学生時代の私は、ヤクルトファンだった。
巨人に勝てない冬の時代から応援をしていた。
ある年、ヤクルトの監督が、関根監督から野村監督になった。
私は、頭の良い監督が来て、良かったな~、と思った。
ヤクルトの選手たちも、少しは賢くなるだろうと期待した。
数年で、野村ヤクルトは、「ID野球」を駆使し、巨人に勝てるようになった。
巨人に負けるたび巨人ファンの友達にばかにされる肩身の狭い日々も、野村監督のおかげで終わりを告げた。
それ以降、私と友達の立場は逆転した。
しかし、まさか、日本シリーズで、黄金時代の西武に勝てるとは思わなかった。
私の書斎には、野村監督の著書が何冊かある。
実は、野村監督は、大作家でもあるのだ。
印税は、どれくらいもらったのだろう、、、
私もあやかりたいのだが(*'ω'*)ムムー
2月11日は祝日で、非常に寒かったので、久しぶりに、家でゆっくり過ごした。
そういえば、野村監督は数年前の冬に死んでしまったなあ、と思いつつ、調べてみると野村監督の命日は、2月11日だった。
おお、今日ではないか!(*'ω'*)
ただ、野村監督は、選手としてあれだけの成績(三冠王など)を残したのに、名監督として世間に認識されているような気がするのだ。
やはり、パリーグの選手だったから、テレビ中継されていなかったのが大きいと思う。
テレビ全盛期の時代に、テレビに出ていなかったのは痛いのだ。
かたや、監督としての野村克也はどうだったかというと、長嶋巨人と戦う様子が、年中、テレビ中継されていた。
私は、野村監督は名監督なのかというと、何かが足りなかったと思う。
当時、確かに野村監督のおかげでヤクルトは大変身したのだが、直前の数年間、選手を育成して土台を作ったのは関根潤三(ヤクルト退団後はフジテレビの野球解説者)だった。
もし関根監督がそのまま在任して、指揮をしていても、ヤクルトはふつうに優勝したんじゃないか、とも思えるのである。
野村監督は、古田などの名選手を数多く育てたが、勝負師のタイプではなかった。
名監督なら勝負師でなくてはなるまい。
野村監督は勝負事の「賭け」をするのがあまり上手ではなく、肝心なところでは裏目に出ることもよくあった。
まあ、当時の私はそれくらい熱心にヤクルトの試合を見ていたということではあるのだが、その理由を私なりに分析するとこうである。
・野球の知識と理論を知りすぎているため、ここぞという時に考えすぎる、迷ってしまう
・こうあるべきという理想があり、理想の野球を追い求めて間違ってしまう
・(本人的には)理論的に正しいことをしているので、采配の誤りを直すまで時間がかかる
過ぎたれば及ばざるがごとしではないが、頭が良すぎる、理想が高すぎるのが野村監督の欠点だったと思う。
野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ。
そういえば、野村監督は退任後、長い間、テレビで野球評論家(解説者)をしていた。
その解説はおもしろいようにズバズバ当たり、野球の神様かと思うほど。
しかし、野球を知り尽くしている野村監督は、解説がズバズバ当たっても、ひとたびグラウンドに降り立ち、ベンチで指示をするとまったく思うようにはいかなくなる。
何やらこれが勝負事の複雑さであり、実社会や現場の難しさなのだと私は思うのである。






