2022/05/11

門倉直子さんの「世界は変化するが私は踊り続ける」

3月の門倉直子さんの展示会のことをまだ書いていなかった。
ギャラリー椿での彼女の展示を、私は寄り道で見ただけなのだが、奥の小部屋に並んでいたのは同じ女の子の絵ばかり、アニメに出てきそうな、かわいらしい女の子の肖像画の連作であった。


ギャラリー椿、門倉直子


ギャラリー椿、門倉直子






シリーズ全体が成長物語のようだ。
絵の中の女の子は次第に大人の女性になり、最後の絵は卒業または就職のシーンか、「時代」という作品である。
眺めながら私は、「そんな時代もあったねと~♪♪」という中島みゆきの「時代」を思い出したが、ミスマッチ!!

何枚かの絵のキャプションの近くに、赤いピンが刺してあった。
へ~、わりと売れてるんだな、と思った。
私がギャラリー巡りをしていて、売約済みの赤いピンが何本も刺さっているのは、非常に珍しいことなのだ(たいていは刺さっていないか、1本だけとか)。
そこで作品リストを眺めると、なかなかイイお値段だった。






後日、展示会の写真を、たまに絵を買うという知り合いに見せた。
すると、単なる女の子の絵で、美術史に残るような感じはしないですね、と言われてしまった。
あら、彼はこの絵にまったく興味がないようだ、、、
なるほど、単なる女の子の絵か、そう言われると確かにそうだ。
しかし、単なる女の子の絵とはシンプルということである。
お客さんはわりと買い求めやすいだろう。
ラーメンでいうと和風のさっぱり味、自宅の壁に気軽に飾れると思った。
これに対し、作家性を全面に押し出したインパクトの強い作品は、ラーメンでいうと家系のこってり味、そういうのだと、私はギャラリーで見てお腹いっぱいになってしまう。
私の印象では、現代アートのギャラリーでは後者のタイプを見かけることが多いような気がする。
なので、門倉さんの絵は私にとって後味がよかったということであり、すっかり書くのを忘れていたのだ。
しかし単なる女の子の絵というバイアスを取り除いて眺めると、様々な発見や楽しみがあるのではないか。
私は何となく、門倉さんの絵(世界は変化するが私は踊り続ける)が美術史の片隅に残ってもいいような気もする、、、いや、シロウトの私は何とも言えないので、これくらいにしておくが。


ギャラリー椿、門倉直子


帰りがけ、離れた場所から1枚撮影した。
このときドアが少しだけ開いており、奥からガサガサとビニール袋の音がしたので、誰かがそこにいたのは間違いなかった。
私は、もしかして門倉さんが潜んでいて鑑賞者の反応を探っているのかと思ったが、まあ、ギャラリーの職員が探し物か荷物の整理か、何かの作業でもしていたのだろう。

いや、待てよ。
少しの間、ビニール袋の音がしただけで、あとは静かだった。
ドアの隙間の向こうは、ずっと真っ暗闇。
作業中なら明るいはずだし、何度もビニール袋の音がするのが自然ではないだろうか。