たいていのお年寄りの「壊れた」はどこも壊れておらず、単に何かのボタンを押し間違えたりして慌てている場合が多い。
やはり、今回もそうだった。

「はい、元に戻りましたよ。」
「あら、ありがとう。助かったわ。」

私はおばあちゃんに何度もお礼を言われたが、そこまで感謝されるほどのことではない。
ただ、これが思わぬきっかけとなり、そのおばあちゃんと連れのおばあちゃんの2人組とすっかり意気投合してしまった。

「ねえねえ、お兄さん、まだ講演が始まるまで30分以上あるじゃない。」
「そうですね。」
「これからお兄さんも隣のレストランに一緒に食べに行かない?」
「え~、いいんですかあ。私のような怪しい男をナンパするなんて勇気がありますね。」
「いいのよ、私たちはどうせ取られるものなんてありゃしないんだから。」
「なるほど、分かりました。ご一緒します。」

とまあ、こんな感じで、私たちは近くのレストランでイタリアンを食べながら、モレシャンの講演までの少しの間、楽しいおしゃべりをして過ごしたのだった。


PIZZERIA TRATTORIA NITTANA