2020/07/31

ホスピタルアート・アートとビジネスの関係

私はいま、名古屋市立大学の病院アートマネジメントの講座を受講している。
去年、国立近代美術館で、病院アートマネジメントのシンポジウムがあり、イギリスの第一人者が来日講演した。
非常に興味深い内容であり、私はその主催者(なごやヘルスケアアートマネジメント推進プロジェクト)の講座を受講することにした。
この講座は7~8月の2ヶ月に及ぶもので、鈴木賢一名古屋市立大学芸術工学部教授が企画運営するものである。
研究室のゼミ生などが関与し、手作りのいたって地味な講座である。








まず、アートとビジネスの関係から考えてみようか。
ここで最も重要なことは、アートがビジネスになじまない性質、ということだ。
ショップに並んでいる商品は、何らかの機能を持ち、それを必要としている人が買って、使う、メーカーは消費者のニーズがあるから生産をしている。
しかし、アートは、明確な意味での機能を持たない、ニーズがなくてもアーティストは自己表現のために作品を生産する、それを必要としている人がいるかどうかは作り手にとって問題ではない。
そもそもアートはビジネスの構造を持っていないのである。
アートにビジネスの構造を持たせるためには、そのアートが何らかの明確な機能を持つことが必要である。
買い手はアートそのものではなく、アートの持つその機能を価値と認めてお金を出すということだ。
ただ、売り手のアーティストはそういう機能主義的な買い手を望んでいない。
そもそもアートに何か明確な機能があるのかというと、「ある」ならそれはアートではない。
明確な機能が「ない」ので、アートというカテゴリーに入れる。
いわばアートなら当然に「役立たず」であり、それでも欲しいという買い手が、本来的な意味でのアートの買い手である。

アートマネジメントを手がける者は、このような明確な機能が「ない」商品をどのように売れる物としてプロデュースしていくか、ここが腕の見せ所である。
とりわけ、病院アートマネジメントを手がける場合は、売り手のアーティストはアートそのものを売りたいが、買い手の病院(医者)はアートの機能を買いたい、この売り手と買い手のミスマッチを中間者としてどのように埋めていくかが問題となる。
この点、お金を出す決定権は買い手の病院にあるので、結局、病院に対してアートの機能を説いて、理解してもらうしかないのだが、その説明はやや観念的抽象的、また、エピソードに基づくものばかりである。
だが、そもそもアートに明確な機能がないため、こうなるのは仕方のないことではある。

現在の日本では、病院アートはまだまだ認知度が低い。
今後、1つ1つ成功事例を積み重ねていくしかない。
今日じっくり時間をかけ、去年の講座、おととしの講座の資料も全部チェックした。
が、なぜ病院でのいやしがアートでなくてはいけないのか、ここを説明するのはなかなか難しいと思った。
病院には、アートがなくても実際上、不都合がないのだ。
実際上の都合不都合、つまり実用の問題は、アートの弱点である。

そのため、ここを説明しようとすると勝ち目がなく、説明しようとすると無理がある。
だから例えばいやされたとか、心が和んだとか、スピリチュアルで宗教的な説明になったりもするのだろうな、と思った。
しかし、私は、なぜ病院でのいやしがアートでなくてはいけないのか、ここを合理的に説明する必要はないと思っている。
自宅に絵を飾る場合に、何らかの合理的な説明が必須だろうか。
それよりは、病院でのいやしがアートであってもよいのではないか、という柔らかい感覚や視点が、21世紀の個人主義の日本社会には求められているのである。
時間はかかるだろうが、後者のようなアプローチをすることで、病院にアートが広まり、病院が少しでも明るい空間になればよいと思う。