2019/02/22

柄でもないことは、しない方がよいという話

ふだん花を見ない私が、きのうは用事を済ませた帰り、東京ドームの世界らん展を見に行った。
午後3時過ぎ、私は野球観戦の時と同様に入口でチケットをもぎってもらい、ドーム内へ入った。
外野席のトップから眼下を見下ろすと、、、おお、ふだん巨人の選手たちがプレイするグラウンドが、らんの花で埋め尽くされているではないか。
私は外野席の階段をおり、保護シートの敷かれたグラウンドに立った。
業者(バイヤー)が買いに来るイベントかと思ったら一般客、観光客もかなり多く来ており、年配の女性グループ、家族連れ、カップルなどが歩いていた。
ただ、世界らん展という名前のわりには、外国人がまったく見当たらないのが少し奇妙な感じがした。




最初、私は物珍しくてスマホで写真を撮ったり、花の解説を読んだりした。
しかし、どこを見ても蘭の花しかない、似たような花しかないので、私はものの30分ばかりで見飽きてしまった。
まあ、世界らん展といっても、こんなもんか。
これは私が飽きっぽいのが原因ではなく物事の道理である。
たとえコアラがかわいくても、動物園にコアラだけしかいないとしたら、それはたいしておもしろくない動物園なのだ。

おや、ずいぶん個性的で派手な花があるぞ、、、
ああ、有名な華道家の假屋崎省吾さんの作品だ。

それは蘭の花らしくなかった。
最初私は、假屋崎さんの作品はあまりにも個性的で濃すぎるという印象を持ったが、この会場内、どこを見ても似たような蘭ばかりで退屈であるから、假屋崎さんの作品はむしろあれくらいでいいのだ、と思った。
まあ、假屋崎さんはさすが、ということである。

そういうわけで私は早めに帰宅。
全体としてはつまらなかったので、ママ殿に報告する出来事は特にないのだが、今日は蘭の花の展示会を見てきた、とだけ言ってみた。
するとママ殿は不機嫌そうな顔をしてこう言った。

「あなたも物好きだね~、、、蘭の花なんて、見てもつまらなかったでしょう。」
「まあ、確かに。30分で見飽きたんだよね。」
「花なんて、どうってことないのよ。花はそのうちゴミになるのです。眺めたって食べられやしない。」

ああ、なるほど。
花より団子。
4月は毎年お花見が楽しみだというけれども、ほとんどの人にとってお花見とは、桜の木の下で酒宴をすることである。
公園で桜の花をじっくり眺める者が、どれほどいるだろうか。

さて、一夜明けて今日は、築地本願寺の無料のランチタイムコンサートに行ってきた。
それに加え、法話も聞きてきた。
私は無宗教で、仏教徒でも何でもないのだが、以前から、法話というものを一度聞いてみたかったのだ。
まあ、たとえ法話がつまらないものでも、無料のコンサートを聞けるのであるから損はなかろう、12時20分から本堂でランチタイムコンサート、1時からカフェの隣の談話室で法話、というスケジュールである。


築地本願寺ランチタイムコンサート


築地本願寺のランチタイムコンサートは、堂内の古びたオルガンの伴奏でオペラ歌手が歌うもので、少々控えめだが、歴史ある築地本願寺の雰囲気には適している。
歌手は安藤常光氏。
彼は最初、シューベルトの「菩提樹」を、2曲目は文部科学省の指定唱歌の「早春賦」を歌った。
彼の解説によれば、「早春賦」「赤とんぼ」といった昔の日本の歌は名曲だが、難しすぎるのが問題だという。
子供たちはこの歌を小学校の音楽の授業で練習し、上手に歌えるわけがないのであって、その結果、子供たちが自分を音痴だと思い込んだり、日本の古い音楽を嫌いになることもあるそうである。
伝統にこだわらず、(最近の)歌いやすいものを選んだ方が、より現実的である、と彼は言っていた。
それはもっともな意見である。
歌唱力に合った歌を歌うのが正しい、というのは音楽の習ううえではあまりにも当然のことである。


築地本願寺ランチタイムコンサート


その後、彼は「フィガロの結婚」のアリアを歌った。
が、私はその歌詞が日本語であったため非常に驚いた。
いまの国内のオペラは、原語で歌って電光掲示板で字幕表示するのが当たり前だ。
しかし、昔の日本では、日本人のオペラ歌手が日本語版を歌っていたのである。
そして、これがダサいのかというと、案外さまになっているので、私は非常に驚いたのである。
そして最後の曲。
谷村新司の「いい日旅立ち」かあ、、、私は、なるほど、と思った。

コンサートが終わったのは1時近く。
歌を聞いて気分もいいので、法話が苦痛になりそうだった。
いや、法話を聞く前からそのような心がけではまずいのだろうが、、、でも、そもそも法話って、どんな話をするのだろう??
お昼時でカフェは満席だった。
カフェの隣の談話室もすでに満席となっており、私は後方で立ち見をすることになった。


築地本願寺


築地本願寺


法話とは、正式には常例布教といわれるものである。
なるほど、これは仏教の布教活動そのものなのである。
しかし、常例布教という呼称だと宗教色が強すぎるのではないか。
法話という簡単な名前の方が気軽に聞けていいだろう。
この日の先生は、山口県からはるばる来た70才くらいのお坊さんであった。
それにしても彼の法話は非常にユニーク!!
最初、寄席の落語家のように「つかみ」のネタで私たちを笑わせてきた。
これはジャブだな、と思った。
そして次は、一転してひどく深刻な話。
ここからが法話、あるいは常例布教の真骨頂なのだろうが、、、

戦後はね~、貧しかったから道端の草を食べてたんですよ~。
(!!!)途中、大まじめにこんな話をされたので、私はすっかりしらけてしまった。
周囲がにわかに重々しい雰囲気となり、さっさと外に出たくなった。
お坊さんの話を聞き、すすり泣いたり、さかんにうなずいたり、ざんげの言葉を口にしたりする参加者が私の周りにいるのだ。

ちょっと、これは、ついていけないな。
結局、私は最初の休憩時間に退室した。
法話とは布教活動そのものである。
それを必要とする人だけが選んで聞きに行くべきものだと私は思った。
まあでも、私はお気楽者なので、この手の話は間に合っている。
とりあえず、腹が減ったので、隣のカフェで何か食べてから帰ろう。
しかしカフェはまだ満席。
本堂の向こう側に、もうひとつのレストラン(カフェ)があるのだが、そちらも入口まで行列ができていたので、私は銀座までいって何か食べることにした。
15分ほど歩いて、松屋のデパ地下の銀座キャピタルへ。


銀座キャピタル




私はここでカリカリのワッフルを食べ、松屋の1000円クーポンで払ったので、150円ほどの出費で済んだ。
松屋のデパ地下には、テイクアウトのお寿司が売っており、私は帰りにそれを眺めながら思い出した。
そうだ、私にとって築地はお寿司を食べる場所だった!!
今日はそんな場所で大まじめに法話というのを聞いてしまった。
次は、築地にお寿司を食べに行こう。
まあ、柄でもないことは、しない方がよいということか。