東銀座の東劇では、METライブビューイングオペラが上映中だ。
これは、ニューヨークのメトロポリタン(MET)歌劇場の上質オペラを撮影し、その映像版を日本の映画館で安価に堪能できる、というものである。
この日の上映作品は、リヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」。
「サロメ」というのは、絶世の美女サロメが、好きな男を殺して、生首を取る、という有名な物語で、オペラの中では悪趣味で、毒のある作品だ。
午前中、私は、「サロメ」を見るつもりで、家を出た。
が、途中、大事な用事ができて、方針を転換し、銀座には行かず、秋葉原で、午後のひとときを過ごした。
まあ、「サロメ」はおととし1度見ていることから、見なくてもよいだろう(リンク)。

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日中のひととき、私は、神田明神へ。
ちょうど去年の今頃を思い出し、神田明神の男坂の急階段をのぼると、途中に、例のKAIKAビルがある。
上りきると男坂門があり、門を入ると、本殿の右手へ。
本殿は、いつもとは違って、参拝客が少なく、意外だった。
その後、私は、秋葉原から浅草橋へ移動し、約1年ぶりに、東京タロット美術館に行った。
これまでブログに何度も出てきたので、東京タロット美術館をご存知の読者も多いだろう。
柳橋のきれいな雑居ビルにあり、エレベーターで7階にあがると、まるで他人さまの家の玄関のような場所に行き着く。
ドアをあけて、中に入ると、玄関の下駄箱に、靴がたくさん入っていた。
スタッフに聞くと、いま、タロット占いのワークショップをしているところだという。
玄関脇に小部屋があり、そこから楽しそうに話す人たちの声が聞こえた。
私は、レジのある受付へ。
会計を済ませると、スタッフから、カードを1枚引くよう促される。
箱の中に、伏せられたタロットカードが並んでおり、私は、そこから1枚、選んだ。
その後、私は、館内のテーブル席に座り、カードを裏返した。

今回、引いたタロットは、戦車(The Chariot)。
受付でもらったパンフレットを読むと、スピーディー、前進、ハッキリとした結果が出る、勝負に勝つ、とあった。
ああ、思い出した。
前回の訪問は、2024年8月だが、そのときも戦車(The Chariot)を引いた(リンク)。
これは、どちらかというと、良い内容のカードだろう。
スタッフの女性が、お茶を持ってきた。
東京タロット美術館名物(?)の野草茶だ。
私は、野草茶を飲みながら、思案した。
いまの私は、その場所にじっと留まり、原稿を書き進めなくてはならないので、果たして前進が適切なのかということ。
私は、スマホで原稿の執筆を始めた。
実は、書斎だと筆が進まず、このアーティスティックな空間で、インスピレーションが降りて来てほしいと思っていた。
が、いつまでたっても、特にインスピレーションは来ず・・・私は、立ち上がり、館内の本棚から、タロットに関する書籍を数冊取ってきた。
特に気になったのは、アンドレ・ブルトンの「魔術的芸術」というオカルト本である。
20世紀最大の幻の書物などと、センセーショナルな帯が付いていて、ひときわ目を引いた。

私は、本書をざっと読み、230ページに着目した。
ギュスターヴ・モローの名画「オルフェウス」(1865年)が掲載されており、私は絵を見て、「サロメ」の絵と似ている!と思い、ページをめくる手を止めた。
以下、「魔術的芸術」の230ページより。
「芸術作品は魔術そのものを起源としている~中略~たとえ純粋に「写実的」であろうと望んだとしても、 芸術作品がその資源の重要部分を魔術に負うているという事実は動かしがたい~中略~芸術作品について、それはかつて世界の創造を司ったものとおなじ性質のダイナミズムが物質の局面の上に客体化されたものだとするような発想が~中略~「肖像画が生きている人の顔に劣るのと同様、宇宙は生きているアエオン(ここでは永遠なるものの意)に劣っている。とすれば、画像を描く動機はいったい何なのか?」と、アレクサンドリアのヴァレンティヌスは問うている。「それは顔の尊厳である。顔がその“名”を通して名誉を得るようにと、モデルが画家にその顔を提供したのである。というのは、 形態がそれ自体として見いだされたわけで~」
東京タロット美術館を出たのは4時前。
私は、歩きながら、ギュスターヴ・モローの名画「オルフェウス」(1865年)のことを考えた。
この絵の本物は、どこにあるのだろう(*'ω'*)
スマホで検索すると、日本にはなかったが、ギュスターヴ・モローの絵が、何作か、国立西洋美術館にあるという。
帰り道に上野の国立西洋美術館に寄ってみるか。
以下、「牢獄のサロメ」の解説文より。
「~本作品の主題は「洗礼者聖ヨハネの斬首」です。ヨハネは、ユダヤの王ヘロデが兄弟の妻ヘロデアを娶ったことを非難して捕えられます。さらにヘロデアが連れ子サロメの舞の褒美に彼の首を所望したため、斬首されました。世紀末芸術では、サロメはしばしば男を滅ぼすファム・ファタルとして描かれますが、本作では、 ヨハネに対するサロメの微妙な心理面がクローズアップされています」
なお、ファム・ファタルについては、以下、「Wikipedia」に解説がある。
「ファム・ファタール(仏: femme fatale、あるいはファム・ファタル)は、男にとっての「運命の女」(運命的な恋愛の相手、もしくは赤い糸で結ばれた相手)というのが元々の意味であるが、同時に「男を破滅させる魔性の女」のことを指す場合が多い」
「代表的なファム・ファタールとしては、サロメや妲己、褒姒などが挙げられる。単なる「運命の相手」であったり、単なる「悪女」であるだけではファム・ファタールと呼ばれることはなく、それらを満たしながら「男を破滅させる魔性性」のある女性を指す」
「多くの場合、彼女たちに男性を破滅させようとする意図などはなく、複数人との恋愛をしたりお金を際限なく使ったりする自由奔放な生き方により、男性が振り回されることになる。多くの場合、妖艶かつ魅惑的な容姿や性格をしており、色仕掛けや性行為などを駆使して、男を意のままに操る手腕に長けている」
「『新約聖書』「福音書」などに伝わるサロメは、イエスに洗礼を授けた洗礼者ヨハネの首を求めたとするパロディーにより作為的に作られた代表的な悪女である。古来キリスト教世界から名が知られ、19世紀末から20世紀初め頃の世紀末芸術において好んで取り上げられたモチーフである。」