2021/04/22

元祖生涯学習センター「弘道館」

水戸黄門記念像


きのうは所用(公的機関アドバイザー就任の件)で茨城県の県庁所在地水戸まで行ってきた。
ただ、最近渋沢栄一で何かと話題の「弘道館」を見てみたいので、約束の時間まで観光を楽しんだ。
弘道館は、中心街のはずれの高台にある。
ハイキングコースのような急階段を上がり振り返ると、眼下に市街地が見下ろせた。
橋の左に弘道館、右に資料館があり、私は先に資料館へ行った。
入口に「日本遺産」と書かれた旗が掲げられていた。


二の丸資料館


大手門周辺


ほう、弘道館は日本遺産なのか、と思ったら、橋向こうの弘道館の建物は重要文化財だという。
その後、橋を渡り、弘道館の敷地内に入った。
よく分からないが、弘道館ではなく旧弘道館というようだね。
正門を入ると庭園の一角に受付があり、400円の観覧料を払って中に入った。
弘道館の建物の入口前には桜の巨木があったが、すでに桜花は散った後で、きれいな緑だけとなっていた。


旧弘道館特別史跡


旧弘道館


弘道館とは水戸藩の藩校である。
今でいうと県立中学、県立高校、県立大学~である。
当時は年齢別に分かれていなかったので、藩校というわけだが、弘道館は第9代水戸藩主徳川斉昭(とくがわなりあき)が水戸城内に設立したものだ。
すると私が歩いてきた場所も昔は水戸城の城内だった、ということである。
そういえば立札があり、「二の丸」「三の丸」と書いてあった。
まあ、丸の内の住所名のようなものだろうか。
資料館では渋沢栄一の特集もしていたが、展示物等の解説によると、弘道館の特徴は「生涯学習」という点にあった。
つまり、生徒には「卒業」がなく、仕事に就いた後も足繁く通って、生涯学んだというのである。
なるほど、弘道館は「元祖生涯学習センター」ではないか、と私は思った。

さて、歴史家などはよく、江戸時代が平和な時代だったと言う。
でも、実際はちっとも平和でなかったと思うのだよ。
身分制度が確立しており差別があったし、現代のように物質的に豊かではなく、江戸幕府の財政難で繰り返された行財政改革、飢饉、大地震等の度重なる天変地異、そのような状況下で、人々の将来に対する不安は明治維新も近くなるとさらに増したに違いない。
だから、新しい時代に対応するため、当時、多くの人々が勉学に励んだのだろう。
しかし、学ぶことに年齢制限はないとはいえ、当時も仕事をしながら、家庭を持ちながら学ぶのはなかなか難しいものがあったと思われる。


旧弘道館内


徳川慶喜肖像画


いまはどうだろう。
コロナ禍で急速にオンライン化が進んでいるが、新型コロナウィルスにより何もかもひっくり返ろうかという変革の時代に突入している。
生涯学習センターは今後、文化芸術の講座にとどまらず、実学(法律や経済など)の講座もするようになるかもしれない。
また、オンライン化を推進し、時代のニーズに応える必要もある。
そういえばきのう水戸に行く途中、土浦駅で乗り継いだときに、出発の時間まで駅前の県南生涯学習センターに顔を出した。
3月まで私の講座を担当してくれたHさんに礼を言うためである。

窓口でHさんに挨拶をし、10分ばかり話した。
私が水戸に行く用事のことを事前に話してあったので、Hさんは大変に喜んでくれた。
もしHさんが私の担当でなかったら、私の講座は実現には至らなかったと思うので、私はHさんに対して感謝の気持ちしかないのであった。
Hさんによると、生涯学習センターも最近は教養講座ばかりでなく、役に立つ講座を多く取り入れるようになったという。
もちろん教養講座が役立たずというわけではないのだが、どうせ勉強するなら役立つことを勉強したい、そういうニーズが今後は強まっていくのではないか。