2023/10/14

好きな人と気になる人のちがいは?(2)

編集者が私の原稿を整理し、デザイナーに入稿すると、本の体裁を得て私のところに戻ってくる。
出版界ではこれをゲラというそうだ。
そういえば、以前投資分析の論文を書いたときも、本のデザインの入った原稿が送られてきて、東洋経済の編集者からゲラを校正してくださいと言われた。
私は著者の立場で、最初のゲラ(初校ゲラ)をチェックする。
このチェックを校閲というが、著者の修正指示は重要で、原則全て反映されるという。

お気楽な私は、執筆というのは原稿を出せば、ハイ、それまでよ、なのかと思っていた。
しかしそうではないのだ。
ゲラが来てからが第2ラウンドなのである。
自分の書いたものを自分で校閲し(著者校閲という)、間違いを見つけ出し、修正をかけたり、足りない事項を加筆しないといけないのだ。
だから時間をかけ、校閲をする必要があるのだが、自宅で座ってだとなかなか集中もできない。
そこで外にゲラを持ち出し、時間のあるとき、電車内や喫茶店などで見て、コツコツ赤ペンで直している。
ただ、私の場合、実際、最もはかどるのはデパートの中の喫茶店で、私は柏高島屋のくまざわ書店に併設されたカフェドクリエにいることが多い。
(2023/09/30「オードリーヘップバーン語録(6)私たちにはもとより愛の力が備わっているのです」)


(柏高島屋カフェドクリエ)


(柏高島屋カフェドクリエ)


(柏高島屋カフェドクリエ)


初校ゲラを全て編集者に戻すと、編集者は私の校閲を反映させた修正版を作り、それをデザイナーに再入稿し、デザイナーが再修正したものが編集者を通じ、私のところに戻ってくる。
これが再校ゲラである。
私が再校ゲラを校閲すると内容は確定する。

私は先週から再校ゲラを見ていたが、ようやく全校閲が終わり、編集者に戻した。
私は、いわゆる「修羅場」(少女漫画家の大島弓子的な言い回し!?)からほぼ解放された。
あとは本が出るのを待つばかりである。

ただ、解放とは名ばかりで、本音をいうとまったく気楽ではない。
私は、本番前に舞台袖で待つ演奏家や俳優のような緊張感で、本が出るのをじっと待っているのである。
今さらジタバタしてもしょうがないので、「果報は寝て待て」というのだろう。
もう書いて出してしまったのだから、なるようにしかならないのだし、受験生が、提出した答案のことを考えたってしょうがないのと同じだ。




(パレット柏の掲示板より)


さて、本のことはほっといて、今回も、ゲラチェックのとき立ち寄ったパレット柏の掲示板の話をしようと思う。
掲示板に書かれている好きと気になるの違いについて、前回とは違った観点から分析をしてみたいと思う。

まず、好きになったら相手のことを知りたくなるのが自然である。
好きなら知りたくなる。
知りたいということは、気になるということだ。
相手の虜になっている。
強い好意がすでにある。
よって、両者の関係は、強い好きが気になる、ということで、掲示板の図の通りだと思う。

そういえば、かつてこのブログに出てきた「黒色すみれ」の歌に、そのような歌詞をアーティストのヒグチユウコが付けているのを思い出した(2019/07/23「黒色すみれと見切り席の追っかけ男」)。

黒色すみれ×ヒグチユウコ「すきになったら」


先ほどの案内板の図によれば、好きは気になるの周辺部にあるわけだが、何となく、好きというのは健全で、淡い感情のように思える。
典型例は、ビーチやスキー場などで出会った人との恋である。

それは強く芽生えて、季節が代わるとともに自然消滅する。
もしかなったとしても、相手とはすぐ終わってしまう。
好きならその感情は抱いた時がピークで、以後、親密になると様々な幻滅があるから、結果、長続きしないのである。
つまり、好きというのは気軽で若々しい感情なのである。
だから、抱くのもカンタン、消えるのもカンタン。

これに対して、気になるは、何となく不健全で、濃い感情のように思える。
中心部の気になるは周囲の好きと比べると、人間の情の深さ(感情の濃密度)が違う。
典型例は、ドラマによくある禁断の愛や不倫である。

それは強く芽生るが、自身によって直ちに抑圧されている。
そして、我慢を伴いつつ時間をかけて次第に醸成される好意のように思える。
例えば、禁断の愛や不倫であったりすると、好きになってはいけないから、気になる、ということなのではないか。
あるいは、付き合うには2人の間に障害があり、好きではなく気になるということにしておくのではないか。
つまり、自分はそれを好意とは認めたくない、あるいは無意識的潜在的な好意で自覚がないだけなのかもしれないが、、、結論としては、気になるには、チョット危険な要素がありそうな気がする。

ところで、親は子供のことが必要以上に気になるものだ。
だとすれば、気になるというのは、親子間の愛情のような深いものの前身ともいえそうである。
もしかすると、親が子に対して抱くような、相手を管理したい、支配下におきたい、独占したい、育てたい、といった欲望も含んでいるのかもしれない。
また、自分の頭のなかでは非常に親密な関係を想像できて、距離感が近いということがいえそうである。
にもかかわらず、実際は親子のように一緒にいられないのであれば本人にとってストレスだ。

気になるの正体は、気軽な恋愛感情ではなく、恋愛ストレス!!

そのため、欲求不満が爆発し、そこから自分を見失うほどの狂気の恋愛に発展し得るのが、気になるの方である。
だから、まあ、その男性(女性)のことが気になっても、気にしないよう努めるのがいいと思う。
気になって、どうしようもないときは、外を出歩いてみるといいと思う。
運命の糸で繋がれているなら、引き寄せる力が働き、バッタリ出くわすかもしれない!?