2020/03/26

ワインバー開業計画(2)無期限延期

今日は、「マッチマーケット」の運営団体の代表者のUさんと会って話す約束をしている。
約束の当時は、新型コロナウイルスの蔓延が今ほどひどくなかったため、今日の議題は、どのようなコンセプトのワインバーをしたいのか、である。
しかし、もはやこの状況だと、ワインバーを開業しても大丈夫なのか(いや、常識的に考えて大丈夫じゃない!!)、という点が問題である。
私としてはそこを議論したいのだが、前代未聞のことでもあり、聞かれる方のUさんもよく分からないだろう。




待ち合わせ場所のレンタルオフィスには私が先に到着し、通された会議室で待っていたが、しばらくたってレンタルオフィスの女性職員と一緒に60代半ばのおじさんが入ってきた。
てっきり近隣の実業家が代表者なのかと思っていたが、そうではなかった。
代表のUさんは都内からいま電車で来たばかり、本業は経営コンサルタントのようだ。
この人、きつい大阪弁を話すので大阪人に間違いないが、首にスイカ入りの名札ケースをぶら下げており、デキる経営コンサルタントには見えないぞ。
しかし、今日は私がUさんに経営相談をするタテマエだから、私たちの会話は早速そのような流れとなった。

私はワインバーのコンセプトを説明したり、Uさんの質問に答えたりした。
しかし、新型コロナウィルスなのにワインバーを開業するのか、という根本的な質問はなかった。
開業するつもりだからここに来ている、と思われていたのだろうか。
まあ、私は物件を借りるお客さんなので、自分たちに都合の悪い質問はしたくなかったのだろう。
でも、私が逆の立場なら一応その質問はするので、最初、私はUさんにあまり好感を持てなかった。

「あの~、私はワインの銘柄を当てたお客さんに景品を出したいんですが、どう思われますか??」
「へえ、おもしろそうだね。」

Uさんが食いついてきたので、私はマッチマーケットの事務局で何か景品を出せませんか、と聞いてみた。
マッチマーケットはセブンイレブンの向かいの好立地にありながら、地元の人にも認知度が低いのである。
それなら、私のワインバーの景品が、マッチマーケットのロゴ入りのタオルやペンなどであれば、この場所のいい宣伝材料になるだろう。
するとUさんは思い出したように言った。

「そういえば、ロゴ入りのワイングラスが事務所のどこかにあったはず。事務室でちょっと聞いてくるよ。」
「すみません。」

Uさんが会議室を出て、事務室の方へ消えた。
景品をタダで提供してくれるなんてありがたい、と私は思った。
が、戻って来たUさんがくれたのはワイングラスではなかった。
どうも、Uさんはビール党のようである、、、


マッチマーケットの記念のグラス


それ、最後の1つだったから、きみに記念品としてあげるよ。

そっけない感じの言葉だが、こういう状況なだけに私は貴重品をもらったような気分で、ありがたかった。
私はUさんにお礼を言い、その後また20~30分話したが、どんどん失敗しなさい、と何度も言われた。
自分の年齢でそれはまずいと思うが、絶対に成功しなさいと言われるよりはマシである。
また、やや拍子抜けしたが、べつに頑張らなくてもいい、と言われた。
失敗していい、負けていい、頑張らなくていい、なんだか経営コンサルタントらしくないセリフの連発だった。
しかし私はこれを聞き、少しUさんを見直した。

私は何事もチャレンジだと思っている。
が、Uさんのアドバイスのポイントは、その気になったら、ちょっと事業を手がけてみればいい、という軽いノリなのだと思う。
起業家のチャレンジは失敗に終わることの方が多いので、軽いノリでも真剣なノリでもどうせ似たような結果になるのだ。
むしろ深刻になるとあとが大変である。
たぶん、私にこう言いたかったのだろう。

世の中、新型コロナウィルスで大騒ぎになっているけれど、失敗するつもりでワインバーに取り組んでみなさい。この条件なら失敗したって誰もが納得、どうってことないんだから。

しかし、さすがにこの状況では、、、と思ったので、私はUさんにこう言った。

「しばらく様子を見ます。」
「どれくらい??」
「分かりません。でも、この状況では、見通しがつくまでは新しいお店はできませんから無期限延期です。」

2020/03/24

ザボン OR ザーボン?

船橋屋の元祖葛餅


私はくず餅が大好きで、船橋屋のくず餅を見かけると衝動的に買ってしまう。
こないだくず餅を買ったのはワイン教室に行く途中で、師匠のT先生の分も一緒に買ってワイン教室に行った。
この時はまだワインバーをオープンするつもりでいたので、4月からは忙しくなってワイン教室に行けなくなる見込みだった。
そこで、挨拶の意味もあり先生にくず餅のおみやげを渡したのだが、何となく、先生は空也のモナカの方が好みかもしれないと思った。
なぜなら、以前先生はワイン教室の授業で、空也のモナカをおやつに出してくれたことがあったからだ。




先生はこのとき、マスカットベーリーA(muscat bailey A)の赤ワインに、空也のモナカの餡子をペアリングで出したのだと記憶するが、その日の先生はきっと、今日の私と同じように空也のモナカを銀座で衝動買いしたんだと思う。
しかし、銀座の空也のモナカ、、、こちらは小さくてお高い、、、なので上品で素敵なT先生向きである。
これに対し、船橋屋のくず餅はボリュームがあり、リーズナブル。
なので、私のような者に向いている。
というわけで私は船橋屋のくず餅「派」なのである。

さて、そのワインバーのことだが、その後の新型コロナウィルスの影響で、世間のイベントが次々と中止されていき、飲食店の営業時間や酒類の提供の規制が厳しくなり、私はオープンを見送ることにした。
物件契約の予定はキャンセルして、私は至急ですべきことがなくなった。
こりゃ、マイッタネ、、、

世界同時株安。
日経平均株価の暴落。

お茶の間のニュースでもこんな話題が深刻な感じで流れるようになった。
これならそろそろ買い時なのだが、こっちはそれどころじゃない。
そして今日は予約していた資生堂美容室で散髪。
少し早めに家を出て、銀座の街をぶらぶらした。


銀座日産ショールーム


銀座4丁目交差点


4丁目の交差点の日産のショールーム(日産クロッシング)は、いつもと違い、がらんとしていた。
それでも、ショールームのガラスから交差点を見下ろすと、人通りが少し回復している。
そこから並木通りを歩き、ノエビア銀座ギャラリーへ。


銀座ノエビアギャラリー


銀座ノエビアギャラリー「写真家林忠彦の世界」


今日は「写真家林忠彦の銀座」という懐古的な写真展をしており、高度経済成長のころの混雑した銀座の写真がたくさん飾られていた。
ところで、私はさっき、「ザボン」という名のスナックを探しながら並木通りを歩いていたのだった。
以前、ビジネス雑誌で読んだことがあるのだが、ザボンは往年の名作家たちの通う個人経営のスナックで、並木通りのどこかにあるという。

ザボン、、、なんだかドラゴンボールみたいだな。

これはかなり行ってみたい場所だ。
しかし、何やら敷居が高そうで、まずは場所だけ確認しようと思った。
さっきは見当たらなかったが、ノエビア銀座ギャラリーを出て、資生堂のビルに向かって歩き始めた私は、すぐにザボンの看板を見つけることができた。
ザボンは読めない漢字で書いてあり、雑居ビルの看板のなかで明らかに目立っていた。


銀座の朱欒の入口


なあんだ、資生堂のビルの近くじゃないか。
今度行ってみようかしら。

でも、今度とはいつだろう、と思った。
今はこんな状況だし、今後スナックやクラブは営業規制を受けるだろう。
私は何となく不安になり、ザボンの看板の写真を撮ってから資生堂美容室に向かった。

2020/03/11

3・11 Pandemic&Pibrac

3月11日は東日本大震災の日である。
私にとってそれは福島原発事故とともに忘れられない出来事である。
改めて思うと、本当に紙一重の無事なのであった。

今日は夕方、渋谷の一等地で司法書士事務所を経営する友人M先生と会う約束がある。
ただ、その前にギャラリーめぐりをするつもりで、お昼ごろ銀座に到着した。
ギャラリーめぐりというとだいたい行くところは決まっていて、企業系のギャラリーだと、ソニーイメージングギャラリー、資生堂ギャラリー、ポーラミュージアムアネックス、銀座グラフィックギャラリー、ノエビア銀座ギャラリーなどである。
しかし、ギャラリーはどこも休業していた。
銀座のギャラリーは狭くて小さいところが多いため、新型コロナウィルスが蔓延している時に開館は難しいのだろう。
とりあえず、松屋の向かいのシャネルのギャラリーは開館していたので、そこに入った。


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


ピブラック(Pibrac)の写真展。
ピブラックは劇場の舞台裏をドラマチックに描き出す気鋭の写真家である。
劇場には表舞台のドラマがあり、それとは別に舞台裏での劇団員たちのドラマもあるのだ。
少し作為的な気もしたが、人間ドラマを感じさせる写真ばかりで見ごたえがある。


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


派手な身なりのアーティスト風のカップルがいて、先ほどから私の少し先を話しながら歩いている。
ある写真の前で2人は立ち止まり、写真の近くに寄って見てはまた離れを繰り返した。
パソコンのアプリか何かを用いた合成写真ではないかと、しきりに疑っているのだ。
そのうち私の目の前で、合成写真かどうかの議論が始まった。
なので、私は静かにその場を離れることにした。
私は、合成のような気もするがそうではないような気もする。
まあ、どっちでもいいんじゃないの。

その後、向かいの松屋に行き、デパ地下のいつもの喫茶店でコーヒーを飲んだ。
デパ地下も空いていたが、喫茶店も私を含め客は3人だけ。
その後また通りを歩いた。
シャネルもそうだったが、通りがかりに見かけた銀座のブティックはどこも閑古鳥が鳴いており、入口に店員だけが立っている状態であった。


銀座花椿通り交差点


銀座4丁目の交差点も、どこかの田舎町の交差点のように人がいなかった。
思わず、このままでは銀座がゴーストタウンになる、と思った。
まるでピブラックの劇場写真のように。
銀座という豪華なハコモノだけがあり、そこには誰もいない。
まあ、それはよくある考え過ぎであって、実際にそうなるわけはないんだけど。

その後、私は銀座線で渋谷に向かった。
約束の時間よりもだいぶ早く渋谷に着き、私は雨上がりの渋谷の街を少し散歩した。
渋谷は銀座に比べて明らかに人通りが多い。
こちらはいつもとそれほど変わらないな、と思った。
約束の時間までスターバックスで待った。
1階の客席は若者で満員、2階に上がるとこっちも若者でほぼ満員であった。


渋谷スターバックス2階席


私は窓際のカウンター席に座り、階下の大通りを眺めながら手帳をめくり、桜の季節限定のフラペチーノを飲んだ。
隣に座る2人組の女子大生が大学のサークルの話をしている。
銀座と違い、渋谷は若々しくて楽しい話ばかり聞こえる。

ああ、なるほど、、、
高齢者の銀座、若者の渋谷ということで、勝負あったね。

これから会うM先生は私と同年代だが、渋谷の街が好きという。
私は銀座の方が落ち着けるので好きだが、今後銀座の街はどうなるのだろう。
新型コロナウィルスの流行とともに色あせていく銀座の未来、かたや、ウィルスをもろともせず若者が集う渋谷の未来。
ここで私は、もう銀座の時代ではないのだ、と確信した。

窓の外はまた雨が降り始めている。
ふと、となりの女子大生2人組が面白いことを発見し、喋り始めた。

「ねえ見て、ビックリしたわ!」
「なに?」
「交差点の左側は雨が降ってないのに、右側は雨が降ってるんだけど・・・」
「まさか。でも本当だ、すごい!」

階下の通行人たちはそのことにまるで気付いていないが、2階席から見ると確かにそれは本当なのだった。
しかし、私は驚かなかった。
今日は東日本大震災のあった3月11日である。
いまは新型コロナウイルスのパンデミックの真っ最中である。
私は、大地震と原発事故の組み合わせ、新型コロナウィルスのパンデミックに比べれば、驚くほどのことでもないのではないか、と思った。