2026/02/18

私の終活講座、定員80名の大会議室は、ほぼ満席だが、、、

 




今年1月の私の終活講座。
取手市社会福祉協議会の主催で、2時間ばかり、持ちネタを喋ってきた。

市役所の近くの華屋与兵衛でお昼を食べながら、資料の最終チェック。
講師控室には早めに入った。

担当者が挨拶に来たので少し話すと、定員80名ほどの大会議室は、ほぼ満席になっている、と言われた。。。(・_・;)アセ

市の広報誌に告知を出したら、早々と定員になり、締め切った。
講演当日の午前中も、電話で問い合わせが何件かあったとのこと。

ウーム、、、(*'ω'*)

12月も、守谷市役所で終活講座をしたが、そのときも会場は満席だった。
いま終活が流行っているから、私の終活講座にも人が集まりやすいのだと思う、、、
しかし、次の講演予定は入っていないので、一過性のような気もする。。。

これからも、多くの出番があるといいのだが。

今後とも、お引き立てのほど、よろしくお願い致します。

2026/02/11

野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ

学生時代の私は、ヤクルトファンだった。
巨人に勝てない冬の時代から応援をしていた。

ある年、ヤクルトの監督が、関根監督から野村監督になった。
私は、頭の良い監督が来て、良かったな~、と思った。
ヤクルトの選手たちも、少しは賢くなるだろうと期待した。

数年で、野村ヤクルトは、「ID野球」を駆使し、巨人に勝てるようになった。
巨人に負けるたび巨人ファンの友達にばかにされる肩身の狭い日々も、野村監督のおかげで終わりを告げた。
それ以降、私と友達の立場は逆転した。
しかし、まさか、日本シリーズで、黄金時代の西武に勝てるとは思わなかった。


野村克也メソッド


野村克也「弱者の流儀」


私の書斎には、野村監督の著書が何冊かある。
実は、野村監督は、大作家でもあるのだ。

印税は、どれくらいもらったのだろう、、、
私もあやかりたいのだが(*'ω'*)ムムー

2月11日は祝日で、非常に寒かったので、久しぶりに、家でゆっくり過ごした。
そういえば、野村監督は数年前の冬に死んでしまったなあ、と思いつつ、調べてみると野村監督の命日は、2月11日だった。

おお、今日ではないか!(*'ω'*)

ただ、野村監督は、選手としてあれだけの成績(三冠王など)を残したのに、名監督として世間に認識されているような気がするのだ。
やはり、パリーグの選手だったから、テレビ中継されていなかったのが大きいと思う。
テレビ全盛期の時代に、テレビに出ていなかったのは痛いのだ。
かたや、監督としての野村克也はどうだったかというと、長嶋巨人と戦う様子が、年中、テレビ中継されていた。

私は、野村監督は名監督なのかというと、何かが足りなかったと思う。
当時、確かに野村監督のおかげでヤクルトは大変身したのだが、直前の数年間、選手を育成して土台を作ったのは関根潤三(ヤクルト退団後はフジテレビの野球解説者)だった。
もし関根監督がそのまま在任して、指揮をしていても、ヤクルトはふつうに優勝したんじゃないか、とも思えるのである。

野村監督は、古田などの名選手を数多く育てたが、勝負師のタイプではなかった。
名監督なら勝負師でなくてはなるまい。
野村監督は勝負事の「賭け」をするのがあまり上手ではなく、肝心なところでは裏目に出ることもよくあった。
まあ、当時の私はそれくらい熱心にヤクルトの試合を見ていたということではあるのだが、その理由を私なりに分析するとこうである。

・野球の知識と理論を知りすぎているため、ここぞという時に考えすぎる、迷ってしまう
・こうあるべきという理想があり、理想の野球を追い求めて間違ってしまう
・(本人的には)理論的に正しいことをしているので、采配の誤りを直すまで時間がかかる

過ぎたれば及ばざるがごとしではないが、頭が良すぎる、理想が高すぎるのが野村監督の欠点だったと思う。

野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ。

そういえば、野村監督は退任後、長い間、テレビで野球評論家(解説者)をしていた。
その解説はおもしろいようにズバズバ当たり、野球の神様かと思うほど。
しかし、野球を知り尽くしている野村監督は、解説がズバズバ当たっても、ひとたびグラウンドに降り立ち、ベンチで指示をするとまったく思うようにはいかなくなる。
何やらこれが勝負事の複雑さであり、実社会や現場の難しさなのだと私は思うのである。


ヤクルトスワローズ神宮球場


ヤクルトスワローズチアガール


ヤクルトスワローズ選手


ヤクルトスワローズ神宮球場


神宮球場の東京音頭

2026/02/08

午前中は、水戸平成学園高校に招かれて、1時間ほど、公民の授業(法教育講座)で喋ってきた








ある日の水戸。

午前中は、水戸平成学園高校に招かれて、1時間ほど、公民の授業(法教育講座)で喋ってきた。

ランチは、水戸エクセル4階のラーメンTETSUで、濃厚でボリュームのあるつけ麺を選んだ(*'ω'*)オオ!!

銀行で用事を済ませた後は、水戸駅に戻り、3階のSAZAコーヒーで、季節のコーヒーを飲んだ♪

帰りの特急ひたちでは、食べすぎたので、まろやかなコーン茶にしておいた(・。・)ホッ

2026/02/03

常磐線の断線事故。喫茶店で原稿整理

現在の私は、原稿を複数本抱えており、書き進めなくてはならない。
しかし、困ったことに、ここ数日、原稿の仕事は停滞しているのだった。

以前もブログで説明をしたが、自分が最初に書いた原稿を初稿という。
担当の編集者は、初稿を受け取り、内容を確認する。
原稿に問題がなければ、デザイナーにそのデータを送るのだと思うが、しばらくすると、そこからゲラ刷りが出てくる。
要するに、試し刷りのことだが、今度はそれが、デザイナー~編集者~著者と戻ってくる。
著者は、ゲラの内容を確認し、修正を指示して、編集者に戻す。
このプロセスはふつう、2回以上やると思うが、最初に受け取ったのを初校ゲラ、次に受け取ったのを再校ゲラという。

著者は、初稿の段階で完成原稿を納品したつもりでいる。
しかし、イマイチな箇所は編集者も著者も直したくなるものだし、間違いに気付くこともある。
そのため、時間をおき、このような修正の工程を、何度か繰り返すメリットがあるのである。

ちなみに、最近の私は、電車内(特急か普通グリーン車)で校閲をすることが多い。




1月30日金曜日。
常磐線が上野駅の断線事故で、まったく、動かなくなってしまった。

朝方、私は、柏駅でずいぶん待たされた。
その間、電話でリスケジュールなどをしていたが、駅の喫茶店はどこも満席だったので、座れる場所がなかった。

10時、柏高島屋が開店。
私は早速、ステーションモール6階のスターバックスに入った。
ここで、フラペチーノを飲みながら、ランチタイムくらいまでは粘って、手持ちの原稿のチェックをするつもりだった。

ところが、最近のスターバックスは、60分ルールができたようなのである(?)。
席取り用のプラスチックの置き物を見ると、新しく貼り紙がしてあり、60分を目安に~などと小さな文字で書いてあった。




私は、ダークモカチップフラペチーノを注文し、はじっこのテーブル席に座った。
しばらく原稿を見たが、フラペチーノを飲み終えたときには、すでに1時間10分ほど経過していた。
すると、女性店員がやけにタイミングよく現れ(?)、隣の空きテーブルをふきんで磨き始めたのだ。

ウーム、もう少しやりたかったが、、、
ちょっと、難しそうなフンイキだ(*'ω'*)

私は、彼女が立ち去った後、書類を片付けると、店を出た。
高島屋を出て、改札口の前に戻った。
人がまばらになってはいたが、まだ電車は動いておらず、「復旧のめどはたっていません」という場内アナウンスが聞こえた。

私は、東口のビックカメラで電化製品を見て回った。
その後、駅近くの公民館のフリースペースをのぞいた。
しかし、いまは期日前投票の準備中で、フリースペースは閉め切られていた。

ウ~ン、電車が動くまで、別の場所を探すか、、、(*'ω'*)




結局、昼過ぎ、高島屋に戻り、別の喫茶店に入った。
私は、女性店員に、サンドイッチとアールグレイのホットを頼んだ。
この店は、落ち着いていて、私は、じっくり原稿のチェックをすることができた。
電車は、午後3時頃に動き始め、夕方には帰宅できた。
結果的には、問題なくリスケジュールができ、停滞をしていた原稿の仕事もはかどったので、かえって良かったのだが、私は、この店で原稿を読みながら、あることをふと思い出した。

この店に入ったのは、2024年8月以来だ。
確か、そのときも、ここで私は、原稿のチェックをしていた気がするのだ。
そこで、ブログをさかのぼって見ると、やはり、そうだった。

以下、2024/09/13「ビミョウな関係」より。

主に、原稿のことを考えた。
テーマは、原稿の執筆の停滞と進展についてである。

物事には停滞が付き物だ。
長い停滞期があり、それを経て、状態が良くなったり、悪くなったりする。
だから、停滞中に何をするのかが重要。
上手に停滞させれば、停滞中、別の部分で進展が見られる。
それが全体に波及し、全体が良くなる。

まず、停滞中も、完全に離れてしまわないことが大事だ。
今回の原稿は締切があるから、私は常に締切を気にして、書斎にあるパソコンで原稿を書きたい気持ちが維持されて、想いが続いたのだ。
ただ、気持ちはあるのに、実際、体調が悪く、身体が動かなかった。
それを、もどかしいと思ったりせず、受け入れて静かに過ごせたのが、良かったのだと思う。

個人的に思うのは、物理的に離れてしまうと、やはり、関係は疎遠になってしまうということである。
しかし例えば、何かの機会にチョット顔を出すとか、連絡をしておくとか、プレッシャーを与えておくとか、些細なことでいいのだが、何らかのカタチや方法で、物理的に繋がりを維持しておくと、物事は終わらないし、ビミョウな関係が続く。
ビミョウな関係とは煮え切らない、ある種のストレスなのだけれども、新しいところには行きにくくなる、長い目で見ると、ふらりと元の場所に戻ってきてしまう可能性が高まる。
つまり、これは相手を見えない鎖で繋いでおくということなのである。
例えるなら、別れた男女のその後の肉体関係の継続や、以前の顧客への近況報告をかねたメールなどもそうである。
ビミョウな関係というのは、ビジネスでもプライベートでも非常に意味のあることではないだろうか。
だから、もし自分がその関係を終わらせたくないと望むなら、希薄でも、このようなビミョウな関係を維持しておくのがよい。

次に、停滞と進展、、、それはちょうど晴れの日と雨の日が交替でやって来るようなもので、ひとつのサイクルや周期になっている。
停滞期を脱したら、少しずつ動き出さなければならない。
大事なことはまず、精神的に「やりたい」「やらなきゃ」と強く思うことだ。
そして実際、その想いを行動に移す。
私の場合は、パソコンに向かって原稿を書くということだったが、これは、物理的に向き合い、肉体的に接着することが進展の決め手になることを意味するのだと思う。




翌日は雨。
朝起きると、きのうの日本酒の酔いがまだ残っていた。
雨のなか、買い物に行き、喫茶店に入った。

晴耕雨読というが、改めて考えると、なかなか奥深い言葉だ。
雨の日は、本を読み、静かに過ごす。
外の畑は耕せないから停滞といえばそのとおりだ。
しかし、その間、本を読んで知を蓄え、準備をすれば、停滞ではない。

私も、晴れの日の到来を待って静かに本を読むことにした。
森茉莉「甘い蜜の部屋」。