2022/05/27

おや、国立西洋美術館に、うちのママ殿みたいなのがいる

国立西洋美術館


この日の予定は、上野の美術館とABCクッキング。
午前中、上野の森美術館で水墨画の展示会を見た後、国立西洋美術館へ。
リニューアルオープンの国立西洋美術館は初めての訪問だったが、前庭に余計なものがなくなってすっきりしていた。
私は1時間ほどかけ、常設展の松方コレクションのほうを見た。


ヴィルヘルムハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi)の「イーダのいる部屋(Interior with Ida playing the piano)」


2階の展示室を入ってすぐのところに、懐かしい作品があった。
この作品は、ヴィルヘルムハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi)の「イーダのいる部屋(Interior with Ida playing the piano)」ではないか。
以前は、常設展の後半、別の場所(1階)に飾ってあった。
その後、見かけなくなり、どこにあるか学芸員に聞いたら、展示替えでお蔵入りしました、と言われたものなのだが。


マリーガブリエルカペ(Marie-Gabrielle Capet)の自画像


これこれ、ご機嫌な女の子の絵。
マリーガブリエルカペ(Marie-Gabrielle Capet)の自画像である。
私にとっては、通りがかりに眺めるいつもの女性であるが、自信に満ちあふれており、プライドも高そうだ。
いかにも花盛り、という感じである。


アンドレドラン(Andre Derain)の「マダムジャンルノワール(カトリーヌヘスリング)」


おや、今度は、うちのママ殿みたいなのがいる、、、
アンドレドラン(Andre Derain)の「マダムジャンルノワール(カトリーヌヘスリング)」である。
子供時代の私から見て、ママ殿って、若い頃はこんなふうだった。
何となく、日本橋あたりのデパートにいそうな既婚女性である。
もっとも、ママ殿も今はもう70代のおばあちゃん、絵のような強い妖気(?)は出ていない。
しかし、怒ると恐いので要注意(??)である。

そうそう、誤解する読者も多いと思うので、話のついでに書いておこう。
私の母親の呼称についてである。
私が普段、本当にママ殿と呼んでいるのかというと、そんなことはない。
私たちはごくごく普通の親子である。
それなのになぜママ殿と書くのかというと、その方が私たちの会話がユーモラスに展開できるからだ。
このエッセイのママ殿は、私の話を聞き、おもしろいことを言ったり、ツッコミを入れたり、なるほどと思うようなことを口にする、私の相方の役目なのだ。
しかし、私が「お母さん」「母上」などと呼ぶと会話がカタい、「ママ(ママ殿)」と呼ぶと何となくイイ感じになるということである。


ベルトモリゾ(Berthe Morisot)の「黒いドレスの女(Femme en noir)」


ベルトモリゾ(Berthe Morisot)の「黒いドレスの女(Femme en noir)」。
noirとはフランス語で黒。
例えば、ワインのブドウ品種のPinot noir、赤ワインであり、黒葡萄のひとつである。

キャプションにはこう書いてある。
「モリゾと近代都市の女性像 《黒いドレスの女性(観劇の前)》をめぐって。私はもう働くことを目的に働きたくはないのです。 甘い考えかもしれませんが、私がマネに贈ったような絵ならきっと売れるでしょう。 今はそのことばかり望んでいます。ベルト・モリゾから姉エドマ宛ての書簡。1871年3月24日付。」
「印象派の主要画家、ベルト・モリゾ。マネの画中にしばしば現れる彼女の毅然とした眼差しを思い浮かべる人も少なくないでしょう。いまだ本格的な美術教育が女性に対して門戸を閉ざしていた時代にあって、モリゾは早くから姉のエドマとともに画家を目指して絵画の制作に励み、1864年、23歳の頃から1873年までに7回もサロンへの入選を果たします。」
「それでも彼女の画家としての知名度はずっと低いものでした。そうしたなか職業画家として身を立てるために彼女がとった「戦略」のひとつが、 同時代を生きる女性たちの姿を積極的に描くこと~それは自らもパリジェンヌであるモリゾにとって非常に身近なモティーフであるうえ、男性画家より社会的・法的制約の多い身であっても彼らに劣らず画題を開拓できる領域でもありました。」
「モリゾが第二回印象派展で「観劇」のテーマを導入したのも「戦略」のひとつかもしれません。前年1月に落成したパリのオペラ座(オペラ・ガルニエ) が、その壮麗な外観のみなら ず豪華絢爛なネオ・バロック様式の内装によって挿絵入りの新聞雑誌で大々的に報道され、そのころ衆目を集めていたからです。」

なるほど。
素通りせずキャプションをよく読むと、いろいろな発見があるものだ。

国立西洋美術館を出た後は、コレド日本橋のABCクッキングへ。
この日のメニューは手打ちパスタ。
担任のU先生が、パスタの打ち方をていねいに教えてくれた。
強力粉と、デュラムセモリナ粉、、、そこに卵と水を混ぜていく。
こね方はパンとかなり違う。

できあがったパスタは、山梨名物ほうとうのようであった。
エビとクリームの手打ちパスタの完成。


ABCクッキングコレド日本橋、手打ちパスタ


ABCクッキングコレド日本橋、手打ちパスタ

2022/05/25

あなたって本当に有名人なのぉ~??

3月のある日のことだが、夕方からヒルトン東京でパーティーがあり、私は用事を済ませてから少し遅めに出発した。
途中、京橋のギャラリー椿(門倉直子展)に寄り道をしてミッドタウン日比谷へ。
内幸町駅から都営三田線、都営大江戸線と乗り継ぎ、新宿駅に到着したのは午後3時頃だった。
ヒルトンは地下で大江戸線都庁前駅に直結しているが、その前に私はSOMPO美術館に寄りたかったので新宿西口駅でおりた。
新宿西口駅は損保ジャパン本社の目の前なのである。

シダネルとマルタン展。
リニューアルオープン後、2回目の訪問である。
入口の壁に女性の絵が大きく描かれており、通行人の目をひくが、これはアンリマルタンの「腰掛ける少女」という作品のようだ。
ええと、筒井康隆の「時をかける少女」なら知っているのだが、シダネルもマルタンもまったく知らない画家である。
チケットを買い、エレベーターで5階へ。


シダネルとマルタン展、SOMPO美術館


「19世紀末から20世紀初頭のフランスで活躍した画家、アンリ・ル・シダネル(1862-1939)とアンリ・マルタン(1860-1943)に焦点をあてた、国内初の展覧会です。印象派を継承しながら、新印象主義、象徴主義など同時代の表現技法を吸収して独自の画風を確立した二人は、幻想的な主題、牧歌的な風景、身近な人々やその生活の情景を、親密な情感を込めて描きました。「最後の印象派」と言われる世代の中心的存在であった二人は~」「~二人は深い友情で結ばれ同じ芸術観を共有しながらも、それぞれの活動拠点に由来して、異なる光の表現を追求します。シダネルは北フランスに特有の霞がかった柔らかな光を、マルタンは南仏の眩い光を描き出しました。本展では、世紀末からモダニスムへ至るベル・エポック期に、独自の絵画世界を展開した二人の道のりを、約70点の油彩・素描・版画を通して辿ります。」

フランスの印象派か、、、なるほど、その作風は確かに、以前ここで見たシャルルフランソワドビニーもそうだが、幻想的、牧歌的、感傷的である。
コレクションは海外美術館からの借物、記念撮影用の数点を除き、撮影禁止マークが付いていた。
5階、4階、3階~出口前の小部屋の最終展示は、もちろんゴッホの名作「ひまわり」。
こちらはSOMPOの所蔵品なので撮影OK。
ひまわりの黄色とバックの黒のコントラストが見事で、絵には強烈なインパクトがあり、隙のようなものもまったくない。
まあ、終わりよければ全てよし、ということで、トリがこれではSOMPOはいつも敵なしだ、というのが今回の感想である。


ゴッホ、ひまわり、SOMPO美術館


ラウンジを横切り、館を出て都庁方面へ。
ヒルトンの正面玄関の交差点には桜花が咲き乱れており、ちょうど今が満開だ。
コロナ禍になり花見の季節は3度目だが、酒宴のない花見ならその必要がなく、こうして外出先で、偶然の桜との出逢いを楽しめれば十分満足である。
会場にはギリギリに到着。
受付で手続を済ませたり荷物を預けたりしていると、見覚えのある男性が通りかかった。
あれ、あのお兄さん、今日は何かおしゃれだぞ。


ヒルトン東京


「Jさん、こんにちは。お久しぶりですね。」
「やあ、元気ですか!?」
「私は、まあまあ、元気です。Tさんはどこにいるの??」
「会場のステージにいますよ。」
「今日も何か演奏するのかしら??」
「ああ、それは後半ね。あなたも今日は大いに楽しんでください。」

とまあ、相変わらず気さくで親切なJさん、でもJさんとTさん以外の顔見知りがおらず、彼らはホスト役で大忙しなので、私は窓際のカウンター席の椅子に座り、外の桜を眺めしばらくぼんやりと過ごした。
ちなみに、Tさんとはこの会社の社長であるが、私はただの飲み友達である。

やがてパーティーが始まったので、会場内へ。
テーブル席で食事をしながらゲストスピーカーの話、続いてライブ演奏を聞き、歓談の時間となった。


ヒルトン東京


ヒルトン東京


スマホの電池が切れそうだ。
充電のため私は会場のラウンジに出た。
来る人も帰る人もなく、受付係の数人の女の子がお手すきの様子、私は彼女たちに話しかけた。
彼女たちと雑談をしたり記念写真を撮ったりしていると、私の背後で男性の声がした。
ああ、この声は確か、、、黒い帽子をかぶった黒ずくめの中年男性。
彼はパーティーの司会進行役で、英語と日本語を自在に使いまわし会場を盛り上げていたのだが、洗練されたトークは見事でプロの技と思った。
先ほどの受付の女の子に話を聞くと、彼の名前はスチュアートオー(StuartO)、テレビやラジオに出たり、イベントの司会者をしているタレントのようだ。
しかし、「あたしたちはテレビをほとんど見ないから、あの人って、本業コメディアンなのかしら、よく知らないわねえ、、、」などと言って首を傾げた。
社長は彼のことがお気に入りで、いつも彼にパーティーの司会者を頼むのだという。
私は早速、スチュアートオーに話しかけてみた。

「スチュアートさん、こんばんは。今日のあなたの司会、実に素晴らしかったです。あなた、ただ者ではないですね。ソフィスティケートされているというやつです。」
「おお、ありがとうございます♪♪ あなたは??」
「私、あんみつ先生です。社長の飲み友達で、招待されて来たんですよ。」
「なるほど、あんみつ先生、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。でも、あなたって本当に有名人なのぉ~??」
「えっ!? ぼ、ぼくは、、、まあまあ有名かな(;´・ω・)アセアセ」
「そうですか、、、それは失礼しました。ねえ、スチュアートさん、私たち一緒に記念写真を撮っておきましょうよ。もっと有名になったときのために。」
「おお、いいですね!!」


ヒルトン東京、スチュアートオーさんとあんみつ先生の記念写真


ヒルトン東京、スチュアートオーさんとあんみつ先生の記念写真

2022/05/15

最後は、ハッピーエンディング??

浅草寺、雷門


ゴールデンウイークが終わり、久しぶりに用事で都内に行ってきた。
用事が済んだ後、お墓参りをしてから浅草へ。
浅草寺の雷門前は日本人で混雑しており、マスクの着用以外はすっかり日常が戻ったようだ。
仲見世を歩き、本堂でお詣りの後は東側の二天門へ。
雷門は浅草寺の表門(表参道の門)で、昭和35年(1960年)に再建された比較的新しい建造物なのに対し、二天門は江戸時代初期にできた非常に古い門である。
門の左手に重要文化財の案内板があった。


二天門


二天門、マツモトキヨシ、人力車


二天門を出ると左手のビルの1階にマツモトキヨシがあった。
暑いのでジュースを買いたい。
でも、確かここはかつてお土産屋で、2階に「布文化と浮世絵の美術館」があったはずだ。
私は2018年に、津軽のボロの展示を見たことがあるのだ。
しかし、会計の時、マツキヨの店員に聞くと、ずいぶん前になくなったそうである。

おや、マツキヨの前に人力車がとまった。
20代の体育会系女子が汗だくになって人力車を曳いていて私は驚いた。
これもまた男女平等のひとつの形だ。
私はふと、自衛隊や米軍に女性兵士が増えているという話もあるが実際どれくらいの割合なのだろう、と思った。

「お客さん、雷門は60才なんですよ!!」(と人力車の彼女)
「へ~、そうなん。」
「二天門は何才だと思いますか??」
「どうだろう。」

歩きながらだったので何才なのかはよく聞こえなかった。
が、彼女が人力車を曳いて客と談笑しているなら日本は平和である。
彼女の話し方は初々しく、たどたどしく、私はたいていのことはそれほど考えずにアドリブで話せるので、それは気楽なことだが年老いた証拠だと思った。
私だって学生時代はあんな感じだった。

その後、浅草駅から飯田橋駅へ。
神楽坂下の交差点から外堀通りを市ヶ谷方面に歩き、ミヅマアートギャラリーを訪問。
「パンとサーカス展」、作家島田雅彦の新聞連載小説「パンとサーカス」の挿絵をまとめた共同展示会である。


ミヅマアートギャラリー、島田雅彦、パンとサーカス展


ミヅマアートギャラリー、島田雅彦、パンとサーカス展


ミヅマアートギャラリー、島田雅彦、パンとサーカス展


ミヅマアートギャラリー、島田雅彦、パンとサーカス展


ミヅマアートギャラリー、島田雅彦、パンとサーカス展


私の主たる目的は水野里奈さんの絵を3年ぶりに見ることだった。
ただ水野さんのことはすでにブログに何度も書いたので今回は省略。
展示の挿絵を見る限り、島田雅彦の今回の小説は世紀末SF小説か??
なかなかおもしろそうだが、現在はこれを見て能天気に笑えない世界情勢である。

市ヶ谷駅からJRを乗り継ぎ、6時前に帰宅。
着替えの後、私はまず書斎へ。
書棚に島田雅彦の本はあったっけ??と思ったら、「不惑の手習い」があった。
夕食後、早速読んでみた。


島田雅彦の不惑の手習い


「不惑の手習い」は、40才を過ぎ、趣味にかまける島田雅彦の習い事体験のエッセイで、読みやすくておもしろい!!
島田雅彦は出版当時、私とほぼ同い年の47才、あとがきにそう書いてあった。
この本は2008年の出版、2008年はリーマンショックの年である。
2008年のリーマンショック、2011年の巨大地震と放射能汚染、それ以降、巨大台風、各地の地震などがあり、2020年から新型コロナウィルスのパンデミック、2022年からウクライナ戦争、、、世界も日本もどこへ向かっているのだろう。
本を読んでいくと、最近暗澹たる気分で世紀末SF小説を書いた作家が、習い事の先生(女性)と談笑したり、ハグをしたりしている。
また、ジャンポールエヴァンからショコラ・ショの作り方を習い、これで女を口説けるとか言っている。

そういえば、二天門の人力車を見た後、その先の交差点のところの都立産業貿易センター台東館に寄り道をしたのだ。
どういう施設か見たかっただけなのだが、エントランスで掲示板を見ると会議室でハッピーエンディングプランナー養成講座というのをしていた。


都立産業貿易センター


終活プランナー認定資格かな??
ハッピーエンディング、ではなく、英語で、Happy Ending、、、これもまた日本の平和の証、と思えば、微笑ましいネーミングではある。
ただ、日本の平和は宝だが、今後の世界情勢を冷静に見れば、終活をしてハッピーエンディングなんて、平和ボケそのものだ。
でも、おばあちゃんのおまじないみたいに、それっぽい言葉だけでもいいのかもしれない。
最後はハッピーエンディング??

2022/05/11

門倉直子さんの「世界は変化するが私は踊り続ける」

3月の門倉直子さんの展示会のことをまだ書いていなかった。
ギャラリー椿での彼女の展示を、私は寄り道で見ただけなのだが、奥の小部屋に並んでいたのは同じ女の子の絵ばかり、アニメに出てきそうな、かわいらしい女の子の肖像画の連作であった。


ギャラリー椿、門倉直子


ギャラリー椿、門倉直子






シリーズ全体が成長物語のようだ。
絵の中の女の子は次第に大人の女性になり、最後の絵は卒業または就職のシーンか、「時代」という作品である。
眺めながら私は、「そんな時代もあったねと~♪♪」という中島みゆきの「時代」を思い出したが、ミスマッチ!!

何枚かの絵のキャプションの近くに、赤いピンが刺してあった。
へ~、わりと売れてるんだな、と思った。
私がギャラリー巡りをしていて、売約済みの赤いピンが何本も刺さっているのは、非常に珍しいことなのだ(たいていは刺さっていないか、1本だけとか)。
そこで作品リストを眺めると、なかなかイイお値段だった。






後日、展示会の写真を、たまに絵を買うという知り合いに見せた。
すると、単なる女の子の絵で、美術史に残るような感じはしないですね、と言われてしまった。
あら、彼はこの絵にまったく興味がないようだ、、、
なるほど、単なる女の子の絵か、そう言われると確かにそうだ。
しかし、単なる女の子の絵とはシンプルということである。
お客さんはわりと買い求めやすいだろう。
ラーメンでいうと和風のさっぱり味、自宅の壁に気軽に飾れると思った。
これに対し、作家性を全面に押し出したインパクトの強い作品は、ラーメンでいうと家系のこってり味、そういうのだと、私はギャラリーで見てお腹いっぱいになってしまう。
私の印象では、現代アートのギャラリーでは後者のタイプを見かけることが多いような気がする。
なので、門倉さんの絵は私にとって後味がよかったということであり、すっかり書くのを忘れていたのだ。
しかし単なる女の子の絵というバイアスを取り除いて眺めると、様々な発見や楽しみがあるのではないか。
私は何となく、門倉さんの絵(世界は変化するが私は踊り続ける)が美術史の片隅に残ってもいいような気もする、、、いや、シロウトの私は何とも言えないので、これくらいにしておくが。


ギャラリー椿、門倉直子


帰りがけ、離れた場所から1枚撮影した。
このときドアが少しだけ開いており、奥からガサガサとビニール袋の音がしたので、誰かがそこにいたのは間違いなかった。
私は、もしかして門倉さんが潜んでいて鑑賞者の反応を探っているのかと思ったが、まあ、ギャラリーの職員が探し物か荷物の整理か、何かの作業でもしていたのだろう。

いや、待てよ。
少しの間、ビニール袋の音がしただけで、あとは静かだった。
ドアの隙間の向こうは、ずっと真っ暗闇。
作業中なら明るいはずだし、何度もビニール袋の音がするのが自然ではないだろうか。

2022/05/06

シャンプーをした後のワンコさん、ぼーっと立ったままでお疲れのご様子




 
少し前のことですが、めいっ子のワンコと再会しました♪♪ リビングの片隅でシャンプーをした後のワンコさん、ぼーっと立ったままでお疲れのご様子。座ってこちらを見上げると、毛がもじゃもじゃで、ジジくさく見えました( ゚Д゚///)オッサン!!!