2024/11/03

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  • 回顧録・すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」
  • 回顧録・経済成長の希望
  • 回顧録・個人が起業するならニッチ、それに尽きる!
  • 回顧録・野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ
  • 何となく分かる・・・でも、よくは分からない、それがアートだ

■執筆者
加藤光敏
詳しいプロフィールについては、KADOKAWAのウェブサイトをご覧ください。

■連絡先
inquiry@efandc.comまたはmitsukato117@gmail.com

2024/10/24

何となく分かる・・・でも、よくは分からない、それがアートだ

 


慶應の三田キャンパスの近くにある、港区産業振興センターのピッチイベントにいってきた。
ベンチャー企業4社の社長や幹部が登壇したが、中でも注目は、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社。
アーティストとしても有名な落合陽一氏が代表取締役をしているベンチャー企業である。
ナスダックに上場を果たしている。

そのピクシーの登壇者が、会社方針のひとつ、「敬意と衝突」について語ったのが、私には非常に印象的だった。
以下は、敬意と衝突についての要約で、私なりの考えも含めてのものだ。

人はそれぞれ違うので分かり合えない。
が、相手に対し敬意をもって接するのが原則だ。
それと同時に衝突する必要もあるという。
衝突することで新しい価値が生まれる、衝突を恐れないマインドが備わっていなくては、良い仕事はできないからである。
衝突は必要かつ重要なプロセスとわりきれるかどうか、これは、ビジネスの世界に関わらず、何かを創造したい人も同じだと思う。




トークセッション後の交流会。
私は、会場を歩き回り、何人かと名刺交換をした。
やはり、慶應からふらふら来たお兄さんがいて、私は彼と少し話した。
わかれるとき、私は彼に、六本木通りのルルレモン(lululemon)の場所を聞いた。

「あれ、もう帰るんですか?」
「ええ。今日は六本木でアートのイベントがあるんですが、遠山さんの路上ライブを聞きたいのです」
「遠山さんって、スープストック東京の社長の?」
「そうです。こないだのイベントのとき、遠山さんは、六本木通りのルルレモンの前でやるといってたが、ルルレモンって、どこだか知ってます?」
「六本木ヒルズの近くの芝生のところですよ」
「ああ、あそこか」








ということで、六本木アートナイトでは、雨の中、「新種の老人」遠山正道氏の路上ライブを見てきた。

遠山さんは、スープストック東京や、Art Sticker(The Chain Museum)などの社長である。
また、画家でもあり、女子美術大学の教授でもあるというスゴい人だが、ふだんカジュアルな格好(作業服など)をしていて、ぜんぜん社長業には見えない。
そして、実際話すと非常に気さくな人柄である。

ライブが始まると、自作の歌詞を30分ほど、気ままに歌っていた。
私は、雨の中、人ごみに入るのがイヤで、少し離れた場所で、傘を差しながら聴いた。

歌詞は面白いが、結構シリアスだな。。。

アーティストや詩人・・・彼らは、何気ない日常の出来事や風景を、こんなふうに想像力を働かせて見たり感じたりしているのか、と思った。
彼らは、一般には想像もできないことを想像し、それを言葉にしたり、絵にしたりしているのだ。
これは、想像というよりは妄想といってもよさそうである。
鑑賞者は、その妄想的世界に共感できるかできないか、ということだと思うが、、、何となく分かる・・・でも、よくは分からない・・・アートや文学って、そんなものではないだろうか。




後日。
私は、京橋のブリリアアートギャラリーで、落合陽一氏の展示会を見てきた。
9月のまだ暑いうち、ギャラリーの前を通りかかったとき、チョット気になってはいたのだが、、、今回、ピッチイベントをきっかけに、初めて落合陽一氏の作品を間近で見てみようと思った。

近所のポーラミュージアムでは、アンリマティスの所蔵作品が展示されていた。
ポーラのギャラリーはたくさんの客で、賑わっていた。
が、ブリリアのギャラリーで、私は、30分ほどの滞在中、1人の客とも出会わなかった。
まあ、この周辺の現代アートのギャラリーも、私が行くと、いつも、1人か2人の客がいるかいないかだから、これが普通なのだ。
しかし、果たしてこれで現代アートはビジネスとして成り立つのか、また、現代アーティストは作品を売って十分なお金がもらえるのか・・・などと思ってしまった。







落合陽一氏の展示は、理系男子が部屋にこもって夢中になって作っていそうな作品群である。
私は、ひとつひとつの作品を眺め、とても楽しい時間を過ごした。

例えば、工学部出身のアーティストや、建築系のアーティストなどもそうだが、緻密に作り込まれた美の世界、計算された美の世界だと感じる。
芸大出身の女性アーティストの感性とは、また違った凄さがある。
これは、女性の感性よりも男性の理論によるのだと思うが、落合陽一氏は結構、ハードボイルドなタイプでは?・・・などと思った。

2024/10/15

回顧録・野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ

※2021年のお蔵入り記事の再公開

学生時代の私は、大のヤクルトファンであった。
巨人に勝てない冬の時代から応援していたが、関根監督から野村監督になり、「ID野球」で巨人にも勝てるようになり、まさか西武に勝てるとは思っていなかった。
巨人に負けるたび巨人ファンの友達にばかにされる肩身の狭い日々も、野村監督のおかげで終わりを告げ、それ以降、友達との立場は逆転したのであった。


野村克也メソッド


野村克也「弱者の流儀」


書斎には野村監督の書いた本が何冊かある。
そういえば去年死んでしまったなあ、と思いつつ、調べてみると野村監督の命日は2月11日である。
ただ、選手としてあれだけ偉大な成績を残したのに、野村克也が死んだら「名監督野村」が死んだ、と一律に報道されるのは、何ともビミョウな気がしていた。
まあ、私も確かに野村監督の選手時代を知らないので、野村監督の方がしっくり来るのだが、天国に行く本人はどう思っただろう。
そのうち長嶋茂雄が死んだら「選手」としての長嶋が死んだ、と報道されるのだろうが、どういうわけか野村克也=野村監督、なのである。
それなら野村監督は歴史に残る名監督なのかというと、名監督というには何かが足りなかったと思う。

何だろう??
確かに、野村監督のおかげでヤクルトは大変身したように見えるのだが、、、直前の数年間、選手育成をして土台を作ったのは前任の監督関根潤三氏であった(ヤクルト退団後はフジテレビの野球解説者)。
もし関根監督がそのまま在任して指揮を執っていても、ヤクルトはふつうに優勝した可能性もある。
関根さんが名監督であった、ということは当時のヤクルトファンならば説明の必要もなくご存知のはず。

野村黄金時代の試合を数多く見たファンの1人として思う。
野村監督は名選手を数多く育てたが、勝負師のタイプではなかった。
名監督なら勝負師でなくてはなるまい。
しかし、野村監督は勝負事の「賭け」をするのがあまり上手ではなく、肝心なところでは裏目に出ることも多かった。
まあ、当時の私はそれくらい熱心にヤクルトの試合を見ていたということではあるのだが、その理由を私なりに分析するとこうである。

・野球の知識と理論を知りすぎているため、ここぞという時に考えすぎる、迷ってしまう
・こうあるべきという理想があり、理想の野球を追い求めて間違ってしまう
・(本人的には)理論的に正しいことをしているので、采配の誤りを直すまで時間がかかる

過ぎたれば及ばざるがごとしではないが、頭が良すぎる、理想が高すぎるのが野村監督の欠点だったと思う。
野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ。

そういえば、野村監督は退任後、長い間、テレビで野球評論家(解説者)をしていた。
その解説はおもしろいようにズバズバ当たり、野球の神様かと思うほど。
しかし、野球を知り尽くしている野村監督は、解説がズバズバ当たっても、ひとたびグラウンドに降り立ち、ベンチで指示をするとまったく思うようにはいかなくなる。
何やらこれが勝負事の複雑さであり、実社会や現場の難しさなのだと私は思うのである。


ヤクルトスワローズ神宮球場


ヤクルトスワローズチアガール


ヤクルトスワローズ選手


ヤクルトスワローズ神宮球場


神宮球場の東京音頭

2024/10/11

回顧録・個人が起業するならニッチ、それに尽きる!



※2020年のお蔵入り記事の再公開

台風が東にそれて土曜日の午後は雨上がり、私は予定通り、取手商工会の講演会を聞きにいった。
今春、私のワインバーのオープンの件をめぐって知り合った、大阪人の経営コンサルタント吉田雅紀先生の講演会だ。
私は詳しくないが、起業支援の経営コンサルタントとしては、草分け的存在のようである。

この辺りの田舎だと、たいていの講演会は期待外れで終わるのだが、吉田さんの話なら、まあ、一度くらい聞いてもいいかな、と思った。
散歩がてらに行ける場所で、聴講料はたった1000円。

商工会には時間ギリギリの到着。
2階の会議室の聴講者は20名ほどだった。

眼鏡をかけた60代後半の男性が吉田雅紀先生であるが、関西弁で声が大きく、誰かと話せば非常に目立つ。
ただ、この日は、講演が始まるまで静かに座っていたので、最初はあの人が吉田さんだったかしら?と思った。




まずは、物静かな語り口のモデレーターの男性が挨拶をした。
その後、早速、吉田さんの出番となった。
吉田さんはスッと立ち上がり、元気で早口の関西弁で喋りはじめたので、私はすぐに目が覚めた。

私はメモ帳を開き、ペンを持った。
吉田雅紀流の起業論の講演の始まりである。
ただ、経営コンサルタントの世界では結論を先に言うこと、ひと言でまとめることが重要のようである。
私なりに講演を要約すると、こうなる。

個人が起業するならニッチ、それに尽きる!

以上。

ニッチでも、可能なら黎明期の新分野がいい。
新分野なら、競合が少なく見込み客が多いからだ。
また、数年やれば専門家を名乗れたりもするし、10年たたずとも権威として認められる可能性がある。
場合によっては、名刺に「カリスマ〇〇〇」と書いて偉そうにできる!?

まず、小さく狭く、身の丈から始めよう。
あなたの住む町のオンリーワンでいい、と吉田さんは言う。
その場所で一定のポジションを獲得できれば、高収入かどうかは別として、食うには困らない。





もう1つ、吉田さんが話していたのは自己管理の大切さだ。
例えば、今日は雨だから営業に行かなくていいや。
これでいいのか、ということである。

自営業は、客がいれば忙しいが、そうでなければ、ひまである。
だから、自己管理ができないと非常にマズいことになるのだ。
自宅でもスタバでもいいが・・・レンタルオフィスもいい・・・ちなみに、上記写真は取手駅前のレンタルオフィスである。
ここに入居し、自宅から仕事に通うのも、自己管理のためにはなるだろう。

その他に興味深かったのは、大阪の旦那たちは、本業で儲かると小料理屋を手を出すという余談である。
そこから、吉田さんは多角経営の是非について言及した。
本業と無関係な事業への多角化は良くないが、本業の派生事業などはOKです、と言っていた。
前者は本業を弱体化させる、後者は本業の奥行きを広げるからである。

本業の奥行きを広げる・・・吉田さんの表現はなかなか面白いが、私は、相田みつ美術館で見た詩の一節を思い出した。
確か、「間口を広げれば奥行きは浅くなる」というものだった。
相田みつをは経営者ではないが、さすが、大事なことは心得ている。

物事は広く浅くでは、うまくいかないのである。
狭く深く掘り下げるのがいい、という意味合いだ。

ほかにも、吉田さんの経営していたアパレル会社が破綻した話や、それにまつわる泣ける話などもあったが、元気な関西弁で喋るので、胸にぐっと来なかった。
そこだけは物静かな語り口の最初の司会者の男性が適任であったが、彼はもう、教室の後ろの方で聴衆のひとりとして耳を傾けていた。

「創業スクール」と銘打たれた取手名物の起業家ゼミは全5回のコースである。
私は用事があり、吉田さんの独演会をスポットで聞いただけだが、これから何かやってみたい人は、入門編として全ての回に参加するとよいだろう。

2024/10/08

回顧録・経済成長の希望

※2019年のお蔵入り記事の再公開

今日は、司法書士友達のM先生と一緒に丸の内で講演会を聞いた。
ただ、講演会は夜であり、毎度のことだが昼間に美術館めぐりをした。

東京スカイツリー→郵政博物館→皇居→三の丸尚蔵館→丸ビル

スカイツリーの周辺施設「ソラマチ」はスーパーマーケット、ブランドショップなど多様な店舗が入るが、郵政博物館は進学塾などの入るソラマチの8階にある。
進学塾は夜がメイン、なので日中の8階はスカイツリー内とは思えないほど静かである。
都内だが「ぐるっとパス」などには入っていないので、券売機で300円の入場券を買い、中へ入った。
ここ郵政博物館は、郵便局と切手に関するかなりマニアックな博物館である。
常設展示として日本の郵便の歴史と世界の切手コレクションのコーナーがあり、たぶん切手マニアにとって要チェックと思われるが、奥の方まで行くと企画展示室があり、今日はそこが私の目当てであった。




郵政博物館「猫のダヤン」展示会






「猫のダヤン」の企画展。
猫のダヤンは、池田あきこの絵本のキャラクターである。
アニメにもなった有名なキャラクターだが、私は詳しくない。
入口に描かれているダヤン、じっと眺めると、ヒグチユウコのギュスターヴ君とはだいぶ違う感じの猫である。
ギュスターヴ君はヒネくれている感じの猫だが、ダヤンは素直で癒し系に見える。
ギャラリーを歩きながら、ここは宮崎駿のファンタジーのような世界だな、と思った。
子供時代に返ったような気分。
帰りがけ、ミュージアムショップで、いくつかダヤングッズを買った。

スカイツリーを出た私は、押上駅から半蔵門線に乗り、大手町駅へ。
三井住友銀行本店の出口から皇居へ。
今日は皇居の三の丸尚蔵館で正倉院の宝物の企画展を見たかった。
が、残念ながら閉館日であった。




せっかくなので、少し散歩でもしよう。
来年の東京オリンピックの準備のため、皇居内のあちこちで大規模工事が行われていた。
これは工事のやりすぎである。
騒々しいし、歩きにくい。
私は工事現場のオレンジ色の柵に近づき、白い案内板を見た。
当たり前だが、どの工事も宮内庁の発注か。
しかし、これほど多くの工事を発注すれば、何人もの宮内庁の役人がゼネコンに天下りをしていてもおかしくないな、、、

そのうち私は、道なりに小さな森へ入った。
工事現場から離れたので、辺りは静まり返っている。
散歩する人も見かけなくなった。
なんだか、他人のお屋敷の裏庭に勝手に入っているみたいだな、と私は思った。
久しぶりに1人のおじさんが向こうから歩いてきて、こんにちは、と軽く挨拶を交わしてすれ違った。
さらに道なりに歩くと、小さな森から出て、急に芝生の公園のような景色になった。

おや、あ、あれは郵便ポスト??

意外なことに、私は皇居の路上で、ぽつんと立つ郵便ポストと出会った。
それは何となく不思議な光景で今も印象に残っているのだが、いったい誰がここから手紙を出すのだろう、と私は不思議に思った。
まさか、天皇陛下の恋文用のポストではないよねえ。

しかし、私が思うに、皇居内にあのような摩訶不思議な郵便ポストを設置することには、非常に重要な意味がある。
皇居内に住む皇族たちは、実は宮内庁の役人を信用しておらず、大事な手紙を宮内庁の役人や事務局に預けるのではなく、直接自分でポストに投函したいというニーズがあるのではないか。
法律的に言うと、これは皇族のプライバシー保護。
すなわち、皇族が1人で移動可能な場所に郵便ポストを設置しておけば、皇族は1人の人間として信書の秘密が守られる、ということである。
そう思った私は、思わず周囲を見回した。
私のような庶民が気ままに散歩するこの道も、ある時間帯には皇族が1人でうろうろしてたりすることもあるのだろう。
ということは、もしかして、先ほどすれ違ったあの「へんなおじさん」は、皇族なのかしら!!


皇居の汐見坂の石碑




その後、私は道に迷ってしまい、ぐるっと歩いたり戻ったりして、汐見坂という急坂にさしかかった。
ここを登り、しばらく高台を歩くと、木々の間に音楽堂が見えてきた。
何だろう、ちびまる子みたいなおもしろい曲だなあ。
ピーヒャラ、ピーヒャラと、音楽堂の隣の古びた建物から笛の音が聞こえる。
誰かが雅楽の練習をしているようだ。
吹いている人は黒い帽子をかぶった公家のような人だろうか。
私はひな祭りのひな壇を想像した。




皇居の展望台


その後、私は見晴台(天守台)まで歩き、都内の景色を一望したが、5時近くなり閉園のアナウンスが流れたので皇居を出ることにした。
大手門を出たのが5時ごろ、そこから徒歩で東京駅方面へ、M先生と待ち合わせて丸ビルに入ったのが6時ごろであった。
今夜は丸ビルで、夕学五十講という慶應MCCの講演会があるのだ。

かつて、日本にもまだ「経済成長の希望」があった。
ホリエモンのライブドア、村上世彰氏の率いる村上ファンドが株式投資ブームの原動力となり、低迷する日本の株式市場を大いに盛り上げた。
2人がどういう罪で逮捕されたのかはもう忘れたが、リーマンショック前、2人とも東京地検特捜部に逮捕された。
あれから10年以上がたち、村上氏はシンガポールに移住したようだが、娘の村上絢氏が今日、株式投資の講演会をするというのである。
ま、まさか村上世彰氏の娘さんが、慶應のビジネススクールで、ゼッタイ儲かる株式投資セミナーでもするのかしら~??
だから私は、M先生に、今年一番おもしろそうなのはたぶん彼女だ!!と言ったのだが、果たしてどうだろう。


慶應MCC夕学五十講の村上絢の講演会


略歴では、村上絢氏は慶應義塾大学法学部政治学科卒業とある。
彼女が大学1年生の時、お父さんが逮捕されたことになる。
青天の霹靂だったろうし、大変な学生生活を送ったと思うが、その後、彼女はモルガンスタンレー証券に入社し、いまは村上財団の代表理事をしている。
配布資料を見ると、村上財団は株式投資の普及活動、ボランティア活動などをしているようだ。

「やっぱり、親とお金は大事ですね。」(と私)
「そうですね。でも、村上さんがボランティアをしているとは意外だなあ」

この日の彼女の株式投資の講演は、期待以上のもので、言うことなしの内容だった。
が、投資理論はともかく、私は彼女の講演を聞き、もう1つ非常によかったと思うことがあった。
私は、彼女が会場の聴衆に対して怒っているような印象を持ったのだが、、、つまり、彼女が今日ここで聴衆に最も伝えたいのは、投資理論ではない、と私は思ったのだ。
日本はいまもなお、お父さんが逮捕された当時の「ダメな日本」のままで、あの頃と何も変わっていないじゃないか、と彼女は言いたかったようなのである。
いつまでたってもダメな日本人、旧態依然とした社会経済構造、株価は割安のまま、こんな日本に未来なんてないでしょう、と彼女は力説していたように思えた。
また、私は何となく、彼女が聴衆の中の特定の何人かにそれを言っているような気もしたのだが、そういえば講演の途中、何人かの聴衆がわざと足音をたてて会場を出て行った。
もしかすると、その聴衆は彼女の主張を不愉快に感じ、途中で帰ってしまったのかもしれない。

2024/10/04

回顧録・すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」

※2019年のお蔵入り記事の再公開

都内でお花見といえば、春先のニュースに必ず出て来るのが上野公園の桜である。
しかし、伝統的にはお花見といえば隅田川の河川敷の桜である。
江戸時代の浮世絵にも定番で描かれているが、特に向島が有名である。
川下りの船上で桜を眺めるのが江戸っ子の粋であった。
向島は現在の東京スカイツリーの周辺になる。


東京スカイツリー


隅田川


隅田川、隅田公園周辺の桜のお花見の様子


今日は用が早く終わり、向島の桜をひとりで見に行った。
ついでに、すみだ郷土文化資料館にも行った。
すみだ郷土文化資料館は隅田公園のそばにある。
東京スカイツリー駅と対岸の浅草駅のどちらからも行けるが、私は東京スカイツリー駅から歩いた。
先に隅田公園を通り抜け、河川敷を花見散歩してから資料館へ向かった。
今回は「東京大空襲展」という反権力の企画展をしており、これが非常に力作なのであった。


すみだ郷土文化資料館


東京大空襲はB29による無差別爆撃である。
そもそも太平洋戦争の最初の本土空襲は、1942年4月18日、ドゥリットル隊によるものだった。
この本土空襲は、1941年12月8日真珠湾奇襲攻撃を受けた米軍の報復と考えられているが、すでにこの時が米軍最初の「無差別爆撃」なのであった。
新宿の岡崎病院を破壊し、機銃掃射で子供を射殺したと書いてある。
このわずか2ヶ月後、日本海軍はミッドウェー海戦で主力部隊の大型空母を全隻喪失し、歴史的な大敗を喫する。
以後、戦局は日本軍の防戦一方となる。
このミッドウェー海戦であるが、実は当時の司令部内でも疑問視されており、「ミッドウェー作戦をわざわざ決行する必要があるのか」と言われた。
それなのに山本五十六長官が作戦を強行した動機はいろいろあると思われるが、ひとつには、米軍にこのような本土への無差別爆撃を二度とさせないようにするためだった。
ただ、天候のあやと、度重なる不運で、日本海軍は「まさか」の大敗を喫したのであった。

まあ、日本海軍は仕返しの仕返しをしようとしてやられたのである。
やられたらやり返せ、目には目を歯には歯を、などと言うので、仕返しをするのは仕方がないことだと思うのだ。
しかし、神様の考え方としては、仕返しの仕返しはだめですよ、ということなのだろう。
仕返しの仕返しをしようとすると、もとをたどれば自分が種を蒔いているので、自分がひどい目にあうようにできている、ということなのだろう。
確かに、それは正しい結末だと思う。
そうならないと、報復合戦が続いてしまうからである。

さて、その後の米軍の主な本土空襲は、1944年11月ごろから再び始まった。
最初は必要最小限、軍需施設のみであった。
だが、年明けに有楽町~銀座にB29が襲来して、ついに日本の中心地が爆撃された。
これは主に有楽町の新聞社を狙ったものだが、銀座の街も被害を受けたので、恐らく米軍の「最後通告」の意味もあったのだと思う。
しかし、日本政府の圧力でこの空襲は国民に周知されなかったため、最後通告としての成果は得られなかったようだ。
たぶん、、、であるが、この空襲で日本国民が大騒ぎをすれば、状況は変わった、東京大空襲も避けられた、と私は思う。
こういう言い方はよくないと思うがあえて言うと、日本人がおとなしすぎるのが災いで、3月10日の東京大空襲までもつれてしまった、という感じだ。
そうすると、現代のおとなしい日本人にも非常に良い教訓になると思うのである。

有楽町~銀座が空襲された後、日本政府は次の空襲の場所を東京の下町と想定した。
ここは当時、日本の製造業の中心で人口密集地、今と違って経済の中心地でもあった。
しかし、下町の住民にはそれがきちんと周知されなかった。
そして、東京大空襲が本当に来てしまい、罪のない多くの庶民が焼け死んだのだ。
その被害の規模と程度が政府の想定をあまりにも上回っていたため、政府はパニックとなっただろうが、ここまでやられるともはや感情論にもなるだろう。
米軍はそこまでやるのか、許せない、本土決戦でもなんでもしてやる、という雰囲気が日本国全体に醸成されたものと思われる。


すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」
(すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」資料より)


現代人から見てここで最も重要なのは日本政府の不作為である。
また、当時は軍国主義の統制社会であったから、10万人死んで焼け野原になっても日本国民は政府に従い続けなくてはならなかった、ということも重要である。
では、米軍は次に何をしたか。
広島と長崎の原爆投下である。
たぶん、、、であるが、東京大空襲で日本国民が大騒ぎをすれば、状況は変わって、原爆投下も避けられた、と私は思う。
こういう言い方はよくないと思うがあえて言うと、日本人がおとなしすぎるのが災いで、原爆が投下される流れができてしまった、という感じもするのだ。
そうすると、現代のおとなしい日本人に非常に良い教訓になると思うのであるが。

私は思うのだが、どういう状況でも日本人は、日本政府に対して従順すぎるのではないだろうか。
また、そのような日本人が社会的に模範とされている、ということも問題である。
なお、私はべつにアメリカの味方や代弁者ではない。
昔の話を持ち出し、いまのアメリカに恨みを抱くよりも、昔の話から教訓を得る方が、はるかにまともな神経の持ち主だと思う。
それに、原爆の恨みを晴らすためにアメリカに何かをすると、きっと報復合戦が続いてしまうだろう。

2024/10/01

回顧録・渋谷BUNKAMURA「みんなのミュシャ展」

世田谷文学館の筒井康隆展


※2019年のお蔵入り記事の再公開

去年、世田谷文学館で「筒井康隆展」があり、その時の本を最近世田谷文学館のウェブサイトで購入したが、今日郵送で届いた。
筒井康隆といえば断筆した作家でも知られるが、私は昔読んだ小説「富豪刑事」を思い出した。
そして私は何となく書斎に行き、本棚の筒井康隆の本をぱらぱらと読んでみた。


筒井康隆「繁栄の昭和」「筒井康隆展」「世界はゴ冗談」


筒井康隆「繁栄の昭和」


「繁栄の昭和」、これは何といってもタイトルがいい。
分類としては筒井康隆はSF作家だが、書斎の本棚にはエッセイが多い。
エッセイだと言いたい放題で、私は小説よりもエッセイの方が読みやすくておもしろいと思う。
そういえば、世田谷文学館の職員が言っていたが、筒井さんは展示会のトークイベントの時に、ご自分の展示作品をオークションにかけていらっしゃいました、とのことである。

自分で自分の作品をハンマープライス!!
さすが筒井康隆、良識がない(これは誉め言葉!!)。

さて、今日は雨の中、これから渋谷まで行く予定である。
渋谷東急のBUNKAMURAで、「みんなのミュシャ展」を見るのである。


渋谷、ラーメンはやし


渋谷駅近くのラーメン屋「はやし」でラーメンを食べた後、BUNKAMURAに着いたのはお昼過ぎであった。
雨天なのに入口には行列ができており、館内は美術館とは思えないほどの混雑。
ここは渋谷の繁華街の一角なので、ある程度の混雑は仕方ないが、これでは落ち着いて鑑賞などできない。
私は途中1度退館し、トイレに行き、息抜きの時間を作った。


Bunkamuraのミュシャ展示会


Bunkamuraのミュシャ展示会


それにしても、ミュシャの絵はピンと来ないよなあ。
第一印象は、タロットカード、ファンタジーのボードゲームのカード??
全部の絵がドローイングみたいなので、私は美術館に来ている気がしなかった。
ただ、渋谷のカジュアルな雰囲気には、ミュシャの絵はよく似合っている。
その後、私はミュージアムショップで先に買い物を済ませることにした。
が、ディズニーランドのショップなみに非常に待たされ、疲れ果ててしまった。

それにしても、すごいなあ。
どういう理由か知らないが、ミュシャはめちゃくちゃ流行っている!!
疲れたけど、流行っているなら、もっとよく見なくてはなるまい、、、

私は再び展示室に入場し、混雑の中、30分ばかりミュシャの絵を見て歩いた。
すると、ミュシャ展のギャラリーの一角に、日本の有名な漫画家、アニメ監督、イラストレーターの賛辞の言葉が書かかれており、そこでしばらく立ち止まり彼らの言葉を読んでみたのだが、ようやく私はピンと来た。
ミュシャ展は、日本のマンガとアニメが「サブカルチャー」から「アート」へ格上げされる流れの中で、こうして流行っているのだろう。
学生時代から漫画やアニメが大好きな私としては、大変に結構なことだと思った。

多くの日本人は、漫画やアニメの方が子供の頃からの付き合いが長いし、自然な愛着を感じるだろう。
また、国際交流の観点からも漫画とアニメは非常に重要な意味がある。
例えば、国どうしの関係が悪い中国人韓国人の若者が、日本のアニメが大好きです、というと、何となく分かり合えるような気がするのだよね。
しかし、中国人や韓国人の若者が、日本画が大好きです、というのを私はまったく聞いたことがない。
日本好きの外国人は日本文化を本当によく勉強していると思うが、私の知る限り、そういう人の趣味は漫画とアニメである(例えば、アニメで日本語を勉強した、という中国人の若者がいた)。
それなのに、私たちの評価基準が旧態依然としており、漫画やアニメをファインアートよりも格下とみなすのはどうなのだろうか。

2024/09/28

倉敷安耶さんの「Breast」




9月20日。
私は、東劇で、METライブビューイングオペラ「サンドリヨン(Cendrillon)」を見た。
サンドリヨンとは、誰でも知っている、シンデレラ(Cinderella)のことである。
もともとは、シャルル・ペローの童話だが、マスネのオペラ版は、オトナ向けのシンデレラ物語である。
構成やセリフ回しはフランス的なコメディー基調、舞台演出はデザイナーズブランドのファッションショーのように煌びやかである。

ただ、ジュール・マスネというと「タイース」と「マノン」、この2つのオペラがあまりにも有名で、「サンドリヨン」はマイナーな方だろう。
だから、パンフレットに「サンドリヨン」ではなく、「シンデレラ」と表記しているのかと思いきや、そうではなく、「サンドリヨン」の英語版があるのだという。




ストーリーについては、今さら、詳しい説明の必要はないだろう。
掃除係のシンデレラ(灰かぶり娘)が、王子と結婚する物語だ。

彼女は、妖精から魔法をかけてもらい、王子のいる舞踏会に紛れ込み、王子からひと目惚れされる。
もちろん彼女も、王子に惚れるのだが、あまりに不釣り合いで、王子を前に名前も身分も名乗れないでいると、12時の鐘が鳴り、彼女にかけられた魔法が解けそうになる。
元の姿に戻る前に、彼女は王子の前から姿を消す。

ただ、ガラスの靴を忘れたので、王子はこれを手掛かりに、彼女を諦めずに探し出し、再会し、ハッピーエンドとなる。




東劇を出た後は、松屋の裏手にあるアンリシャルパンティエ銀座のカフェに行った。

私にとって、この日、「シンデレラ」を見て、アンリシャルパンティエに行くのは、既定路線だった。
なぜなら、最近、お礼のお菓子を贈る機会があり、アンリシャルパンティエに立ち寄ったのだが、カフェが満席で、入れなかったからだ。

久しぶりに、クレープシュゼットが食べたい。。。
そんな心残りがあった。

クレープシュゼットというのは、温かいオレンジジュース+クレープ、と思えばよい。
ここでは、カフェの店員が、わざわざ目前でパフォーマンスをするのが、一見の価値がある。
たまたま他の客がいなかったので、私は自己紹介も兼ね、自分の本を彼にPRした。
その後、記念写真も撮った。

読者の中には、スタッフ1人に宣伝して何の効果があるのか、SNS広告などで宣伝する方が合理的、と思う人がいるかもしれない。
しかし、選挙運動をする政治家と同じで、何かの機会があるたびに、1人1人にダイレクトに訴える、その積み重ねは長い目で見ると効果があると思っている。






クレープシュゼットは、相変わらず、甘くて、ジューシーで、おいしかった。
オレンジのスープは、スプーンですくって飲むのだが、甘い蜜のようだ。

紅茶は、芦屋ブレンド(?)を選んだ。
アンリシャルパンティエは、兵庫県の芦屋市に本店があるのだ。

おや、グループ客が入ってきた。
中国人の家族連れで、私の席のうしろに座った。
彼らもクレープシュゼットを注文した。

4人で食べたら、合計1万円以上もするが、円安効果だ。

続いて、日本人の若いカップルが入ってきた。
離れたところに座ったが、彼らはケーキセットを注文した。
その後、中年女性のペアが入ってきたが、彼女たちは銀座界隈に慣れている常連のようだ。

私は、紅茶を飲みながら、ひとり静かに読書をした。
ただ、自分の著書を読んだってしょうがない。。。




私は、もう1冊の本をテーブルに出した。
美少女モイラの官能的な物語、森茉莉の「甘い蜜の部屋」である。

こないだ、柏高島屋のカフェで読んだっきりだが、その続きを読みはじめた。
その後、大事なメールが来たので15分ほどで読書をやめ、その返事を書き、それから先ほどのシンデレラの雑感を、メモ帳に記した。

シンデレラ役は、イザベル・レナード、彼女は歌唱力もさることながら、文句なしの美人で、シンデレラ役にふさわしい。
その白いドレスは、彼女の健康的な肌の色と合っていて、全体として均衡がとれている。
これに対し、以前、ディアナ・ダムラウ主演の「椿姫」を見たときは、白い肌に白いドレスだから不治の病の美女という設定にぴったりであったし、こないだ見た「夢遊病の女」のナタリー・デセイも病的であった。






翌9月21日。
私は、アーティストのパフォーマンスを体験するため、六本木に来ていた。
しかし、早めに着いたので、時間まで国立新美術館で過ごした。
ちょうど、CLAMPの展示会がやっていて、美術館は若い女性たちで賑わっていた。

CLAMPというのは、女性漫画家のカルテットである。
もとは7人組だが、いまは4人組のようだ。
シナリオは彼女たちの中の1人が担当しているということだった。

私は学生のとき、「東京BABYLON」という作品を読んでいる。
いま思えば、これはかなりの先物買いだ。
30年前のことだから、とっくに忘れていたが、まさかCLAMPがここまで大物になるとは思わなかった。

しかし去年、ギャラリームモンの加藤美紀さんの個展を見にいったとき、たまたまCLAMP名義の花を見つけ、そのことを加藤美紀さんと話した。
そのため、CLAMPのことは思い出していた。

興味があるので、2階の展示会場を見に行くと、通路に行列ができており、とてつもなく混んでいる。
そこで向かいのカフェに入ろうとしたら、こちらはこちらで整理券配布済みで、すでに受付終了です、といわれた。

すごい人気だなあ、、、
漫画はやはり、売れる、儲かるのだ。






16時20分。
予約時間が近付いてきた。
私は、国立新美術館の門を出て、路地に入ったところにあるクマ財団ギャラリーの建物の前へ。
ここで、倉敷安耶さんのパフォーマンス「Breast」を体験するためである。

外で待っていると、16時30分ちょうどにギャラリーの扉があき、黒服の女性スタッフが出てきた。
チケットの確認後、私は、彼女に招かれて中に入った。
薄暗くて、広いギャラリーの中央に、白いバスタブが置いてある。
その奥に、白っぽいカーテンに囲われた空間が見えた。

私は、女性スタッフから、カーテンの内部の小部屋で、倉敷安耶さんが待っているので入るように、といわれた。
近付くとそのカーテンはクリーム色で、入院病棟の大部屋のベッドを囲うカーテンのようにも見えた。

カーテンの切れ目はどこだ?

カーテンは、薄暗いギャラリー全体とあいまって、ある種の病的な神秘さを醸し出している。
私は、切れ目を探すのに手間取り、靴音をたててカーテンの周囲を歩いて2周もしてしまったが、ようやく切れ目をめくって内部に入ると、また、目の前のカーテンがあり、立ち止まった。
カーテンと通路が、ちょうどロールケーキのような構造なっているのだ。
カーテンの奥の明かりがもれていて、いよいよ彼女の影が見えた。

私は、カーテンを静かにあけた。
するとそこは非常に狭い空間であったが、白いドレス姿の美しい彼女が椅子に座って私を待っていた。

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★★撮影禁止☆☆





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もっとも、撮影禁止といっても、ここで何かコトが起こったわけではない。
まず、彼女の用意した水を飲み(飲水の儀式)、その後、彼女が小声で、私に淡々と質問を投げかける。
私はそれに、ひとつひとつ答える。
そのようなパフォーマンスである。

ただ、そのなかで、私は彼女から、「アーティストを神格化(=美化)するのはよくないですよ」と厳しく注意されてしまった。
そういわれて、私は、ハッとしたのだ。
「倉敷さん、すみません、、、」私は、彼女に謝罪した。そして、「アーティストのあなたも普通の女性ですよね」と私が答えると、彼女はそれを聞き、小さくうなずいたように見えた。
確かに、彼女の素晴らしい作品を見ていると、作者の彼女自身も完璧で、非の打ち所のない女性と思えてしまうのだが・・・実際は、ごく普通の女性ということである。

倉敷安耶さんの「Breast」というパフォーマンス、4年半ぶりということであるが、なかなか見られない貴重なパフォーマンスのようだ。
彼女の演技はどことなくコミカルで、彼女らしいユーモアと才能にあふれており、非常に面白かった。

2024/09/15

分離の予感

「ママ殿は、お彼岸の墓参りは行きますか?」
「行かないわよ。あなた、代わりに行ってきて」
「まだ暑いから、しんどいですよね~」
「そうね、暑いのもあるけど、78才にもなると、わざわざ東京まで行きたいとは思わないのよ。近所ならいいけど、遠くに行くと疲れるから・・・単に、めんどうくさいのよ」
「そうですか。まあ、9月なのに異常な暑さですから、無理する必要はありません。私ひとりで行ってきます」
「よろしくお願いします」




私はひとり、圓通寺に、墓参りに行った。
ひとりなので、都内の用事があるとき、途中で立ち寄った。

曳舟駅前のスーパーで、花を買い、スカイツリーのふもとの圓通寺に着いたのは、炎天下の12時過ぎ。
路地のコンクリートも、境内の石畳も、墓地の墓石も、ヤケドするほどの熱さに違いない。

重たい水桶を持って、境内をヨロヨロ歩き、墓地の方へ。
私は、墓地の入口の木戸の前で、傘をとじた。
最近の私は、暑さ対策で、傘をさして歩いているのだ。

墓前に花を供えてみたものの、この日差しで、せっかくの花も、すぐ枯れてしまいそうだった。
私は、墓石にたっぷりと水をかけた。
しかし、焼け石に水とは、まさにこのことだ、、、
暑すぎて、墓前に長居はできない。

私は、数分で墓地を出た。
水桶を戻すため境内に戻ると、社務所からちょうど住職の奥さんが出てきた。
いつものことだが、挨拶をした後、しばらく世間話になった。




圓通寺を出た後は、押上駅から都営浅草線で、宝町に向かった。
宝町の駅前には国立映画アーカイブという日本映画の資料館がある。
いまは、ぴあフィルムフェスティバルの最中であった。

名画の上映会で、なかなか面白そうだ。
ちょっと中に入ってみるか。

おや、珍しい、、、国立映画アーカイブに、行列ができているなんて。
若い人も結構いる。
最近は、ネットフリックスやアマゾンで昔の映画を簡単に見れるが、映画館のスクリーンで見るのは、やはり、別格である。

でも、これから私は用があって、映画1本見る時間はないのだ。
私は、1階ホールの学生のポスターの展示会だけを見ることにした。





ともすれば、最近の若者はこうである、Z世代とは~というように、マスコミは一括りにして決め付けようとする。
すると、それに影響された中高年が、彼らを偏見の目で見たりして、世代間の対立は深まる。
しかし、表層的理解、典型的理解では、個々の事情を問題にせず、無理解に等しい。
いつの時代も、私たちの青春や人生は、同じようなモンダイを抱えており、世代を超えて同じように悩んだりしているのではないかと思う。

このポスター展、5~10分ほどで見終わる簡単なものだが、非常に素晴らしかった。
学生らしい直球勝負のポスターばかりだった。

直球勝負、、、自信がないと変化球勝負をしたくなる。
が、打たれてもいいから直球勝負をする、そのマインドは大事だ。










私は、特に印象に残った上記3枚のポスターを繋げ、いろいろ考えた。

鎖・・・分離の予感・・・わたしのゆくえ。

鎖を断ち切り、別れる・・・そして、わたしはどこへいくの?




その後、用事が済んで、私は、宝町駅前のラーメン屋「ゆかり」に立ち寄った。

最近まで、ここには、ギャルリーフロレゾンという小さな画廊があり、今年2月に閉廊し、4月からラーメン屋「ゆかり」になった。
前回は、オープンしてまだ2ヶ月ほどで初々しかったが、もうすぐ半年たつのか。

月日がたつのは早い。。。

私は、入口で食券を買い、厨房のそばのカウンター席へ。
立ち食いそば屋のような物件で、店内は、かなり狭い。




カウンター席の壁に、張り紙がある。
インスタのフォロワーには無料サービスをしてくれるというが、この紫のエプロン姿の女性が、オーナーのゆかりさんである。
厨房では、こうして紫のエプロンを着て、ひらすら、ラーメンを作っている。
客対応をしているときの彼女は笑顔を絶やさないが、ラーメンを作っているときの彼女は真剣勝負そのものだ。

ああ、真剣に何かを作っている女性ほど美しいものはない、、、

5分ほど待つと、アシスタントの女の子が、ラーメンを運んできた。
私は、インスタのフォロワーであることを伝え、味玉をGET。




うーむ、やはり、おいしい(*'ω'*)//♪

ほんのり甘くて、いやされるラーメン。
いやされたい近隣のサラリーマンのみならず、ラーメン好きの女性にもおすすめである。

店を出ると、外はもう暗かった。
昼間は相変わらず、ばかみたいな暑さなのに、日はどんどん短くなっていく。
ビル街を歩くと、何となく秋風を感じた。