2024/02/15

家督相続と隠居と事業承継と(1)

きのうは午後から書斎の片付けをしたが、司法書士研修で使った旧民法、旧戸籍法の資料があったので、ぱらぱらと読んでみた。
読者は、今時どうして戦前の旧民法、旧戸籍法を学ぶのか、と思うだろう。
しかし、例えば相続人調査をする場合、被相続人(死んだ人)が高齢なら戦前の戸籍までさかのぼることもあり、今も田舎の法務局では旧民法、旧戸籍法(以下省略)をめぐる質疑応答があるのだ。
何も戦前の法律は、昭和21年8月15日の敗戦と同時に無効となったわけではない。
戦後も約1年間は、旧民法が適用されていた。
新法への移行期、猶予期間のようなものがあり、新民法は昭和23年1月1日に施行された。
また、米軍占領下の沖縄では、その後も昭和32年1月1日まで、原則として旧民法が適用されていた。

日本は占領下にあって、沖縄を含む北緯30度以南の琉球(南西)列島は日本の施政権の範囲から除かれたため、その後に施行された応急措置法及び新民法は適用されず、その地域と本土の日本人同士で不平等な状況にあったとされる。それを解消するために、沖縄においては、本土の新民法と同内容に民法を一部改正し昭和32年1月1日に施行した。沖縄では、その前日である昭和31年12月31日までは旧民法により運用されていたとされ、現在、その当時に開始した相続における相続登記をする際には、本土の新民法又は旧民法のいずれを適用させて処理すべきかということについては、被相続人の本籍地、住所地、不動産の所在地を勘案して適用する判例が見られ注意を要する~(略)~その後、昭和47年5月15日に沖縄は日本に復帰し、本土の新民法が正式に適用されることとなった。
(日本司法書士連合会研修資料より)

さて、歴史の授業でも習ったと思うが、戦前は家制度だった。
「家」には家長が君臨し、家督相続が行われた。
家督相続って何だろう。
家長は封建的な王様で、それ以外の家族は奴隷のようなものだったのかしら。
まあ、当時のことは私も知らないので何とも言えないが、戦前の「家」の問題については、金田一耕助(横溝正史のミステリー)をイメージすると分かりやすいと思う。


横溝正史「本陣殺人事件」


若い人は知らないかもしれないので念のため、「金田一少年の事件簿」ではなく、「金田一耕助のミステリー」である。
金田一耕助は愛嬌のある中年の私立探偵である。
昔々のテレビドラマでは石坂浩二が演じていたと記憶するが、帽子を取り長髪を掻くとフケが落ちるのが特徴であった。
横溝正史は推理作家の大御所である。
彼の著作の中では、金田一耕助シリーズの第1作「本陣殺人事件」が最も有名だが、どの作品も不吉なタイトルで、一度聞いたら忘れられないようなものばかりである。
「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔が来りて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」「病院坂の首縊りの家」、どれどれ、私の家の書斎にも横溝正史の推理小説が何冊かあった。
そのうちの1冊は、薄汚れた「本陣殺人事件」の文庫本であった。
やはり、横溝正史の本は、このように薄汚れていなくてはなるまい。


横溝正史「本陣殺人事件」「獄門島」「悪魔の降誕祭」


「本陣殺人事件」の舞台は、岡山県の農村の旧家「一柳家」である。
事件の日は雪が降っていた。
犯人は夜中、殺害現場の周囲の庭を歩いたはずだが、庭の積雪のどこにも足跡がない。
足跡を残さずどのように殺したか、という謎解きである。
いわゆる「密室連続殺人事件」の本作は、日本を代表する推理小説である。

薄汚れた文庫本のページをめくると、「1.三本指の男」~「岡山県の山村の」「あの恐ろしい事件」~「一柳家の」~と続く。
しかし、三本指の男とは、いきなりショッキングな書き出しであるが、いかにも横溝正史らしい設定である。
そして、金田一耕助のミステリーは家督相続と旧法の戸籍の問題をめぐる家庭のドタバタ劇とも言える。
本家、分家、婿養子といった言葉が出て来るが、これらは全て旧民法の制度の話なのである。
子供の頃は何も分からずテレビの前で恐がったりはしゃいだりしていたものだが、旧民法を理解していないと人間模様や殺害動機等もピンと来ないのではないか。

家とは、その構成員の中心的人物1名を戸主とし、その他の構成員を家族とし、その戸主と家族との権利義務によって法律上連結された親族団体である。旧民法上の「家」は戸主と家族からなり、戸主は家督相続により順次に継承されて、家は子々孫々まで引き継がれるものとされた。当時の日本は、家を国家構成の基本的な単位と位置づけ旧民法の基礎とした。そして、すべての国民はいずれかの家に所属し、どの家に所属するかにより身分や相続に関する影響があった。
(日本司法書士連合会研修資料より)

つまり、「家」単位の財産がある。
それは「家長(戸主)」が相続する決まりである。
そのような相続の仕組みを「家督相続」といった。
不動産の登記情報(登記簿)を戦前まで遡ると、家督相続で所有権を取得した、などと書いてある場合がある。
その人はたいてい長男で、家を継いだ新戸主なのである。
もっとも、全財産が新戸主に家督相続されるわけではなく、現在の戸主が、家督相続の財産と、それ以外の財産に切り分けることができた。
後者の財産は家族の取り分で、こちらはこちらで別の仕組みで「遺産相続」された。
登記上、遺産相続で所有権取得した、などと書かれており、その人は例えば家を継がなかった次男や長女である。
当時は奥さんと子供が同時にもらえることはなかったため(同順位ではなかった)、たいていは長男以外の子供たちがもらった。
少し長くなるので、今回はこのくらいにしておこう。