2022/08/31

夏は酸っぱい梅が食べたい










今月は久々に水戸へ行った。

ホテルの弁当に梅干しが入っておらず、意外だった。

夏は酸っぱい梅が食べたい。


帰りは駅の売店で男梅を購入。

しかし、男梅って粉っぽい。

デリケートな私は咳が出てしまうではないか。

電車内で気まずかった。

2022/08/28

空家特措法の話(空き家は地方自治体に寄附できるのか、ほか)

下呂温泉水明館


下呂温泉水明館


だいたい私の宿泊先のホテルや旅館は、建物もきれいで、宿泊客も多く、食事もおいしい。
しかし、宿を出て周辺を散歩すると、街の景色はさびれてて、廃業した旅館があったり、商店街のほとんどが営業をしていなかったり、これが地方の実情なのかと思うことがある。

高齢化と過疎化が進み、空き家、空きビルの利活用は深刻な社会問題となっている。
今回は、最近クローズアップされている空き家問題を考えてみる。
例えば、親族から相続した古い家、荒廃した雑居ビルなどは、売るに売れず、処分に困ることがある。
「不動産」をもじって、これを「負動産」と呼ぶ人もいるようだが。


下呂温泉


下呂温泉


この点、洗濯機やバイクなら粗大ゴミに出せば済むが、いらなくなった建築物はそうはいかない。
取り壊すのはめんどうだし、お金もかかる。
では、放置するとどうなるか、、、
今は空家特措法という特別法があって、行政代執行による取り壊しまでできるようになっている。
この時、取り壊しの費用は原則として所有者の負担となる。
しかし、まあ、空き家の利活用といっても自分では難しい、自分では手に負えない、というのが実情ではないか。


下呂温泉、廃業旅館


前橋商店街、シャッター街


弘前市、空きビル


では、いらなくなった空き家を市区町村や国に寄附し、代わりに有効活用していただこう、というのはどうだろう??
理論的には、国家が国民の資産を取得する場合に、寄附によることは想定されており(国有財産法施行令第9条1項)、不動産の寄附ももちろん可能ではある。
しかし、公権力の公正中立、適正手続(due process of law)の観点からは、寄附は必ずしも適切な方法とは言えず、価値の高い不動産となればなおさらであろう。
戦後まもない頃の閣議決定があり(昭和23年1月30日閣議決定)、それは今も生きていると言われる。
そのため、空き家を国などに寄附するのは難しい。
もっとも、市町村のなかには、街の荒廃を防ぐため仕方なく、空き家の寄附を受け付けているところもあるようだが、あくまでも例外だ。

それなら空き家の所有権を放棄するのはどうだろう??
ようするに、タバコのポイ捨てと同じようなことができないか、ということ。
この時、私は民法239条2項を思い出すのだ。
そこには、持主のいない不動産は、無主の不動産(遺失物のようなもの)にはならず、国庫に帰属する、と書いてある。

これは、所有権放棄により不動産が国庫に移転することを認める条文である。
例えば土地であれば、誰のものでもない土地は「国土」である。
まあ、そりゃそうだよな、と思うのだが、、、誰のものでもない建物も国家のものだというのだ。
理論的には、タバコのポイ捨てができるのだから、不動産のポイ捨てのようなこともできるはず、不動産の所有権放棄もできるはずなのだ。
それは法律上、単独行為といわれるものであるが、そうすると所有権放棄を登記原因とし、国を登記権利者として、単独申請で所有権に関する登記ができる、というのが理論的である。

しかし、実務上、そのような登記はできない(昭和41年8月27日民事局)。
この回答によれば、できない理由は、そのような登記の手続が「ない」からだという。
ただ、手続法が「ない」ことを理由に、実体法上できるはずのことができない、また、それでかまわない、という回答は何やらおかしいと思う。
この回答は、答えになっていない。
この点、手続法が「ない」のはなぜなのか、その理由が重要なのである。
ようするに、条文を作らない理由は何なのかということであるが、恐らく、固定資産税を逃れる目的で所有権放棄をされると国家としても非常に困るからではないだろうか。

(無主物の帰属)
第二百三十九条 所有者のない動産は、所有の意思をもって占有することによって、その所有権を取得する。
2 所有者のない不動産は、国庫に帰属する。
民法

(法第十四条による協議)
第九条 各省各庁の長は、法第十四条第一号の規定により財務大臣に協議しようとするときは、次に掲げる事項を記載した協議書に必要な図面その他の関係書類及び、寄附又は交換の場合においては、願書又は承諾書を添付して、財務大臣に送付しなければならない。
一 土地又は建物の所在及び地番
二 取得しようとする事由
三 土地の地目及び地積又は建物の構造、種目(第二十条第一号に規定する種目をいう。第十五条の三において同じ。)及び面積
四 評価調書
五 相手方の住所及び氏名
六 予算額及び経費の支出科目
七 交換の場合には、交換に供する国有財産の台帳記載事項
八 交換差金がある場合は、それについてとるべき措置
九 その他参考となるべき事項

第十四条 次に掲げる場合においては、当該国有財産を所管する各省各庁の長は、財務大臣に協議しなければならない。ただし、前条の規定により国会の議決を経なければならない場合又は政令で定める場合に該当するときは、この限りでない。
一 行政財産とする目的で土地又は建物を取得しようとするとき。
二 普通財産を行政財産としようとするとき。
三 行政財産の種類を変更しようとするとき。
四 行政財産である土地又は建物について、所属替をし、又は用途を変更しようとするとき。
五 行政財産である建物を移築し、又は改築しようとするとき。
六 行政財産を他の各省各庁の長に使用させようとするとき。
七 国以外の者に行政財産を使用させ、又は収益させようとするとき。
八 特別会計に属する普通財産である土地又は建物を貸し付け、若しくは貸付け以外の方法により使用させ若しくは収益させ、又は当該土地又は建物の売払いをしようとするとき。
九 普通財産である土地(その土地の定着物を含む。)を信託しようとするとき。

2022/08/07

カメラを向けたら、、、緊張して下を向いてしまった(*'ω'*)???







めいっこの犬。

カメラを向けたら、、、緊張して下を向いてしまった(*'ω'*)???

こっちを向いてくれませんか~。


カメラを近づけると、表情がカタいですね(*'ω'*)???

2022/08/01

The story of Tokyo Tarot Museum(2)Temperance and The Hierophant

「タロットカードの78枚のうち、22枚で構成されたカードを大アルカナといいます。アルカナとは、ラテン語で「神秘」「秘密」という意味で、大アルカナは番号と表題が書かれた寓意画となっています~中略~タロットを読む時は、直観が大切です。直観は考えるよりも早く、遥か遠くからやって来る「報せ」です。あなた自身に宛てられた、あなたが読めるように託されたメッセージです。見た夢と同じように、そのカードがどのように見えたのかが鍵となります。まずは、あなたが感じたことにフォーカスしてみてください。」(東京タロット美術館資料より)

私たちは何かあった時、あれこれ理屈っぽく考えるより、直観を素直に信じるほうがいい。
目に映る景色は、自分のみに与えられた、自分のみにしか解けないアレゴリー(allegory)である。
内なる自分と対話をし、「隠された意味」にフォーカス(focus)しよう。
そうすると素敵な発見をするかもしれないし、思いがけないフォーチュン(fortune)と出逢えるかもしれない。

7月、私は東銀座から地下鉄で、浅草橋の東京タロット美術館へ行った。
6月に続き、二度目の訪問である。
浅草橋駅前の大通りの人気の中華料理店「水新菜館」、その真っ赤な看板の見える交差点を反対側へ歩くと、1階にクロネコヤマトの営業所の入居するビルがある。
東京タロット美術館はこのビルの6階にある。
小さなエレベーターで6階へ~狭い玄関スペース~「東京タロット美術館」の表札~まるで他人様のマンションの一室にお邪魔するかのようで何とも恐縮だが、ドアを開けて中へ入ると客は誰もいなかった。


東京タロット美術館入口


「す、すみません、、、」
「いらっしゃいませ♪♪」
「あれ、今日は私だけですか。」(前回はもっといたのに)
「いまの時間帯は。でも5時30分からご予約が1人、入っています。」
「そうなんですね。」(次も1人だけか)

いまは4時、この美術館は90分の入替制で、私は5時30分までである。
受付で入館料800円を支払った。
前回同様、受付の女性が、タロットカードを1枚引いてください、と言うので、私は、差し出されたかごの中から裏返しのカードを1枚選び取った。
すると今回は法王(教皇)、大アルカナ5番目のカードであった。
法王(教皇)は、「信頼」「親切」「慈悲深い心」「良いアドバイス」「問題解決能力」などの解釈がなされる。
ただ、実をいうと最初に引いたカードは前回と同じ、節制であった。
前回と同じ節制ではつまらないので、受付の女性に申し出て、リトライさせてもらったのだ。


東京タロット美術館


私は館内の新しい展示品を見て回り、その後、書棚から数冊の本を選び、すみっこの席に着いた。
まもなく受付の女性がお茶を運んできて、私たちは少し話した。
こないだのセルジョバイエッタのピアノコンサートのことや、タロットの勉強会のことなど。

さて、図書館のように静かなこの空間で、お茶を飲みながらゆっくり読書でもするか。
前回は隣のテーブル席の若い女性3人組がずっと話し込んでいたから、集中できなかった。
彼女たちは卓上にタロットカードを並べ、「やっぱり恋愛をしなくちゃいけないわよ」「あら、何を引いたの?」「恋人のカード」「でも、女って孤独よねえ~」などと、ため息まじりに話していた。
しかし男女の出会いを求めるなら、ばらばらに来るほうがいいと思ったが。


東京タロット美術館


手始めに読んだ「オカルトの美術(The Art of the Occult)」、これには魔女裁判のことが書かれていた。
1800年代~科学と理性の時代、自由と権利の時代の幕開けとともに、宗教的なもの、非科学的なものはインチキとみなされた。
他方で、オカルトのほうが信頼できる、良きアドバイスで問題を解決する、という考え方は決して根絶されることがなかった。
本には、「エドガー・アランポーのダークロマン主義に代表される超自然的で、死の香り漂う作品が誕生した」(同P192)、「死者との対話を図るスピリチュアリズムもブームとなり~舞台上でも、さらには家庭のリビングでも、降霊会が盛んに行われた」(同P192)、などと書いてある。

私はスマホでWikipediaを検索した。
「ポーの作品のうち最もよく知られているものは「アッシャー家の崩壊」「黒猫」「ライジーア」「赤死病の仮面」「ウィリアム・ウィルソン」などのゴシック小説ないし恐怖小説であり、特に死に対する疑問、病や腐敗、早すぎた埋葬、死からの再生といったテーマが好んで取り上げられ、その創作の大部分はダーク・ロマンティシズムに属するものと考えられている」

ダークロマンティシズム。
死の香り漂う作品ねえ、、、(*'ω'*)
私は、そういうのが苦手である。
よく、恐いもの見たさで~をする、という話を聞くが、正直いうと私は、ディズニーのお化け屋敷(ホーンテッドマンション)も苦手で、同伴の女性に、イッツアスモールワールドのほうにしてもらえませんか、などと言う人なのである。


東京タロット美術館、法王


美術館の案内資料をしまい、手元のカード(法王)を眺めた。
どうなんだろう、、、人生のこれからを、タロットカードが暗示していると思うなんて。

大アルカナ5番目のカード法王(教皇)に対しては、「信頼」「親切」「慈悲深い心」「良いアドバイス」「問題解決能力」などの解釈がなされる。
いや、待てよ、もともとは節制だった。
節制とは、大アルカナ14番目のカードで、「予定通り」「うまくいっている」「調和」「穏やかに進む」「純粋さ」などの意味がある。


東京タロット美術館、節制


最初に節制を引いたのだから、私の人生はまずまずのようだ。
節制なら我慢、である。
穏やかな気持ちで待ち続ける、禁欲的秩序的、道徳的なふるまいをする。
これは私なりのタロットの解釈だが、節制なら受け身や待ちの姿勢が正しい。
自分からは動かない、自分からは行かない、手を広げない、目新しいものに目を向けない。

次に、法王(教皇)を引いた。
私の人生は、節制を続けるうち、いずれ誰かのトラブルを解決することになるようだ。
そのときが来たら、私に求められるのは法王(教皇)のような信頼、親切、慈悲深い心である。
これは私なりのタロットの解釈だが、法王(教皇)なら若い女性から何か重大なことを告白(相談)される。
なぜなら、法王(教皇)とはラテン語で「Papa(パパ)」というからだ。
パパだからお金の相談かな(*'ω'*)!!!
あるいは、法王は法をつかさどる王だから、契約トラブルなどの法律相談も考えられる。
また、教皇は神の代理人であり、罪の告白や苦悩の告白などの懺悔も考えられる。
いずれにせよ、私は私を信用する相手に対し、見返りを求めることなく無条件の慈愛を捧げる。
悩み事や困り事を抱え、行き場のない彼女、しかし彼女は私に告白(相談)することで奇跡的に助かる。
まあ、これはあくまでも私のタロット占いの結果にすぎず、あてにされても困るのだが。


東京タロット美術館、法王


ああ、そうだ。
神の代理人といえば、、、ふと思い出したことがある。
2年前に会った芸術家兼僧侶禿鷹墳上先生、彼のアトリエで数枚の不吉な絵を見たのだが、そのときに教わった言葉である。
「メメントモリ(memento mori)」。
私は早速、写真フォルダからその時の写真を探し出した。
確か、2020年2月28日だ。
新型コロナウィルス感染拡大の初期に会ったきりだが、いま彼はどうしているだろう。

2年前のことなので、メメントモリのことを、すっかり忘れていた。
私は、スマホでWikipediaを検索した。
メメントモリとは「死を忘れることなかれ」という意味で、芸術モチーフのひとつである。
いつ死んでも後悔のないよう今を大切に生きる。
常に死を意識していたいから死に関する作品を描き、そばに置いておくのです、と彼は私に言っていた。

しかし、「この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では「メメント・モリ」は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。」(Wikipediaより

メメントモリに関する芸術作品としては、①墓石(Grave)、②死の舞踏(英語Dance of death、独語Totentanz、仏語La Danse Macabre)、③静物画(Vanitas)、④写真、⑤時計、などがある。
典型例は「墓石(Grave)」と「死の舞踏」である。
クラシック音楽では、フランツリスト、サンサーンスの「死の舞踏」という曲がある。

「死の舞踏は、死の恐怖を前に人々が半狂乱になって踊り続けるという14世紀のフランス詩が(14世紀のスペイン系ユダヤ人の説もある)起源とされており、一連の絵画、壁画、版画の共通のテーマとして死の普遍性があげられる。生前は王族、貴族、などの異なる身分に属しそれぞれの人生を生きていても、ある日訪れる死によって、身分や貧富の差なく、無に統合されてしまう、という死生観である。死の舞踏の絵画では、主に擬人化された「死」が、様々な職業に属する踊る人影の行列を、墓場まで導く風景が描かれている。行列は、教皇、皇帝、君主、子供、作業員で構成され、すべて骸骨の姿で描かれるのが代表的な例である。生前の姿はかろうじて服装、杖等の持ち物、髪型などで判断できるが、これらの要素が含まれず、完全に個人性を取り払われた単なる骸骨の姿をとることもある。また、一部肉が残っている骸骨とともに、その腐敗を促すウジ虫が描かれることもある。一連の「死の舞踏」絵画の背景には、ペスト(黒死病)のもたらした衝撃をあげる説が多い。1347年から1350年にかけてミラノやポーランドといった少数の地域を除くヨーロッパ全土で流行し、当時の3割の人口(地域によっては5割とも言われる)が罹患して命を落とした。ワクチン等の有効な治療策もなく、高熱と下痢を発症し、最期には皮膚が黒く変色し多くの人が命を落としていく様は、いかに人の命がもろく、現世での身分、軍役での勲章などが死の前に無力なものであるかを、当時の人々にまざまざと見せつけることとなった。当時は百年戦争の最中でもあり、戦役・ペストによる死者が後を絶たないため、葬儀や埋葬も追いつかず、いかなる祈祷も人々の心を慰めることはできなかった。やり場のない悲しみや怒りはペスト=ユダヤ人陰謀説に転化され、ユダヤ人虐殺が行われた。教会では生き残って集まった人々に対して「メメント・モリ(死を想え)」の説教が行われ、早かれ遅かれいずれ訪れる死に備えるように説かれた。しかし、死への恐怖と生への執着に取り憑かれた人々は、祈祷の最中、墓地での埋葬中、または広場などで自然発生的に半狂乱になって倒れるまで踊り続け、この集団ヒステリーの様相は「死の舞踏」と呼ばれるようになった。芸術家たちがこの「死の舞踏」を絵画にするまで、およそ一世紀の時が必要であったことは、当時がいかに混乱の只中にあったのかを示しているといえる。」(Wikipediaより


フランツリスト「死の舞踏」、マルタアルゲリッチ(Liszt. Totentanz - Martha Argerich (Live Paris 1986))


死の舞踏、、、新型コロナウィルスとウクライナ戦争、現在の日本や世界には、死の舞踏がふさわしいのではないか。
次に静物画だが、静物画には死を暗示するものが描かれていることが多い。
静物画をヴァニタス画と言うのはそのためで、「vanitas」とは空虚の意味である。
よくある表現手法としては頭蓋骨、骸骨、斧を持った死神、ロウソクが消される瞬間、白いナプキンに血がにじむさまなど。
また、日本人になじみ深いのは、桜の花びらが散る風景であるが、拳銃の発射音の後にバラの花びらが散るルパン三世のワンシーンも??

その他に、写真、時計なども。
この場合の写真とは死を彷彿させるもので、典型的かつ直接的なのは死骸そのものの写真である。
しかし死骸そのものの写真をギャラリーに出すのは難しいため、例えばコラージュするなどして作品化することが考えられる。
時計については、時計の針が止まればそれは死を意味するなど、単純で分かりやすいモチーフである。

「時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。」(Wikipediaより

時計か、、、そういえばいま何時だろう。
もうそろそろ時間かな。
いや、まだか。

東京タロット美術館は、90分の入替制である。
5時15分、トイレを借りてから、少し早めに美術館の部屋を出た。
すると玄関先の狭いスペースに、マスクをした女性が立って待っていた。

次のおひとり様のお客さんか。
ぱっと見、メイドカフェのメイドさんのような、魔女の宅急便の主人公のような、小柄でかわいらしい女性だったが、彼女を見たときに既視感があった。
そういえば浅草橋は秋葉原の隣町である。

彼女と私は狭い場所で目が合った。
目力がすごい、、、かなりの美人だが、意志が強そうだ。
彼女がまっすぐに私を見つめるので、何だろう??と思った。
私は目をそらせず恥ずかしくなり、何か話さないといけないと思った。

「どうかしましたか??」
「いいえ、、、」
「失礼ですが、5時30分の予約の方ですよね。」
「はい、そうです。」
「私ひとりだったから、もう部屋に入れますよ。そこにいると暑いでしょう。」
「いえ、大丈夫です。それに、まだ5時30分ではないですが。」
「入館時刻から90分のカウントにしてもらえますよ。」
「そうなんですか??」
「はい。だから早めでも早く帰れば大丈夫^^」
「なるほど。ありがとうございます。ここ、暑いので助かりました^^」

彼女はうれしそうに、早足で美術館の部屋の中へ。
でも、きつい美人かと思ったら全然違っていた。
まっすぐに私を見る嘘のない視線、私は以前それをどこかで見たような気がした。