2020/08/07

ホスピタルアートとパブリックフォーラム

きのうは、名古屋市立大学のヘルスケアアートマネジメント講座のことを書いたが、今日もホスピタルアートのことを書こうと思う。
私はまだ受講生の立場だが、ホスピタルアートは市民社会における人権活動のひとつとして位置付けることが可能だと思う。
アーティストの立場からすると、完成したアートを世に出すことをもって創作活動を成し遂げたと言える(例えば、自分のアトリエで自分で眺めても無意味ということ)。
文化芸術活動では、アーティストがアートを表現する「場所」は不可欠の要素であり、場所の保障は芸術活動の自由の保障と不可分である。

表現活動は憲法21条1項で保障される権利であるが、場所の保障に関して、パブリックフォーラムの理論というアメリカの判例法理を紹介しよう(詳細は小林節「憲法」。憲法の基本書に載っていないことが多く、日本ではマイナーな理論である)。
これは集会の自由(例えばビラ配りなど)の保障の議論のひとつで、例をあげると、公道、公園、公共施設などの公権力所有の公共的な場所の使用を市民の表現活動のために認める、というものである。
JRや私鉄などの駅構内で、堂々とビラ配りができる話ではないのだが、少なくとも市営地下鉄の駅くらいならビラ配りに使用できてもよいだろう、ということ。
したがって、民間の病院でアートの活動は無理だとしても、国公立の病院で展示会程度はできてもよいだろう。

第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


なごやヘルスケアアートマネジメント推進プロジェクト


さて、アーティストの作品はもちろん、その作品を必要とする人のもとへ届けた方が良いにきまっているが、病院にはアートとマッチングする人たちが多いと考えられる。
時間を持て余している外来患者さん、精神的に落ち込んでいる入院患者さん、リハビリがうまくいかずにイライラしている車いすの患者さん、マイホームとは違うので不安になっている小さな子供などがそうである。
確かに、病院は本来的に患者の病気を治療するための機能的場所であり、そこへアートが持ち込まれるのは違和感や実際上の問題もあるとは思うが、そこは柔軟に考えて具体的課題をひとつひとつ解決していくのだ。

「アートとか、患者の居心地のよさとか、そういうのは病院設計では些末なことです」
「病院設計は、もっとダイナミックなレベルで決められることなのです」
「心の休まるカーテンの色? そんなものどうでもいいのです。それよりも、この最新の医療機器を導入するかどうかが重要な問題です」

まあ、正論だが、ここで私は被災地の仮設住宅の話を思い出した。
仮設住宅の軒先に植木鉢があり、季節の花が咲いている。
病院アートはこういうことだと思うのだ。
この花は被災者にはいやしの花だ。
しかし、それ以外の人には何でもない花だろう。
このように、その立場の人でないと分からない感覚というのがある。
それを自分が理解できないからといって、くだらないとか、不要で些末なものとか決めつけるのは20世紀の考え方である。
まあ、そうは言っても、仮設住宅より植木鉢にお金をかけるのは本末転倒である。
なので、病院アートはビジネスとしてはおいしくないのかもしれない。