2024/09/28

倉敷安耶さんの「Breast」




9月20日。
私は、東劇で、METライブビューイングオペラ「サンドリヨン(Cendrillon)」を見た。
サンドリヨンとは、誰でも知っている、シンデレラ(Cinderella)のことである。
もともとは、シャルル・ペローの童話だが、マスネのオペラ版は、オトナ向けのシンデレラ物語である。
構成やセリフ回しはフランス的なコメディー基調、舞台演出はデザイナーズブランドのファッションショーのように煌びやかである。

ただ、ジュール・マスネというと「タイース」と「マノン」、この2つのオペラがあまりにも有名で、「サンドリヨン」はマイナーな方だろう。
だから、パンフレットに「サンドリヨン」ではなく、「シンデレラ」と表記しているのかと思いきや、そうではなく、「サンドリヨン」の英語版があるのだという。




ストーリーについては、今さら、詳しい説明の必要はないだろう。
掃除係のシンデレラ(灰かぶり娘)が、王子と結婚する物語だ。

彼女は、妖精から魔法をかけてもらい、王子のいる舞踏会に紛れ込み、王子からひと目惚れされる。
もちろん彼女も、王子に惚れるのだが、あまりに不釣り合いで、王子を前に名前も身分も名乗れないでいると、12時の鐘が鳴り、彼女にかけられた魔法が解けそうになる。
元の姿に戻る前に、彼女は王子の前から姿を消す。

ただ、ガラスの靴を忘れたので、王子はこれを手掛かりに、彼女を諦めずに探し出し、再会し、ハッピーエンドとなる。




東劇を出た後は、松屋の裏手にあるアンリシャルパンティエ銀座のカフェに行った。

私にとって、この日、「シンデレラ」を見て、アンリシャルパンティエに行くのは、既定路線だった。
なぜなら、最近、お礼のお菓子を贈る機会があり、アンリシャルパンティエに立ち寄ったのだが、カフェが満席で、入れなかったからだ。

久しぶりに、クレープシュゼットが食べたい。。。
そんな心残りがあった。

クレープシュゼットというのは、温かいオレンジジュース+クレープ、と思えばよい。
ここでは、カフェの店員が、わざわざ目前でパフォーマンスをするのが、一見の価値がある。
たまたま他の客がいなかったので、私は自己紹介も兼ね、自分の本を彼にPRした。
その後、記念写真も撮った。

読者の中には、スタッフ1人に宣伝して何の効果があるのか、SNS広告などで宣伝する方が合理的、と思う人がいるかもしれない。
しかし、選挙運動をする政治家と同じで、何かの機会があるたびに、1人1人にダイレクトに訴える、その積み重ねは長い目で見ると効果があると思っている。






クレープシュゼットは、相変わらず、甘くて、ジューシーで、おいしかった。
オレンジのスープは、スプーンですくって飲むのだが、甘い蜜のようだ。

紅茶は、芦屋ブレンド(?)を選んだ。
アンリシャルパンティエは、兵庫県の芦屋市に本店があるのだ。

おや、グループ客が入ってきた。
中国人の家族連れで、私の席のうしろに座った。
彼らもクレープシュゼットを注文した。

4人で食べたら、合計1万円以上もするが、円安効果だ。

続いて、日本人の若いカップルが入ってきた。
離れたところに座ったが、彼らはケーキセットを注文した。
その後、中年女性のペアが入ってきたが、彼女たちは銀座界隈に慣れている常連のようだ。

私は、紅茶を飲みながら、ひとり静かに読書をした。
ただ、自分の著書を読んだってしょうがない。。。




私は、もう1冊の本をテーブルに出した。
美少女モイラの官能的な物語、森茉莉の「甘い蜜の部屋」である。

こないだ、柏高島屋のカフェで読んだっきりだが、その続きを読みはじめた。
その後、大事なメールが来たので15分ほどで読書をやめ、その返事を書き、それから先ほどのシンデレラの雑感を、メモ帳に記した。

シンデレラ役は、イザベル・レナード、彼女は歌唱力もさることながら、文句なしの美人で、シンデレラ役にふさわしい。
その白いドレスは、彼女の健康的な肌の色と合っていて、全体として均衡がとれている。
これに対し、以前、ディアナ・ダムラウ主演の「椿姫」を見たときは、白い肌に白いドレスだから不治の病の美女という設定にぴったりであったし、こないだ見た「夢遊病の女」のナタリー・デセイも病的であった。






翌9月21日。
私は、アーティストのパフォーマンスを体験するため、六本木に来ていた。
しかし、早めに着いたので、時間まで国立新美術館で過ごした。
ちょうど、CLAMPの展示会がやっていて、美術館は若い女性たちで賑わっていた。

CLAMPというのは、女性漫画家のカルテットである。
もとは7人組だが、いまは4人組のようだ。
シナリオは彼女たちの中の1人が担当しているということだった。

私は学生のとき、「東京BABYLON」という作品を読んでいる。
いま思えば、これはかなりの先物買いだ。
30年前のことだから、とっくに忘れていたが、まさかCLAMPがここまで大物になるとは思わなかった。

しかし去年、ギャラリームモンの加藤美紀さんの個展を見にいったとき、たまたまCLAMP名義の花を見つけ、そのことを加藤美紀さんと話した。
そのため、CLAMPのことは思い出していた。

興味があるので、2階の展示会場を見に行くと、通路に行列ができており、とてつもなく混んでいる。
そこで向かいのカフェに入ろうとしたら、こちらはこちらで整理券配布済みで、すでに受付終了です、といわれた。

すごい人気だなあ、、、
漫画はやはり、売れる、儲かるのだ。






16時20分。
予約時間が近付いてきた。
私は、国立新美術館の門を出て、路地に入ったところにあるクマ財団ギャラリーの建物の前へ。
ここで、倉敷安耶さんのパフォーマンス「Breast」を体験するためである。

外で待っていると、16時30分ちょうどにギャラリーの扉があき、黒服の女性スタッフが出てきた。
チケットの確認後、私は、彼女に招かれて中に入った。
薄暗くて、広いギャラリーの中央に、白いバスタブが置いてある。
その奥に、白っぽいカーテンに囲われた空間が見えた。

私は、女性スタッフから、カーテンの内部の小部屋で、倉敷安耶さんが待っているので入るように、といわれた。
近付くとそのカーテンはクリーム色で、入院病棟の大部屋のベッドを囲うカーテンのようにも見えた。

カーテンの切れ目はどこだ?

カーテンは、薄暗いギャラリー全体とあいまって、ある種の病的な神秘さを醸し出している。
私は、切れ目を探すのに手間取り、靴音をたててカーテンの周囲を歩いて2周もしてしまったが、ようやく切れ目をめくって内部に入ると、また、目の前のカーテンがあり、立ち止まった。
カーテンと通路が、ちょうどロールケーキのような構造なっているのだ。
カーテンの奥の明かりがもれていて、いよいよ彼女の影が見えた。

私は、カーテンを静かにあけた。
するとそこは非常に狭い空間であったが、白いドレス姿の美しい彼女が椅子に座って私を待っていた。

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☆★撮影・禁止★☆





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もっとも、撮影禁止といっても、ここで何かコトが起こったわけではない。
まず、彼女の用意した水を飲み(飲水の儀式)、その後、彼女が小声で、私に淡々と質問を投げかける。
私はひとつひとつ答える。
そのようなパフォーマンスである。

ただ、そのなかで、私は彼女から、「アーティストを神格化(=美化)するのはよくないですよ」と注意されてしまった。
そういわれて、私は、ハッとしたのだ。
「すみません、、、」私は、彼女に謝罪した。そして、「アーティストのあなたも普通の女性ですよね」と私が答えると、彼女はそれを聞き、小さくうなずいた。
確かに、彼女の素晴らしい作品を見ていると、作者の彼女自身も完璧な女性、非の打ち所のない女性と思えてしまうのだが・・・意外と普通の女性、あるいは、ダメ女(?)ということのようである。

さて。倉敷安耶さんの「Breast」というパフォーマンス、4年半ぶりにやったということだが、なかなか見られない貴重なパフォーマンスだ。
彼女の演技は、どことなくコミカルである。
また、彼女らしい独特のユーモアと才気にあふれており、非常に面白かった。

2024/09/15

分離の予感?

「ママ殿は、お彼岸の墓参りは行きますか?」
「行かないわよ。あなた、代わりに行ってきて」
「まだ暑いから、しんどいですよね~」
「そうね、暑いのもあるけど、78才にもなると、わざわざ東京まで行きたいとは思わないのよ。近所ならいいけど、遠くに行くと疲れるから・・・単に、めんどうくさいのよ」
「そうですか。まあ、9月なのに異常な暑さですから、無理する必要はありません。私ひとりで行ってきます」
「よろしくお願いします」




私はひとり、圓通寺に、墓参りに行った。
ひとりなので、都内の用事があるとき、途中で立ち寄った。

曳舟駅前のスーパーで、花を買い、スカイツリーのふもとの圓通寺に着いたのは、炎天下の12時過ぎ。
路地のコンクリートも、境内の石畳も、墓地の墓石も、ヤケドするほどの熱さに違いない。

重たい水桶を持って、境内をヨロヨロ歩き、墓地の方へ。
私は、墓地の入口の木戸の前で、傘をとじた。
最近の私は、暑さ対策で、傘をさして歩いているのだ。

墓前に花を供えてみたものの、この日差しで、せっかくの花も、すぐ枯れてしまいそうだった。
私は、墓石にたっぷりと水をかけた。
しかし、焼け石に水とは、まさにこのことだ、、、
暑すぎて、墓前に長居はできない。

私は、数分で墓地を出た。
水桶を戻すため境内に戻ると、社務所からちょうど住職の奥さんが出てきた。
いつものことだが、挨拶をした後、しばらく世間話になった。




圓通寺を出た後は、押上駅から都営浅草線で、宝町に向かった。
宝町の駅前には国立映画アーカイブという日本映画の資料館がある。
いまは、ぴあフィルムフェスティバルの最中であった。

名画の上映会で、なかなか面白そうだ。
ちょっと中に入ってみるか。

おや、珍しい、、、国立映画アーカイブに、行列ができているなんて。
若い人も結構いる。
最近は、ネットフリックスやアマゾンで昔の映画を簡単に見れるが、映画館のスクリーンで見るのは、やはり、別格である。

でも、これから私は用があって、映画1本見る時間はないのだ。
私は、1階ホールの学生のポスターの展示会だけを見ることにした。





ともすれば、最近の若者はこうである、Z世代とは~というように、マスコミは一括りにして決め付けようとする。
すると、それに影響された中高年が、彼らを偏見の目で見たりして、世代間の対立は深まる。
しかし、表層的理解、典型的理解では、個々の事情を問題にせず、無理解に等しい。
いつの時代も、私たちの青春や人生は、同じようなモンダイを抱えており、世代を超えて同じように悩んだりしているのではないかと思う。

このポスター展、5~10分ほどで見終わる簡単なものだが、非常に素晴らしかった。
学生らしい直球勝負のポスターばかりだった。

直球勝負、、、自信がないと変化球勝負をしたくなる。
が、打たれてもいいから直球勝負をする、そのマインドは大事だ。










私は、特に印象に残った上記3枚のポスターを繋げ、いろいろ考えた。

鎖・・・分離の予感・・・わたしのゆくえ。

鎖を断ち切り、別れる・・・そして、わたしはどこへいくの?




その後、用事が済んで、私は、宝町駅前のラーメン屋「ゆかり」に立ち寄った。

最近まで、ここには、ギャルリーフロレゾンという小さな画廊があり、今年2月に閉廊し、4月からラーメン屋「ゆかり」になった。
前回は、オープンしてまだ2ヶ月ほどで初々しかったが、もうすぐ半年たつのか。

月日がたつのは早い。。。

私は、入口で食券を買い、厨房のそばのカウンター席へ。
立ち食いそば屋のような物件で、店内は、かなり狭い。




カウンター席の壁に、張り紙がある。
インスタのフォロワーには無料サービスをしてくれるというが、この紫のエプロン姿の女性が、オーナーのゆかりさんである。
厨房では、こうして紫のエプロンを着て、ひらすら、ラーメンを作っている。
客対応をしているときの彼女は笑顔を絶やさないが、ラーメンを作っているときの彼女は真剣勝負そのものだ。

ああ、真剣に何かを作っている女性ほど美しいものはない、、、

5分ほど待つと、アシスタントの女の子が、ラーメンを運んできた。
私は、インスタのフォロワーであることを伝え、味玉をGET。




うーむ、やはり、おいしい(*'ω'*)//♪

ほんのり甘くて、いやされるラーメン。
いやされたい近隣のサラリーマンのみならず、ラーメン好きの女性にもおすすめである。

店を出ると、外はもう暗かった。
昼間は相変わらず、ばかみたいな暑さなのに、日はどんどん短くなっていく。
ビル街を歩くと、何となく秋風を感じた。

2024/09/13

ビミョウな関係



少し前の話だが、8月は夏風邪を引き、とにかく、しんどかった。
10日ほど寝込んで良くなったが、回復後も、咳が治らず、外出時はマスクの着用が当たり前になった。
また、なかなかモチベーションが上がらず、原稿の執筆に着手すらできなかった。
しかし、8月後半、あることがきっかけで、私は、行き詰まっていた原稿の執筆を再開した。

書斎に入り、ノートパソコンと向き合う。
マウスを手に持ち、数時間、キーボードを叩いた。
最初はゆっくりと、そして、だんだんそれは速くなった。
チョット書きはじめればどうってことなかったのだ!!

自分でもビックリだが、、、なぜだろう(*'ω'*)??
まあ、書ければヨシとしよう♪




原稿がほぼ完成したので、気分転換に、表参道のキャプランワインアカデミーに出かけた。
昼間に約束があり、市ヶ谷まで行った帰りだが、途中、喫茶店で休んでから、パソナの本社ビルに入ったのは18時過ぎ。

この日は、ワインではなく、日本酒のテイスティングだった。
よくある日本酒の飲み比べではなく、日本酒の古酒の飲み比べである。
日本酒の古酒というのは、あまり知られていないが、熟成ワインのようなものだ。
蔵元で一定期間寝かせられ、これにより、色みや、香り、濃厚さ、あるいは独特の味わいが醸成される。
新酒のようなシンプルな味わいではなくなるが、熟成ワインののような複雑さはないように思う。
私なりに表現すると、ユニークな日本酒という言葉が合う。




テイスティング開始。

私は、左から順番に1つ1つグラスを持ち、顔を近づけては、香りをとっていった。
しかし、風邪の影響で、咳が出てしまい、うまく香りをとれない。
そこで、少しずつ飲んで、ゆっくりと味わいながら、テイスティングを進めたが、日本酒はワインよりキツいので、酔いが回った。

ハアハア、、、とりあえず、ペットボトルのお茶を飲み、ひと休みしよう(*´Д`)

教室の左側はガラス張りである。
ここは、パソナの本社ビルの最上階なのである。
私は、窓から見える東京の夜景を眺め、しばらく、ぼ~っとしていた。




テイスティング再開。

私は、グラスを手に持ち、グラスのふちに、ゆっくりと口をつけた。
このグラスからは、鼻をクンクンさせなくても、明らかにチョコレート香(カカオ香)がする。
コーヒーの香りのするクラフトビールがあるが、あれと同じような感じである。

とてもイイ香りだ。
しかし、チョコレート香(カカオ香)が強すぎるのではないか。
また、その甘い香りに反し、味は意外と辛口で、全体的に私好みではなかった。
結局、私は、薔薇の蜜のような華やいだ香りのする、私好みの甘ったるい味わいの3番目のグラスの日本酒を最高評価とした。

評価の終了後は、おかわりもできて、私は、さらに酔っ払った。
余りのボトルが自分に回って来ると、注がずに次の人に回すと損な気がして、ついつい、注いでしまう。
そして、目の前の酒は、ついつい、飲んでしまうものだ。

パソナビルを出たのは、8時過ぎ。
帰り道は、外苑前駅まで歩いたが、まだ野球の試合は終わっておらず、駅は空いていた。
銀座線で上野駅へ。
電車内では、寝ないように、いろいろ考え事をした。

主に、原稿のことを考えた。
テーマは、原稿の執筆の停滞と進展についてである。

物事には停滞が付き物だ。
長い停滞期があり、それを経て、状態が良くなったり、悪くなったりする。
だから、停滞中に何をするのかが重要。
上手に停滞させれば、停滞中、別の部分で進展が見られる。
それが全体に波及し、全体が良くなる。

まず、停滞中も、完全に離れてしまわないことが大事だ。
今回の原稿は締切があるから、私は常に締切を気にして、書斎にあるパソコンで原稿を書きたい気持ちが維持されて、想いが続いたのだ。
ただ、気持ちはあるのに、実際、体調が悪く、身体が動かなかった。
それを、もどかしいと思ったりせず、受け入れて静かに過ごせたのが、良かったのだと思う。

個人的に思うのは、物理的に離れてしまうと、やはり、関係は疎遠になってしまうということである。
しかし例えば、何かの機会にチョット顔を出すとか、連絡をしておくとか、プレッシャーを与えておくとか、些細なことでいいのだが、何らかのカタチや方法で、物理的に繋がりを維持しておくと、物事は終わらないし、ビミョウな関係が続く。
ビミョウな関係とは煮え切らない、ある種のストレスなのだけれども、新しいところには行きにくくなる、長い目で見ると、ふらりと元の場所に戻ってきてしまう可能性が高まる。
つまり、これは相手を見えない鎖で繋いでおくということなのである。
例えるなら、別れた男女のその後の肉体関係の継続や、以前の顧客への近況報告をかねたメールなどもそうである。
ビミョウな関係というのは、ビジネスでもプライベートでも非常に意味のあることではないだろうか。
だから、もし自分がその関係を終わらせたくないと望むなら、希薄でも、このようなビミョウな関係を維持しておくのがよい。

次に、停滞と進展、、、それはちょうど晴れの日と雨の日が交替でやって来るようなもので、ひとつのサイクルや周期になっている。
停滞期を脱したら、少しずつ動き出さなければならない。
大事なことはまず、精神的に「やりたい」「やらなきゃ」と強く思うことだ。
そして実際、その想いを行動に移す。
私の場合は、パソコンに向かって原稿を書くということだったが、これは、物理的に向き合い、肉体的に接着することが進展の決め手になることを意味するのだと思う。




翌日は雨。
朝起きると、きのうの日本酒の酔いがまだ残っていた。
雨のなか、買い物に行き、喫茶店に入った。

晴耕雨読というが、改めて考えると、なかなか奥深い言葉だ。
雨の日は、本を読み、静かに過ごす。
外の畑は耕せないから停滞といえばそのとおりだ。
しかし、その間、本を読んで知を蓄え、準備をすれば、停滞ではない。

私も、晴れの日の到来を待って静かに本を読むことにした。
森茉莉「甘い蜜の部屋」。


2024/09/11

夢遊病の女



東劇で、METライブビューイングオペラを見てきた。

以前、「連隊の娘」を見たことがある。
これはドニゼッティのオペラだった。
今回は「夢遊病の女(夢遊病の娘) La Sonnambula」で、こちらはベッリーニの作である。

ただ、どちらもベルカントオペラであり、音楽的に似ている。
つまり、美しい歌声を聴いてウットリするコンセプトのオペラなのである。
例えば、ワーグナーやプッチーニのような、派手で、ドラマチックで、豪快なオペラではない。
ベルカントオペラの代表的な作曲家は、ベッリーニ、ドニゼッティーのほか、学校の音楽室でお馴染みのロッシーニがいる。

本作「夢遊病の女(夢遊病の娘) La Sonnambula」は、スイスの山村が舞台である。
ただ、METのオペラは現代版で、舞台はブロードウェイの稽古場である。
ここで、ミュージカルの出演者たちが「夢遊病の女」の稽古をしている、という変わった設定である。


(METライブビューイングオペラアンコール「夢遊病の娘」)


大好きな男を美人にもっていかれるなんて、本当に頭に来る!!

箒を持って掃除中のリーザは、ひどく不機嫌である。
リーザは宿屋の女主人で、地位と権力のある男性が好みだ。
こないだまで、彼女は村の金持ちの息子エルヴィーノと付き合っていた。
が、結局、彼はアミーナのところにいってしまった。
そして今日は2人の結婚式当日である。

アミーナは、村一番の美女、村のアイドルである。
しかし、彼女は孤児で、幼い頃、水車小屋の管理人テレーザが引き取って育てた。
アミーナは、エルヴィーノと結婚すれば玉の輿、シンデレラガールだが、実は、夢遊病である。

この山村には、夜中、幽霊が現れるといわれているが、まさか、その幽霊の正体が、アミーナだったとは!

というような、あらすじである。




以下は、Wikipediaからの引用。

第1幕
第1場:村人たちがアミーナとエルヴィーノの婚約を祝っているが、宿屋の女主人であるリーザはアミーナに嫉妬する。アミーナは村人たちに感謝の歌を歌う。公証人、ついでエルヴィーノが現れる。エルヴィーノはアミーナに指輪と花を贈る。結婚契約が署名され、アミーナとエルヴィーノは愛の二重唱を歌う。
見知らぬ人物が村に現れる。彼は実は領主のロドルフォ伯爵だったが、村人は誰も彼のことを知らなかった。テレーザはロドルフォ伯爵に、この村は白い服の幽霊に呪われているから夜は家に帰らなければならないといい、人々は帰宅する。ロドルフォ伯爵がアミーナを好んでいるらしいと見たエルヴィーノは嫉妬からアミーナと喧嘩するが、やがて仲直りする。

第2場:リーザの宿屋に宿泊したロドルフォ伯爵は、窓から突然アミーナが入ってきたのに驚くが、すぐに夢遊病であり、テレーザの言っていた幽霊とは彼女のことであることに気づく。伯爵はアミーナを混乱させないように部屋の明かりを消して外に出る。アミーナはそのまま伯爵の部屋のベッドで眠る。
ロドルフォ伯爵の正体はすぐに村人にばれ、人々は伯爵にあいさつするためにやってくるが、部屋の中には女性の姿があった。リーザは事情を知っていたが、エルヴィーノの手を取って部屋にはいり、部屋の中を明かりで照らす。アミーナは目ざめるが、何が起きたかわからず混乱する。エルヴィーノほかの村人はアミーナが浮気したと思いこんで彼女を非難する。エルヴィーノはアミーナに結婚の破棄を宣言して去り、アミーナは気絶する。

第2幕
第1場:村人たちはロドルフォ伯爵の城館を訪れ、エルヴィーノとアミーナの間の仲介をしてくれるように頼もうとする。エルヴィーノはまだ怒っており、かつてアミーナに贈った指輪を彼女の指から外して奪う。

第2場:テレーザの水車小屋のそばで、リーザはエルヴィーノと結婚しようとしている。ロドルフォ伯爵はアミーナが夢遊病であることを説明して止めるが、エルヴィーノは信じない。表の騒音を聞いたテレーザが出てきて、アミーナが眠っているから騒がないように頼む。リーザがエルヴィーノと結婚しようとしていることを知ったテレーザは、ロドルフォ伯爵の部屋で拾ったリーザのハンカチを出してみせる。エルヴィーノはリーザも浮気していたと思って幻滅する。
エルヴィーノはロドルフォ伯爵に対して、アミーナが夢遊病である証拠を見せろというが、そこにテレーザの水車小屋の屋根裏の窓から眠ったままのアミーナが出てきて、ランプを手にしたまま歩きはじる。そのまま橋を渡って村人たちの前までやってくる。彼女はエルヴィーノのために祈り、自分が指輪を奪われたこと、かつてエルヴィーノから花をもらったことを眠ったまま話し、しおれた花を取りだす。
エルヴィーノは指輪をアミーナの指に戻す。目をさましたアミーナにエルヴィーノは謝罪する。アミーナは再び喜びに満ちる。





帰り道は喫茶店へ。
私は、ロイヤルミルクティー(?)を飲みながら、夢遊病のことを調べた。

そもそも夢遊病とは、どんな病気なのかしら?(*'ω'*)

夢遊病は、睡眠障害のひとつであり、精神疾患にあたる。
寝ている間に、歩いたり、何かをしてしまう。
眠っているので、本人は無意識で、何も分かっていない。
どこかに行ってしまわないように、頬を叩いて起こしたり、制止したり、刺激を与えてはいけない。
攻撃される恐れがあり、危険である。
よほどの場合は警察や救急車を呼ぶべきだが、そうでなければ見守るのがよい。

なるほど、、、酒癖の悪い酔っ払いみたいなものか。
泥酔中に何かやらかして、記憶にございません、これと同じようなものか。
あるいは、認知症の高齢者の徘徊にも似ている。

私は、もし彼女がそのような夢遊病だったら?と考えた。
伯爵とアミーナのように、狭い部屋に一緒にいる場合を考えてみる。

いつも良い夢、幸せな夢なら問題ない。
が、見る夢はコントロールできないから、もし彼女の夢が突然、悪夢に変わったら・・・例えば、大好きな男と一緒にいるときに大嫌いな男が登場すると、突然、殴られるかもしれない。

また、悪い夢でなくとも、厄介である。
例えば、料理と犬が好きな夢遊病の女と付き合っているとしよう。
彼女は夢の中で料理をしていて、肉や魚をさばいてるつもりだが、実際には台所の出刃包丁を振り回している。
また、彼女は夢の中で飼犬の散歩をしているつもりだが、実際、鎖で繋がれて連れ回されているのは、同居人だったりする。

まあ、実際そんなひどいことは起きないだろうが、一緒にいて危険というよりは、むしろ彼女をひとりにしけおけないということである。


(La Sonnambula: "Ah! non credea mirarti" (Natalie Dessay)  夢遊病の女「ああ、信じられない」ナタリー・デセイ)


最後の場面。
2人の仕切り直しの結婚式で歌われた、このような歌がある。

苦しみを乗り越え
無実が証明され
彼女は、より美しくなった

私は手帳を開き、夢遊病の女の雑感をメモした。

第1幕の結婚式のとき、アミーナが夢遊病であることを、本人も周囲も知らなかった。
もしこのまま結婚していたら、2人は大いにモメただろう。
しかし、紆余曲折を経て、彼女が病気であることが分かり、かえって良かったのではないか。
2人は愛し合っているので、彼女に重い病気があっても、2人の関係は揺るがない。
彼女のどのような障害も、彼の愛情をより確かなもの、深いものにするだけだった。

なるほど、、、分かった!(*'ω'*)

夢遊病の女は、病気や障害があり、愛を信じることができず、愛を確かめたい女のことだ。
愛しているという言葉や、結婚の申込や約束だけでは、愛の言葉だけ信じ、夢を見ている状態である。
純愛といえば素敵だが、愛は不確かで、手ごたえがない。

不確かな愛を確かめるにはどうすればいい?
それは、やはり肉体的に愛を確かめる行為が、必要になるのではないだろうか。

2024/09/01

アートホテル行(2)KAIKA




神田明神は、御茶ノ水からいくと、正面の鳥居から入ることになる。
しかし、末広町や秋葉原からだと、明神下の交差点から、①直進して坂を上がると左手に有名な鰻屋「喜川」があり、その脇の参道から入るか、②明神下の交差点を左折して男坂と女坂のどちらかから入るか、である。
私は明神下の交差点を左へ曲がり、手前の男坂に行き着いた。

湯島天神と同じく、神田明神にも男坂、女坂がある。
神田明神の場合、男坂を上がる途中、KAIKAというオフィスビルがある。
案内板があり、かつてここに料亭「開花楼」があったという。
千駄木の森鴎外記念館周辺(観潮楼)もそうだが、ビルが建ち並ぶ以前は、高台の見晴らしがとてもよかった。
開花楼では、作家の島崎藤村が結婚式をあげたという。

なるほど、KAIKAとは運命の開花の意味だったとは。
ローマ字だと何のことか分からないではないか。








私は登り切って、男坂を見下ろした。
女坂とはどこで合流するのだろう。

Googleマップで調べてみた。

神田明神の男坂と女坂は、少し離れた場所から神田明神裏手に向かって登るようになっている。
また、写真を見ると、女坂も男坂と同じくらいきついのが、神田明神の特徴である。
どうも、こちらは、お互い、公平で適度な苦しみで、良いと思った。

両者の合流地点は、結局、神田明神男坂門である。
門を入ると右手に、ご神木と、さざれ石がある。
その目と鼻の先が神田明神の本殿である。








以上は、2024/08/10「神田明神の男坂門」より。

さて。
私は、お盆前に夏風邪で1週間ほど寝込んだが、まだ夏風邪があとをひき、体調が悪い、、、
夏風邪は長引くといわれたが、本当だった。

しかし、風邪に特効薬のようなものはないのだ。
原稿の執筆も捗らないまま、、、何か元気の出る薬のようなものがないだろうか(*'ω'*)ウーム





そこで、8月21日、気分転換に、ぶらりと上野~東京へ。
お昼過ぎ、東京から両国のアンティークカフェウール倶楽部に到着。

前回記事にあるように、ここは、お盆前に行ったばかりだが、今回は、コーヒーとガトーショコラのケーキセットを注文した。
食後、会計の前にトイレを借りた。
そのとき、トイレの手前の狭い通路に絵が飾られていて、私は、その絵が気に入ったので、スマホで撮影した。





私は、美術のデッサンのヌードモデルはどれくらいのギャラがもらえるのだろう、などと思った。
最近は、演劇や音楽の世界でセクハラなどのニュースが話題になることもあるが、それなら、美術の世界は、なおさらでは?
そういうことが芸術の名のもとに正当化されていてもおかしくないが、実際どうなのだろう?

その後は、両国駅の反対側へ。
国技館通りを歩いた。
最近の私は、傘をさして歩くようになり、すっかり傘が必需品となった。
もちろん紫外線対策もあるが、日中の強い日差しに当たると疲弊するし、汗をかき、屋内のエアコンで身体が冷えてしまう。
これが、今回の夏風邪の原因と考えられた。




両国国技館の前を通り過ぎ、旧安田庭園へ。
そこから、隣接の刀剣博物館へ。
ただ、私は刀剣に興味がないので、エントランスだけ見て、脇道に入ると、まもなく、同愛記念病院の看板と入口が見えた。

刀剣博物館の向かいの建物が、同愛記念病院か。
実はここは、お相撲さんが通院する整形外科の名医として有名である。
骨折した人から、骨折したらここがおすすめと聞いたことがあるが、実際どうなのだろう?





刀剣博物館と同愛記念病院の路地をしばらく歩き、左折すると、都立横網町公園がある。
私は、公園の中を突っ切って表門の方へ。
そちらは、都立復興記念館があり、やけに大きくて立派な建物であった。
静まり返っていて、この酷暑に涼しそうなところである。
ただ、何となく不気味に見える。

1923年9月1日は関東大震災の日。
1945年3月10日は東京大空襲の日。

いずれも、墨田区はひどい被害を受けた。
復興記念館は、そのような展示がされているが、正直、気軽に見たくなるところでもない。
が、時期的に、関東大震災はいつ起きてもおかしくないし、北朝鮮のミサイルだって飛んで来る可能性はゼロではないのだ。
今度、機会があれば、見てみよう。

あ、、、ペットボトルのお茶が。。。(*'ω'*)

私は、コンビニを探し、大通りに出た。
さらにジグザグ歩くと、やけに広い道になった。

その道路は、見覚えのある平坦な道だった。
しばらく歩くと、信号待ちの若い女性がいる。
髪の毛が紫色で、黒い服を着ていて、一見して、アーティストっぽい。

信号が青になり、私も彼女に後れて横断歩道を渡った。
少し歩くと、通りの向こう側に見えてきたのは(*'ω'*)、、、KAIKAの文字の看板であった。




アートストレージホテル東京KAIKA。
なるほど、両国駅から浅草方面に歩いて、東側に道をそれたから本所吾妻橋の南にたどり着いたのだ。

アートホテルKAIKAには、長い間、行ってなかった。
浅草駅から隅田川を渡り、何度か作品を見に行ったことがある。
手帳を調べると、去年8月、大澤ハルさんの展示作品(上記写真)を見に行って以来である。







ここは、今流行りのモダンな造りのアートホテルで、1階にギャラリーとカフェがある。
せっかく通りがかったので、ギャラリーを見て、カフェで休憩することにした。

今回は、上田まおかさんという女性アーティストの展示会だが、入口脇のこの小部屋(ギャラリールームA)に展示されるアーティストは、強烈な個性があり、売れっ子、あるいは売れっ子予備軍が厳選されているような気がする。
恐らく、場所がほぼ浅草で、外国人観光客が行き帰り、ほぼ必ず見るところだからではないか。

これに対して、カフェにも展示作品が何点かあるが、こちらはカフェの雰囲気に合う、モダンなインテリア作品が選ばれていると思う。
アートホテルKAIKAの1階は、全体的に、とても素晴らしいギャラリーに仕上がっていると思う。





ギャラリーAとカフェの間には、お馴染みの金網の展示室がある。
その中に、ユニークな作品が監禁されている。
が、相変わらずスマホで撮影しにくいし、一生懸命に目を凝らして中を見てしまう。
それにしても、ここで、大仁田厚の金網デスマッチと、乱闘劇をイメージしてしまうのは私だけ?(*'ω'*)

その後、カウンターでアイスティーを注文。
夏休みだからか、カフェはほぼ満席だった。
私はアイスティーのトレイを持って、仕方なく、一番遠い、はじっこの席へ。。。

おや(*'ω'*) こんな作品、、、前は、あったっけか?






またしても女性のヌードだ。
今度のヌードは、ずいぶん、スケールが大きい。

歩いてキャプションを見に行くと(絵の左隅の壁にある)、この絵は倉敷安耶さんの作品であった。
絵の女性は、シェークスピアの「ハムレット」の登場人物オフィーリア。
オフィーリアが川に転落して死んだシーンと書いてある。

ハムレットは詳しくないんだよなあ、、、(*'ω'*)

私は、アイスティーを少しずつ飲みながら、彼女の絵を眺めた。
まず、久しぶりに彼女の絵を見たが、以前と変わったなあ、、、と思った。
以前の作品は複雑で、作り込みすぎているかんじがあった。
文章でも会話でもそうだが、相手に伝えたいこと全てを伝えると重すぎる。
腹八分目ではないが、余計なものを削ぎ落とし、どうしても大事な部分だけ伝えるようにする。
そのようなコンセプトは絵画制作でも大事ではないだろうか。

その点、この絵は非常に洗練されており、多くの鑑賞者の直観や感情に訴えるものがある。
ダークで悲劇的な題材、内容でありながらも、どこか明るさや希望の光が垣間見えるのも、私にとっては、ホッとする要素だった。
画家としての彼女の人生も、今後そんなふうに、明るい方向へ、希望の光へと向かうように思えた。