2020/04/26

マドモアゼルルウルウ

緊急事態宣言下、週末の夜は書斎の本棚をのぞいて本を再読している。
私の書斎の本棚の一角に森茉莉の作品群がある。
「私の中のアリスの世界」「紅茶と薔薇の日々」「マドゥモアゼルルウルウ」「贅沢貧乏」「私の美男子論」など、たぶん、ひととおり揃っている。


森茉莉「私の中のアリスの世界」「甘い蜜の部屋」「私の美男子論」


森茉莉「贅沢貧乏」「紅茶と薔薇の日々」「マドモアゼルルウルウ」


どれもユニークな作品だが、作者の森茉莉は森鴎外の再婚した妻(森志げ)との間にできた娘である。
以前このブログでも書いたが、名家のお嬢様と離婚してバツイチとなった鴎外は、一時小倉に単身赴任していた。
その後、東京に戻り20代の美女と再婚したわけだが、後妻の志げについて鴎外は「美術品の如き妻」と書いた。

ああ、うらやましい。
私も美術品の如き妻がほしいんだけど(*'ω'*)

美術品ねえ、、、
そういえば、昨年末、駅ビル内にアートセンターがオープンしたばかりだが、あそこに行けば、美術品の如き女子と出会えるかもしれない♪♪

まあ、それはさておき。
千駄木の森鴎外記念館には、鴎外マニアのボランティアガイドが常駐している。
事前に頼むと展示のガイドをしてくれるのだが、ガイドの解説は各自の創意工夫に任されているようであり、人によっては鴎外の裏話を聞き出すことができるだろう。

鴎外ほどの男性なら、バツイチ時代に誰とも付き合っていなかったなんて考えられませんよ。

ある展示会のとき、ガイドの中年女性がこう力説していた。
つまり、彼女は鴎外のようなブサメンがタイプなのである、、、ということではなく、美術品の如き妻と再婚するまで鴎外には若い愛人が何人もいたはずなのに、その気配すらないのは不思議だ、と彼女はいうのである。
当時のエリートは愛人を囲うのが普通であった。
鴎外は茉莉を異常なほど溺愛したが、愛人の娘ならそれも納得だ。
再婚相手が20代というのも、愛人関係から始まったからではないか。
私はガイドの言うことも一理あるな、と思った。


森鴎外記念館のモリキネカフェ


森鴎外記念館のモリキネカフェ


しかし、記念館1階の「モリキネカフェ」に行ってみると、壁に鴎外の記念写真が展示されているのだが、そこにはマジメで難しい顔の鴎外の姿しかない。
私は、たぶんガイドの言うことは間違っており、鴎外には一切の愛人が本当にいなかったと思う。
理由は特にないのだが、何となく、その方が真面目な鴎外らしい生き方だ、ということがある。
それに鴎外は太宰治のような自由気ままなタイプではない。
陸軍の軍医(軍人)、学者も務めており、タテマエが重要であった。
なので、浮いた話などゼッタイにあってはならなかったはず。
鴎外の全集を少しかじったことがある私の感想としては、鴎外は小説家として、物語を書くことを通じて浮いた話を楽しんだ、現実にはそういうことは一切しなくても書いて楽しんでるので大丈夫、ということだと思う。

さてその鴎外の文章、弟子の永井荷風がお手本とすべしと言うほどの名文である。
その娘の森茉莉もやはり文章上手、鴎外の文章は戦前で難しいが、森茉莉の文章は戦後で読みやすい。
戦前戦後、男女の違いもあると思うが、医者の鴎外は理系、ドイツ留学、茉莉は文系、フランス留学、この辺も関係していると思う。




肝心の森茉莉の本の話。
私のおすすめの本は、「私の美男子論」「マドモアゼルルウルウ」である。
「私の美男子論」は、当時の一流の芸術家や役者を簡潔に紹介したプロフィールコレクションである。
雑誌の連載を一冊の本にまとめたもので、1人1人が短いので読みやすく、美男子に対するイレ込みもない、怜悧な内容である。
森茉莉にとっては父親の鴎外が唯一の理想の男性像なので、一流の芸術家や役者なども「まあまあ」に見えたのかもしれない。
掲載されている写真も、いまの価値基準からは美男子のショットとは言えない。
それはそれで、イケてないショット(自然体、素顔)をあえて選んだかのようにも見えるのだが。






次に、「マドモアゼルルウルウ」。
こちらは、ジイップというフランスの女性作家の戯曲を、森茉莉が和訳したもの。
14才の生意気なお嬢様ルウルウが、ひたすら男の悪口をいう。
同年代の美少年も、20~30代の若い男もルウルウの好みではない。
ルウルウの好みは40代以上で、実は、パパの友達で家によく遊びに来るモントルイユという50才ほどの紳士(インテリで遊び人のおっさん!!)が好みなのである。

「~また、非常に頭のいいために男というものに不満で、くだらない男より動物のほうがいいというので動物に夢中だったといいます。彼女は少女のときに、モンテスキュウに可愛がられたそうです。上流の家に生れて、馬鹿げた因襲、虚飾に反抗して、男の悪口をいい、動物に夢中になっているルウルウはジイップそれ自身のようです~」(森茉莉の序文)

本のセリフにあるように、ルウルウの理想の恋愛は、ドラマのような洒落たもの、気取ったものではなく、ただただ子供っぽいものである。
つまり、森茉莉も、ルウルウも、ジイップも非常に頭のいい女性だが、そのような女性は得てして、かなり年上の男性が好みで、その男性から子供のようにかわいがられたい、その男性に子供のように甘えたい、と思っているということである。