2025/06/18

memento mori



私は、「めめんともり」という終活スナックで、1日マスターをすることになりました。
デジタル終活のミニセミナー付きです。

7月4日(金)18:00-23:00
終活スナック「めめんともり
半蔵門線森下駅徒歩1分

お時間があれば、ぜひ、飲みにいらしてください♪
よろしくお願いします。
私の1日マスターイベントの詳しい案内&予約は、「こちら」のページをご覧ください。

なお、店内には棺桶が置かれていて、入棺体験(!?)もできます。





さて。

6月14日。
私は、日本テクニカルアナリスト協会(NTAA)の定時総会に出席してきた。

テクニカルアナリスト協会は、会員の大半が金融関係者である。
去年同様、日経平均株価が4万円前後と順調に推移しており、会場は明るいムードだった。

総会が終わると、恒例の懇親会がある。
会場は、兜町の中華料理店「小楠国」。
去年の懇親会も、ここで中華料理のバイキングだったが、パンチのきいた味付けで、兜町界隈の人たちに人気のようである。







料理は、とても美味しかった。

しかし、予想以上に参加者が多く、会場が狭かったため、居心地はあまりよくなかった。
おかわりを取りにいって戻ると、誰かが立っていて、自分の居場所がなくなってしまうのだ。
そこで、私は途中から、会場を出たところの受付机を拠点にした。

受付机には女性スタッフが座っていたが、受付が終われば誰も来ない。
私は、雨傘入れのビニールの上に皿を置き、落ち着いて食べることができた。
受付の女性スタッフと少し話したが、彼女は、参加者リストの確認や、集めた食事代の計算で、忙しそうだった。






私は、ほとんどの時間、壁を目の前にして、ひとり、黙々と食べ続けた。
バイキングは2時間制。
私は、1時間30分経過したところで、静かに箸を置いた。

壁に向かって、、、
「もう限界です!」(*'ω'*)ハ~
「食べすぎました。。。」
「そろそろ帰ります」

私は、数人に軽く挨拶をして、店を出た。
帰り道は、銀座線の日本橋駅から帰ったが、駅構内のベンチで30分ほど休んでから、電車に乗った。

こんなに食べたのは久しぶりだ。
家に帰って、ママ殿に報告すると、「外で食べすぎて動けなくなるなんて、食い意地が張っている。いい年して、みっともないですヨ!」と注意されてしまった。

まあ、確かにそのとおりだが、食欲があるのは、元気に生きていることの証拠でもある。
私たちは、今日元気にしていても、明日どうなるか分からないのだ。
だから、後悔のないように、いまの自分の欲望をみたすことも重要だと思う。
未来のことを考えたり悩んだりすることよりも。

「メメントモリ」は、そんな意味合いの言葉だったと思う。

「終活」スナックとは、どんな場所か、私はまだ行ったことがないので、分からないが、スナックのママ(村田ますみさん)に聞くと、幅広い年代のお客さんが飲みに来るという。
終活についてマジメに語り合う場面もあるが、ただの出会い系酒場(?)なのかもしれない。

では、7月4日夜に、スナックで、お会いしましょう♪


東京タロット美術館、法王


以下は、2022年8月1日の記事「The story of Tokyo Tarot Museum(2)Temperance and The Hierophant」より。

ああ、そうだ。
神の代理人といえば、、、ふと思い出したことがある。
2年前に会った芸術家兼僧侶禿鷹墳上先生、彼のアトリエで数枚の不吉な絵を見たのだが、そのときに教わった言葉である。
「メメントモリ(memento mori)」。
私は早速、写真フォルダからその時の写真を探し出した。
確か、2020年2月28日だ。
新型コロナウィルス感染拡大の初期に会ったきりだが、いま彼はどうしているだろう。

2年前のことなので、メメントモリのことを、すっかり忘れていた。
私は、スマホでWikipediaを検索した。
メメントモリとは「死を忘れることなかれ」という意味で、芸術モチーフのひとつである。
いつ死んでも後悔のないよう今を大切に生きる。
常に死を意識していたいから死に関する作品を描き、そばに置いておくのです、と彼は私に言っていた。

(中略)

メメントモリに関する芸術作品としては、①墓石(Grave)、②死の舞踏(英語Dance of death、独語Totentanz、仏語La Danse Macabre)、③静物画(Vanitas)、④写真、⑤時計、などがある。

(中略)

この場合の写真とは死を彷彿させるもので、典型的かつ直接的なのは死骸そのものの写真である。
しかし死骸そのものの写真をギャラリーに出すのは難しいため、例えばコラージュするなどして作品化することが考えられる。
時計については、時計の針が止まればそれは死を意味するなど、単純で分かりやすいモチーフである。

「時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。」(Wikipediaより

時計か、、、そういえばいま何時だろう。
もうそろそろ時間かな。
いや、まだか。

東京タロット美術館は、90分の入替制である。
5時15分、トイレを借りてから、少し早めに美術館の部屋を出た。
すると玄関先の狭いスペースに、マスクをした女性が立って待っていた。

次のおひとり様のお客さんか。
ぱっと見、メイドカフェのメイドさんのような、魔女の宅急便の主人公のような、小柄でかわいらしい女性だったが、彼女を見たときに既視感があった。
そういえば浅草橋は秋葉原の隣町である。

彼女と私は狭い場所で目が合った。
目力がすごい、、、かなりの美人だが、意志が強そうだ。
彼女がまっすぐに私を見つめるので、何だろう??と思った。
私は目をそらせず恥ずかしくなり、何か話さないといけないと思った。

「どうかしましたか??」
「いいえ、、、」
「失礼ですが、5時30分の予約の方ですよね。」
「はい、そうです。」
「私ひとりだったから、もう部屋に入れますよ。そこにいると暑いでしょう。」
「いえ、大丈夫です。それに、まだ5時30分ではないですが。」
「入館時刻から90分のカウントにしてもらえますよ。」
「そうなんですか??」
「はい。だから早めでも早く帰れば大丈夫^^」
「なるほど。ありがとうございます。ここ、暑いので助かりました^^」

彼女はうれしそうに、早足で美術館の部屋の中へ。
でも、きつい美人かと思ったら全然違っていた。
まっすぐに私を見る嘘のない視線、私は以前それをどこかで見たような気がした。