9月20日。
私は、東劇で、METライブビューイングオペラ「サンドリヨン(Cendrillon)」を見た。
サンドリヨンとは、誰でも知っている、シンデレラ(Cinderella)のことである。
もともとは、シャルル・ペローの童話だが、マスネのオペラ版は、オトナ向けのシンデレラ物語である。
構成やセリフ回しはフランス的なコメディー基調、舞台演出はデザイナーズブランドのファッションショーのように煌びやかである。
ただ、ジュール・マスネというと「タイース」と「マノン」、この2つのオペラがあまりにも有名で、「サンドリヨン」はマイナーな方だろう。
だから、パンフレットに「サンドリヨン」ではなく、「シンデレラ」と表記しているのかと思いきや、そうではなく、「サンドリヨン」の英語版があるのだという。
ストーリーについては、今さら、詳しい説明の必要はないだろう。
掃除係のシンデレラ(灰かぶり娘)が、王子と結婚する物語だ。
彼女は、妖精から魔法をかけてもらい、王子のいる舞踏会に紛れ込み、王子からひと目惚れされる。
もちろん彼女も、王子に惚れるのだが、あまりに不釣り合いで、王子を前に名前も身分も名乗れないでいると、12時の鐘が鳴り、彼女にかけられた魔法が解けそうになる。
元の姿に戻る前に、彼女は王子の前から姿を消す。
ただ、ガラスの靴を忘れたので、王子はこれを手掛かりに、彼女を諦めずに探し出し、再会し、ハッピーエンドとなる。
東劇を出た後は、松屋の裏手にあるアンリシャルパンティエ銀座のカフェに行った。
私にとって、この日、「シンデレラ」を見て、アンリシャルパンティエに行くのは、既定路線だった。
なぜなら、最近、お礼のお菓子を贈る機会があり、アンリシャルパンティエに立ち寄ったのだが、カフェが満席で、入れなかったからだ。
久しぶりに、クレープシュゼットが食べたい。。。
そんな心残りがあった。
クレープシュゼットというのは、温かいオレンジジュース+クレープ、と思えばよい。
ここでは、カフェの店員が、わざわざ目前でパフォーマンスをするのが、一見の価値がある。
たまたま他の客がいなかったので、私は自己紹介も兼ね、自分の本を彼にPRした。
その後、記念写真も撮った。
読者の中には、スタッフ1人に宣伝して何の効果があるのか、SNS広告などで宣伝する方が合理的、と思う人がいるかもしれない。
しかし、選挙運動をする政治家と同じで、何かの機会があるたびに、1人1人にダイレクトに訴える、その積み重ねは長い目で見ると効果があると思っている。
クレープシュゼットは、相変わらず、甘くて、ジューシーで、おいしかった。
オレンジのスープは、スプーンですくって飲むのだが、甘い蜜のようだ。
紅茶は、芦屋ブレンド(?)を選んだ。
アンリシャルパンティエは、兵庫県の芦屋市に本店があるのだ。
おや、グループ客が入ってきた。
中国人の家族連れで、私の席のうしろに座った。
彼らもクレープシュゼットを注文した。
4人で食べたら、合計1万円以上もするが、円安効果だ。
続いて、日本人の若いカップルが入ってきた。
離れたところに座ったが、彼らはケーキセットを注文した。
その後、中年女性のペアが入ってきたが、彼女たちは銀座界隈に慣れている常連のようだ。
私は、紅茶を飲みながら、ひとり静かに読書をした。
ただ、自分の著書を読んだってしょうがない。。。
私は、もう1冊の本をテーブルに出した。
美少女モイラの官能的な物語、森茉莉の「甘い蜜の部屋」である。
こないだ、柏高島屋のカフェで読んだっきりだが、その続きを読みはじめた。
その後、大事なメールが来たので15分ほどで読書をやめ、その返事を書き、それから先ほどのシンデレラの雑感を、メモ帳に記した。
シンデレラ役は、イザベル・レナード、彼女は歌唱力もさることながら、文句なしの美人で、シンデレラ役にふさわしい。
その白いドレスは、彼女の健康的な肌の色と合っていて、全体として均衡がとれている。
これに対し、以前、ディアナ・ダムラウ主演の「椿姫」を見たときは、白い肌に白いドレスだから不治の病の美女という設定にぴったりであったし、こないだ見た「夢遊病の女」のナタリー・デセイも病的であった。
翌9月21日。
私は、アーティストのパフォーマンスを体験するため、六本木に来ていた。
しかし、早めに着いたので、時間まで国立新美術館で過ごした。
ちょうど、CLAMPの展示会がやっていて、美術館は若い女性たちで賑わっていた。
CLAMPというのは、女性漫画家のカルテットである。
もとは7人組だが、いまは4人組のようだ。
シナリオは彼女たちの中の1人が担当しているということだった。
私は学生のとき、「東京BABYLON」という作品を読んでいる。
いま思えば、これはかなりの先物買いだ。
30年前のことだから、とっくに忘れていたが、まさかCLAMPがここまで大物になるとは思わなかった。
しかし去年、ギャラリームモンの加藤美紀さんの個展を見にいったとき、たまたまCLAMP名義の花を見つけ、そのことを加藤美紀さんと話した。
そのため、CLAMPのことは思い出していた。
興味があるので、2階の展示会場を見に行くと、通路に行列ができており、とてつもなく混んでいる。
そこで向かいのカフェに入ろうとしたら、こちらはこちらで整理券配布済みで、すでに受付終了です、といわれた。
すごい人気だなあ、、、
漫画はやはり、売れる、儲かるのだ。
16時20分。
予約時間が近付いてきた。
私は、国立新美術館の門を出て、路地に入ったところにあるクマ財団ギャラリーの建物の前へ。
ここで、倉敷安耶さんのパフォーマンス「Breast」を体験するためである。
外で待っていると、16時30分ちょうどにギャラリーの扉があき、黒服の女性スタッフが出てきた。
チケットの確認後、私は、彼女に招かれて中に入った。
薄暗くて、広いギャラリーの中央に、白いバスタブが置いてある。
その奥に、白っぽいカーテンに囲われた空間が見えた。
私は、女性スタッフから、カーテンの内部の小部屋で、倉敷安耶さんが待っているので入るように、といわれた。
近付くとそのカーテンはクリーム色で、入院病棟の大部屋のベッドを囲うカーテンのようにも見えた。
カーテンの切れ目はどこだ?
カーテンは、薄暗いギャラリー全体とあいまって、ある種の病的な神秘さを醸し出している。
私は、切れ目を探すのに手間取り、靴音をたててカーテンの周囲を歩いて2周もしてしまったが、ようやく切れ目をめくって内部に入ると、また、目の前のカーテンがあり、立ち止まった。
カーテンと通路が、ちょうどロールケーキのような構造なっているのだ。
カーテンの奥の明かりがもれていて、いよいよ彼女の影が見えた。
私は、カーテンを静かにあけた。
するとそこは非常に狭い空間であったが、白いドレス姿の美しい彼女が椅子に座って私を待っていた。
=========================================
★★撮影禁止☆☆
=========================================
もっとも、撮影禁止といっても、ここで何かコトが起こったわけではない。
まず、彼女の用意した水を飲み(飲水の儀式)、その後、彼女が小声で、私に淡々と質問を投げかける。
私はそれに、ひとつひとつ答える。
そのようなパフォーマンスである。
ただ、そのなかで、私は彼女から、「アーティストを神格化(=美化)するのはよくないですよ」と厳しく注意されてしまった。
そういわれて、私は、ハッとしたのだ。
「倉敷さん、すみません、、、」私は、彼女に謝罪した。そして、「アーティストのあなたも普通の女性ですよね」と私が答えると、彼女はそれを聞き、小さくうなずいたように見えた。
確かに、彼女の素晴らしい作品を見ていると、作者の彼女自身も完璧で、非の打ち所のない女性と思えてしまうのだが・・・実際は、ごく普通の女性ということである。
倉敷安耶さんの「Breast」というパフォーマンス、4年半ぶりということであるが、なかなか見られない貴重なパフォーマンスのようだ。
彼女の演技はどことなくコミカルで、彼女らしいユーモアと才能にあふれており、非常に面白かった。