2025/07/19

うちの近所に不審者あらわる







ある日の日本橋高島屋、つばめグリル。

「ハンバーグは、やっぱり、おいしいわ~♪」
「ハンバーグは、ママ殿の大好物ですからね。そういえば、先日うちに来た不審者のことを教えてください」
「不審者・・・ああ、その話ね。6月の、あなたが理事会で不在の日でした。午後1時30分頃、玄関をあけると、30才前後の怪しい男性が、リュックサックを背負って、立っていました。名札をぶら下げていたけど、字が小さくて見えなかったわ」
「名札・・・その男、どこかの営業マンですよね?」
「そう、最初は、ガスの乗り換えの勧誘でした。でも、途中から、家のことをいろいろ聞き出そうとするのよ。しつこくて、気持ち悪かったわ。ぴしゃりと言ったら、すみませんといって帰ったけど」
「もしかしたら、リサーチ会社の業務委託かもしれないな」
「調査員とか? たぶん、違うと思うけど」
「あるいは、家のことをいろいろ聞いてきたのであれば、悪徳リフォーム工事会社の訪問営業かもしれません」
「リフォーム詐欺ね! それは、あり得るわ」
「どうして?」
「彼は、その後、お隣さんの家の敷地も、堂々と、のぞき込んでいましたよ。うちがダメだから、次は、他の家を狙ったんじゃない? 明らかな不審者なので、警察に電話しようかと思ったくらいです」




問題の男は、その翌日から3日連続、うちの近所で目撃された。
ご近所の家に確認すると、うちにもガスの乗り換えの勧誘が来た、といっていた。
私は、市役所にいくとき、近くの路地で偶然、それらしき男を見かけたことがある。
スマホで誰かと連絡を取り合いながら歩いており、仕事中のように見えた。
私は、彼をそこまで怪しい人物とは思わなかったが、今のご時世、不審者には注意が必要だ。

「ママ殿、防犯対策のグッドアイディアが思い浮かびました(*'ω'*)!!」
「どんな?」
「犬を飼うのです(*'ω'*)」」」
「い、いぬ!?」
「そうです。ママ殿は、料理好きで、犬好きです。どうでしょう?」
「そうね、しばらく考えておきます。あなたは気が向いたときだけかわいがるから、毎日の散歩と世話をするのは私です。その負担を考えると、すぐ決められません」
「な、なるほど、、、料理好きで、犬好きでも・・・毎日は大変ですよね」
「そうです。1年365日」
「ウーン、料理好きで、犬好きか・・・そういえば、最近、姪っ子の犬、うちに来ないなあ(*'ω'*)」


2025/07/17

校了と責了の違い



塾を経営する友人でカリスマ講師のK氏から、塾をリニューアルしたという連絡をもらった。
そういえば、K氏とは1年以上会っていないなあ、と思い、6月のある日、私は、業界カリスマ(?)の新しい塾を見に行くことにした。
地図を調べると、常磐線の亀有駅から、京成バスに乗るのが近道だった。

京成は、ジミな印象の鉄道会社ではあるが、鉄道株の中では、かなりの上物だと思う。
なぜなら、観光立国の内需銘柄として、鉄板で儲かるからだ。
つまり、京成は、羽田空港、成田空港、ディズニーランドという、都内の3つの重要拠点を路線的に支配しているのだ。
とにかく、この3つを経営資源として最大限に活用し、路線展開をして、儲けている。

ちなみに、ディズニーの運営会社のオリエンタルランドは、京成電鉄の系列会社であるが、実は、私の住む茨城県の関東鉄道も、京成電鉄の系列会社である。





12時13分発の京成バスは、環七をひた走り、30~40分ほどで、江戸川区の一之江駅に到着。
バスをおり、昼下がりの暑い中、私は、地図を見ながら10分ほど歩いた。

おお、K氏の塾があった!
「セルモ」という個別学習塾だ。
私は、業界人ではないので、よく知らないが、K氏によれば、わりと有名なフランチャイズで、経営者にもおすすめだそうある(もちろん子供にも)。

セルモねえ、、、(*'ω'*)
私は、「テルモ」なら知っているのだが。

さて、個別学習塾とは、どういうものなのか。

家庭教師とは違い、平たく言えば、少人数指導だ。
K氏は仕事の準備中で、私は、お茶を飲みながら、人のいない教室で1時間ほど話した。
途中、生徒がひとり来て、K氏はマンツーマンレッスンを始めた。
しかし、夕方と夜は、もっと人数が来て、教室は満席になるという。
いずれも、K氏が全員のめんどうを見る。

要するに、個別学習塾は、英会話教室のNOVAみたいなものだ。
たまたま生徒が1人のときはマンツーマンレッスンになるが、生徒は3人まで(あるいは??人まで)と決まっている。




一之江の帰りは、地下鉄に乗り、築地~銀座に寄り道。
ママ殿が台所で湯呑みを割ってしまい、良いものがあれば買ってきてほしいといわれていた。
私は、築地の店で、良いものを見つけたので、買った。
その後は、喫茶店で休憩し、スマホで原稿を書き進めた。

執筆は、長いものだと腰を据えて取り組む必要がある。
しかし、短いものだと、移動の電車内や、喫茶店での休憩中など、コマ切れの時間を使って書くので、意外と完成まで日数を要する。

今回は、雑誌の原稿が立て続けに2本来ていて、いずれも、書き始めたのは6月から。
数日前、ようやく、1本目の雑誌原稿を仕上げたばかりだった。
そのさい、編集者とのやりとりで、気になる言葉があったので、本記事の最後に取り上げたい。

校了と責了という言葉である。
不思議なことに、私の原稿は、あるとき「校了」だが、あるとき「責了」なのだ。
いずれの場合も、私は「脱稿」となるが、いったい、校了と責了の違いとは、何だろう?(*'ω'*)




まず、校了とは、校正が完了することだ。
校正とは、誤字脱字の修正など、本の形式面のチェックをして、修正すること。
例えば、編集者が「先生、校了です」といった場合は、(原稿作りではなく)本作りにおいて、編集部の仕事が終わったのだ。
もう修正はない、印刷所で印刷できるようになった・・・ああ、良かった、自分はやっと家に帰れる、という意味合い。

これに対し、校了と似た言葉に校閲がある。
校閲とは、原稿の内容をチェックすることだ。
要するに、誰かが赤ペン先生をするわけだが、赤字を入れるのは、原則として著者である。
編集部は、著者校閲を受け取り、その内容を反映させるのが仕事となる。
特に、本の体裁が整った後の最終段階のゲラに、著者からの修正指示を反映させると、めでたく、校了となる。

では、責了とは何か。

責了とは、最終のゲラの校正が終わる直前の段階のことである。
まだ何ヶ所か修正があるものの、修正をすれば校了となるから、本の完成の一歩手前だ。

一体どういうことなのか?





数日前まで、私は、喫茶店などで、雑誌原稿の最終ゲラを何度も見直していた。

その後、修正なしなら、編集部は直ちに校了となる。
しかし、私が、新たに修正指示を出し、かつ、これ以上修正なし、と返事をすると、編集は校了とはならず、ひとまず、責了となるのである。
つまり、責了ならば、最後の最後の修正を編集者がして、めでたく、校了となるのである。

さて、今回、私の書いた雑誌記事の原稿は、どっちだったか?

7月14日(月)AM、「責了」だった。






以下、8月1日追記。

私の書いた記事が、ファイナンシャルプランナー向けの専門誌「月刊KINZAI  Financial  Plan  2025年8月号」(一般社団法人金融財政事情研究会)に掲載された。
記事の内容は、ケーススタディ「遺言書の作成・保存および遺留分に関する注意点」である。

みなさま、どうぞ、よろしくお願いいたします。

2025/07/11

水戸エクセルのSAZA COFFEEから、山奥の知らない駅へ?







今週は、連日、水戸で用事があった。

水戸駅には、複数の喫茶店があるが、南口のサザコーヒー(SAZA COFFEE)が、私のお気に入りである。
この日は、受付で、季節のコーヒーを注文し、カウンター席に座った。
季節のコーヒーは、酸味が強く、フレッシュな味わいで、確かに夏向きだと思った。

帰りは夜になった。

水戸駅始発の上り列車は、学生や通勤客で、かなり混雑する。
私は、グリーン車に乗ることにしたが、グリーン車は逆に、客が数人しかおらず、何やら不気味な雰囲気だった。

このまま寝てしまうと、グリーン車だけが、山奥の知らない駅に到着する。
私は、後日、行方不明者になっているかもしれない。

黒糖干し梅を舐めながら、そんなことを考えた。

2025/07/06

あんみつ先生、終活スナック「めめんともり」の1日マスターをする!




私は、今年度から茨城司法書士会の理事となったが、法教育推進委員会の委員でもある。
委員会の日程は、理事会とは別で組まれており、私は、不定期で、その会議に出るため、水戸まで出向く必要がある。

この日は、午後に、法教育推進委員会の初会合があった。
当委員会は、県内の学校などに出前授業(派遣講師)をする先生の所属する委員会である。
初会合では、今年度の方針の確認、委員の顔合わせのほか、委員長選任という重要な手続もあり、出席は事実上必須だ。

私は、午前中に家を出て、途中、土浦で寄り道をし、昼過ぎに水戸に着いた。
ただ、予定よりだいぶ早く着いたため、午後の暑いさなか、中心地の施設を歩き、時間を潰した。

水戸芸術館、水戸市民会館、水戸京成百貨店。




シンボルタワーが有名な水戸芸術館は、コンサートホールと美術館がある。
しかし、この日は、展示会が開催されておらず、見るべきものがなかった。
私は、自販機で、ペットボトルのお茶を買い、芸術館の表の広場を歩いた。

その後、水戸市民会館を見て、向かいの水戸京成百貨店へ。
地下におりて、いくつか買い物をした。
そして、帰りに、1階の入口付近で、私は、アントニオ猪木の大きな人形に出くわした。






復活「アントニオ猪木酒場」、レジェンドレスラートークショー。
ゲストは、蝶野正洋、藤原喜明、前田日明、藤波辰巳。
テレビやスポーツ新聞でおなじみの錚々たるメンバーだ。

ただ、レジェンドのプロレスラーといえど、不死身ではない。
イベントの案内を見ると、年齢的にも、外見的にも、そろそろ終活の時期が到来しつつあるようだ(おっと、失礼、、、)。
もっとも、人生の最期まで、終活をせずに頑張るのも、選択肢として、もちろんアリだ。
これだけ超高齢化社会となると、世の中的には、なかなかそうもいってられないが、レジェンドのプロレスラーは例外、レジェンドは、最期までギブアップしない、ということだ。

さて、時間が来たので、私は、茨城司法書士会本部へ。
法教育推進委員会の会合は、夕方に終わった。
会議の終了後、私は、急いでバスに乗った。

水戸駅から、特急ひたちで、東京へ。
これから、終活スナック「めめんともり」の1日マスターをするためである!(*'ω'*)




水戸駅~特急ひたち~上野駅~地下鉄を乗り継ぎ、17時55分に森下駅到着。
インスタグラムのアカウントで確認すると、終活スナック「めめんともり」は、A3出口から徒歩1分だという。

開店の6時に、ギリギリ間に合うか!?

実際は、森下駅構内が広くて、やや戸惑ったが、何とか、18時ちょうどに、店の前に辿り着いた。

ああ、間に合って、良かった。。。(*'ω'*)ホッ




店のドア(写真右側)を開けると、急階段があり、2階に続いている。
上から、電話で話す女性の声が聞こえた。
終活スナックのママ村田ますみさんから事前に聞いていたが、たぶん、彼女はスタッフのYOMIさんだろう(*'ω'*)

私は、重い荷物を持って、狭い階段を上がった。

2階のフロアは、屋根裏部屋のような狭い空間だが、宝石箱の内部のようであった。
終活の既成概念を打破する、おしゃれでロマンティックな空間で、私は驚いた。
その後、YOMIさんと少し話してから、店内を見て回った。




奥の部屋には、VIP用のスペース(?)がある。
テーブルには、「めめんともり」のパンフレット、「月刊終活(鎌倉新書)」の最新号、出入りするママや関係者の名刺など。
展示スペースには、棺桶のおもちゃなどが飾られていた。

あちらのピンク色の部屋は、何があるのだろう?
大きな棺桶が置いてある・・・例の入棺体験のできるやつだ。
YOMIさんに聞くと、うちは「入館料」は取らないが、「入棺料」は1100円、取るそうである。










その後、私は、仕事内容を確認し、人生初のマスターの仕事に就いた。
ただし、たった1日のマスターである。
労働時間は約5時間。
私の収入は、時給制ではなく、お客様の売上に依存しており、あまりもらえなかった。
YOMIさんと雑談して、楽しい時間を過ごしたが、私は、どうも、接客業に向いていないような気がした。

ということで、私は、15分ほどの「デジタル終活ミニセミナー」を用意していき、ご披露させていただいたが、こちらは、友人のN先生にも大好評だった。

N先生、お忙しいところ、ご来店、どうもありがとうございました!




最後に、終活について、ひとことコメント。

私たちは、終活=高齢者のするものと思いがちだ。
しかし、高齢者は意外と、終活に興味を示すものの、終活を実行まではしないし、家族や周囲と話したりもしない。
高齢者は、ひとり静かに自分の死に直面する、日々、淡々と生きる、ということなのだと思う。

では、終活に興味を持ち、実際、何かやってみたい人、話したい人は誰なのかというと、この店の客層の中心は、若者~中年なのである。
例えば、人生が思うようにいかず死にたい人、事故病気で家族をなくしてしまった人、命に関わる病気になり若くして闘病生活中の人、障害があって生きるのがつらい人など。

彼らは、高齢者とは違い、毎日多忙であったり、仕事や家事に追われている人も多いから、静かに淡々と自分自身の死に直面する機会が持てない。
そこで、時たま、この店で、お酒を飲みながら、終活や死のことについて話すのだ。
そうすると、ホッとして、また元の日常に帰れる、ということである。
ここが彼らの居場所として役に立っているということだが、ママの村田ますみさんが私に言っていたことを思い出した。

この店のコンセプトは「終活のサードプレイス」である。
サードプレイスとは何かというと、家=ファーストプレイス、仕事場=セカンドプレイスとすると、どちらでもない、居心地の良い自分の居場所のことである。
もちろん、ここでは、同じ悩みを持つ者どうしの新しい出会いもあるようだ。
つまり、「終活」と「死」を切り口とした、コミュニティー酒場ということである。



2025/07/03

あんみつ先生の終活講座。4年ぶりに、茨城県県南生涯学習センターに帰る!

私のエッセイの第2部は、コロナ禍に、セミナー講師を始めた~というハナシである。
第2部の冒頭は、私が茨城県の講師養成講座を受講するところから始まる。
それは、約5年前、2020年の8月のことだった。
場所は、土浦駅前の市役所のビルの上階にある、茨城県県南生涯学習センターである。

以下、2020/10/24「(第2部)セミナー講師をしてみたい」より。




数ヶ月前の話になるが、8月は県南生涯学習センターの講師養成講座に通っていた。
生涯学習センターの講座というと気軽で簡単なものと思いがちだが、、、実は、私もそう思って行ったのだけれども、それほど気軽でも簡単でもなかった。
回数も多く、コスト管理やマーケティングについても専門家から学ぶ機会があり、本格的な内容。
職員に聞くと毎年人気の講座で、今年は新型コロナウィルスの影響で申込者が激減したため、締切ギリギリに電話で申し込んだ私でも間に合ったようだ。
ここで、セミナー講師は会場に行って喋るだけでお金がもらえる、というのは安易な考え方だと思い知った。
自主企画講座の場合なんかは特に、事前準備や雑務があり、かなり大変だというのだ。

中略。

さて、私も茨城県の大井川知事のハンコの押された修了証をもらったことだし、Yさんのようにセミナー講師をしてみたくなった。
現在その準備中である。




その後、2021年1月から3月までの間、私は、準備した資産運用講座を、ここで実際にやった。
実は、これが、あんみつ先生のデビュー講座である。
コロナ禍の開講だったので、無事全ての講義ができたのは、とてもラッキーだった。
当時、私が開講日を選択できたのだが、もし私がスケジュールを1週間遅らせていたら、緊急事態宣言で、私の講座は中止されていただろう。

以下、2021/03/29「あんみつ先生、あんみつ屋へ行く」より。




さて、あんみつ先生の「ちょっとためになる金融と経済のはなし」が3月28日に無事全て終了した。
受講生、関係者には心より感謝を申し上げたい。

まず、新型コロナウィルスの感染拡大で、1月の開始直前に多くのキャンセルが出た。
次に、1月~2月の茨城県独自の緊急事態宣言で、3回目以降が振替となり、欠席者が多く出た。
内容が難しいというご指摘もあったが、それにしては、ほとんどの受講生が最後までよく聞きに来てくれたと思う。

講義終了後、何人かの受講生が私のところに来て、お礼を言われたのがうれしかった。
また、講師養成講座で知り合ったYさんから、ブランデーケーキの贈り物をいただいた。
彼女は現役のセミナー講師で、FP(ファイナンシャルプランナー)であるが、FPは資産設計の専門家で投資のことは詳しくないので、大変勉強になったといわれた。

後略。






それから約4年が経過した、2025年6月25日、7月2日。
私は、再び、茨城県県南生涯学習センターに、講師として登壇した。
ただ今回は、資産運用講座ではなく、終活講座であった。
終活講座は全5回シリーズで、私は、最初の2回を担当した。
内容的には、2時間×2回で、終活の総論的なこと、全体像を話した。

終活講座は、いつものことで慣れっこだが、私がしくじると、3回目以降の出席率が下がり、他の先生のご迷惑になってしまう。
私は、トップバッターとして、なかなか重要な役割を担っていたように思う。




ありがたいことに、50人の募集枠(定員)に対して、65人の申込があった。
第1回目は60人近く、第2回目は50人前後の受講生が来てくれた。
教室の席は、ほぼ埋まっていたが、もちろん、ほぼ全員が私より年上の生徒さんだった。

講座の終了後、少し話したおばあちゃんは、杖をついていたが、何と、89歳だった!
89歳のおばあちゃんに、私の講座をフルで聴いていただき、よく分かった、といわれ、感謝の言葉もいただいた。
これは、大変光栄なことだ。




最後に。
実は、もうすぐ80歳になるママ殿も、私の終活講座を潜入受講していたのだ。
もちろん、自分自身の終活のためだが、うちの息子がちゃんと講義ができているか気になったらしい。

当日は私と一緒にセンターに入り、私と一緒に担当者に挨拶をして、講師の控え室で待機をして、お茶を飲んだりしていた。
教室では、目立たないように、すみっこに座っていた。
ママ殿は、なかなか面白い経験ができたのではないだろうか。

帰りは、センターのロビーで、記念写真を撮ってから帰った。
帰りの電車内で、ママ殿に感想を聞くと、予想していたより良かった、非常に良かった、といわれた。
いつも、いろいろ注意されるのだが、「合格」だといわれて、私は意外だった。