2024/06/06

アートの世界に逃れる?

(八重洲茶寮~)食後の散歩。
私は、公園内を30分ほど歩きまわった。
昭和女子大卒の著名な建築家、永山祐子さんの展示作品を見るためだ。

しかし、ぐるっと歩いても、(上記写真の)アヒルの置き物くらいしか見当たらなかった。
どこかで案内を見たはずなのだが、おかしいな、、、と思い、ウェブサイトを見ると、展示期間が、すでに終わっていた!
美術館やギャラリーの場合、終わっていれば単に閉まっているか、展示替えされているが、野外展示は終わっているかどうか分からない。

日付をよく確かめなくてはいけなかった。
おかげで、私は、クタクタになった、、、
足がイタイ(×_×)

私は地下鉄の日比谷駅に入った。
この後、私は別の場所で用事を済ませ、タリーズコーヒー~東劇へ。
METライブビューイングオペラ「ロミオとジュリエット」を見るためである。

以上、2024/06/01「八重洲茶寮の企業顧問向け異業種交流会」より。
ただ、その前に画廊巡りをしたので、そのことから書いていこう。




今回は、東劇に行く前に、歌舞伎座の近くのギャラリームモン(GALLERY MUMON)をのぞいた。
坂本友由展示会「手前のものさし」、、、何だか、よく分からないタイトルである。

中に入ると、かわいい女の子の上半身の絵ばかり展示されている。
その表情は豊かだ。
が、キャプションには、世の中くだらない、不自由だ、正義なんて押し付けだ、などと書かれている。

どういうこと(*'ω'*)??






ひととおり作品を見た後、私は、女性スタッフに、単に疑問をぶつけた。
「すみません、今回の展示は、どういうコンセプトなのでしょう?」
すると、彼女は、左の壁の絵と右の壁の絵を順番に指さし、こう答えた。
「こちらの壁の絵(上の絵)が他人の物差し、あちらの壁の絵(下の絵)が自分の物差しです」
「あ~、そういうことですか。何となく、分かりました」

この展示会のテーマを簡単に言うと、「生きづらさ」だと思われる。

絵の登場人物の女の子は、アーティストである。
他人や社会の作り出した物差し・・・学校や会社の規則、道徳や倫理、家の決まり事・・・こちらで測られると、彼女は窮屈で、息苦しい、不快になる、ということだ。

そこから解放されたい場合、彼女は、どうすればいいか。
例えば、犯罪や売春は選択肢として過激すぎるが、アート(創作活動)は、ゆるやかで平和な選択肢といえる。

そこで、アートの世界に逃れる。

すると、上の写真のような、自分の物差しを自分で作る、自由で心地よい、ご機嫌な1人の画家ができあがる。
つまり、アーティストとはそのような人種なのかしら・・・と、私は絵を見て思った。




ギャラリームモンを出て、少し休憩。
タリーズコーヒーで、グレープフルーツティーを飲みながら、先ほどの続きを考えた。

自分の物差しを自分で作る、自由で心地よい、ご機嫌な1人の画家・・・確かに、彼女は自由である。
が、自由だからこそ孤独でもある。
自由かつ孤独、それが彼女の創作活動である。
彼女にとって、その居心地は、良くもあり悪くもあるだろう。

おや? あちらのテーブル席に座っているスーツ姿の中年男性、、、コーヒーを飲みながら、熱心にノートパソコンで株取引をしているではないか。
カバンには資料の束が押し込んである。
きっと、外回りの仕事の途中、息抜きをしているのだろう。

そうだな、、、私たちにとって、そこそこの不自由と拘束は、悪いとは言えないか。

例えば、あの会社員が脱サラをして、自宅にパソコンを何台も並べ、毎日デイトレーダーをすることになったら、自由(業)でよさそうであるが、実際はどうなのだろう。
そこまでやると自由(業)も楽しめなくなるのではないか。




コーヒーブレイクの後は東劇へ。
チケットを買って、いつものように、左前方の席に座った。

「ロミオとジュリエット」、このオペラは、シェークスピア原作×チャールズグノー作曲である。
私は、以前、1度見たことがあり、覚えのあるシーンや曲も多かった。
あらすじは、Wikipediaによれば、次のようなものである。

第1幕 キャピュレット家の仮面舞踏会
仮面舞踏会のために集まった紳士淑女たち。家の当主キャピュレット卿がパリス伯爵との結婚を間近に控えた娘ジュリエットを紹介し、全員はその美しさにたちまち魅了される。客人たちが解散すると、モンタギュー家のロメオが仮面を付けて友人たちとともに忍んでやって来る。友人たちがここでひと暴れしようと企むが、ロメオはこれを止めるよう制するが、対してメルキュシュはロメオをからかい、彼を連れて去るのだった(メルキューシュは『マブ女王のバラード』を歌う)。

ロメオとジュリエットのバルコニーの場面
そこにジュリエットが乳母ジェルトリュードと現れる(青春を謳歌してアリア『私は夢に生きたい』を歌う)。直後に乳母が呼ばれ、一人残ったジュリエットの目の前にロメオが現れて話しかける。2人は瞬時に恋に落ちるのだった。そこに従兄のティボルトがジュリエットを呼びに来たため、ロメオは彼女がキャピュレット家の娘であることを知って驚く。一方立ち去る時の声で、モンタギュー家のロメオであることを見抜いたティボルトは、仇敵に対し剣を抜く。しかしすぐに現れたキャピュレットの諫めによって抑えられ、ロメオは友人たちと逃げるようにその場から去っていく。

第2幕 ジュリエットの家の庭
夜中にキャピュレット家の庭に忍び込んだロメオ。一方ジュリエットはバルコニーに向かい、ロメオへの思いを一人告白する。それを聞いたロメオが現れて、愛の二重唱を歌い合う。やがてジュリエットは別れを惜しみつつ、部屋の中へ消えて行く。

第3幕(全2場)
第1場 夜明け、修道院のロランの部屋

第3幕の初演時のイラスト
ロメオはロラン神父のもとへ訪問し、そこで神父にジュリエットとの恋を打ち明ける。そこにジュリエットが乳母とともに訪ねて来て、2人は神父に結婚の許しを乞うよう神に祈りを捧げる。長年に亘り敵対してきた両家の憎しみ合いが2人の結婚によって解消されることを目論んだロラン神父は、2人に結婚の祝福を与えるのだった。

第2場 キャピュレット家の前の通り
一方キャピュレット家の近くの通りでは、ロメオの小姓ステファノが主人を探しに来ていたが、同家を揶揄するかのようなシャンソンを歌う。それを聴いて怒りに震えたキャピュレット家の若者と友人メルキュシオとの間で乱闘が始まり、これに乗じてティボルトも加勢して激しい決闘へ発展してしまう。騒ぎを聞き駆けつけたロメオは2人を制止したが、その時ティボルトの剣がメルキュシオに刺さり、そのまま息絶えてしまう。友人の死を目の前で目撃したロメオは、剣を抜いてティボルトを倒す。そこにヴェローナ大公が現れ、ロメオを街から追放する条件でその場を収め、両家の面々に対し強く諫める。

第4幕(全2場)
第1場 ジュリエットの部屋、夜明け

第4幕での仮死状態のジュリエット
ジュリエットは忍んで来たロメオに対し従兄ティボルトの殺害を許し、2人は愛の幸福の中で一晩をともに過ごす。だが夜明けには去らなければならない(「愛の二重唱」)。ただ一人残ったジュリエットのもとに父キャピュレット卿がロラン神父とともに現れ、パリス伯爵との結婚を宣誓する。絶望に打ちひしがれたジュリエットにロラン神父は一計を案ずる。神父は一日仮死状態になれる薬を与え、墓からロメオとともに逃げるよう告げる。一人残されたジュリエットは逡巡するが、勇気を出して薬を飲み干す(アリア「ああ、何という戦慄が」)。

第2場 キャピュレット家の屋敷の中における壮麗な広間、宮殿の回廊
キャピュレット家の宮殿の回廊では、ジュリエットとパリス伯爵との結婚が行われている。伯爵が指輪をはめようとした瞬間、ジュリエットは隠し持っていた薬を密かに飲み、突然倒れて仮死状態となり、周囲はただ驚愕するのみである。

第5幕 キャピュレット家の地下の墓所
神父からの伝言が遅れてしまったため、この計画について知る由もないロメオは、ジュリエットが死んだことを聞いてすぐに墓所へ駆けつける。その姿を見たロメオは絶望し、自ら持っていた毒薬を飲む。その直後にジュリエットが目覚め、二人は再会の歓喜に震えるが、全身に毒がまわったロメオはジュリエットの腕の中に崩れる。毒を飲んだことを知ったジュリエットは、後を追って短剣で胸を刺し、二人は最後の口づけを交わして息絶える。そして幕が閉じられる。
Wikipedia






『ロミオとジュリエット』は心無い周囲のせいで罪のない男女が全てを失い、命を落とす恋愛悲劇であるが、若い恋人たちが社会によって課された障壁をはねのけて愛を成就させようとするという事柄はむしろ伝統的な恋愛喜劇に近いものであり、その話の運びには『夏の夜の夢』などのシェイクスピアによる他のロマンティック・コメディとの類似が認められる[3][2]。これを反映して全体的に悲劇としては喜劇的に見える表現、ジャンルの境界を曖昧にするような表現が見受けられ、笑劇的でいくぶん粗野とも見えるような冗談、とくに性的な言葉遊びが非常に多く用いられている作品である[4]。
Wikipedia






METライブビューイングでは、幕間にMET関係者のインタビューが流れる。
METの財団の理事(?)が登場し、司会者にマイクを向けられると、彼はいくつかの質問に答え、去り際に、こう言った。
「2人は急ぎ過ぎたんだよ」(笑)

急ぎ過ぎたというのは、若気の至り、ということだと思われる。
私は、先ほどの展示会の「物差し」のキーワードが、「ロミオとジュリエット」にもあてはまるような気がした。
ロミオとジュリエットは単に気軽な恋愛の主人公を演じたかっただけの若者だ。
ただ、この2人にあてはめられた物差しが・・・禁断の恋愛、家の対立、家に縛られる宿命・・・要は、物差しが不自由すぎて、悲劇を生んだ、ということだ。




劇が終わったのは夜10時前。
私は東劇を出て銀座駅方面に歩いた。

私の印象に残っていたのは、劇の最初の方に名前だけ出てくるロザリーヌである。
ロミオは、はじめ、ロザリーヌに真剣に片想いをしていた。
が、ジュリエットと出会い、心が一変する。
ジュリエットにひと目惚れをし、「ロザリーヌのことは直ちにどうでもよくなった♪」~と、ロミオは堂々と歌う。

よく考えると、これは非常に重要なシーンでは?

ロミオは、本当は軽薄な男なのだ。
劇中、ジュリエットしか、イイ女が出てこない、ジュリエットが美人すぎたので、他の女に目移りしようがなかったのではないか。
とすると、他にも美女がいろいろ登場し、ロミオが数人の美女とデートして、目移りするようなことがあると、また別の気軽な恋愛物語(例えば、ジュリエットが激怒し、ロミオをぶん殴る)になっただろう。




銀座三越の交差点。
10時を過ぎると、ガラガラだ。

会社帰りと思われる男女のカップルが、タクシーを止め、乗り込んだ。
これから、2人は、ホテルかどこかに行くのだろうか。

私は銀座線に乗るために、地下への階段をおりた。

不自由で息苦しい関係から逃れたい場合、愛し合うふたりは、どうすればいいのか?
もちろん、過激な選択肢は避けた方がいい。
ゆるやかで平和な選択肢のひとつ、それがアートだ。

ともに、アートの世界に逃れる。

すると、自分の物差しを自分で作れる、自由で心地よい、ご機嫌な恋人のできあがりだ。
つまり、愛とはそのようなもので、アートの世界には愛の秘密があるのではないだろうか。