2020/05/23

ソーシャルディスタンス

キュイジーヌアイ


ここ最近、外食を控えていたが、きのう駅前のレストラン「キュイジーヌアイ」で久しぶりの外食をした。
シェフのIさんとは顔見知りである。
いつもはカウンター席でIさんと楽しく世間話をしながら食べるのだが、ソーシャルディスタンスということで、促されて離れたテーブル席に座った。
厨房まで距離があり、話しかけようとすると大声になってしまう。
マスクをしたまま食べるわけにもいかない。
私は黙って食事をして、つまらなかったのだった。

う~ん、これは退屈だ。
せっかくのおいしい食事もいまいちになってしまうよなあ、、、

私は外食の価値とは一体何だろう、とも思った。
茨城県はすでに非常事態宣言が解除されている。
しかし、ランチタイムなのに、私以外には1組の家族連れしかいなかった。
果たして、時間がたてば元通りになるのだろうか。


キュイジーヌアイ


キュイジーヌアイ


キュイジーヌアイ


今日は、柏の高島屋で買い物をした。
今半でまた肉をまとめ買いしたが、ほかにも買うものがあり、会計のため総合レジに向かった。
レジまで長い列ができており、女性店員が最後尾と書かれたプラカードを持って交通整理をしている。
デパ地下は大盛況である。
そのわりに、スーパーマーケットやドラッグストアとは違い、商品の品薄も欠品も見られなかった。

実はもうひとつ、大事な用事があった。
私のワインの先生が、用事でこちらに来るかもしれないというので、柏駅周辺のレストランを探す必要があるのだった。
ワインボトルの持込み料を確認してほしいと頼まれていた。
駅周辺を歩き何店舗か回ったところ、相場は1本1000円~2500円。

1本2500円、3000円、ちょっとそれは高すぎると思う、、、
1本1000円でもまだ高い。
でも、それくらいが実際の相場なのかな。

だが、こっちはグループ客で、コース料理も食べる予定で聞いているのである。
なのに、まるで罰金のような高額の持込み料は納得がいかない。
せめて1本500円~1000円程度にしてほしいものだ。

結局レストランは食事を安くし、お酒の方は高くし、お酒で利益を出すビジネスモデルということなのだが、だからこそ、こちらは持ち込みたいのである。
時代の流れもあり、そのうち持ち込みが当たり前になる時代が到来すると思う。
数年後に1本500円~1000円になることを期待しよう。
なお、ワインの持ち込みサービスについては、阪急百貨店が運営するWinomyというウェブサイトに、持ち込みOKのレストラン情報が掲載されている(Winomyのウェブサイト)。

2020/05/19

映画鑑賞補助

虎ノ門ヒルズ、ぼくとらのもん


虎ノ門ヒルズ、ぼくとらのもん


虎ノ門ヒルズ


今回の記事は、仕事人間からの脱却で書いたことの補足である。
私は、これを書く時、思い出したことがある。
おととし、虎ノ門ヒルズのジャフコのオフィスの会議室で行われた人事のセミナーのことである。
エンゲージメントをテーマにしたもので、従業員の福利厚生の多様化を取り上げており、非常に興味深かった。
かつての大企業のような社宅、保養所、社員旅行といった福利厚生は、企業側はコストがかかるのと、従業員もまたそれを必ずしも望んでいないのとで、これからは別の形の福利厚生を模索していく必要がある、ということだった。
そこではいくつかの具体例が紹介されていたのだが、おととしのことなので、よく思い出せない。
ただ、私の印象に残っているのは映画鑑賞補助である。

例えば、従業員が自分の見たい映画を見に行き、それを会社に報告すると、映画鑑賞補助として500円ほど支払われる仕組み。
これなら従業員が毎週映画を見に行っても、月に2000円で済むが、その従業員の満足度はかなり高い。
映画鑑賞補助はクーポン券とはまったく異なるものである。
クーポン券は割り引かれる映画が指定されているので、従業員は自分の見たい映画を見に行けるわけではない。
この映画鑑賞補助と同じことが、従業員の社外活動でも広く実施されればよいな、と私は思う。
従業員は余暇を楽しめるのと同時に、新しいことを始めるなどして思わぬ人生が開けるかもしれないからだ。
そういう従業員が増えると、会社にも良い効果が及ぶことは間違いないし、会社に依存する「仕事人間」も少なくなる。

このように、21世紀型の福利厚生は従業員1人1人の個性に着目したものになると思う。
古い体質の会社を「硬直した組織」から「柔軟な組織」に変革する必要がある。
そのためには、従業員の個性を伸ばすことが重要であり、全体主義的な福利厚生は好ましくない。
もっとも、社内の懇親、団結の醸成も重要だと思うかもしれない。
だが、そのために社員旅行をする必要はまったくなく、月例の飲み会でも足りるのである。
新型コロナウィルスのこともあって、いまは月例の飲み会すら控えられているが、今後、従業員の集団行動が回復することはかなり難しい、と私は思う。
新型コロナウィルスにより、集団行動から個人の行動へ急速にチェンジしていくだろう。
福利厚生もそのような時代の流れに合わせて変化する必要がある。

2020/05/15

ファッションは、よりシンプルになる

最近は、食事もおやつもすっかり家で手作りである。
外食にも行っていないし、デパートにも行っていない。
デパートはいま、非常事態宣言のため休業中で、デパ地下だけが営業しているという。
定期的に柏高島屋の地下の「今半」で肉を買いたいのだが、デパ地下は混んでいるというので避けていた。

ようやく柏高島屋が営業を再開した。
早速、私はイワキメガネに眼鏡の調整を頼みに行った。
いつもは顔見知りの店長が対応してくれるが、今日は不在で、女性店員に頼んだ。
自粛中、メインの眼鏡のレンズがぽろっと外れてしまい、それを元通りにしてもらって非常に助かった。
まあ、眼鏡はいつ壊れるか分からないので、スペアを最低でも1つは持っておくべきだろう。


洋菓子屋レタンプリュスのバウムクーヘン


洋菓子屋レタンプリュスのバウムクーヘン


その後、デパ地下のケーキ屋「レタンプリュス」でバームクーヘンを買い、「今半」で牛肉を買い、上の階の「ピエールカルダン」に行った。
ピエールカルダンは高島屋の平場より少し単価の高いブティックであるが、私はこれまでたいした買い物をした記憶はない。
たぶん、何点かの服しか買ったことがない。
しかし、どういうわけかスタッフのSさんとは、通りかかると気軽に雑談したり挨拶をする関係になっていた。
今日も客はおらず、しばらく雑談ができた。

とにかく、アフターコロナは生活スタイルが激変するので、ファッションも激変するという話になった。
そうすると、スーツ、ネクタイ、ジャケット、革靴、マフラー、コート、こういったピエールカルダンの扱う商品も売れなくなるだろう。
ファッションは、よりシンプルになる。
これからも、今よりさらにファストファッションの時代となるのである。
銀座に旗艦店を持つ多くの高級ブランドブティックも、今後はその多くが淘汰されるのだろう。
もっとも、何事にもこだわらない気さくな性格のSさんにとって、そういうことはあまり深刻な問題ではないのかもしれない。
今年で70才になるというSさんは、今日もおしゃれなジャケットとネクタイでキメていた。
自分の時代はもう終わったと言いたげでもあったが。

まあ、Sさんは人柄がよく、話好きなのである。
若い頃のしょうもない話も聞いたし、なるほどと思うような話も聞いた。
なので、せっかくだから定年退職の時に何か贈り物(授業料)でもあげようかと思うのだが、かえって簡単な物がよいのかもしれない。
あるいは、お祝いの言葉だけで十分、いやいや、お中元もお歳暮も、もう時代遅れであるから贈り物の習慣など、ばかげているのかもしれない。
贈り物なんて送り主は執念深く覚えているが、受け取った方は忘れるものだ。
感謝の気持ちを込めてプレゼントを送る、そんな「しきたり」すら、特別な場合を除いてはもう時代遅れ、とにかくこれからは、何事によらず「シンプルな時代」になると思うし、それでもいいと思う。

2020/05/13

仕事人間からの脱却

従業員に対する仕事人間からの脱却プログラム


<従業員に対する仕事人間からの脱却プログラム>
・社員のスキルアップ制度
・社員の社内起業支援制度
・社員の非事業活動の参加支援制度

景気が良いので、売上が伸びているので、人が足らないので、従業員をどんどん雇う。
しかし、年収300万円の従業員を1人雇用することは、会社が年間300万円の債務を負うことである。
銀行借入には慎重でも、従業員の雇用には積極的、そう、新型コロナウィルス不況になるまではそうだった。
今となっては手遅れだが、ロボティクスなど生産性をアップするための最先端の設備投資をして、今の従業員だけでやりくりする方が正しかった。
昔から毎度のことだが、単に頭数を増やして好景気に対応してきた企業は、景気後退のときに従業員の処遇で大いに苦悩する。
ここを割り切ってリストラするのが米国流、雇用を守るという大義名分のもとに頑張るのが日本流のようである。
どちらがよいかは諸説あるが、日本流は入口と出口のバランス(雇用と解雇のバランス)が悪いため、企業が余剰人員を抱え込んでしまう。

企業が利益を上げるためには、売上を増やすか、経費を減らすかの二択である。
一般的には、高度経済成長の時代は売上を増やせたので、攻めの経営であったが、成熟と低成長の平成以降は経費削減の守りの経営である。
しかし、余剰人員を抱えたまま、他の部分のコストカットを断行しても全体の均衡を欠いている。
この点、コストカット専門を標榜する経営コンサルタントの話だと、リストラを回避するために他の経費を削減するのが正しいのだという。
しかし、それは彼の営業トークのようなものだと思う。
まあ、カルロスゴーンのような外国人が来て首りを断行する話は穏やかではないが、いきなり最も効果の大きい人員整理に着手するのが正しいのである。
直ちに人員整理をし、少しでも早く会社が元気に戻り、以前より成長し、以前より多くの従業員を雇う、そうすることで後日再び社会貢献をすればよいのではないだろうか。

しかし、そうはいっても、世の中には、なかなかそれができない「おとなの事情」もある。
では今後のため、ここにちょっと書いておこうかな。
景気が良い時、売上が伸びている時、人が足らない時、従業員にはあえて労働(業務)以外のことを日頃から少しでもさせておくといい。
従業員が自社の仕事しかできない、自社の仕事でしか自己実現ができない、自社のほかに自分の居場所がない、日本では多くの労働者がそういう典型的な「仕事人間」になっているが、それは過剰な労働を美徳とする風潮が依然として根強いからである。
しかし、こういう仕事人間が相手だと、経営側はリストラをしなくてはならない時に、二の足を踏んでしまうわけである。
だから、自社の従業員には「仕事人間」から脱却し、少しばかり無責任社員になってもらおうではないか。
そこで今後は、①社員のスキルアップ制度、②社員の社内起業支援制度、③社員の非事業活動の参加支援制度(例えば社会活動、芸術文化活動など)、こういったものが、多くの企業で取り入れられていくとよいのではないか。

2020/05/11

まあ、何事もチャレンジである

何年かぶりに地元の美容室で散髪をした。
非常事態宣言で、都内の行きつけの美容室が休業してしまったのだ。
リクルートのホットペッパービューティーで予約したので、予想以上の安上がりとなった。
その浮いた分で、ミルボンのヘアトリートメントを買ったのだが、私はそのラベルを見て驚いた。


ミルボンのヘアオイル「CRONNA」


コ、コロナ!?
なんか、いやな名前だな、、、気になって箱のうしろを見ると、コロナではなく、CRONNA(クロナ)と仮名がふってあった。


利根川河川敷公園


その後、利根川の河川敷公園を散歩。
ゴールデンウイークも明け、人が少ない。
非常事態宣言中の一時期、河川敷の散歩者がやけに増え、駐車場の出入口などは田舎の駅前より混雑しているのではないかというほどだったが、バブル相場と同様、異常事態は長く続かないものだ。
私はベンチに座って、のんびりした。
草野球の少年たちを眺め、美容室の待ち時間のために持参した読みかけの文庫本を開いた。


藤沢武夫「経営におわりはない」


藤沢武夫「経営に終わりはない」。
藤沢は、自動車メーカー「ホンダ」の創業者本田宗一郎の片腕だったビジネスマンで、まさに叩き上げ、という言葉が適する男である。
ホンダのサクセスストーリーと、その裏の生々しい駆け引き、主として後者を描いたドキュメントである。
ただし、ドキュメントに脚色や誇張は付き物で、生々しい記述も少し割り引いて読む必要はある。
出版社の本作りは商売で、書店で売るために出すので、ドラマチックなストーリー仕立てでなくてはならない。
全体の流れは重要で、その流れを助ける真実は脚色誇張されるが、その流れに不都合な真実はなかったことにされてしまいがちだ。
だがそれでも作者と編集者が譲れない部分があり、そこが何なのかというと藤沢の場合は「チャレンジ精神」である。
戦後間もない頃の日本人が持っていたチャレンジ精神、それを藤沢は描きたかったのだ。

私は30分ばかりこの本を読んだが、ママ殿にパンの買い物を頼まれていたのを思い出し、本を閉じた。
あまり遅くなるとパンが売り切れてしまう。
ホンダのサクセスストーリーよりも、今日のパンの方が重要。
河川敷から駅方面へ戻り、キヤノンの工場のそばのパン屋へ。
買いそこなうとママ殿に怒られるのでとても急いだ。
路地を挟んでキヤノンの隣には、地元でも人気の「トロワフレーシュ」がある。
私は数個のパンを買い、ついでにラスクも買った。
こないだ、いちごジャムを手作りしたので、ラスクにジャムをぬったらおいしそうだと思って。
しかし、家に帰って試すとラスクにジャムは合わなかった。
ママ殿と、やはりラスクにはバターが合うよね、という話をした。


ラスクとコーヒー


自家製いちごジャム


自家製いちごジャム


自家製いちごジャム


時に直感やひらめきで行動してうまくいくこともある。
しかし、このように、うまくいかないことの方が多いだろう。
まあ、何事もチャレンジであるということで、人生でもこういう失敗はどんどんしていいのではないか。
人は何かをするとき、根拠や理由を知りたがるし、それがはっきりするまでは確信を持てないので躊躇する。
だが、そうではなく、直感やひらめきのままに行動する、それでいいのではないだろうか。

2020/05/04

巨匠ビリーワイルダーとフェデリコフェリーニ

ビリーワイルダーはロマンティックコメディーの巨匠である。
オードリーヘップバーンの「サブリナ」、シャーリーマクレーンの「アパートの鍵貸します」、マリリンモンローの「お熱いのがお好き」などの名画を監督した。
しかし、異色の作品として、「サンセット大通り」という人間の本質を描いたシリアス映画も撮っている。
「サンセット大通り」は、豪邸の老いた大女優の孤独を描いた名作である。
テーマは女性の外見という普遍的な話だが、現代的に引き直して言うと、美容整形が今ほど進歩していなかった時代の芸能人の苦悩のようなものが描かれている。

このように、ワイルダーはシリアスな映画を作る才能もあったが、ワイルダーがコメディー映画の巨匠となれたのは、この才能のおかげだと思う。
素晴らしいコメディーには、「サンセット大通り」のようなシリアス映画の持つ毒の要素、人情の要素が含まれているものだ。
このあたりのニュアンスは、日本でいえば落語に近い。
ワイルダーのコメディー映画は、どことなく落語と似ており、毒と人情味がある。
ワイルダーの師匠は、同じユダヤ人の映画監督エルンストルヴィッチである。
巨匠ワイルダーの師匠ということで、以前気になってその作品を見たことがあるが、こちらも人情コメディーであった(「桃色の店」などがある)。

さて、ワイルダーの映画が生粋の娯楽作品だとすると、その対極にあるのは芸術的映画である。
私の書斎の本棚に、芸術的映画の巨匠フェデリコフェリーニに関する本が数冊ある。
「フェリーニ、私が映画だ」「フェリーニ、映画を語る」。
緊急事態宣言のさなか、週末の夜は書斎の本を再読している。


フェリーニ映画を語る


フェリーニ私は映画だ


昔、フェリーニの名画はツタヤのレンタルビデオでひととおり見たことがある(つまり、かなり昔のことである)。
「甘い生活」「8と2分の1」などの芸術性と掴みどころのなさに、見た後考え込んでしまったが、部分的にはよく分かり、見どころがあちこちにあって、そのセリフとカットが「フェリーニこそが映画の中の映画だ」というほど良かった。
しかし、分かった気になって繋いで見ると全体像がよく分からなかった。
私には、フェリーニは難解、ということになったのだった。

ただ、フェリーニの代表作は「道」だと思う。
これは誰でも分かるコテコテの感動的名画である。
人間の本質を描いたシリアスすぎる作品で、気難しい旅芸人の男と連れ合いの女(ジュリエッタマシーナ)の悲劇である。




「道」は傑作であり、どう考えても後期フェリーニの芸術的な作品よりも良い。
もしかするとフェリーニは、初期に「道」を作ってしまったので、自分の道を見失ったのかもしれない、とも思えるほどだ。
芸術家であるならば、勝ちパターンを繰り返して作品を作り続けるべきではない。
「道」を作った後のフェリーニは、新しい方向へ突き進んでいかざるを得なかったのかもしれないということだ。

フェリーニの後期の芸術的映画はインテリ向けで、私のような者にはなじまない。
しかし、ワイルダーが「サンセット大通り」を作り、自らのキャリアに異色の作品を刻んだのと同様に、フェリーニもまた「道」を作った。
私には、どちらも名監督が作りたかった理想の作品のようにも見える。