2019/06/05

地下鉄博物館、銀座線の自動改札の話

郵政博物館の前島密の展示会


郵政博物館の前島密の展示会


きのうはスカイツリーの郵政博物館で前島密展を見てから、銀座の居酒屋に行った。
前島密は明治時代、イギリスの郵便制度を日本に導入した郵便局の生みの親である。
小泉総理の郵政民営化の時に「郵政のドン」と言われる強硬な反対派がいたが、ようするに、前島は「元祖郵政のドン」である。
郵便貯金(ゆうちょ)と簡易保険(かんぽ)も前島が作ったものだ。
前島もそうだったが、当時の実業家志望の若者は、新政府の内務省や大蔵省など中枢の役所に次々と就職した。
新政府が民間と連携して様々なビジネスを興すにあたり、自分がその担当者あるいは関係者となれるかもしれないからだと思うが、当時は今とは違って、できたばかりの新政府なので人材が少なく、上のポストはあいており、大チャンスだっただろう。
資金は国が拠出し、自分は毎月決まった給与がもらえるのだし、明治維新は当時の無一文だが優秀な若者にとって、千載一遇のビジネスチャンス!!
また、敗戦後の日本も明治維新の時と同様に、役所が主導して様々なビジネスを行った。
いずれも日本の官民にとって重要な成功体験となったが、いまはもう役所主導ではうまくいかなくなった。
どうしてなのか不思議だが、時代の違いなのかしら。


郵政博物館


夜の銀座の街へ。
一緒に飲むDさんは仕事帰り、銀座といっても私たちが向かったのは場末の8丁目である。
並木通りの1本向こうの路地、雑居ビルの2階に「七賢元酒屋」という小さな居酒屋があり、私たちはそこへ入った。
店内は昭和のレトロな雰囲気で、私は上野公園の下町風俗資料館を想起するのだが、店主のKさんは何でもないただのおじさんのようで、実は七賢(山梨の有名な酒造会社)の一族の方である。
したがって、ここでは七賢の上等な日本酒が安く飲めるのだが、世間にはあまり知られておらず、常連客しか入って来ない。
入店するとすでに、会社帰りの5~6人のグループ客が陽気に飲んでおり、私たちはその斜向かいの予約席に座った。


七賢


私たちはKさんに挨拶をし、何品かの料理と七賢の新酒を頼んだ。
これまでもDさんとは何度か一緒に飲んだことがあるが、ここに来るのは初めて。
いつものように世間話をしながら飲み食いし、お互い近況を話し合った。
Dさんは都内のベンチャー企業に勤務するエンジニアで、こないだの記事に書いたように、つくばのセミナーで知り合った。
本来、私はエンジニアのような論理タイプとは話が合わない。
しかし、彼とはなぜか話が合う。
早速、前島密の話題をふってみると、Dさんは明治維新のおもしろいエピソードを教えてくれた。
エンジニアなのに文化や歴史にも詳しいんだねえ、すごい。

さて、Dさんは超一流のエンジニアであるが、彼の専門は流行りのAIではない。
しかし、彼はAIにも通じており、海外の書籍を読んで趣味で勉強しているという。
AIってそんなに難しくないですよ、日本人のエンジニアの書いた書籍は使えないので読みませんけど、などと言っていた。
なるほど、どのような分野も、最先端にはやはり欧米の書籍であたるしかないのだな、と私は思った。
ただ、意外なことに彼は、AIが社会を根底から覆すという大きな期待を持っているわけではなく、わりと冷静な見方をしていた。
私は彼の意見を聞き、AIって、わりとちゃちいのかな、と思った。

まあ、長くなるのでこの話はこれくらい。
今日は葛西駅前の地下鉄博物館に行ってきたので、その話に移ろう。


地下鉄博物館


地下鉄博物館の銀座線の車両


東京の地下鉄の開発、これもまた前島密の郵便局の事業のように明治の一大国家事業であった。
博物館の解説を読むと、地下鉄の歴史にも渋沢栄一が登場し、創業者の早川徳次の出資者として関わっていたようだが、中でも私が興味深かったのは、そういった政治的背後関係ではなく、戦前の銀座線の自動改札の話であった。
当時、銀座線の運賃はワンコイン定額であったため、小銭を挿入して出入りできる、まるでおもちゃのような自動改札が駅に設置されていたというのである。
もちろん、乗車区間で運賃を決める長距離の国鉄はそれができないから、駅員が目視で切符をチェックした。
その後、銀座線は駅が増え、路線が長くなり、運賃体系も変わり、自動改札はなくなったが、戦後になり50年以上の月日が流れたころ、自動改札は高性能化して再登場し、全国津々浦々に普及するに至ったわけである。

こうなると私は、きのうのDさんのAIの話を思い出してしまう。
もしかすると現在もてはやされているAIも、昔の銀座線の自動改札程度のもので、それと似たような運命をたどることだってあるのでは。
だって、いまのAIは、Dさんが趣味で勉強して簡単だと言われてしまうのだから。
戦前の自動改札と同じようにいったんは消えるとすると、これだけ普及したAIなのだから、何か大失敗をしでかして姿を消すということだろうか。
どのような大失敗をするのか、まあ、そんなことまで分からないが、例えば取引の大部分がAIで行われている株式市場、その大暴落とかがAIの大失敗により起こるかもしれない。
その後、50~100年の歳月が流れる。
そして私が死んだ後にでも、高性能のAIが再び登場するのだろうが、ああ、それならAIに職を奪われる心配もなくなるので、私たちは安心して暮らせて大変に結構な話である。


とりみき「ロボ道楽の逆襲」