2020/05/04

巨匠ビリーワイルダーとフェデリコフェリーニ

ビリーワイルダーはロマンティックコメディーの巨匠である。
オードリーヘップバーンの「サブリナ」、シャーリーマクレーンの「アパートの鍵貸します」、マリリンモンローの「お熱いのがお好き」などの名画を監督した。
しかし、異色の作品として、「サンセット大通り」という人間の本質を描いたシリアス映画も撮っている。
「サンセット大通り」は、豪邸の老いた大女優の孤独を描いた名作である。
テーマは女性の外見という普遍的な話だが、現代的に引き直して言うと、美容整形が今ほど進歩していなかった時代の芸能人の苦悩のようなものが描かれている。

このように、ワイルダーはシリアスな映画を作る才能もあったが、ワイルダーがコメディー映画の巨匠となれたのは、この才能のおかげだと思う。
素晴らしいコメディーには、「サンセット大通り」のようなシリアス映画の持つ毒の要素、人情の要素が含まれているものだ。
このあたりのニュアンスは、日本でいえば落語に近い。
ワイルダーのコメディー映画は、どことなく落語と似ており、毒と人情味がある。
ワイルダーの師匠は、同じユダヤ人の映画監督エルンストルヴィッチである。
巨匠ワイルダーの師匠ということで、以前気になってその作品を見たことがあるが、こちらも人情コメディーであった(「桃色の店」などがある)。

さて、ワイルダーの映画が生粋の娯楽作品だとすると、その対極にあるのは芸術的映画である。
私の書斎の本棚に、芸術的映画の巨匠フェデリコフェリーニに関する本が数冊ある。
「フェリーニ、私が映画だ」「フェリーニ、映画を語る」。
緊急事態宣言のさなか、週末の夜は書斎の本を再読している。


フェリーニ映画を語る


フェリーニ私は映画だ


昔、フェリーニの名画はツタヤのレンタルビデオでひととおり見たことがある(つまり、かなり昔のことである)。
「甘い生活」「8と2分の1」などの芸術性と掴みどころのなさに、見た後考え込んでしまったが、部分的にはよく分かり、見どころがあちこちにあって、そのセリフとカットが「フェリーニこそが映画の中の映画だ」というほど良かった。
しかし、分かった気になって繋いで見ると全体像がよく分からなかった。
私には、フェリーニは難解、ということになったのだった。

ただ、フェリーニの代表作は「道」だと思う。
これは誰でも分かるコテコテの感動的名画である。
人間の本質を描いたシリアスすぎる作品で、気難しい旅芸人の男と連れ合いの女(ジュリエッタマシーナ)の悲劇である。




「道」は傑作であり、どう考えても後期フェリーニの芸術的な作品よりも良い。
もしかするとフェリーニは、初期に「道」を作ってしまったので、自分の道を見失ったのかもしれない、とも思えるほどだ。
芸術家であるならば、勝ちパターンを繰り返して作品を作り続けるべきではない。
「道」を作った後のフェリーニは、新しい方向へ突き進んでいかざるを得なかったのかもしれないということだ。

フェリーニの後期の芸術的映画はインテリ向けで、私のような者にはなじまない。
しかし、ワイルダーが「サンセット大通り」を作り、自らのキャリアに異色の作品を刻んだのと同様に、フェリーニもまた「道」を作った。
私には、どちらも名監督が作りたかった理想の作品のようにも見える。