2018/11/29

全員がルイサダさんと結婚したかった

今年のピアノコンサートについて記録しておこう。

・マリアジョアンピリス(Maria João Pires)
・マルクアンドレアムラン(Marc-André Hamelin)
・ジャンマルクルイサダ(Jean-Marc Luisada)
・シプリアンカツアリス(Cyprien Katsaris)
・ファジルサイ(Fazıl Say)

有名な外国人ピアニストばかりであるが、ピリスの引退記念コンサートがサントリーホール、カツアリスがみなとみらいホール、それ以外の3人は銀座ヤマハホール。
特に銀座ヤマハホールの場合、全て最前列の席であった。

銀座ヤマハホールは、銀座シックスの先の銀座ヤマハビルの7階にある。
銀座の一等地という場所柄、このビルは鉛筆のように細い、いわゆる「ペンシルビル」の形状で、コンサートホールもかなり小さい。
座席数、わずか333席(!!)。
サントリーホール、横浜みなとみらいホールだと広すぎるが、ここは誰が弾いても大丈夫、ピアノの場合は狭い方がよいので、かなりよくできたコンサートホールである。


銀座ヤマハホール


銀座ヤマハホールのホワイエのアップルタイザー


さて、9月のジャンマルクルイサダのコンサート。
ルイサダはショパンコンクールでブレイクしたフランスのピアニストである。
典型的なショパン弾きだが、彼のショパンを生で聞いた私の素直な感想は、手慣れていてソツがない、上手だが物足りない演奏。
最も印象に残ったのは、アンコール曲がエルガーの「愛の挨拶(op12)」で、その時のルイサダの弾きっぷりが疲れていたことと、譜めくりの女性がみずみずしい美人で、クリスチャンルブタンのハイヒールを履いていたことだ。


銀座ヤマハホールのジャンマルクルイサダ


コンサート終了後は、いつものようにCD購入者のためのサイン会が始まった。
ヤマハのビルはとにかく狭いので、どこかに人が集まるとすぐ人ごみの中で動けなくなってしまう。
ロビーでサイン会をするときは、階段までサイン待ちの客が列をなすのだが、私はトイレから戻り、列の一番うしろに並んだ。
すると、私の前の女性グループがおもしろい話を始めた。
どうも、彼女たちは昔からのルイサダファンのようであった。


銀座ヤマハホールのジャンマルクルイサダ


「ああ、ルイサダさんも、やはり、じいさんになってたわ。」
「そうね、私たちが学生のころにデビューしたのだから仕方がない。」
「あの頃のルイサダは、かっこよかったなあ。」
「私たち全員が、ルイサダさんと結婚したかったものね。」
「そうそう。でも、私たちもルイサダも、すっかり変わってしまったんだねえ。」
「次はいつ来るのかしら。」

彼女たちは音大の同期のようであった。
その後もしばらく、懐かしい思い出話が弾んだが、そのうち私の番となり、私はルイサダのサインをもらった。
握手もした。
が、じいさんと握手したってどうってことはない。
それにしても、目の前のこのじいさんが、彼女たち全員の憧れの存在だったとは。
しかし、あの譜めくりの女性が、いまのルイサダに一目惚れすることはないだろう。

私はエレベーターで1階におり、ヤマハホールを出た。
歩いて銀座駅に向かう途中、大通りのブティックは閉店後で真っ暗だった。
若い頃のルイサダは、もう少し、マシな演奏をしていたのではないだろうか。
それにしても彼女たち全員が、ルイサダさんと結婚したかったという言葉が、妙に印象に残った。


ジャンマルクルイサダ

2018/11/16

銀座を歩く

岡本哲志「銀座を歩く」


「銀座を歩く」、この本は汐留パナソニック美術館で買ったものだ。
ようするに、「銀ブラ」の本である。
いまの銀座を歩き、むかしの銀座を思い出すという銀座歴史物語の内容だが、おもしろい本である。
ところで、私は「銀ブラ」を「銀座をブラブラする」の略だと思っていた。
が、かなり以前、並木通りの美容室でスタイリストをしているお姉さんから、実はそうではないと言われたことがあった。

「銀ブラって、銀座をブラブラすることじゃないんですか。」
「実は、銀座でブラジルコーヒーを飲むことなんですって。」
「へ~、それは初耳。」(本当かな??)

早速wikipediaで確認したら、ブラジルコーヒー説が誤りで、散歩説が正しいと書いてあった。
過去の文人のエッセイなどが引用されているが、どれも散歩の意味で書かれており、常識的に考えても散歩説が妥当だ。
ブラジルコーヒー説は、銀座の喫茶店のオーナーの冗談で、それを真に受けて拡散する人がいる、ということのようだ。
テレビのバラエティー番組も何度かブラジルコーヒー説をおもしろがって取り上げているようだ。
ただ、専門家(?)が出てきて真剣に、ブラジルコーヒー説はデタラメだと怒るようなことでもなく、ユーモアがあっておもしろいと思う。
どちらの説を信じたところで、本人にも誰にも害は生じまい。
広辞苑によると、銀ブラとは「東京の繁華街銀座通りをぶらぶら散歩すること」である。


銀座2丁目、ブルガリ銀座店


ティファニー銀座店


次に、銀ブラの語源も争いがあるようだ。
Wikipediaによれば、1924年の「新東京繁昌記」にこう書いてある。

『銀ぶら』といふ言葉は、其最初三田の学生の間で唱へられたものだともいふし、また玄文社の某君の偶語に出たものだともいふ。勿論文献の徴すべき何ものもないが、これでも十数年乃至数十年の後にはいろんな内容いろんな伝説なども附会されて~

しかし、これについて、銀座育ちの文学者池田弥三郎氏は否定的である。
Wikipediaによれば、池田は次のように書いている。

軽薄なことでは人後に落ちない、われわれ慶応の学生仲間たちも、銀座へでも行こうかとは誘い合ったが、銀ブラでもしようか、とは言わなかった。「銀ブラ」とは、おそらく、社会部記者用語ではあるまいか。

私は何となく、池田氏の主張が正しそうな気がする。
特別な言い方は非日常あるいは他者に対して使うものだからである。


銀座1丁目


さて、もうひとつ、「銀ブラ」の日本語としての印象が悪い、ということも感じる。
私の買った本のタイトルは「銀座を歩く」であり、「銀ブラしようぜ」「銀ブラの歴史」「銀座ブラブラ物語」などではない。
出版業界の人の感性だと、恐らく、銀ブラでは少し印象が悪いのではないか。
かたや、先ほどのブラジルコーヒーの話ではないが、テレビ業界の人や、カフェのオーナー等の商売人の感性だと、恐らく、銀ブラのほうがキャッチコピーとして優れていると考えるのではないか。
ちなみに私の場合は、銀ブラと聞くと銀色のランジェリーを想像してしまうのだが、、、
おっと余計なことを書いたので、もうおしまい!!( ˘ω˘)スヤァ~


銀座北欧

2018/11/05

La Dolce Vita or La Strada

ビリーワイルダーはロマンティックコメディーの巨匠である。
オードリーヘップバーンの「サブリナ」、シャーリーマクレーンの「アパートの鍵貸します」、マリリンモンローの「お熱いのがお好き」などの名画を監督した。
しかし、異色の作品として、「サンセット大通り」という人間の本質を描いたシリアス映画も撮っている。
「サンセット大通り」は、豪邸の老いた大女優の孤独を描いた名作である。
テーマは女性の外見という普遍的な話だが、現代的に引き直して言うと、美容整形が今ほど進歩していなかった時代の芸能人の苦悩のようなものが描かれている。

このように、ワイルダーはシリアスな映画を作る才能もあったが、ワイルダーがコメディー映画の巨匠となれたのは、この才能のおかげだと思う。
素晴らしいコメディーには、「サンセット大通り」のようなシリアス映画の持つ毒の要素、人情の要素が含まれているものだ。
このあたりのニュアンスは、日本でいえば落語に近い。
ワイルダーのコメディー映画は、どことなく落語と似ており、毒と人情味がある。
ワイルダーの師匠は、同じユダヤ人の映画監督エルンストルヴィッチである。
巨匠ワイルダーの師匠ということで、以前気になってその作品を見たことがあるが、こちらも人情コメディーであった(「桃色の店」などがある)。

さて、ワイルダーの映画が生粋の娯楽作品だとすると、その対極にあるのは芸術的映画である。
私の書斎の本棚に、芸術的映画の巨匠フェデリコフェリーニに関する本が数冊ある。
「フェリーニ、私が映画だ」「フェリーニ、映画を語る」。


フェリーニ映画を語る


フェリーニ私は映画だ


昔、フェリーニの名画はツタヤのレンタルビデオでひととおり見たことがある(つまり、かなり昔のことである)。
「8と2分の1」などの芸術性と、掴みどころのなさに、見た後考え込んでしまったが、部分的にはよく分かり、見どころがあちこちにあって、そのセリフとカットが「フェリーニこそが映画の中の映画だ」というほど良かった。
しかし、分かった気になって繋いで見ると全体像がよく分からなかった。
私には、フェリーニは難解、ということになったのだった。

ただ、フェリーニの代表作は「甘い生活(La Dolce Vita)」と「道(La Strada)」だと思う。
前者はマルチェロマストロヤンニ主演で、退廃主義の、難解な映画であるが、後者は誰でも分かるコテコテの感動的名画である。
こちらは人間の本質を描いたシリアスすぎる作品で、気難しい旅芸人の男と連れ合いの女(ジュリエッタマシーナ)の悲劇である。




「道」は傑作であり、どう考えても後期フェリーニの芸術的な作品よりも良い。
もしかするとフェリーニは、初期に「道」を作ってしまったので、自分の道を見失ったのかもしれない、とも思えるほどだ。
芸術家であるならば、勝ちパターンを繰り返して作品を作り続けるべきではない。
「道」を作った後のフェリーニは、新しい方向へ突き進んでいかざるを得なかったのかもしれないということだ。

フェリーニの後期の芸術的映画はインテリ向けで、私のような者にはなじまない。
しかし、ワイルダーが「サンセット大通り」を作り、自らのキャリアに異色の作品を刻んだのと同様に、フェリーニもまた「道」を作った。
私には、どちらも名監督が作りたかった理想の作品のようにも見える。

2018/11/01

Let's Have Tea Together

BlogやSNS、最近だとYouTube上のVlogなどもあるが、インターネット上には日々の雑記が公開されており、これを自己満足でくだらないと言う人もいる。
しかし、多くの人はそのような意図で日記を公開しているわけではない、と私は思う。

確かに、自分だけの日記帳に書き留めておけば十分とも思えるが、公開日記帳に書き留めておく方が、自分のためになるのである。
形式面でも内容面でも、公開日記帳の方が高品質で完成度の高いものになるということだ。
でもこれが自分だけの日記帳だとどうだろう。
私の場合、走り書きで読めなかったり、感情のままに書いて考察や洞察を欠くことが多い。
こうなるのは結局、他人に伝えようとして書いた文章ではないからだが、ようするに、私がこうして公開日記帳を書く主な理由は、自分のためである。


田辺聖子「いっしょにお茶を」


しかし実はもう1つ、公開日記帳とする重要な理由がある。
それは、この日記が私にとって冒険の記録であること、冒険の記録を自分だけのノートにとどめるよりも、公開する方がよいと思うからである。

まあ、人生は何事もチャレンジなのである。
やってみれば何とかなるものだし、やらなければ何にも起こらないのである。
ブログ名の「Let's Have Tea Together」(のちにブログ名を何度か変更しています)、これは私の大好きな作家田辺聖子の「いっしょにお茶を」の英訳である。
私も、少しまねをしてみようと思う。
我が家のサンルームの窓際で紅茶を飲みながら、日々の冒険の記録を付けはじめてみよう。




「書くということは、いいことである。自分の中にある思いが、書くことによって、1つの確かな形をあらわすからだ。わたしはその形を、第三者のような目(とまでは言えないにしても)で、かなり冷静に自分の姿を見つめることができる。生きるとは先ず、自分自身の姿をみつめることから始まると、わたしは考えている。自分がいかなる者かをわからぬままで、自分の生きる道を探しあてることは不可能のような気がする。」
(三浦綾子「生きること思うこと」)

日々の雑事、個人的な出来事をブログに書き残していますが、読み返すと私自身、つくづくひどい内容だと思います。あしからずご容赦ください(*'ω'*)