2025/07/17

校了と責了の違い



塾を経営する友人でカリスマ講師のK氏から、塾をリニューアルしたという連絡をもらった。
そういえば、K氏とは1年以上会っていないなあ、と思い、6月のある日、私は、業界カリスマ(?)の新しい塾を見に行くことにした。
地図を調べると、常磐線の亀有駅から、京成バスに乗るのが近道だった。

京成は、ジミな印象の鉄道会社ではあるが、鉄道株の中では、かなりの上物だと思う。
なぜなら、観光立国の内需銘柄として、鉄板で儲かるからだ。
つまり、京成は、羽田空港、成田空港、ディズニーランドという、都内の3つの重要拠点を路線的に支配しているのだ。
とにかく、この3つを経営資源として最大限に活用し、路線展開をして、儲けている。

ちなみに、ディズニーの運営会社のオリエンタルランドは、京成電鉄の系列会社であるが、実は、私の住む茨城県の関東鉄道も、京成電鉄の系列会社である。





12時13分発の京成バスは、環七をひた走り、30~40分ほどで、江戸川区の一之江駅に到着。
バスをおり、昼下がりの暑い中、私は、地図を見ながら10分ほど歩いた。

おお、K氏の塾があった!
「セルモ」という個別学習塾だ。
私は、業界人ではないので、よく知らないが、K氏によれば、わりと有名なフランチャイズで、経営者にもおすすめだそうある(もちろん子供にも)。

セルモねえ、、、(*'ω'*)
私は、「テルモ」なら知っているのだが。

さて、個別学習塾とは、どういうものなのか。

家庭教師とは違い、平たく言えば、少人数指導だ。
K氏は仕事の準備中で、私は、お茶を飲みながら、人のいない教室で1時間ほど話した。
途中、生徒がひとり来て、K氏はマンツーマンレッスンを始めた。
しかし、夕方と夜は、もっと人数が来て、教室は満席になるという。
いずれも、K氏が全員のめんどうを見る。

要するに、個別学習塾は、英会話教室のNOVAみたいなものだ。
たまたま生徒が1人のときはマンツーマンレッスンになるが、生徒は3人まで(あるいは??人まで)と決まっている。




一之江の帰りは、地下鉄に乗り、築地~銀座に寄り道。
ママ殿が台所で湯呑みを割ってしまい、良いものがあれば買ってきてほしいといわれていた。
私は、築地の店で、良いものを見つけたので、買った。
その後は、喫茶店で休憩し、スマホで原稿を書き進めた。

執筆は、長いものだと腰を据えて取り組む必要がある。
しかし、短いものだと、移動の電車内や、喫茶店での休憩中など、コマ切れの時間を使って書くので、意外と完成まで日数を要する。

今回は、雑誌の原稿が立て続けに2本来ていて、いずれも、書き始めたのは6月から。
数日前、ようやく、1本目の雑誌原稿を仕上げたばかりだった。
そのさい、編集者とのやりとりで、気になる言葉があったので、本記事の最後に取り上げたい。

校了と責了という言葉である。
不思議なことに、私の原稿は、あるとき「校了」だが、あるとき「責了」なのだ。
いずれの場合も、私は「脱稿」となるが、いったい、校了と責了の違いとは、何だろう?(*'ω'*)




まず、校了とは、校正が完了することだ。
校正とは、誤字脱字の修正など、本の形式面のチェックをして、修正すること。
例えば、編集者が「先生、校了です」といった場合は、(原稿作りではなく)本作りにおいて、編集部の仕事が終わったのだ。
もう修正はない、印刷所で印刷できるようになった・・・ああ、良かった、自分はやっと家に帰れる、という意味合い。

これに対し、校了と似た言葉に校閲がある。
校閲とは、原稿の内容をチェックすることだ。
要するに、誰かが赤ペン先生をするわけだが、赤字を入れるのは、原則として著者である。
編集部は、著者校閲を受け取り、その内容を反映させるのが仕事となる。
特に、本の体裁が整った後の最終段階のゲラに、著者からの修正指示を反映させると、めでたく、校了となる。

では、責了とは何か。

責了とは、最終のゲラの校正が終わる直前の段階のことである。
まだ何ヶ所か修正があるものの、修正をすれば校了となるから、本の完成の一歩手前だ。

一体どういうことなのか?





数日前まで、私は、喫茶店などで、雑誌原稿の最終ゲラを何度も見直していた。

その後、修正なしなら、編集部は直ちに校了となる。
しかし、私が、新たに修正指示を出し、かつ、これ以上修正なし、と返事をすると、編集は校了とはならず、ひとまず、責了となるのである。
つまり、責了ならば、最後の最後の修正を編集者がして、めでたく、校了となるのである。

さて、今回、私の書いた雑誌記事の原稿は、どっちだったか?

7月14日(月)AM、「責了」だった。