2020/11/03

目白アトリエ散歩

目白駅の改札を出て右へ行くと目白台、左へ行くと目白、下落合である。
目白台の方には、講談社の創業家野間家の日本画の美術館(野間記念館)、細川家の永青文庫があり、主に和物の美術館である。
これに対して、目白、下落合の方には、中村彜アトリエ記念館(なかむらつねと読む)、佐伯祐三アトリエ記念館があり、こちらは洋画の美術館であるが非常に小さい。
住宅地の中に小さなアトリエの建築物があり、保存目的で無料公開されているのである。
空き家にしてしまうと不動産はすぐ傷むので、職員が常駐したり、来館者が出入りしたりする方が保存には良いのだろう。

中村彜、佐伯祐三はともに明治大正期の洋画家である。
中村も佐伯も病気がちで早死した。
なので、それほど目立たない洋画家ではある。
しかし、国立近代美術館の常設展に何点か代表作が展示されており、それが非常に印象的な絵なので、知る人も多いかもしれない。
こないだ、私は都内で用事を済ませた帰りに目白に行った。
駅をおりると3時近くで、駅から近い方の中村彜アトリエ記念館から先に見たのだが、後から行った佐伯祐三アトリエ記念館は残念ながら閉館時間を過ぎていた。

目白駅の改札を出て左へ歩く。
目白通りの商店街を通り、目白病院の少し手前で左折する。
路地を歩いて5分ほどで、住宅地の中に中村彜アトリエ記念館の正門が見える。


中村彜アトリエ記念館


中村彜アトリエ記念館の庭


おしゃれな洋館と芝生の庭。
私は早速、庭から洋館のテラスに上がり、窓越しにアトリエをのぞいた。
小ぎれいで、木造校舎の美術室のようなアトリエには、どこかの美術館で見たことのある肖像画が飾られていたが、私は作品名を思い出せなかった。
受付を済ませ、入口の方から靴を脱ぎ、洋館に上がった。


中村彜アトリエ記念館の「盲目のエロシェンコ」


中村彜アトリエ記念館の「エロシェンコ氏の像」


先ほど気になった肖像画は「エロシェンコ氏の像」であった。
オリジナルを国立近代美術館で見たことがある。
しかし、もう1枚、似たようなエロシェンコの肖像画があった。
こちらは中村彜の作品ではなく、鶴田吾郎の「盲目のエロシェンコ」という作品だった。
だが、そもそも盲目のエロシェンコさんとはどこの誰なのだろうか。


中村彜アトリエ記念館の「目白の冬」


中村彜アトリエ記念館の「カルピスの包み紙のある静物」


中村彜アトリエ記念館のアトリエ


ほかにも、「自画像」「目白の冬」「カルピスの包み紙のある静物」といった中村の代表作の複製画が展示されていた。
ただ、どの絵からも何となく陰鬱なオーラが漂ってくるのだった。
病気がちで早死した中村のオーラだろう。
いや、これって複製画なんだよな。
複製画に陰鬱なオーラが込められているとは、すごい画家だね。
キャプションを読むと、虚弱体質を改めるため、当時の中村はカルピスを愛飲していたという。
とすると、当時、カルピスは今で言う青汁のような健康食品として売られていたのかな。
さらに解説を読むと、当時は甘いものがほとんどなかったので、カルピスは貴重な栄養食とみなされていたようだ。

その後、アトリエを見終えた私は奥の廊下の方へ行った。
廊下の途中、牢獄のような畳の小部屋があった。
女中の部屋である。
その目と鼻の先に玄関があり、引き戸があった。
なるほど、そうか、私が入ってきたアトリエの入口は実は勝手口なのだ。
こちらが正面玄関なのだ。
しかし、正面玄関は出入り禁止になっている。
当時は、この部屋に女中が常駐し、来客の選別をしていたという。
訪問者がウィルスなどを持ち込み、病弱の中村に感染させないようにするためである。
そのおかげもあってか、中村は病弱のわりに長生きをした。
といっても、37才までであるが。

さて、アトリエを出る時、机にアンケート用紙が置いてあった。
このアンケートに答えると、帰りに受付の男性職員から記念のバッジをもらえるのだ。
無料で入れて記念品までもらえるとは、どうして経営が成り立つのか不思議ではあるが、まあ、このアトリエは良かったのでまた来たいと思った。
次は、もう少し早めに来て、佐伯祐三アトリエ記念館にも行ってみたい。