2021/02/24

野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ

学生時代の私は、大のヤクルトファンであった。
巨人に勝てない冬の時代から応援していたが、関根監督から野村監督になり、「ID野球」で巨人にも勝てるようになり、まさか西武に勝てるとは思っていなかった。
巨人に負けるたび巨人ファンの友達にばかにされる肩身の狭い日々も、野村監督のおかげで終わりを告げ、それ以降、友達との立場は逆転したのであった。


野村克也メソッド


野村克也「弱者の流儀」


書斎には野村監督の書いた本が何冊かある。
そういえば去年死んでしまったなあ、と思いつつ、調べてみると野村監督の命日は2月11日である。
ただ、選手としてあれだけ偉大な成績を残したのに、野村克也が死んだら「名監督野村」が死んだ、と一律に報道されるのは、何ともビミョウな気がしていた。
まあ、私も確かに野村監督の選手時代を知らないので、野村監督の方がしっくり来るのだが、天国に行く本人はどう思っただろう。
そのうち長嶋茂雄が死んだら「選手」としての長嶋が死んだ、と報道されるのだろうが、どういうわけか野村克也=野村監督、なのである。
それなら野村監督は歴史に残る名監督なのかというと、名監督というには何かが足りなかったと思う。

何だろう??
確かに、野村監督のおかげでヤクルトは大変身したように見えるのだが、、、直前の数年間、選手育成をして土台を作ったのは前任の監督関根潤三氏であった(ヤクルト退団後はフジテレビの野球解説者)。
もし関根監督がそのまま在任して指揮を執っていても、ヤクルトはふつうに優勝した可能性もある。
関根さんが名監督であった、ということは当時のヤクルトファンならば説明の必要もなくご存知のはず。

野村黄金時代の試合を数多く見たファンの1人として思う。
野村監督は名選手を数多く育てたが、勝負師のタイプではなかった。
名監督なら勝負師でなくてはなるまい。
しかし、野村監督は勝負事の「賭け」をするのがあまり上手ではなく、肝心なところでは裏目に出ることも多かった。
まあ、当時の私はそれくらい熱心にヤクルトの試合を見ていたということではあるのだが、その理由を私なりに分析するとこうである。

・野球の知識と理論を知りすぎているため、ここぞという時に考えすぎる、迷ってしまう
・こうあるべきという理想があり、理想の野球を追い求めて間違ってしまう
・(本人的には)理論的に正しいことをしているので、采配の誤りを直すまで時間がかかる

過ぎたれば及ばざるがごとしではないが、頭が良すぎる、理想が高すぎるのが野村監督の欠点だったと思う。
野村監督、頭も理想もまあまあの方が勝負師には向いているのだよ。

そういえば、野村監督は退任後、長い間、テレビで野球評論家(解説者)をしていた。
その解説はおもしろいようにズバズバ当たり、野球の神様かと思うほど。
しかし、野球を知り尽くしている野村監督は、解説がズバズバ当たっても、ひとたびグラウンドに降り立ち、ベンチで指示をするとまったく思うようにはいかなくなる。
何やらこれが勝負事の複雑さであり、実社会や現場の難しさなのだと私は思うのである。


ヤクルトスワローズ神宮球場


ヤクルトスワローズチアガール


ヤクルトスワローズ選手


ヤクルトスワローズ神宮球場


神宮球場の東京音頭